第14話 暗転

「恐れながら、お尋ねしたいことがございます」


 突然アルティグレナが声を上げ、マルタレクスに向かって一歩進み出た。彼の心臓が跳ねた。


 彼女が自分へ話しかけようとしている。息を飲んで次の言葉を待った。すると彼女はこう言った。


「王子殿下と我が国の姫との縁組みは、いかがなりましょうか」


 マルタレクスの頭が、瞬間、真っ白になった。――彼女に一番触れてほしくなかったこと。


「アルティグレナ殿」


 リーアヴィンが渋い声を出した。


「事は国家間の問題。軽々けいけいに話題にしてよいことではありません」

「しかしながら」


 アルティグレナは食い下がる。


「もうご承知のことと思います。昨日の事件、真の下手人は誰か」


 音もなくその場に緊張が走った。


「――何を、おっしゃりたいのでしょう?」


 ゆっくりとした口調でリーアヴィンが尋ねた。それに女騎士は、傲慢なまでにきっぱりと答えた。


「第一王女セリアルーデ姫が貴国の妃としてふさわしくないこと、もはや明白でございましょう」


 マルタレクスは、緩慢な動作で、目を瞬いた。頭が働かない。


「王子殿下は、我が――グレナドーラ姫を救ってくださいました」


 彼女の頬はすっかり紅潮していた。手は握りしめられ、背筋をぴんと伸ばし、瞳の緑炎はきらめき燃えていた。美しい、生にあふれた炎。


「ですから……」


 言葉が一度切られる。マルタレクスの呼吸は止まっていた。言ってほしくない。続く言葉を、彼女に言ってほしくない。


「マルタレクス王子殿下に、是非とも、グレナドーラ姫を、娶っていただきたいのです」


 死の宣告のようだった。


 ただ沈黙が流れた。マルタレクスは微動だにできなかった。嘘であってほしいと、これは現実ではないのだと、頭の中で感情が叫び荒れ狂っていた。


 だから、向かい合った少女たちがその時どんな様子だったのか、まったく目に入っていなかった。


「……アルティグレナ殿」


 低いリーアヴィンの声が耳に入った。


「我が王子を……あまり困らせないでいただきたい」


 その言葉を振り切って女騎士がまた言った。


「王子殿下」


 懇願するような声だった。


 マルタレクスの体が勝手に動いた。ゆるゆると首が左右に振られる。唇が勝手に開閉した。


「私の一存で決められることではありません」


 それは自分の声だったのだろうか。平坦で、ひどく無機質なものに聞こえた。


「私はノルフィージャの世継ぎの王子ですから」


 断りたかった。受け入れることができなかった。よりにもよって、彼女から、彼女の主と、婚姻を結ぶことを求められるなんて。彼女の願いであっても、彼女の願いだからこそ、絶対に、受け入れられなかった。


「――分かりました」


 石のようなものがマルタレクスの耳の中を、背を滑り落ちていった。その痛みにはっと正気に戻る。


 アルティグレナの顔が蒼白になっていた。逆に緑炎はより一層激しく、まるで暴れ猛る獣のごとく、今にもマルタレクスに襲いかかろうとするかのごとく。


 そして同時に、なぜか彼女は今にも泣き出しそうにも見えた。


「アルティグレナ殿」


 動揺して呼びかけた。しかし彼女は再び主の後ろまで下がった。グレナドーラ姫がそっと女騎士の手を握る。さらにマルタレクスの動揺は強くなっていく。


「けれども……私はあなた方のことが心配です」


 耐えられなくなって話し出した。


「アルティグレナ殿が秀でた騎士であること、昨日の件からもよく分かりました。しかしアルティグレナ殿だけで、これからも姫を守りきることが果たしてできるのか……」


 焦ってしゃべり続けていくのへ、女騎士が割り込んだ。


「私がお守りします」

「アルティグレナ」


 姫が止めようとするが女騎士は声を張り上げる。


「私が必ず、我が姫をお守りいたします。この命に代えても!」


 彼女の頬に再び赤みがさす。緑炎が激情に燃え盛る。マルタレクスを覆い尽くす。


「私が騎士となったのも、剣を取ったのも、すべて我が姫の御為。我が身と我が命は姫にお捧げしたもの。私が、たとえ何があったとしても、必ず我が姫をお守りいたします!」


 高らかな、世界すべてに向かって言い放たれた、宣言。


 マルタレクスは言葉を失い、ただ圧倒されていた。



 グレナとアルティはベッドの上に座っていた。寝間着に着替え、剣を枕の下に置き、もうすぐにでも寝ることができる。すでに寝るべき時刻でもあった。だが二人とも、横になろうとしなかった。


 前夜もほとんど眠れていなかった。重く疲れた体で、従姉妹たちは互いに支え合うようにして座っていた。


乱暴者ルーデたちが、あんな派手な、無茶な事を……起こす、なんて……」


 グレナは小さく呟いた。今までは、食事への毒と人目が少ない場所での襲撃だけを警戒すれば対処できていた。なのに、祭りが終わった直後、他国の王子がそばにいる時にまで刺客が襲ってくるとは。甘かったと思い知らされていた。


 アルティも弱々しい声で言った。


「マルタレクス王子殿下が助けてくださらなかったら、どうなっていたか……」


 グレナは唇を噛んだ。血が出そうなほどにきつく。アルティが続ける。


「とても驚いたわ……王子殿下が、剣を抜いてくださった時には……私たちを、助けて――」

「彼は私たちを助けてなんかくれない」


 固い声でグレナは従妹を遮った。


「今日会いに行った時の、彼を覚えているでしょう」


 口をつぐむアルティ。グレナの体にかかる従妹の重みが、さらに増した。


「マルタレクス殿下は、ノルフィージャの王子は、私たちを助けてなんかくれない」


 グレナはくり返した。


 マルタレクス王子の無感情な声が、まだ耳の中でこだましていた。どんなにきつく耳を塞いでもそれはいつまでも聞こえ続けた。くり返しくり返し、彼女を冷たく、突き放す。


 期待した自分が、馬鹿だったのだ。ずっと諦めていたのに、無謀な期待を抱いてしまった。それが愚かだったのだ。


 世界には従妹と自分、二人きりなのに。他の誰かが、来てくれるなど、期待しては――いけなかったのに。


「……ノルフィージャが関わったことで、これからどうなるのか……」


 従妹を守らなければいけない。自分が、自分こそが。だから考えなければならなかった。


「いいことに、つながるのかしら……? 力強いルーデの方々を、抑えてくれるような……」


 従妹が言うのに、だがグレナは顔を歪めた。


「……分からない。ノルフィージャがどう動くのか読めない。あの誇り高い、猛々しい国が……強硬的な態度を取るのか、穏便に済ませようとするのか……」

「もし、この国に介入してきたり、するのなら……私たちにとって良くなるかもしれないわね」


 アルティの表情が少し明るくなったが、グレナの気持ちは浮かび上がりはしなかった。


「でも介入は、難しいわ。いくらノルフィージャが兄弟国でも……カルメナミドの民は、隣国の言いなりになることを決して喜ばないだろうから」

「……この国が、荒れるの……?」


 そうなったら、どうなるのだろう。グレナは上手く動かない頭で考える。自分たちにとっては何も変わらないのかもしれない。これだけ近くに敵がいるのだから、その外がどんなに荒れ狂っても、同じことだ。


「乱暴者たちも、これからどうするのか……」


 グレナはうつむいた。闇に閉ざされ真っ暗な、将来の。それしか見えてこない。


「……全部、マルタレクス殿下のせいよ」


 そんな言葉が口からこぼれた。


「グレナ」

「あの方が、やって来なければ……いなければ、こんなことにはならなかった」


 両手で顔を覆う。手が、体が震える。


 彼がいなければ、自分がこんなつらい想いをすることはなかった。


 彼がすべて悪いのだ。期待を抱かせた、彼が。


「グレナ……」


 アルティの腕がグレナの震える体に回され、やさしく包んだ。


「――もう、眠りましょう。私が、一緒にいるから。一緒に……朝まで眠りましょう」


 温かい。従妹の腕は、身体は、とても温かい。


 アルティさえいれば――自分は満たされる。ずっとそうだった。そして、これからも。


 グレナは力なく、従妹の腕に身を任せていた。

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