第4話 エルダーリッチ、冒険者になる

 イチゴウが遭遇したのは、死者の大魔法使いエルダーリッチと、中年の域に達してはいるが見事な肢体をした美しい女だった。

 前方に扉が2つ、通路正面と右手にある。

エルダーリッチは両方の扉の前に陣取り、もう一人の女は扉からは少し離れている。


 どちらの扉か、ということは考える必要はない。音がした方だ。問題は、どちらの扉でもなく、場所がそもそも違っていた場合だ。

 いずれにしても、扉の近くにいたほうがいいだろう。


「なんだ? お前は」


 尋ねてきたのは、イチゴウではないエルダーリッチだ。もう一人の女から、デイバーノックと呼ばれていたモンスターだ。


「ここの客ですよ」


 嘘ではない。ちゃんと、渡された金は全て消費してきた。いわば、負けたのである。

 アインズ・ウール・ゴウンの配下が、ナザリックの一員が、果たして負けてもいいのだろうか、とふと思う。


 だが、自分の考えに没頭しつつあったイチゴウを妨げたのは、乾いた顔をしたデイバーノックだった。


「客? ヒルマ、知っているか?」

「いいえ。ここは、会員制よ。私が知らない人はいないわ。たぶん、表の賭博場の客じゃあないかしら」

「そうか。たまたま迷って入りこんだのなら、見逃してやる。失せろ」


 ヒルマと呼ばれた女は傲然と腕を組み、まるで汚物を見るかのようにイチゴウを見下していた。デイバーノックにしても、まるでイチゴウが眼中にない。

 もちろん、イチゴウもこの二人には全く興味がなかった。


「この奥に鍵のかかった扉がありませんか?」

「聞いていなかったのか? 失せろと言ったんだ。私を怒らせるなよ」


 イチゴウは、デイバーノックが魔法を発動したのを感じた。第二位階魔法〈恐怖〉の無詠唱による発動だった。

 無詠唱の魔法は、イチゴウは習得していない。だが、確かに口頭で『恐怖』と言いながら発動させては、なんとなく格好が悪い魔法だ。


 イチゴウは感心した。第二位階魔法の〈恐怖〉は、エルダーリッチがはじめから持っている、モンスター属性から得られる魔法に過ぎないが、努力して無詠唱化したのだ。

 ならば、きちんと学べば新しい魔法も覚えられるかもしれない。これは、アインズ様に報告しなければ、とイチゴウは思った。

ちなみに、アンデッドは精神系の魔法には完全耐性があるため、デイバーノックの魔法は全く通じなかった。


「鍵のかかった扉がなければ、帰りますよ」


 自分の感動を押し殺して、イチゴウが尋ねる。

魔法が不発に終わったことを感づいたのか、デイバーノックが不機嫌そうに顔を歪めた。顔の皮が乾ききっているため、よく見なければわからない程度の歪み方だ。


「この奥に、扉はないわ。ここにあるだけよ。鍵はかかっているわ。さて、教えてもらえる? 鍵のかかった扉に、どんな用があるの?」

「合図があったら……」


 イチゴウが最後まで言い終わらないうちに、扉の向こう側からノックの音が聞こえた。リズミカルに、2回・1回・3回と響く。


「……何の音?」


 耳聡く、ヒルマが視線を向けた。その先には、扉があり、取っ手に大きな南京錠がぶらさがっている。人間の手でむしり取れるものではない。鍵も渡されていない。

 計画がずさんすぎるだろうと思いながら、イチゴウは役目を果たすべく行動した。


「〈ファイヤーボール〉」

「なにい!」


 デイバーノックの絶叫を無視して、放たれた火の玉が南京錠を直撃する。

 爆発した。

 すぐそばに立っていたデイバーノックの体が吹き飛び、床に転がる。ヒルマはとっさに逃げたようだが、爆風でとばされたのか、壁にへばりついていた。


 鍵は壊れていた。イチゴウの仕事は鍵を開けるだけだ。扉を開くことではない。

 扉が開いた。開いた、というべきだろうか。ファイヤーボールの爆発で、蝶番ごと外れたのだ。

 扉が倒れる。その先に、呆然と立ち尽くす男たちの顔があった。




 イチゴウの前に現れたのは、夜の闇に紛れたワーカーチーム、グリーンリーフの一行だ。鎧が緑だろうが、自ら光るわけではない以上、闇に溶け込んでいる。

 ただし、イチゴウの目に闇は全く効果を現さない。


「鍵は開けた」

「鍵はあけた、しゃなかろうか。わしらは隠密行動をする必要かある。わしらの雇い主か特定されると、やっかいなことになるのしゃ。派手なことをしおって」

「しかし、老公、中の様子がわからないままだったのです。これはチャンスです」


 盗賊が闇から飛び出るように建物内に入り、用心深く周囲を見回す。


「ここにいた連中は死んでいるようです……イチゴウさん、あんたマジックキャスターか。やっちまったな。老公、ここで引くと、麻薬組織はまた逃げちまいますよ。ここは、一気に潰すチャンスだと思います」


 緑色の鎧を着たパルパトラも屋敷内を見回す。生きている人間がいないと見たのか、踏み込んできた。

 イチゴウは、倒れていたデイバーノックもヒルマも、生きていることは知っていた。だが、デイバーノックはアンデッドだ。動かなければ生きているとはわからないだろう。ヒルマは死んだふりが上手そうだ。


「よひ。行くそ。お前しゃん……名前は?」

「イチゴウだ」

「よし、イチコウはここて待機しゃ。誰か来たら、さっきの魔法て吹き飛はしてかまわん」

「老公、こっちです」


 グリーンリーフの盗賊が、もう一枚の扉に手をかけていた。


「よし、開け」

「はい」


 勢いよく扉をあけ、パルパトラを先頭に5人のワーカーが飛び込んでいく。

 イチゴウは、その場に佇んでいた。


「どうして、死んだふりなんかしているんです?」

「こんな至近距離で〈ファイヤーボール〉をぶっ放す危ない奴に加えて、グリーンリーフのパルパトラが相手ではただではすまない。私たちは、この街に暴れるために来たのではない」


 それでも、プライドが傷ついているのだろう。半身を起こし、デイバーノックが吐き捨てた。

 年齢を重ねているがまだ美しい女、ヒルマも体を起こす。ヒルマは人間だと思うが、歴戦のワーカーチームを死んだふりでやり過ごしたのだ。かなりの演技力の持ち主なのだろう。


「デイバーノック、行くわよ」

「麻薬も奪われるし、足がつくぞ。それでも、いいんだな?」


「仕方ないわ。誰があいつらとこの人を雇ったのか知らないけど、帝国の貴族は王国ほど腐っていなかったってことかもね。十分な根回しはしたつまりだったけど、仕方ないわ。この街に流した麻薬ぐらい、すぐに取り戻せる。それより命惜しいわ。行くわよ」

「私を雇ったのは、さっきの年寄りですよ」


 デイバーノックはイチゴウに鋭い視線を向けたが、何も言わずに立ち去った。ヒルマが目の前に立つ。


「ワーカーが、他人を雇うなんて珍しいわね。第3位階のマジックキャスターなら、相当お高いでしょうに」

「もちろん。私を雇いたければ、銀貨5枚は用意するんですね」


 イチゴウは自信を持って言ったが、ヒルマの眉がぴくりと動いた。


「銀貨5枚? 交金貨5枚でも格安でしょうに」

「……金貨? そんな貨幣があるんですか?」

「……あなた、どこの宿に泊まっているの?」


 奇妙なことを聞く。イチゴウはどこにも泊まっていない。何を聞きたいのだろうか。

 デイバーノックがヒルマに急ぐよう促した。ヒルマは、最後にイチゴウに囁いた。


「私は『踊るゴブリン亭』に泊まっているわ。明日には出るから、稼ぎたければ、今日中に訪ねていらっしゃい。気に入れば、サービスしてもいいわよ」


 イチゴウの返事を待たず、ヒルマは駆け出した。

 デイバーノックとヒルマの姿が通路の先に消えると、入れ替わるように武装した男たちのが現れた。

 賭博場の用心棒たちだろう。金をかけている時、見た覚えがある。


「〈ファイヤーボール〉」

「わあぁぁぁぁっ! あいつ、マジックキャスターだ!」

「に、逃げろ! 死ぬぞ!」


 現れた男たちが尻餅をついた。イチゴウが放った火球は壁に当たって爆散する。もともと範囲魔法である。直撃しなくてもダメージが通る。


「〈ファイヤーボール〉」

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!」

「鬼だ! 血も涙もないぞ!」


「〈ファイヤーボール〉」

「ひぇえぇぇぇぇぇぇっ!」


 さらに追加で放とうとした時、イチゴウの背後で扉が開いた。ワーカーたちが姿を表す。


「こ苦労しゃった。麻薬も、しょうこもおしゃえたわ。これて仕事はかんりょうしゃ。もう、顔を見られても問題ないしょ」

「老公、無理に暴れることもないでしょうに」


 板張りの鎧を身につけた、大柄な戦士が苦笑を浮かべる。


「血が騒ぐのでしょう。それが老公の若さの秘訣なのですから、止めるわけにもいきませんよ」


 見るからにマジックキャスターという風態の、ロープを着た男が口を挟む。


「こっちは任せて、老公は暴れてきてください」


 開いた扉から、盗賊が顔を出していた。最初にイチゴウに声をかけてきた男だ。イチゴウが近寄ると、男は会釈した。

 パルパトラが槍を構えて突進し、戦士と魔法使いが続く。イチゴウに、盗賊の男は笑いかけた。


「ありがとう、助かったよ。この仕事は、半分諦めていたんだ。報酬はこの場で渡せるが、どうだ、もう少し、老公につきわないか?」

「今日だけ、という意味ではなくて、これから先、という意味かな?」

「ああ。ああ見えて、老公はイチゴウさんのこと、気に入ったみたいだしな」


 どこに気に入られる要素があったのかはわからない。

 イチゴウは少しだけ考えたが、やはり首を振った。自分の被った羊の皮が、いつまでも新品同様で使い続けられるわけがない。すぐに、羊の皮を被っているのだと知られてしまうだろう。


「私は……まずは冒険者をやってみる」

「そうか。残念だな。約束だから、報酬は銀貨5枚だ。もう少し色をつけてやりたいが、老公の方針だからな」

「構わない。約束通りだ」

「すまないな」


 イチゴウの手に、5枚の銀貨が握らされる。盗賊の男は再度礼を述べた。

 剣戟の音と怒号、悲鳴が続く賭博場をイチゴウは後にした。




 時刻は深夜に近い。イチゴウはアンデッドの常として、昼夜関係ないし、そもそも睡眠が取れない体である。体内に住んでいるゴキブリのシャリアも、光を苦手としている。

 つまり、深夜は最も活発に行動すべき時間帯である。


 イチゴウは仕事で得た銀貨5枚を握りしめ、早速冒険者組合に赴いた。

『緊急時以外の窓口は閉店しました』

 と札が下がっている。イチゴウは、自分が緊急の事態に陥っていないことを認めざるをえなかった。


 仕方ない。

銀貨をいままでの稼ぎ(銀貨一枚と銅貨30枚)と一緒の巾着袋に入れて、寝静まった夜の街に繰り出した。




 帝国でも、帝都の表通りは魔法のあかりで照らされているという噂があり、一度見てみたいと思っているが、この街では、夜の明かりはごく一部の店だけである。

 まだ営業しているのは怪し気な店が多いが、中には宿屋もある。もちろん、治安が悪くなる夜に、誰でも入れるような宿屋は、そもそも怪し気な商売を裏で行っている場合が多い。


 イチゴウがたどり着いたのも、そういった宿屋だ。

 看板に『踊るゴブリン亭』とあった。

 ヒルマという娼婦じみた女が告げた宿屋だ。


 あの女に用があっわけではない。ただ、暇だったのだ。あるいは、話を聞けば、何らかの情報が得られるのではないかとも期待した。

 入り口の扉をくぐると、宿泊客用のカウンターがあり、その脇に酒精を出すこじんまりとした場所があった。

 イチゴウが中に入ると、こじんまりとした場所に実に似つかわしい女が軽く手を挙げた。


 ヒルマだ。美人ではあるのだが、どうしてこうも安っぽく見えるのか、イチゴウにはわからない。

 イチゴウが近づくと、ヒルマはとなりの椅子を手で示した。座らなくても疲れない体だが、人間は座るものらしい。イチゴウも腰掛ける。


「遅かったわね。寝ようかと思っていたところよ。まあ、来ると思っていたけどね」


 ヒルマは飲んでいたグラスを置き、胸の下で腕を組んだ。組まれた腕に、胸が押し上げられるのが服の上からもわかる。それなりの年月を生きた人間にしては、保存状態が良いようだ。


「冒険者組合に行ってきた。金が手に入ったので、登録しようと思ったんだが、深夜営業はしていないようだ」


 ヒルマはおかしそうに笑った。


「冒険者? 貴方が? ワーカーの仲間じゃないとは思ったけど、どうしてそなことをしたがるの? お金に困っているのかしら?」

「……マジックアイテムや巻物を買いたいが、高くて手が出ない」


「そう。でも、一から登録してってなると、まともに稼げるまでにかなり時間がかかるわよ」

「どれぐらいだ?」

「第3位階の魔法が使える人から考えたら、気が遠くなるような時間でしょうね。マジックアイテムを買ってどうするの? お金を稼ぐのがアイテムを買うためなら、貴方の本当の目的は?」


 この女は、どうして詳しく知りたがるのだろうかと、イチゴウは不思議に思った。

 アインズに報告するため、なのだが、それを素直に言うのも憚られた。もっと詳しく教えろと言われそうな気がしたのだ。

行きずりの女に、主人の情報を流すのが正しいことだとは思えなかった。

だから、少し考えたあげく、密かに思っている望みを口にした。


「どこかの廃墟をねぐらにして、支配者として君臨したい」

「……本気?」


 ヒルマが目を丸くした。おかしなことを言っただろうか。まあ、自分が侮られるぐらいは、たいしたことではない。


「そのためには、金がいるだろう?」

「そ、そうね。デイバーノックがエルダーリッチのくせに魔法を覚えたいって言った時にも驚いたけど、それ以上だわ」


 イチゴウは、先ほどヒルマと一緒にいたアンデッドを思い出した。


「そういえば、あのエルダーリッチはどうした?」

「部屋よ。アンデッドだから、同室にしても無害だから。アンデッドに恐れられる魔法使いなんて、誇ってもいいわ。あれでも、不死王って呼ばれているのよ」

「……へぇ」


 後日、デイバーノックはその2つ名のせいで、ある老人に撲殺されるのだが、イチゴウは全く別の感想を抱いた。


「相応しい名前だな」

「そう? まだ、新しい魔法もつかえないし、分不相応だと思うけど?」

「確かに、『不死の者たちの王』という意味であれば、不敬きわまる。だが、不死王とは、『死の王にあらざる者』という意味だろう? いちいち名乗ることでもないが、まあ妥当だろう」


「……そうかもね。あいつの話はいいわ。別の人間の部下だし、ただ、私の護衛っていうだけよ。それより……あなたはどう? どんな望みがあっても、お金は必要よ」

「だと思う。冒険者になるしか、稼ぐ方法がわからない」

「私の言う通りにすれば、冒険者になるより、よっぽど稼がせてあげるわよ。第3位階の魔法をためらわずにぶっ放せるマジックキャスターなんて貴重だし、私は、ちょっとした組織の幹部だし」

「……それもいいかもな」


 金が稼げる。

 金回りがいい組織なら、それなりに大きいのだろう。アインズにも、様々な情報を流せる。割といいのではないだろうか。

 イチゴウが肯定的な返事をしたからか、安っぽい美人が身を乗り出した。


「明日には王国に発つけど、あなたの荷物は?」

「……王国?」

「ええ。私の組織は王国が本拠地なの」

「……すまないな。私は、王国にはいけない。帝国にどうしても行かないといけない」


 それが、アインズから与えられた命令だからである。


「そう……そこまで言うなら、仕方ないわね。でも、そのうち王国に来ることもあるんでしょう?」

「……そうだな。そんな時もあるかもしれない」


 アインズから命じられればどこでも行くだろう。帝国での仕事が認められれば、王国の調査をすることもあるかもしれない。

できれば、その前に廃墟の1つも頂ければ光栄だが。


「なら、その時は会いに来て。いえ……会いに来たくなるわ」


 ヒルマが顔を近づけてきた。いまだ豊かな胸が、イチゴウの腕に触れる。

 イチゴウの皮膚の感覚は、ほとんどないといっていいほど鈍く、何が起きたのかわからない。ただ、ヒルマの胸が押し当てられ、顔が近づいていることは理解できる。


「そうなのか?」


 イチゴウには精神異常が効かない。この女は何をしたいのだろうかと、ヒルマを見つめる。


「奥手なのね」

「そうか?」


 意味がわからず問い返した。ふれあいそうなほど、近くに顔がある。人間より視力に優れたイチゴウは、ヒルマの顔の毛穴までが見える。


「じれったいわね」


 顔が、重なる。ヒルマの口が、イチゴウの口に触れる。

 イチゴウには、何をされているのかわからなかった。だが、イチゴウの頭の中で、シャリアが憤るような声をあげた。

 イチゴウの口の中に、ヒルマが舌を伸ばす。イチゴウはお返しに、ヒルマの口に含ませたものがある。

 二人の顔が離れた。

 ヒルマは、丸々と太ったゴキブリを口から生やしていた。


「えっ……?」


 声を漏らしたヒルマの口から、ぽろりと黒いものが落ちる。シャリアが招いて同居していた眷属である。


「こ、これ……どこから? 私の口に……おえぇぇぇぇぇっっっっ!」

「シャリア、私はこれはいいサイズだと思うのだが、どうだろう?」


 イチゴウは体を折って口の中に手を突っ込んでいるヒルマを見下ろして、頭の中の友人に尋ねた。


「どういう意味?」


 なぜか、少しトゲがある言い方で聞き返された。


「ああ。この羊の皮がダメになった時の着替えに、いいサイズだと思うんだ。だが、私はデミウルゴス様のように器用に皮を剥げる自信がないから、君の眷属に中身を食べてもらうといいと思ったんだが、どうだろう?」


「まあ。そういうことでしたのね。てっきり、イチゴウさんがこの人間を気に入ったのかと思って……ごめんなさい。今の眷属の数では、中をすっかり食べて綺麗な皮にするまでに、腐ってしまいますわ。そのうち、綺麗な皮にできるよう眷属を増やしたいと思います」


「ああ。頼むよ。なら、この女にはもう用はないが……ヒルマさん、あなたの組織のこと、もう少し教えてもらえますか?」


 腹のものをすっかり吐き出したヒルマが顔をあげる。血走った目をイチゴウに向ける。


「わ、わたしにこんな真似をして……ただで済むと思っているの?」

「……あなたには何もしませんよ。まだ、何もしていませんし」


 言っている最中、イチゴウの目から、シャリアが顔を出して罵声を浴びせたが、人間には聞こえないだろう。だが、効果は絶大だった。


「か、体の中に……ゴキブリを……こ、この化け物!」

「ああ……この子を怖がっていたのか。本当に、失礼な人だな」


 イチゴウの口から、鼻から、シャリアの眷属が這い出る。賭博場には結構な数が生活しており、居心地がいいらしく、イチゴウの中に巣ができていたのだ。


「ひ、ひゃぁぁぁぁぁぁ!」


 ばたばたと不細工に手足を動かし、ヒルマが逃げ出した。

 この時はまだ、がりがりに痩せてはいなかった。




 朝まで軽食と水を飲んで時間を潰し、イチゴウは『踊るゴブリン亭』を出た。

 軽食と水を飲んだため、金はすこし減った。安い店で、宿にも泊まらなかったが、深夜料金とは割高になるらしい。それでも、銀貨5枚はそのまま残ったのでよしとする。


 アンデッドには飲食は必要ない。エルダーリッチであるイチゴウが軽食と水分を補給したのは、体内のゴキブリの餌とするためである。

口に入れたものは、胃に落ちる前に、頭蓋骨の中に引き上げられている。中でゴキブリたちが受け取っているのである。

 シャリアは眷属を見事に統括しているらしく、一糸乱れぬ動きを体内でしている感じがした。


 朝を待ち、冒険者組合を訪れる。

 金が無くて登録を断られたのは昨日である。

 受付の女は同じ人物だった。イチゴウを覚えていたらしく、胡散臭いものを見る目を隠さなかった。

 イチゴウは胸を張って5枚の銀貨をカウンターに置いた。

 手続きが行われ、イチゴウは晴れて、銅級の冒険者となった。




 生活をするのに必要な一切の行為が必要ないイチゴウは、時間を持て余して、さっそく仕事を受けてみることにした。


「パーティーは組まないんですか?」


 受付で聞かれた。今度は、組合配下の冒険者という立場だ。すこしだけ親切になった感じもする。


「一人のほうが気楽だ」

「なかなか昇格は難しいと思いますよ。腕によほどの自信がなければ」

「腕には自信がないが、そんなに昇格しなくてもいい。そこそこ稼いで、魔法の勉強ができて、金が稼げれば十分だ」


「……結構、望み高いじゃないですか」

「そうか?」

「ええ。銅級でしたら、生活費を稼ぐだけで精一杯でしょうし、贅沢もできません。お金を稼ぎたいなら、パーティーを組んで早めに昇格をねらったほうがいいでしょう」


「わかった。そのうち考えるよ。まだ冒険者になったばかりだし、危険がないものから挑戦してみるつもりだ」

「なるほ……それで、倉庫整理なんですね」


 イチゴウが剥がして持ってきた依頼は、ある商人が依頼した倉庫整理だった。




 倉庫にモンスターが出るわけでもなく、ただの整理である。

 冒険者の圧倒的多数は銅級・鉄級で、それ以上は数が少なくなる。騎士たちが弱いモンスターを討伐してしまうからで、強いモンスターに挑めば死ぬ。だから数少ない中級以上の冒険者は、他国で名を上げた者が多い。

 したがって、冒険者組合の仕事も、従業員を増やすより冒険者を雇ったほうが安上がり、といったものも含まれる。


 この辺りは、冒険者というより人材派遣業である。銅級の冒険者に回ってくる仕事のほとんどが、このようなものだった。

 イチゴウに不満はない。

 指定された倉庫に行き、仕分け作業の説明を受ける。

 雑多な商品の山を種類ごとにわけていく仕事だった。


 何日か、かかると思われた倉庫整理を、イチゴウは半日で終わらせた。イチゴウが優秀だったのではない。休憩が必要のない体だったのと、魔法でスケルトンを召喚して使役した結果である。

 報酬はちゃんと支払われた。銅貨にして50枚だった。半日の仕事に対する報酬としてはまあまあだと、宿屋の宿泊代金を考えたイチゴウは考えた。


 だが、本来なら数日かかる仕事のはずだ。生活できる報酬ではないような気もする。

 銅級の冒険者というのは、最底辺の扱いなのだろう。

 冒険者組合に戻っても昼過ぎだった。

 シャリアから、餌の追加は必要ないと言われて、暇だったので追加で仕事を探した。


 害虫駆除の仕事があった。イチゴウは掲示板に向かって問いかける。

実際には、頭の中のシャリアに向かってだが、周囲から見ても一人で話しているようにしか見えないはずだ。


「ある屋敷から、シャリアの眷属を追い出してほしいらしい。できるかい?」

「その子たちは、どこに住むのですか?」


「私の中でもいいが」

「それはいいですね。あなたの新しい皮も必要でしょうし、眷属を増やす必要がありますから」

「では、受けるとしよう」


 イチゴウは銅級の依頼から、ゴキブリ駆除をはがし取り、カウンターへ向かった。

 1日で2つの仕事を完了させる、優秀な銅級冒険者が誕生した。




 イチゴウとシャリアにかかれば、銅級冒険者の仕事は簡単にこなせそうだった。

 だが、問題もある。人間は、通常夜は眠るのだ。

 三つ目の依頼を受けようとして、カウンターに向かったが、もう宿屋戻ったほうがいいと忠告された。


「戻ると言っても、宿は取っていないし」

「昨晩はどうしたのです?」

「どこにも泊まっていないな」

「お金を節約するにしても、やりすぎです。体を壊しますよ」


 そうだろうか。イチゴウは自分のからだを見回す。

 確かに、デミウルゴスにもらった皮も、少しずつ痛んできていた。この皮で知り合いもできた。早めに新しいものと交換して、この皮は保管したほうがいいだろうか。


「しかし、体と宿泊は、関係なさそうですね」


 宿に泊まったからといって、皮が長持ちするとは思えない。カウンターの娘は別の意味にとったらしい。


「体がいくら丈夫でも、疲労は蓄積するらしいですよ。宿屋に泊まれば、そこでパーティーの仲間もみつかるかもしれませんし」

「なるほど……人が寝ているところなら、必要なものも調達できますね」


 イチゴウは、手頃な皮が手に入りそうだと確信した。

 しかし、どの宿がいいかわからない。受付嬢に尋ねると、銅級冒険者がご用達だという宿屋を紹介してくれた。




 冒険者ご用達だという宿屋はみすぼらしかった。

 まるで貧民街の木賃宿だ。

 イチゴウが顔を出すと、亭主が不景気な顔で出迎えた。


「泊まりたい」

「……見ない顔だな。最近何でも屋になった人かい?」

「私がなったのは、冒険者だ」


「似たようなもんだ。うちは、冒険者組合の指定宿屋だが、うちの宿に泊まるのは駆け出しの銅級ぐらいなもんだ。大部屋しかないが、それでいいかね?」

「もちろん、構わない」


 イチゴウは言われただけの銅貨を渡すと、二階へ上がった。

 二階建てで、一階も二階も似たような作りだった。どちらも、大きな部屋が1つあるだけだ。

 個人スペースも考慮されていない。好きな場所にかってに転がって寝るのだろう。まさに、寝にくるだけの場所だ。


 すでに何人か先客がいたが、だるそうに横になっている。

 帝国では冒険者の需要が少ないとは聞いていたが、王国もこんな状態なのだろうか。定職がなく、雑用が主な仕事だと言えば、貧民街の住人と何も変わらないとも言える。

 イチゴウは疲れてもいなかったので、報告書の作成にとりかかった。

 机も椅子もなく、ただ床があり、広い部屋の隅に汚れたシーツが積み上げられているだけの部屋だ。


 書き物をするのにも適していないが、床の上でも書けないことはない。

 イチゴウはアルベドから渡された紙の束とペンをとり、ここ数日の出来事を記録していった。




 翌日、ゴミ捨て場を漁っていた野良犬を〈マジックアロー〉の魔法で綺麗に殺し、死体を操作して旅の記録をナザリックに送った。

 再び冒険者組合に向かう。

 疲労しないアンデッドの体は、時間の感覚が鈍く、銅級冒険者の雑用的な仕事を全く苦にしなかった。

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