番外編

番外編 美女と野獣は手をつなぐ

 ファッションビルの人気のない非常階段は、一見すると四月の陽光に暖められて居心地が良さそうだと思った。だが、そのうららかな空気を一瞬にして変えてしまうのは、ミサの目の前でニヤニヤと笑う男二人。

 ミサは癖もあって、男の鑑定を始める。

 整った顔立ち、流行のファッション。どちらも一般的にはイケメンと言われる部類だと冷静に観察する。背はウエハラよりは低いが割と高い。つまりミサは視界を遮られ、そして周囲からもミサは隠されてしまっている。


「うざいし」


 ミサは言い放った。


「可愛い子が、そんなこと言わない方がいいと思うよ?」


 こういう時、あと5センチでもいいから身長があったらなと男たちの顔を睨みながら、ミサはため息を吐いた。


(あーあ)


 今日はウエハラとのデートだった。

 あんなことになったのは、半月前のこと。

 二人の関係が劇的に変わってから間もない。まだまだ距離感に慣れず、いまいちどう過ごしていいかわからないものの、確実に楽しい時間だった。――さっきまでは確実に。

 だが、ウエハラと街をぶらぶらとしていたら、ちょっと店を覗いた隙にはぐれてしまった。そして、彼を探している間に、チャラい男二人組にナンパされてしまったのだった。

 ナンパ自体は昔からよくされていたのだが、今日の相手は若い。ウエハラと付き合うようにしてから、無理なく似合う格好をするようになり、数歳若く見えると言われるようになった。しかも今日は膝丈のシャツワンピースにニット帽、足元はエンジニアブーツ。オフはアメカジのウエハラに合わせてみたのだ。オフィス仕様と比べてずいぶんカジュアルだし、余計にかもしれない。


(手でもつないでたらよかったかな)


 あの男は大胆なくせに、案外照れ屋なのかもしれない。それがこの頃のミサの予測である。というか、ミサから攻めると、一歩ひいてしまうところがある。先程もミサから手を重ねてみると、驚いたように目を見開いて、ごまかすように笑った後手を引っこめてしまった。その仕草が妙に新鮮で、頭上にある顔が若干赤らんでいたような気がしたので、気は悪くしなかったけれど。


(自分から攻めるときは、こっちが引くくらいの猛攻を仕掛けるくせに……、不思議だよね)


 そんなことを考えながら、隙を見て逃げようとすると、男の一人がミサの顔の隣に手を突いた。


(あぁ? 未だにかよ? 今更ときめくとでも思ってんのか?)


 苛立ちが増して、ミサは心の中で柄悪く毒づいた。意中の相手でなければ、こういうのは不愉快なだけだった。


「連れがいるって言ったと思うけど?」


 目の前の腕に噛み付いてやろうかと思う。睨み上げると、勘違い男は言った。


「でも連絡取れねえんだろ? じゃあ、いいじゃんいいじゃん、俺達とあそぼうよ」

「連絡が取れないからあんたたちと遊ぶ? なんで? その理屈おかしいよね? 頭悪そう。っていうか頭悪い。とにかく、退いて」


 本気でイライラする。ミサは電話をかけようとスマホを取り出すが、男の一人にそれを取り上げられてしまった。


「ちょっと返してよ」


 手を伸ばすが、身長20センチの差は大きかった。男が手を上に伸ばすととても届かない。ミサは飛び上がってスマホに手をのばそうとするが、男はそれを面白がり、からかうように手を振る。


「背ぇ、ちっちゃい子って可愛いよな」

「背徳的な感じがして、楽しそう」


 男たちは何を考えているのか、鼻の下を伸ばしている。整っている顔が台無しだとミサはうんざりした。


(あー、どいつもこいつも)


 イケてる奴に限ってこうだ。凄まじくイケてる男はこうはならないというのに、中途半端な自信がまずいのだろうか。


「キモい」


 ぼそっと言うと、なにか聞き間違えたかのように、顔だけイケメンその一が眉を寄せた。


「今なんて言った?」


 にやにやとしていた顔だけイケメンその二が問うので、もう一度はっきりと言ってやる。


「キモいって言ってんの。彼氏いるって言ってんだろうが。さっさと返せ」

「でもさあ。あんたの彼氏より俺たちと遊んだほうが楽しいだろ?」


 男たちは気にしない。本当にどうしてミサの周りにはこういう男が湧いて出るのだろう。


(色気出すとダメなのか?)


 だからといって地味な格好しかできないのは嫌だと思う。デートなのだ。ミサだって乙女だ。ウエハラに可愛いと言ってもらいたい。

 せっかくのおしゃれを台無しにされて、腹立ちまぎれにミサは吠える。


「全然。あんたらくらいの顔の男なんて、そのへんゴロゴロいるし、何天狗になってるわけ。勘違い男が一番気持ち悪いんだよ」

「はあ? ちょっとこの子何言ってんの」


 ようやく言葉が届いたのか、男たちの顔に怒りが走る。しまったと思ったがもう遅い。

 焦ったミサが悲鳴でもあげようかと思った時だった。


「ミサ」


 頭上――男たちの頭の更に上から低い声が降った。

 顔を上げたのと、ミサのスマホが男の手から消えたのは同時だった。


「う、ウエハラ!」


 ミサが呼び返すと、彼はわずかにげんなりした顔をした。だがすぐに表情を厳しくすると、男たちを睨んだ。


「あんたら、俺の彼女に手ぇ出すのやめろ」

「はぁ?」


 男二人は不愉快そうに振り返って、ウエハラの体格の良さに怯む。だが、次の瞬間、


「ちょ、ちょっとあんたの彼氏って、これ? まじ?」


 イケメンが半笑いの顔で見上げる。


「なんか文句あるっすか?」


 ウエハラがじっと見下ろすと、二人はお互いの顔を見合わせる。


「ってかめっちゃ釣り合いとれてなくねえ? 美女と野獣?」


 ゲラゲラ笑い出す二人に、ミサはとうとう切れた。自分の被る迷惑は耐えられるが、彼まで巻き込んで、しかも馬鹿にされれば黙ってられなかった。


「ウエハラはあんたらの百倍はいい男だし」

「それなんの冗談――マジうける」


 更に笑う男たちに、ミサは殴りかかりたくなる。

 だが、ウエハラの手が振り上げたミサの手を抑えた。彼は全く気にしない様子で


「あんたらには彼女を満足させられねえと思うっすよ。たとえ二人がかりでも、絶対手に負えねえから」


 と余裕の笑みを浮かべると、ミサの手を握って歩き出した。




 ビルの外では、程よく冷えた空気が足元を流れていた。

 歩道に植えられているハナミズキが、青い空を背景に誇らしげに咲き誇っている。最高のデート日和だと思うと余計に頭にきた。


(あー、もう、台無しじゃん!!)


 無言で歩いていたミサが、地団駄を踏むように足踏みをすると、ウエハラが笑う。


「カッカしなさんな。バカの相手して怒るとか、エネルギーの無駄遣いもいいとこ」

「でも、めっちゃムカつくし。なんでウエハラ一言言ってやらないんだよ」


 ムキになってミサは言い返すが、ウエハラはごきげんな顔で言った。


「俺はあんたの一言もらえて超ラッキーって感じ」


 雑踏の中でウエハラは手を繋ぎ直すと、ミサの手を引っ張って歩き始めた。

 指の間に自分の筋張った指を通して密着させる。その行為はミサに彼との夜を呼び起こさせる。昼の光の中で抱き合っているような気分になり、手にひどい汗をかく。


(だ、だから、なんで自分から来るときはこんな大胆なわけ……! あー、『黙って俺についてこい』ってやつ? これだから九州男児は……)


 グチグチと心の中で文句を言いつつも、手から伝わる感触がだんだん不満を蝕んでくる。

 アスファルトの熱を車の排気が巻き上げる。熱気に満ちた大通りを手をつないで歩く。その間、ウエハラの親指は、ちっともじっとしていない。親指と人差し指の間をたどったり、手のひらを引っ掻いたり。意味ありげないたずらを繰り返す。言葉を失ったままミサは、それでも文句も言わずにウエハラに手を引かれていた。

 商業エリアから少し離れると、ホテルが立ち並ぶエリアが広がる。看板を見るたびに頬だけでなく体も熱くなる。


(わああ、何考えてんだ、私!)


 妄想を振り払いつつも、思わずミサが喉を鳴らしたとたん、ふとウエハラは口元を緩める。


「めっちゃやらしいこと考えてるっすね」

「な、何言ってんの、この馬鹿ウエハラ」


 図星で真っ赤になったミサは思わず手を振り払った。すると、ウエハラは納得行かないとでも言うように口を尖らせた。


「あー、ダメっすね」

「なにが」

「彼氏なんだから、やっぱ名前で呼ばないと。さっきのはダメな例。せっかく格好良く助けに入っても『ウエハラ』って言われたら台無しっすよ。俺はちゃんと呼んだのに」


 言われてミサは先ほど彼が彼女の名前を初めて呼んだ事に気づいた。


(あ、そういえば、いつも『あんた』とかなのに)


 思っていたより動揺していたのだろう。恋人として絆が深まった瞬間をさらりと流してしまっていたことがひどく勿体無くてがっかりする。


「聞き逃した。もう一回呼んで」


 だがウエハラはニヤリと笑って


「だめっすよー」


 と躱した。


「ケチ」

「そーいうときはあんたから言えばいいんすよ」

「『あんた』に戻ってる!」

「いやなら、言うっすよ。ほらほら、『りょうへい』たった五文字。簡単っす」


 ミサは「り、」と口を開きかけたが、どうも照れくさくて喉に引っかかる。


「人目が気になるっすか?」


 笑うウエハラの目はシティホテルの看板を見上げている。ゴシック体のご休憩の文字に、ミサは思わず時計を見て冷や汗をかく。


「まだ二時だよ。真っ昼間」

「たまにはいいんじゃないすかね」


 ウエハラはミサの手を持ち上げる。そして異常にひどい手汗を指で拭う。


「ってか、夜まで持つ?」


 いたずらっぽく覗きこまれる。その顔は確かにフツメンだ。だがひどく好みに思えるのは、何かの魔法にかかっているのだろうか。ぼうっとなるミサの耳元でウエハラはとどめの一言を落とした。


 オレは待てない。


 その言葉に、ミサはあっという間に陥落した。

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