35° 美しく。麗しく。女神再臨
「…………」
「…………」
黒摩魔王は今、黒百合ヶ丘雅貴と、とある喫茶店にいる。場所は、華ヶ咲と樹ノ実ヶ森のちょうど中間にあたる、とある町の、黒摩にとっては場違いな、不釣合いな、不相応なカフェだ。
街並みを見渡せる大きな窓からは自然の光が差し込まれ、横向きに配置された椅子と丸いテーブル。そのテーブルの中央には小さな観葉植物が置かれていて、2人の空間だけを取っても、レイアウトは抜群である。
店内は非常に明るく、ナチュラルホワイトの壁と、アンティーク調のインテリアが並べられ、全体に響き渡るピアノベースのジャズが、店の落ち着いた雰囲気をかもしだしている。くつろぐにはもってこいの場所だ。
しかしながら今回は、そうもいかない。
さきほどから、無言だけが、2人を支配している。
ときどき、雅貴がダージリンをこくりと飲むしぐさが見られる。
もう、特に関わることもないだろうと思っていたのに、
先に連絡を入れたのは黒摩のほうだ。「話がしたい」と一言言っただけで、すんなり「わかった」と承諾してくれた。まるで黒摩が連絡した目的を、最初から知っているかのような口振りだった。
友としての縁は切ったはずなのに、情けない話、今頼れる人間は雅貴だけだ。
彼に頼ってしまうほど、今の黒摩は相当、滅入ってしまっている。
「……悪ぃな、邪魔して」
「珍しく、気持ち悪いこと言うね。キミらしくもない」
今、黒百合ヶ丘家は相当、猫の手も借りたいほど、多忙なはずだ。絶望的な焦りに抗う毎日を送っているはずだ。だから憎まれ口を叩かれても、特に反論はしなかった。
「僕に連絡を入れるってことは、よっぽどのことなんでしょ?」
多忙な時に、連絡を入れてしまった自分。
相当、滅入ってしまっているから。
渇望するほど、参ってしまっているから。
「…………」
だが、どうやって切り出すか。
どの言葉から始めればいいのか。
どの一文字から口にすればいいのか。
顔面蒼白で、言葉に詰まる。
雅貴と視線を合わせることもできなかった。
「……そんなに躊躇しなくてもいいよ。僕、もう知ってるから」
それを聞いて、パッと黒摩が顔を上げる。
「会ったんでしょ。美麗に」
それを聞いて、黒摩は少し肩の荷が下りた。
自分の口から直接言わずに済んだことに、安堵の色を見せた。
「ああ……」
ほんの、小1時間くらい前の出来事だ。
帰宅しようと、華ヶ咲の校門を渡ろうとしたら――そいつがいた。
遠目から見て、誰かに似ていると思った。誰かを思い出した。赤の他人の、あいつの空似だろうと、そう思って素通りしようとしたら、声を掛けられた。
本来ならば、なんの変哲もない、屈託ない笑顔を向けられたその姿を、懐かしく思うべきかもしれない。
だが、今の黒摩には「恐怖」しかない。
校門で自分を待ち伏せしていた彼女と、どんな話をしたのか、まったく覚えていない。記憶にあるのは、ただただ戸惑っていたこと。本人から遠ざかった今も、汗が止まらない。
「なんで僕を呼んだの?」
「…………」
少し辛辣な声を漏らした雅貴に、黒摩は顎を引いた。
「よく呼べたね。この僕を」
皮肉めいた口調に、黒摩は何も言えない。
何も言わない黒摩を前に、雅貴は鼻で息を吐いた。
「……ま、正直ね、僕もキミに連絡を入れようと思ってた」
ティーカップをソーサーに置いて、雅貴が息を整える。
「情けない話……今の僕にはキミしか話せる相手がいないし、キミも僕しか話せる人がいない」
目を伏せ、不本意そうに本音を零した雅貴に、黒摩も応える。
「確認が取りたかった。見たものが、本物かどうか。俺の気が確かなのか、俺の目が狂ってるのか……」
「僕は一昨日、彼女に会った。最初は信じられなかったよ。でも、キミの話を聞いて、本当なんだなって思った」
今日の黒摩のように、突然の事に対して、予想だにしていなかった事態に、固まってしまったらしい。これが現実なのか非現実なのか、判断に苦しんだという。
まさしく、今の黒摩と同じ心境だった。
「ばったり会ったわけじゃない。彼女本人から僕に連絡があったんだ。それはそれで驚いたけどね」
声だけじゃ、現実味もないだろう。
「……本当に生きてたんだな」
「うん」
嘘だと言ってほしかった。
あれはまやかしだと言ってほしかった。
自分だけにしか見えない、幻だと思いたかった。
「けど……なんで死んだことになってたんだ?」
「別に隠してたわけじゃない。周りがそうやって思い込んでただけだ。桃源様も、美麗の生死に関しては誰にも、何も言ってないから、僕たちが勝手に死んでいると解釈しただけだ。病院で全治1年以上、精神病院に何年か通院してたみたいで、最近になって退院したんだとか」
「…………」
桃源様――美麗の父親にあたる人物だ。
どんな意図があったのかは不明だが、実の娘が何年も通院していたことを隠していた模様。だが、美麗が再び外の世界へ戻ったきたことに関しても、特に何も言わなかったらしい。世間かも家庭からも、隔離されていたのか、されていなかったのか、微妙なラインだ。
桃源家の長。相変わらず、読めない男だ。
それにしても、全治1年以上……それも当然。全身骨折ともなれば、完治にはそれくらいの時間がかかるだろう。
極めつけは、
「美麗、どんな感じだった? 僕の前では、あんまり変わってなかったよ。いつも通りっていうか……」
「恐ろしいくらい、いつも通りだった……」
だが、それが余計に恐ろしい。
黒摩は顔を両手で覆い、噴出した汗を拭うように摩り、鼻を隠したまま顔を出す。
「何も、言ってこなかった?」
「何も……会えて嬉しかったです、くらいしか……」
そもそも、そのときの記憶がほとんど無い。
黒摩は相槌を打つのに必死で、美麗が何を口にしたのか理解せず、漫然と話を聞いていた。
美麗の表情やしぐさからすると、おそらく第3者から見れば楽しそうな会話だったかもしれない。
「あえて触れてこなかったのか、それとも記憶喪失などの類か……」
「そんな都合のいいことあるか……」
「けど実際に、精神的ショック、身体的ショックで一部、あるいはすべての記憶を失うことも稀にある」
例え本人が黙認していたとしても。
記憶喪失だったとしても。
自分にとっては一生、消えない跡だ。
忘れてはいけない記憶なのだ。
水に、流してはいけない。
「……とりあえず今は様子見だね」
「……そうだな」
――
今回の触りとなる人物。
先ほど再会したときは、確か赤い制服を着ていた。赤茶のブレザーに、赤いシャツ、赤い靴下。光沢を帯びる黄色のネクタイと、同じく光沢を帯びる赤いラインが無数に刻まれた黄色いプリーツスカートが印象的だ。
あのユニフォームは、|芽ヶ崎(めぐみがさき)学園のものだ。
校風は華ヶ咲とあまり変わりはない。自由と拘束をバランスよく保っている、小金持ちが通う学園である。
大道寺美麗のプロフィールについて、一番の醍醐味と言えるのは、おそらく――あの桃源家の次女だというだろう。
つまるところ、あの桃源姫子の実の妹となる。母親は違えど、同じ父親から生まれた、正真正銘、血の繋がった姉妹だ。
黒摩魔王、黒百合ヶ丘雅貴、桃源姫子、そして大道寺美麗は、3年前、樹ノ実ヶ森学園に通っていた。クラスは別々だったが、4人でよくつるんでいた。
だが、ある日を境に、この4人の縁は切れてしまった。
雅貴は、美麗をずっと庇い続けてきた張本人で。
姫子は、美麗をずっと蔑んでいた張本人で。
黒摩は、美麗を――。
「………………………………」
今でも時々、夢に見る、あの光景。
美麗が雅貴と再会したからといって、2人の間で何かが変わるとは思えない。
何故なら、自分と雅貴では、立場が違う。
美麗と雅貴、美麗と自分では、会話の内容が異なってくる。
「……色々お悩みのところ悪いんだけど」
ダージリンを飲み干した雅貴が、バツが悪そうに切り出す。「実はうちの学園に――」
美麗と急な再会を得たものの、滞在時間が短すぎた。
この日は、方策を立てることも出来ずに、雅貴との話し合いは終了した。
開いた口が塞がらなくなるくらいの、情報を残されて。
***
翌日の華ヶ咲学園。1年A組の教室。
下校時間手前、担任教師が神妙な面持ちで、教団の端に手を滑り込ませ、クラス全体視線を注ぐ。重大な発表があるらしい。この時期の発表となると、やはり“あの件”かもしれない。そろそろ報告があってもいい頃合だ。
黒摩の予測どおり、「今年の体験入学先だが――」と、教師が切り出した。
待ちに待った体験入学。
高等部では、他校との交流を目的としたシステムがあり、1年から3年まで2人ずつ選抜されて、言葉通り、他校にしばらく入学するというもの。基本的には、生徒会や風紀委員会を含めた、成績の良いトップ5人の中から、男女1人ずつ人選される。
「樹ノ実ヶ森学園に決まった」
ざわっと、教室内で脅威の声が広まった。
驚きと感動が入り混じる騒音の中、黒摩は甲で頬杖を突きながら、この事態に困惑していた。
通常は交流の深い芽ヶ崎学園への体験入学が多く、稀に別の学園が指定されるが、樹ノ実ヶ森学園とは、ほぼ無縁である。ゆえに、候補のリストには含まれていないはずだ。あの樹ノ学が、他校の生徒を受け入れるなんて、普通なら考えられないことだ。
それを理解している教師も、「すごいだろー。あの樹ノ実ヶ森からわざわざ招待がきたんだ」と、どこか誇らしげにしている。
「1年は、B組から1人と、このクラスから1名選抜された」
クラス内で歓声が広がる中、黒摩の心臓はドクドクと脈打っている。
頼むから、嘘であってほしい。
頼むから、その口から言わないでほしい。
頼むから、その名前を言わないでほしい。
そんな黒摩の願いも儚く――。
「ラグ=バケット」
周りから拍手喝采を浴びるも、ラグは座に堪えない気持ちでいた。
それは、昨日、雅貴に「実はうちの学園に、ラグちゃんが体験入学することになったらしい」という衝撃の告白を受けた黒摩も、ラグが樹ノ学へ行くということが、どういう意味なのか、事の重大を理解しているリマも同じだった。
「えぇ――!?」
「声が大きいって!」
ラグ、リマ、カナメが揃って下校中。
カナメはリマに先の話を聞かされ、面食らっていた。
「樹ノ学!? しかもラグっちゃん!?」
3人の間に、沈黙と不穏な空気が流れた。
「ねえ……樹ノ実ヶ森って、あの人がいるんじゃなかった?」
「あの人」。
「桃源姫子」。
「でも、海外じゃなかったっけ?」
「帰ってきてるんじゃない?」
「そんな話、聞いてないけど……」
「でも、だって、変だよ。あの樹ノ学だよ? そんな急に体験入学を認めるなんて……いくらラグっちゃんがトップ5に入ってるからって、わざわざ指名するなんて出来上がりすぎだよ」
「うーん……」
樹ノ実ヶ森学園も寮制の学園だ。つまり、一度向こうへ行けば、体験入学を終えるまで自宅にも華学にも帰って来れなくなるということだ。あの学園は警備も万全ゆえ、他者が容易に入れる場ではない。生徒も教師も、それぞれ通行書というものが与えられている。体験入学をする生徒たちには、在学中に特別渡されることになっている。
要は、ラグが一度、樹ノ学へ足を踏み入れれば、彼女の様子は一切、外に漏れないということになる。華ヶ咲から樹ノ実ヶ森までの道のりも、電車で1時間ほどかかる距離だ。
「入学を拒否することはできないの?」
「特定の理由があれば不可能じゃないけど……証明書とか必要になってくるし……」
保護者も関わってくるにことになる。
下手な動きは出来ないということだ。
「うーん……困ったね……」
カナメが顎を抱えてもんもんと悩んでいると、校門である人影が視界に入った。
見覚えのある姿だった。
「……?」
目が話せなくて、目を細めて確認しようとすると。
「……あ!」
向こうから先に気付いた。
「カナメちゃーん!」
腕を大きく振っている少女。
しばらくの間、固まってしまった。
最初は、誰だか判らなくて。
だけどだんだんと、その姿に覚えが蘇って。
「……………………………………美麗、ちゃん……?」
黒と灰と白の制服がぞろぞろと歩き回る中、一際目立つ赤い制服。
屈託無い満面の笑顔で、「ひさしぶりー!」と感極まってカナメに抱きついてくる赤毛の少女。
「そう! 美麗だよ!」
状況を把握できず、小さな身体を抱きしめ返すこともできず、カナメは急な展開に当惑した。
美麗――その名前に聞き覚えのあったラグは、記憶を巡らせながら、そっと首を傾げた――。
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