40° 泣き虫お嬢様とおてんばお嬢様




6月半ば。

華ヶ咲学園へ向かう手前、ばったりと鉢合わせしたのは、この2人。


「島谷ぃ~……なんでそんなブスッとしてんの?」

「うるさいわね。ほっといてよ」


今朝からご機嫌斜めな島谷真夏と、その幼馴染で家がお隣の田代祐二。

こんなことは滅多にないのだが、今朝はたまたま、家を出るタイミングが揃ったようだ。


「なんでアンタがいんのよ。あたしは1人で行きたいんだけど?」

「いいじゃん、別に。幼馴染なんだし、家だって隣なんだから。こういうときもあるって」

「は~、最悪……」


自分たちの関係を(島谷が一方的に)隠しているにも関わらず、田代は怯むことなく、島谷の隣を、彼女の歩調に合わせて学園へ向かっている。


「アンタがあたしの幼馴染だって知られたら、あたしの名誉が汚れる」

「だからその言い草ひどくない!?」


毎度のごとくだが。

傷付く。これでも小学生からの付き合いだというのに。


「ムカつくからスカートの中、見せろ」

「なんでそーなるっ!?」


異議を唱える島谷のスカートをぐいぐいと引っ張り、強引にめくろうとする田代に右ストレートが炸裂した。「やめんか!」

鼻血を噴射した田代が鼻穴にティッシュを詰め込んでいる間、島谷は皺になったスカートを整える。


「あの子、選ばれたんだってね、体験入学」

「ああ、それで不機嫌なの?」

「別にっ」

「なんでそんなにラグちゃんを敵視するかなー?」

「バケツいっぱい水を被せてやりたいくらいよ」

「ひどいことするなー……」


島谷がラグを毛嫌いしているのは中等部の頃からだが、これといった理由が無い。

本人に何か気に障るようなことをされたのならば、まだ合点はいくが、島谷の場合はただただ生理的に受け付けない、遠くから見ているだけで不愉快などといった、特定の根拠がない説明ばかりだ。


「お前ももう高校生なんだから、少しは落ち着いたら?」

「いまだに女子のスカートをめくってるアンタにだけは言われたくないわよ!」

「最近だと、奥義を習得したぜ!」


複数の女子の丈を一斉にめくるため、田代が数年の修行を経て身に付けた奥義たる技だ。

どういった原理なのかはともかく、彼が瞬時に女子たちの側を風のように移動することによって、田代にとってはパラダイスな光景が見られるという、渾身のスカートめくりであり、究極のスカートめくりだ。


「かっこよくない? 名前決めないとなー」

「中二病か! んなろくでもないもん決めなくていい!」


口々に言いながら学園に到着し、教室へ入ると、そこには既にリマたちの姿があった。

正確に言うと、リマに扮したラグだ。リマを囲って、同じみのメンバーが集っている。

早朝、一足早く本物のリマが華ヶ咲学園の門前で集合号令を受けていたため、ラグはいつもより早めに起床して、朝ごはんをこしらえた。少し遅れて1階のリビングに下りてきた本人は、すでに身支度を終えていた。

どこか緊張していて、どこか期待に満ち溢れていた。

リマを見送った後は、自分が支度をする番となった。リマと制服を交換し、初めて着る男性の洋服に、少しだけ戸惑いはあったが、危険地帯に足を踏み入れる弟のことを思うと、こんなことは朝飯前だと考えるべきだった。

その「リマ」を、夜闇がまじまじと、頭の天辺から足のつま先まで眺めている。


「こうして見てみると、さすが双子というか、すごく似てるね」

「男の子の服を着たのは初めてなので……なんだか妙な感じがします……」

「近くで見ると、やっぱりラグちゃんってわかるけど、遠くから見たら確かに、リマくんと区別は付かないかもね」


最初は臆していたが、黒摩と夜闇、そしてカナメのフォローもあって、今日は問題なく過ごすことができた。教師にすらバレないという奇跡ぶりだ。授業中は大人しいし、休憩時間や昼休みには常にカナメとつるんでいるリマの様子を、そっくりそのまま演じてみると、意外と誰も怪しまない。

それでも油断してしまうと、つい隙が出来てしまいそうだが。

とりあえず、初日目はクリア。

――と、思ったのも束の間。

帰りの校門で、思わぬ客が。


「あ……! 美麗ちゃんだ」


美麗の登場に、焦る黒摩とカナメ。


「ど、ど、どうする!? とりあえずラグっちゃんは隠しとく!?」


遅かれ早かれ、2人は出会うことになるだろうと思ってはいたが、まさかのバッドタイミングだ。ちょうど、姉が弟に変装しているときに姿を現すとは。

カナメの言うとおり、ラグをまず校舎に戻して、自分とカナメで美麗をなんとかしてから、家路に着くように仕向けようとしたが、あいにくその前に、美麗がこちらを振り向いてしまった。

もう逃げられない。下手に不審な行動を取るのも控えたいところだ。

どうにかして、この困難を突破するしかない。


「そちらの方は?」

「え、っと……リマっていうの! あたしのダーリン!」

「へえ! カナメちゃん、彼氏いるのー!?」


カナメのボーイフレンドを、食い入るように見詰める美麗に、黒摩は冷や汗を流した。


「リマくんね。私、美麗。よろしく」

「よ、よろしく……」


ただでさえ先日、黒摩に「美麗が生きていた」という報告を受けて驚愕したというのに、その本人が目の前にいる。

リマの緊張感を察した黒摩は、対処に困惑する。


「失礼だけど、リマくんのその髪、本物?」


一同はぎくりとする。


「えっ……?」

「だって、すごい色をしてるから」

(そっちか……)


ウィッグがバレたのかと。


「じ、地毛だよ。信じてもらえないかもしれないけど……」

「地毛!? ほんとに!?」


穴が開くほど、自分の毛並みを観察する様子に、少し胸がちくりと痛んだ。

あまり、見られたいものではない。


「目が青かったり、緑だったりするのは外人さん特有の遺伝だけど、この色は凄いなー。生まれはどこ?」

「こっちで生まれたけど、父が外国の人で……」

「なるほどねー」


さらに、ずいっと顔を近づけられて。


「顔も女の子みたいで可愛い……」


一同はまた、ぎくりとする。


「カナメちゃんの好きそうな子だね」

「あ、はは……」


注目している部分が鋭い。

なんとかして美麗をこの場から隔離しようと、カナメが咄嗟に言い放つ。


「と、ところで美麗ちゃん、また会えたんだし、暇だったらこれからどこかに行かない?」

「うん、いいよ。久しぶりにあのお店に行きたいなー」

「行こう行こう!」


少し大げさにテンションを上げて、さっさと移動しようとしたカナメだが、美麗はひどく冷静な態度で黒摩を流し目で見詰めた。その眼差しには、威圧を感じられる。


「でもその前に、魔王さんに“例の子”を紹介してもらいたいな、って」

「…………」


先日の電話の件だ。

今まさに、目の前にいるのがその本人なのだが……。


「その話はまた今度」

「えー!?」


訝しげに、美麗は黒摩に向き直る。その視線が一旦、ちらりとリマへ泳いだ。

答えようとしない黒摩を諦め、今度はカナメを振り返り、促す。


「じゃ、行こうか、カナメちゃん」

「レッツゴー!」


とりあえず今は美麗から解放される。

そう思った矢先、何故か、美麗はリマの手を取って。


「リマくんも一緒に行こう」

「え!?」


まずい。非常にまずい。


「お、おい……!」

「あー! 美麗ちゃん、積もる話もあるだろうし、今回は女子2人でガールズトークでも――」


言い終える前に、美麗はリマを連れて、脱兎のごとく駆け出した。


「待て、美麗!」

「私、カナメちゃんの彼氏がいても全然気にしないよー! ほら、行こー!」

「あ……」


なんて逃げ足の速い女だ。


「ま、待ってー! 美麗ちゃーん!」


続いてカナメが駆け出す。

さらに続いて、黒摩も追跡しようとしたが、後ろから肩を捕まれ、阻止されてしまった。


「モテる男は辛いね、黒摩くん」


振り返ると、そこには夜闇がいた。


「隠れるのはよしたほうがいいって、言ったでしょ。偽りは何も生み出さない」

「…………」


つまり、このまま放っておけ、と。もしこのままバレなくても、バレたとしても、そこは流れに任せるべきなのか。

いつかは出会うことになる。けど、出来ることなら出会って欲しくなかった。本人が男装していることを伝えるだけなら、特に何の問題は無いと思う。けど、自分が、それを許したくなかった。出会って欲しくなかったから。

美麗は元・ガールフレンドで、ラグは今の自分の想い人だ。カナメも、それを察した上で、自ら一歩前に踏み出てくれたのかもしれない。

不安に駆られながらも、夜闇の言葉に免じて、後のことはカナメの判断に委ねた。

にっこりと笑った夜闇は、黒摩の肩から手を離すと、そのまま家路へと歩んでいくのだった。




***




「ねえ、カナメちゃん、これすっごく可愛くない!?」

「あー、いいねー!」

「…………」


連れて来られた場所は、電車に乗って数分後の駅、そこから徒歩15分あたりにある、とあるお店。今で這入ったことのない、味わったことのない雰囲気をかもし出す、自分にとっては特殊な店だった。

美麗とカナメは慣れたように商品を手に取り、あれやこれやと組み合わせながら楽しんでいる。

いわゆる、ここはコスプレ店という場所だ。主に、パーティーグッズを中心とした専門店だが、造りはとても肌理細かい。トップやアンダーはもちろん、ハットのようなアクセサリーもさることながら、ジュエリーなども品揃えは豊富である。

試着室に入っていったカナメと美麗が、しばらくして出てくると。


「じゃーん! 実はお初だったりしてー。ポリスウーマン!」

「ひっさしぶりのー! パイレーツ!」


他の客は、なにかのイベントに備え、真面目に品物を選んでいる中、この2人は一般のお店でファッションショーを繰り広げている。店員もドン引きのいい迷惑だ。

ラグも、言葉にならないくらい、たじろいでいる。


「せっかくだから、リマくんも1着どう?」

「え……いや……!」


コスプレなんて一度もしたことがないし、何より恥ずかしい。その未知の世界に足を踏み入れるのが、なんとなくイヤだ。

つかつかと歩み寄ってくる美麗に、精一杯両手をブンブンと振って否定したが。


「え……?」


瞬間。

するりー―と。

髪の毛が流れ落ちた。


「 !! 」


網まで綺麗に外されてしまった。

カナメも突然のことに、言葉を失う。「あ……っ」


「もー。カナメちゃんもひどいなあ。コスプレ界の女王様と謳われた私が、安価なウィッグに騙されると思って?」

「ぐっ……」


我々から見れば、これ以上にないくらいの高品質なウィッグだったが、美麗から見ればこんなものは「安価」なのか……。

どうにかして、ラグから美麗の気を逸らそうと振舞ってはいたが、初めからお見通しだったわけだ。


「事情は後で説明してもらうとして……とりあえず、着替えよっか、リマくん」

「え!?」

「私を騙した代償」

「…………」


有無を言わさない笑顔で丸め込まれたラグは、観念するのだった。

美麗の「オススメ」を差し出されたラグだが、急な展開にまごまごするばかりで、なかなか試着室へと這入ることができない。そんなラグを見兼ねて、美麗はぐいぐいと試着室にラグの身を押し込んだ。

仕舞いには、彼女自身も入室して、「あ……っ、ちょ、待っ……や、やめ……!」と、嫌がるラグの服を剥ぎ取る。

数分後。


「ごめんラグっちゃん……! むっちゃ可愛いから写メらせて……!」

「すっごく似合ってるよ! やっぱり女の子は女の子の服を着なくちゃ!」

「……………………」


2人だけで楽しんでいる。

穴があったら入りたい。赤面の至りで、鏡の方面を向くことが出来ないラグのコスチュームは、定番の「赤頭巾」だ。クラシックスタイルなロングスカートではなく、可愛らしさをアピールしたショートのふりふりスカートがあしらわれている。ニーソックスを履いたのは初めてで、わずかな脚の露出を早く隠したいところ。

その後も、何度か試着をし、美麗は散々悩んだ挙句、2つのコスチュームを購入して、ようやく店を出ることができた。


「さて、じゃあ聞かせてもらいましょうか。どうして私を騙したのか」


何故か美麗は、先ほど購入したうちのひとつを身につけて駅へ向かっている。まるで連行されているような錯覚だ(ちなみにラグは元のリマの格好に戻っている)。


「美麗ちゃんを騙そうとしたわけじゃないよ。別の人から正体を隠すためにやったことで……結果的に、流れで美麗ちゃんも騙すことにはなってしまったけど、美麗ちゃん自身がターゲットじゃないから」


本当は別の理由もあるのだが、それはあえて言わないでおいた。


「事情があって5日間だけ、2人は入れ替わることにしたの」

「ふうん。ま、私には関係ないことだから、別にいいんだけどね。いいもの見せてもらっ――」


「――たし」と言い終える前に、何かに足が躓き、豪快に前転した。「ふぎゃ!」

咄嗟に両手を手前に出して顔面は免れたものの、掌を擦り剥いてしまった。


「美麗ちゃん、大丈夫!?」

「はわわ……っ! 血が出てるよぉ!」

「もー……相変わらずドジだなぁ……」


擦れた傷口からじわりと血が滲む。

近くにドラッグストアがあった為、ラグは一早くそちらへ向かって行った。しばらくして戻ってくると、道路に設けられているベンチに腰を落としていた美麗に「手を出して」と指示する。

言われたとおりに手を差し出すと、ラグの手が手の裏に触れた。


「…………」


冷たい。今日の気温はそれほど低くはないのに。冬に冷えたような手だった。

ミネラルウォーターで、傷口に付着した汚れを落とされ、綿で水分を吸い取ってから消毒液を噴射されると。


「いったあ~い!!」

「す、すみません、でも我慢してください」


時折「んん~ん~……んんんー!」とくぐもった奇声を漏らしながら痛みに耐えていると、あっという間に応急処置が終わった。見てみると、少し大げさな気もするが、丁寧に包帯が巻かれていた。


「肌はデリケートですから、ちょっとした傷口からどんな菌が侵入するか分かりませんので、お身体を大事にしてくださいね」

「…………」


手を回転させて、眺める。

上手だ。


「ありがとう」

「いいえ……」


ふと、空色が覚束ないことに気付く。さっきまで晴れていたというたのに。いつの間にか、爽快な青空は雨雲によって覆われていた。挙句には、ゴロゴロと嫌な音まで轟いている。


「なんだか、お天気が悪くなってきたね。今日はここでさよならしよっか」

「そうだね。傘持ってきてないし」


ラグもカナメも同意し、3人はその場で別れることに。

同じ駅へ向かい、ラグとカナメは別ホームへ。先に電車が到着したのは、2人がいる線だった。

反対側のホームで電車を待っている美麗は、ある場所へと電話を掛けた。




***




「どうしたの、急に?」


やって来たのは、つい先ほど連絡を入れた本人の自宅だった。その家とは、黒百合ヶ丘邸だ。

「暇つぶし~」と言って、まるで自分の家のように、どかりとソファに腰を下ろす。


「さっき、ラグちゃんって子に会ってきたの」

「……ああ、知ってるよ」

「え、そうなの?」

「うん」

「へえ。どういった経緯で?」

「2年前、魔王に会ったときに、いたんだよ、彼女も」

「そうなんだ」


思ってもいなかったことを知り、話が弾む。

カナメと一緒にコスプレ店へ行ったことや、手の傷のことも、事細やかに語った。


「ラグちゃんに着てもらいたいものがありすぎて困ったなー!」


そして、彼女を気に入ったことも。


「メイド服なんか特に似合いそう! あのしおらしい感じで「ご主人様の仰せのままに」とか言わせたい……! あ、でもナースも捨てがたいな~」

「……変わんないね、キミも」

「早着替えなんて0.5秒早くなったよ!」


胸を張って威張る美麗に、雅貴は静かに「……そう」と頷いた。

美麗の変装癖は昔ながらの趣味で、それ自体は否定していない。というより、賛成派だ。ただ、ひとつ気になるのはその場で“早着替え”というのを実行してしまうことである。

彼女の凄いところは、着ている服を脱衣するときも、新しい服に着替えるときも、うまくその衣服たちを利用して見られてはいけない箇所を隠しているところだが、異性からすると目のやり場に困る。

マジックショーのようにプロ並の実力を持ってはいるが、人前で着替えることだけは止めて欲しい。


「魔王さんの好きな子、たぶん、ラグちゃんだと思うなぁ」

「…………」


以前、コールが掛かったとき、「調査をしに行く」と言っていた。

それを今日、有限実行したということか。


「なんか腑に落ちないなぁ、呑気に他の女の子に惚れちゃって」


はあ、と大きな息を吐いた。


「そりゃさ、ラグちゃんは可愛くて優しくて超いい子だったけど……なんかムカつくなあ」


再会した当初は、世間から消える以前と変わりはなかったが。

変わった。魔王との再会を得てから、彼女は変わった。

もともと、そこまで明るい子ではなかった。大人しくて、お淑やかで、コスプレのことになると急に態度が一変するくらいの人格を潜めていたが、比較的、落ち着いていることが通常だった。


「……あのさ、美麗」

「なあに?」

「姫子さんのことなんだけど――」


その名前を口にした途端、美麗の表情がさっと豹変した。


「やめて」


美麗が睨みを効かして、続けた。


「二度と、私の前でお姉ちゃんの話をしないで」



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