37° 雲海の人魚姫、参る
「俺、樹ノ実ヶ森学園に行く」
昨日に雨によって、まだ乾ききっていない草木や地面。
一通りの少ない、屋根が設けられた非常階段へのアプローチにて、急な収集をしておいて、何を言い出すのかと思えば。
「…………」
「…………」
「…………」
ラグ、カナメ、黒摩が同じタイミングで無言になり。
「え!?」
「え!?」
「は!?」
同じタイミングで反応した。
「ちょちょちょっ……どういうこと!?」
「ラグの代わりに行くってこと」
「いやいやいや無理でしょ!」
「このまま行くわけじゃないよ」
「……あ、女装してくってこと? いやいやいやそれにしても……」
「無理なもんか! なんのための双子だよ!」
普段は男子として通学しているため、周囲から問題なく区別が付けられているが。
「本気でやったらイケると思う。こんなこともあろうかと、密かにラグの声真似とか練習してたし!」
ドンッと胸を張って言うリマに、一同は思案顔。
「でもさ、もしバレたらどうするの? 大変なことになると思うよ……」
「バレなきゃいい!」
「危機感なさすぎ!」
「ラグの身に何かあったら溜まんないよ。だったら男の俺が行くほうがまだマシじゃん」
なにせ、相手は「鋏」を所持している危険人物。
か弱いラグよりも、ある程度ケンカ慣れしている自分なら、抵抗できるかもしれない。
そう思っての決断でもあった。
「う、うーん……?」
「とにかくもう決めたから! 譲んないから!」
「でも、じゃあ、ラグっちゃんがリマと入れ替わるってこと? リマはともかく、ラグっちゃんは難しいんじゃない?」
「眩しいお日様のようなリマと違って日が一切遮断された排水溝に住んでる私には荷が重過ぎる……!」
教科書を朗読するときは流暢だが、演劇となると何故か噛みまくるポンコツだ。そんなラグが他人のフリをするとなれば、1秒で見破られてしまう可能性が大である。
「だったらもう、いっそ体験入学中は学校に来なければいい」
「無責任……! 言い訳は!?」
「俺が階段から転げ落ちて足を負傷しました、的な感じでいいんじゃない?」
「適当!」
「1回、関節外れてるんだから、リマってとってもドジっ子なんだね★で終わると思う」
「安易! そしてドジのレベルが高い!」
そもそも事故でもなんでもなく、“誰かさん”に意図的にやられたことだ。
あえて、誰もそれに関しては触れなかったが。
「まあ、けど、他の連中とはほとんど絡むこともないし、5日間くらい何とかなるんじゃない? 仮に授業でグループ活動になったとしたら、黒摩と夜闇と必ず組めばいい」
「晃月にも事情説明するのか?」
「夜闇なら、面白がって協力してくれそう」
これまで、特定の事柄に対して協力して欲しいと要請したことはないが、秘密を露呈するような性格でもないし、深入りするような興味もまるで無い。時々何を言っているか分からないが、中等部からの仲だ。了承してくれるとは思う。
「叔母さんには、どう説明するの……?」
「申し訳ないけど、嘘付くしかないよね。ほら、トップ5には及ばないけど、俺も結構、成績いいし?」
ラグが勉強を始めれば自分も参加する。そのおかげか、常に4~5位のラグには適わないが、学年では6~8をうろついている自分なら、まだなんとか誤魔化せるかもしれない。
もともと、体験入学のために人選された生徒たちの中に、元・中等生がいたとしたら、そちらのほうを優先される。中等部の頃の成績や態度も評価されているからだ。
「今学期の成績表はまだだし、叔母さんは問題ないと思う」
「でも、成績表が来たときにどう言い訳するつもりなのよ?」
「最近、見ないよな」
同意を求めるように、ラグに視線を移す。
「そうだね……」
「ビール煽りながら「あー、どうせいつもと同じくらいでしょー? わかってるからいちいち見せに来なくていいわよー」って呑気なこと言うんだよね」
「信用されて微笑ましいっていうか、たまには疑って叔母さん……」
今回ばかりは、嘘に振り回されることになる2人の叔母を、カナメは少し哀れんだ。
仮にラグがTOP5から少し下回ったところで、25人中の7位だったとしたら「そりゃ誰だって調子悪いときはあるわよー。7位でも十分すごいんだから気にすんなってー」と言いそうだ。
叔母への対処がまとまったところで。
「やあ、みんな」
噂をすれば、というやつか。
きれいな笑顔を刻みながら、夜闇が颯爽と現れた。
「あ、やっくん」
ちょうどいい。例の協力要請を申し出ようと、カナメが口を開こうとしたとき。
「…………」
夜闇が、驚いた表情で、リマのことをじっと見詰めている。
いつも笑顔の絶えない夜闇にしては、珍しい表情である。
「やっくん、どうしたの?」
「ううん、なんでもないよ」
指摘されて、すぐに笑顔を取り戻した。
ラグとリマが入れ替わるという話をすると、案の定、楽しそうに承諾してくれた。何故、2人が入れ替わるのか。普通なら一番気になる点を、この男は特に詮索も入れてこなかった。ただ入れ替わった2人をフォローすることが楽しみでしょうがないらしい。
やはり、読めない男だ。
予鈴が鳴ると、一同は教室へ向かう。
先ほどの夜闇の、リマに対するリアクションを見逃さなかった黒摩は、不審に思いながら問うた。
「……何か見えたのか?」
まだ半信半疑ではあるが、黒摩は夜闇が見(・)えているもの(・・・・・・)を否定してはいない。
「リマくんがね、狂い咲きしてる」
「……?」
「まだ早すぎるのに」
いつになく、冷静で真面目な口調だった。
「黒摩くん、僕は嫌な予感がする」
いつもは飄々としているのに、真顔でそんなことを言われると、全身が強張る。
「キミも、とてもしおれている」
「…………」
平静を装っていても、この男だけにはすべて見透かされる。
何故そんなことができるのか、数年前に本人から聞いてはいるが、正直、信じがたい話である。
だけど現に、夜闇の言動はほぼすべて当たっている。その助言に助けられたこともあった。
ゆえに、おそらく、今も、夜闇の言うとおり、何かが起ころうとしている。あの夜闇がここまで冷静になるくらいの、「嫌な予感がする」と直接的に伝えているのも、これ以上はないヒントなのかもしれない。
「心配事があるみたいだけど、今はキミがしっかりしないといけない。でないと、取り返しの付かないことになるかもしれない」
「……どういうことだ」
夜闇は胸に手を当てて、続ける。
「僕はね、黒摩くん。何かを知ってるわけじゃない。感じることをそのまま伝えてるだけだよ」
「…………」
それもそのはず。
この男には、本当のことは何も伝えていない。
何も知らないくせに、知ったような口を利くところ。
初めはそれを疑っていたし、気に食わなかった。
けれど悪意が無いことだけは、わかる。
「後ずさっては駄目だ。その鬱陶しいくらいの草木を刈ったほうがいい。身を隠してるだけじゃ何も救えない」
まるで自分が、肉食動物から身を護るために、生い茂った植物の群れに身を潜めている様子が見えているような口振りだった。紛れもない。図星だ。
リマが毅然たる態度を失わず、姉の身代わりになって樹ノ実ヶ森学園へ侵入しようとする勇気に、たまゆら安心している自分がいる。しかし、その臨みの結果に不安気な気持ちもある。
ラグの代わりに行ける人物は、リマの意外の他にいない。リマの女装癖に対しては些か興ざめしてはいたが、今回ばかりはその片鱗の示しに、敬服せざるを得ないだろう。
君子も危うきに近寄らず。されど、虎子に入らずんば虎穴を得ず。
「…………」
しかし、成果とは。
あの女に会って、何か得られるとでもいうのか。
むしろ、ラグが行くと思い込んでいる姫子の前に現れるのは、本人ではなくその弟のほう。下手をすれば、弟はただでは済まないかもしれない。しかし、弟の踏んでいるとおり、無抵抗の姉を行かせるのもどうかと思う。
リマが身代わりを提案したとき、止めるべきかどうか悩んだ。
姫子がリマの正体を見破ってしまった場合、どう出るか予測が出来ないのだ。
ならばラグ本人をまず行かせるべきなのでは、とも考えたが、やはりそれはそれで危険な気もする。
「はあ……」
溜め息しか零れない。
1日の大半は、夜闇に言われたことを反芻していた。
――何かを知っているわけではない。
我々が何をすればいいのか、その答えを知らないということだ。当然だろう。何でも知ってるほうがおかしい。すべて理解していて、未来を予知できるのならば、そんな天才的で超能力者のような力があったとすれば、こんなに思い悩まなくて済むのだから。
――嫌な予感がする。
中等部でのいざこざも、常に飄々とした笑顔で助言していた夜闇が、ここへ来て真顔で言い張ったセリフ。夜闇が何を感じているのか、詳しいことを説明されなくても、その深刻さは伝わってくる。
そして。
――隠れているだけでは救えない。
「隠れる」とは。
逃げている、ということだろうか。
隠している、ということだろうか。
何から逃げて、何から隠れているのか。
隠れるということは、見せない。露にしない。
何を? 自分は何を隠しているのか。
ジャジャーンッ!
「……っ!」
突然、室内に響き渡った携帯のアラームに、びくりと身体が跳ね上がった。
制服の上着を脱ぎ捨て、スマホを手に取る。ディスプレイには、知らない番号が記されていた。
通話ボタンを押すと。
『もしもし……魔王さんですか?』
「……!?」
美麗だ。
「あ、ああ……」
『今、大丈夫ですか?』
「お前、なんで俺の番号……」
『雅貴くんに教えてもらったんです』
(あの野郎……)
けどまあ、美麗の頼みなら、断れないだろう。
「で、何の用だよ」
『今度、お暇なときにでも、遊びに行きませんか?』
そう言われて、思わず口を噤んだ。一瞬「YES」と答えそうになった。
本当は、行きたくはない。美麗を隣にして歩くのは、美麗に会うのは――怖い。
ああ、そうか。
自分は、美麗に対する「恐怖心」を本人の前で隠している。
気を遣って「YES」と答えそうになって。けど本当は「NO」と言いたい。YESなんて本心じゃない。NOという本音を隠している。これでもし承諾したとしたら、それこそ取り返しの付かないことになってしまいそうだ。
『魔王さん……? 聞こえてます?』
どう返答するか迷いに迷った末。
「それは、できない……」
『……どうしてです?』
美麗の声のトーンが少し、下がった。
『もしかして、付き合ってる方とかいるんです?』
「いない、けど……」
『だったら――』
「好きな奴は、いる」
『…………』
この沈黙が、ひどく怖い。
『へえ……そうですか……』
がくんと、更に声が低くなった。
『あんな痛い思いまでしたのになー』
耳元ではっきりとそんなことを言われ、一気に汗が吹き出た。
『魔王さん、本当にその人のこと、好きなんです?』
「……どういう意味だ」
『私が死んだと思ってたから、他の女の子に恋しちゃったんじゃないんですか?』
恐れていたことが。
恐れていた、美麗からの反撃。
『私、この通り生きてますし、こうして魔王さんの下へ帰ってきました。私、魔王さんとやり直したいです。過去のことなんて忘れて、もう一度。そのために私、戻ってきたんですよ』
「…………」
全部、憶えていた。
全部、憶えている上で、この会話はヤバイ。
次第に、心臓がドクドクと早く鳴る。
『魔王さん、私が死んだと思ってたから、他の女の子に恋しちゃったんでしょ?』
もう一度問われて、返答に迷った。
美麗が死んだから、じゃない。そんな、浅はかな気持ちじゃない。
その言葉の意味と答えを、しっかりと把握してから。
「そんなことはない」
『…………』
向こう側の美麗が、どんな表情をしているのかは見当が付かない。
声だけで、美麗の感情を捉えるしかなかった。
どこか、自分を睥睨しているようで、半分は脅迫にも聞こえる。
『よく言えるなー、そんなこと。もうちょっと責任感じてくれてもいいんじゃないです?』
「…………」
それに関しては、返す言葉も無かった。
『ま、あんまり苛めると可哀想ですから、今日はこの辺にしておきますね』
「それでは、また」と言って、電話を切られた。
「……はああぁぁ……」
胸が酸素でいっぱいになるくらい息を吸って、勢いよく吐いた。
ドクッ、ドクッと、心臓が速度を上げる。スマホを持つ手が震える。顔が汗で濡れる。
けど、何も隠してないはずだ。思っていることは、素直に伝えたはずだ。
これが吉と出るか、凶と出るかは、わからないが……。
(……責任……か)
何をどうすれば、「責任を取った」ということになるのか。
美麗の言いなりになればいいのか。美麗の思うとおりになればいいのか。それとも、過去の過ちを償えばいいのか。美麗ともう一度やり直して、今度こそ彼女とうまくやれば、そうすれば美麗は今までのことを許してくれるというのか。
謝って済むことじゃない。
許してもらおうとも思ってない。
けれど、このままでは――。
***
数日後の下校後。
樹ノ実ヶ森学園へ向かうための準備を進めていたバケット家では。
「ふふん、どーお?」
カナメの知り合いのコスプレイヤーから、性質の高いウィッグを2つ作成してもらった。
ひとつはリマ用の、ストレートロングヘアー。
ひとつはラグ用の、ベリーショートヘアー。
リマはさっそく手に入れたウィッグを被り、ラグに制服を借りて、メイクも少し施してお披露目。
「わー、こうして見るとラグっちゃんと瓜二つ! さすが双子! てか、普通に可愛い!」
興奮するカナメを手前に、リマはくるくるとご機嫌な様子で回転していた。
「いいねー。とあるサークルで出会った女の子に惚れちゃった男子主人公は、その子が実は男の子だとも知らずに何年も片思いをして……」
「正体を知った後も、「ここまで来たらもう後戻りできない!」と意地になって、恋愛対象がノーマルな女装男子に迫る」
「その日は罰ゲームか何かで女装することになってただけなのに、とんでもないことになってしまった男の娘は、女装を強制させられる変態的な日々を……」
一方でラグは、さりげなくその場を立ち上がり、3人分のジュースを淹れ始めた。
棚に確か、先日スーパーで買ったロールケーキがあったはずだ。それを何等分にカットして、お皿に盛り付けて、落ち着いたしぐさでテーブルへと運んだ。
その頃には、2人の熱い妄想も終わりを迎えていた。
「じゃ、次はラグっちゃんだね」
髪の毛が長く、量も多いので、ウィッグがきちんと被れるかどうかが気になったが、毛並みが細いので、意外にもしっかりと網に収まり、リマのヘアスタイルと同じベリーショートヘアーを難なくセットすることができた。
リマの制服を借りて、お披露目。
「見た目は同じだけど、やっぱ“ラグっちゃん”感は出てるなぁ」
高品質なウィッグとはいえ、本物の髪の毛と比べるとやはりその違いは微妙に違う。
ラグの表情は細かいしぐさなどを理解している者からすれば、2人が入れ替わっても、わかる人には、その違いがわかるといったくらいのレベルだろう。初対面の人や、ほとんど絡みのない者から見れば、きっと区別は付かない。
樹ノ実ヶ森学園には、体験入学生の証明書が送付されているが、写真の表情なんて皆決まってシリアスだ。顔だけの判断なら特に問題はないだろう。
気掛かりなのは、2人の行動と態度だ。
入学は1週間、たったの5日間。月~金までの間のみ。
それでも、油断はできないだろう。
「しぐさとかは今から練習すれば、なんとかなるかもね」
「ラグはあんまり女の子女の子しちゃ駄目だよ」
「が、がんばる……」
「リマも、ご本人様の前ではちゃんとラグっちゃんやってよ」
「わかってるって」
お披露目会が区切りを付けたところで、カナメは帰宅。
ラグは着替えを終え、夕食をこしらえていた。
家中が良き香りに包まれていく中、リマは自室で姿見を前に、うきうきしている。
「ふふっ」
完成度の高い出来栄えに、ついついくるくると回ってしまう。
叔母さんもそろそろ来る頃なので、ウィッグを外そうと前髪あたりに指を差し込んだとき。
「…………」
「ラグ」となって冒険をすることになった。
遊びで行くわけじゃない。だけど、そのスリルがリマの中のアドレナリンを沸騰させていた。
まるで、この日を待ち望んでいたかのように、緊張に混じって期待が大きくなる。
「…………」
見た目は完璧だ。しぐさだって、声だって。
この顔こそ、ラグと瓜二つだ。
それでも。
まだ、どこか足りない。
まだ、どこか成れない。
「…………」
鏡にそっと手を触れる。
ラグになりきらなければ。
だけど、本当になりきれるのか。
自分に、そんな器量があるのか。
顔は一緒。背丈も一緒。体格も一緒。体重も一緒。
声を出して確認しても、しぐさを取って確認しても、ラグと一緒。
でも。
何かが、足りない――。
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