07° 遮断された窓。心胆に滴る雨雫
晴れ後、曇り。
学園に着くや否や、黒摩はすぐに姿を消し、その日、二度と出会うことはなかった。
そして1年のクラスでは、またしても、この有様。
「そっ……そろそろ学園生活にも慣れてきたのでは……?」
大城は苦笑を浮かべ、ロッカーの前で1人プルプルと肩を震わせながら突っ立っている、変色娘の背中を慰めるように声を掛けた。
このエイリアンが華ヶ咲学園に転入してから、彼これ1ヶ月が過ぎようとしていた。
前回といい、今回といい。
当事者の大城は、同情の余地はあったものの、プラスワールドとマイナスワールドの見境が付かず、後者に浸っているラグ本人への言動を慎重に選びつつも、昏倒してしまうほど、この現状は困り果てたものである。
何故なら、前回でもご覧になったように、この泣き虫娘は一度大泣きをすると、流れ下す涙は滝のごとく、そして彼女の口から放たれるネガティブ発言は長々と続く。大城はそれを避けるため用心している。しかし、この小娘には「気にするな」とありきたりな言葉を掛けてあげたところで、良い結果など、これっぽっちも得られないのだ。
ちらりとラグのロッカーへ目をやると、そこには「死ね」「馬鹿」「泣き虫」と落書きされている。それを再度確認しながら、大城は決死の思いで話しかける。
この際、内容なんてどうでもいい。激励しても効果が無いのなら、せめてそちらから気を逸らせれば本人の気が紛れるかもしれない。そんななけなしの希望を抱いて、大城は続けた。
「い、いやー、ラグさんって頭も良くて身体能力も良いから、勉強も運動もできて、僕、羨ましいですよー。掃除も完璧だし、花壇の世話もきっちりしてくれて、ホントなんていうか――」
大城の最後の言葉を聞き終わる前に、ラグはその言葉の下から「うわあああああん!」と、素っ頓狂に上擦った声を上げ、韋駄天走りでどこかへ逃げて行った。
「ああっ、ラグさん!」
失敗に終わった。何を言っても駄目なのか。
大城はすぐさま、ラグがかき上げた埃を頼りに、その背中を追いかけていく。彼女が向かったのはどうやら上の階。その姿を見つけたときには、あわや窓から飛び降りようとしていた。少しでも高い場所を求めて。
大城が慌てて本人の身を背後からがっちり抱き締めるようにして、阻止しようとする。
「死なせてください! “死ね”って書かれたということは私の最期は13歳の若さで死ぬべきだという神様からの命令なんですっ! 窓から飛び降りれば頭ゴッツン脳みそが真っ二つ歯がゴミのように散らばって終いには体内に流れている私の血が全て流れ出して血の川を作ります! ああ……っ、せめてその川が世界遺産になればいいのに……!」
「何を途轍もなく自分を酷使しようとしてるんだですか!?」
ネガティブになると時折スプラッタで、時折下ネタを混じえて言い張る彼女のこの被虐的妄想は何なんだ。リマの話だと、ラグは幼稚園の頃から虐められてたみたいだが、何年間、この調子で過ごしてきたのか。今は自分が止めているが、過去では誰がこの経緯の当事者だったのか。誰がこの娘の自殺行為を妨害していたのか。
本人が不可だと察知するように方言し、今やろうとしていることを見限れば、自殺行為も諦めてくれるのではないかと思い、大城はその気にさせるように煽ってみた。
「なっ……ならないですよ! 血の川が世界遺産に登録されるにはグロテスクすぎますし、ラグさん1人じゃ川なんて作れませんよ!」
だが、当の本人は。
「私は役立たずってことですね! 尚更死ぬべきです! 川の水流を創造することのできない人間は死ぬべきなんです!」
「源流は自然現象ですよ! 人間が創造できる訳がありません!」
「できない」といったネガティブな単語は、さらにこの娘のネガティブシンキングをアップグレードさせてしまう。
人間を一体なんだと思っているのか。ラグの水準を基本にしていたら、この世界の人間共すべてが役立たずということになる。
わあわあと阿鼻叫喚の攻防を横目に、大城はラグの腹部にがっちりと腕を回し、ぐいぐいと窓の内側へ引っ張り込むため、賢明に踏ん張っている。
「お、落ち着いてくださ……っ! ラグさんが死んでも誰も喜びません!」
その言葉に反応したのか、ラグがピタリと止まった。
確認を取るように、大城はぽつりと問う。
「……飛び降りませんか?」
「……うん」
力なく肯定したラグにホッとし、大城は腕を解放した。
しかし――。
「男子便で首を吊ってきます!」
と、油断していた大城から隔離し、ラグは神速で男子便を最短の道で探し当て、新たな韋駄天走りで一目散へと駆けて行った。
大城は絶叫するしかなかった。
「えええええええ!?」
それもそうだ。やっと落ち着いてくれたのだと安堵したのに、彼女は別の自殺法を既に考慮していた。
(なんでそんなに男子便に拘るんだろう……言っとくけど、ここの男子便はすっごいキレイだからね。汚い場所で死ぬって考えてるなら、そこじゃ意味ないですよラグさん! てゆうか、あれだけ走り回って、何故息切れ一つしていないんだ!?)
ゼェゼェハァハァと、今にも窒息死して倒れそうな体で、脱兎のごとく走った大城。
またもやその背中を発見した。
男子便所の扉を開けたラグは。
「あ……!」
なんと、便所から出てきた山梨とぶつかってしまった。
スピードを落とせ切れなかった大城は、そのままの勢いでラグに体当たり。2人は床に倒れこんだ。
幸い、躊躇なく殴り飛ばす黒摩や、すぐにセクハラ行為に至る田代ではないことに安慮を感じつつも、お互いに汗を流しながら、ぱっと山梨から距離を置く。
黒摩や田代ではなくとも、山梨は謎が包まれている男。
どんな対処をし、どんな反応をするのかは、地獄耳と呼ばれている大城ですら知らない。人格不明だからこそ、恐怖に声も出ず、口をぱくぱくしながら瞠目していた2人を、山梨が冷ややかに睥睨する。
冷たい空気、そして重苦しい沈黙に包まれた。
「あ……あ……」
一度、目尻に溜まり込んでしまった涙は、山梨の前でも渇くことはなかった。
一切、容赦のない声音で、ただひたすら神に合掌しながら、叫ぶ。
「あああああん! 委員長ごめんなさいっ私やっぱり死ぬべきですっ……この世に居てはいけない存在なんです! 今すぐ、今すぐ殺させてください! いいえ、どうせなら山梨さんに殺されたほうが彼も満足するに違いない……山梨さん、私を好きなだけ甚振って殴って蹴って懲らしめて最後には殺してください。ションベンを頭にぶっかけながら足で踏み潰してぇえええええ」
「ちょっ……女の子がションベンとか言わないでください!」
山梨は「どこ見てんだゴルァ!」と、ぶつかってきた奴等に怒鳴りつける。
あるいは、目の前で泣きじゃくっているラグが煩くて、暴力で物を言わす。
……と、思った。
「あ……あれ?」
あろうことか、山梨は腸が煮え返る様子もなく素通りした。
ふと思い出せば、山梨誠二は極度の不言不語。何事においても、言わず語らずな男として知られている。他人が災難に遭っていたり、事の要因を知っているのに、あえて話さず黙過するなどと。
いわゆる、知ったかぶり。
事実、ラグも大城も、彼が喋っていたところを見たことがない。強いて言えば、たった一度だけ、山梨が黒摩に「すいません」と、謝っているところだけ。
彼がどんな心境だったかはわからないが、自分たちを殴る気はなかったんだと安心した大城が、ラグを振り返った。
「大丈夫ですか、ラグさ――」
が、ラグの涙は、何故かいまだにボロボロと流れ落ちていた。
再び、大城が「えええええ!? 何故ですか!?」と、うろたえていると。
「私は殺される価値もないミクロに劣る小っぽけな存在だったんですね……!」
「この後に及んでまだそんなことを!?」
指の間から嗚咽の声を洩し、両手で顔を覆って泣き始めた。
応接に暇がない、というのは、こういう時に使う言葉だろうか。
大城は、今日を疲れ果てた。
「なになに? 何が起こってんの?」
そこへ現れたのは、山梨と合流した田代祐二。
「あ、ラグちゃーん!」
「……っ!」
田代の登場に、ラグは思わず肩を震わせ、後ずさる。
ハートを散らしながらラグに飛び掛ろうとした田代は、両腕を広げる。
それと同時に、ラグと大城の背後から、いいタイミングで腐男子と腐女子が参上した。
「田代、お前……!」
「あたしに任せなさい!」
リマはラグを引き寄せ、避難させた。
田代の前に立ちはだかったのは、まさに正義の味方のようなポージングを決め付けた、夕季カナメ。
「ご安心くださいましお嬢! あたしは世界中の女の子のみたか!」
「みかた、ね」
ビシッと、湿った空の彼方へ指を差し向け、正義のヒロインを気取っていたのは、言うまでもなく、腐った脳みそを持った“あの”ユウキカナーメであった。
語尾の言い間違いを、冷静に優しく突っ込んだのは、彼女の最愛の相棒であるリマ=バケット。
世にも珍しい光景が、今ではありきたりすぎて、この腐った人間同士が立ち上げた不滅でアブノーマルなアトモスフィアに対し、周囲が羞恥の汗水を流すことは、ほぼ無くなった。中には軽くスルーして素通りして行く者も増えた。
正義感に燃えるカナメの二の句は、
「変態はこの世で最も嫌いな男のダイブ!」
「タイプ、ね。潜ってどうすんの」
訂正されなくとも何を言っているかは、大方理解できる。
が、リマはカナメのボケを丁寧に拾い上げ、再度優しく突っ込んであげた。
このような遣り取りを。
「その上、お嬢に手出しをする超迷惑なドスケベ成人さん!」
「成人じゃなくて、星人ね。スケベが成人したってことかな?」
と、後1度だけ続けて、次に何を言い出すのかと思いきや、カナメの口からまさかの下ネタが一言された。
「挙句の果て、チ○コが小さそうで嫌だ! お嬢に相応しくない!」
「チ○コがデカければ、相手は誰でもいいってこと?」
誰に向かって“お嬢”と呼んでいるのか。誰に対して“変態”と呼んでいるのか。
その正体は数秒後に発表するとして、まず初めに、ボケ担当のカナメにクールなツッコミを入れるリマに、更に鋭いツッコミを加える大城の発言を聞いて貰おう。
「あなた方は廊下で何て破廉恥な話をしてるんですか!?」
変態の正体は田代祐二。
お嬢の正体がラグ=バケット。
言わずもがなではあるが、このような役者が揃っている。
「えーなんだよー。いいじゃん1回くらいヤラせてくれたって」
「よくねぇよボケ!!」
リマの怒号が炸裂しても、まったく怯む様子のない田代は、しばし考えた末。
「あ、誘い方がちょっと軽かったかな?」
「そういう問題じゃねぇんだよ」
リマの返答を物ともせずに、田代はいきなり、さらっとフサフサの毛並みを掻き揚げ、イケメンを気取りながら、本人なりの甘い声でラグを口説いた。
「子作りしようか」
カッコーンと、リマの靴裏が田代のイケメン顔を打った。
「寝言は寝て言えよ」
ピリピリとしながら靴を拾うと、カナメが目を輝かせながら隣にやってきた。
「ねえ、ズボンひん剥いちゃおうか」
「え、ここでチ○コ晒しちゃうの?」
そうして始まった、腐れオンパレード。
「いやでもさ、田代は立派そう。どっちかっていうと俺と委員長がショボイと思うなー」
「何を言い出すんですかリマくん」
大城のツッコミなど相手にせず、リマがとうとうボケに回った。
そしてカナメはそのボケに乗っかる。
「でも、イケてない奴ほどデカイって言うよね」
「あるある。女子だと、巨乳だったりね!」
「なんか悔しいな。大城に負けるのか……」
貶されているのか褒められているのか、よくわからない発言を隣で聞いて、複雑な思いを抱く大城をよそに、カナメはもじもじしながらとんでもない猥褻な発言をブチかました。
「でもリマって、大きいイメージじゃないし。デカさが大事じゃないのよ。リマのは私の中でアッツアツにしてあげるからいいの」
「公衆面前で下ネタはやめええええええい!!」
カナメは、敬語を捨てた大城のツッコミに満足しているらしい。愚図で地味なくせに、機敏なツッコミを入れる大城の言動には、カナメとリマも一目置いているようだ。
ここで、カナメの話し相手が、リマから田代へと移る。
田代は赤くなった顔面を摩りながら起き上がった。
「やいやいやい、代田(しろた)祐二!」
「田代祐二だ!」
わざとらしく名前を間違えられ、ついつい突っ込んでしまい、カナメコミュニティに見事吸い込まれてしまった。
「子作りなんてやめなさい。あなた、まだ未成年でしょう!」
「年なんて関係ねぇさ!」
「くっ……手強いわね!」
奥歯を噛み締めながら己の無力さを惨めに思ったカナメに対し、「いやまだそこまで言われてないよ」と、一瞬だけツッコミ側に戻ったリマ。
「キミがラグっちゃんの子共を授かったところで、不幸になるだけなのは……見え見えなのよ……!」
まるで、誰かに撃たれたかのように腹を抱え、ガクガクと脚を震わせながら、ドラマチックに進展している。
どうして腹を抱えているのか、というツッコミは、何故か誰も言わなかった。というより、口には出さなかったが、誰もが心の奥で、呟く程度に突っ込んでいた。
「だって、キミとラグっちゃんの子供は、必ず男の子だって決まっているから。これは、何を意味するか……」
腹に激痛が走ったのか(本当は痛くも痒くもない)、カナメは崩れるように地に座り込み、何かに失望した人間が溜めるに溜め込んだ感情を爆発的に開放するかのような、そんな演技を披露した。
「つまり、その子供があり得ないマザコンで、愛する母親との時間を邪魔するお父さんが大嫌いで、要はキミはラグっちゃんに《ピ――ッ》することも《ガシャーン!》することも出来なくなるということよ!? それでもいいのかあああああ!?」
ピシャーン!!
田代の頭に雷が落ちた。
完全にカナメワールドに誘惑され、こちらもドラマチックに物語を描くのだった。あまりのショックに立つこともままならず、スポットライトの下で四つん這いの姿勢を保ちながら涙している、哀れな光景を演じた田代祐二。
「それは困るな……俺の可愛いラグちゃんを一生抱けないなんて、そんなの考えられないぜ……」
これには、さすがに大城が突っ込まずにいられなかった。「カナメワールドに立入成功!?」
「ここは、大人しく身を引くのです」
知らぬ間に立ち直っていたカナメは、すっと田代の額へ手を差し伸べ、神に成りすましていた。「女神降臨!?」
「くっ……今回も、俺の負けだ。恐ろしい女だぜ……」
「あの人を相手に高を括っていた!?」
肩を落とした田代は、山梨と共にトボトボとその場を去っていった。「今のはなんだったんだ」、誰もがそう思ったであろう。ラグも2人の世界についていけず、ただ黙って見ているだけで終わった。
こうして、本日の迷惑な晴れ舞台が終えた。
「そうか。カナメって変態がキライだったんだ。初めて知った」
いやいや、誰だって変態を受け入れることは難しいだろう、というツッコミをかまそうとした大城の言葉の上から、カナメが最後の締めくくりとして、またしても義務教育中の未成年とは思えない発言をした。
「ある意味バイヴが効いてて良いとは思うんだけどね。あそこをくすぐられている感じで、濡れちゃいそう」
「ド変態か! そこはモザイク掛けないんですね!?」
「モザイクのある台詞や映像は、その下に何があるか普通に気になってしまうものだけど、晒しすぎはよくないよな。でも俺はドストレートなカナメが好きだよ」
「こいつぅ~!」
数々のシチュエーションに応変してさすがにくたびれたのか、大城が大きな溜め息を突いた。
「さすが、お2人はこの学園最強のバカップルですね……息がぴったりすぎて尊敬します」
「委員長も作れば? 彼女」
「え……む、無理ですよ、僕みたいなものが……」
「そんなのわかんないじゃん。ナンパでもしてみたら?」
「ええええ!? 無理ですよぉ!」
「“俺とデートしない? てゆうかいいことしない?”って言ったら、100%うまくいく」
「フラれる確立100%ですね!」
「委員長みたいな人は、フラれるどころか殴られる確立100%かな」
「僕って、そんなにイケてませんか……?」
「イケてない、イケてない」
「わかってますけどね! いいんです。僕にはマリーがいるから!」
哀れ大城。その目尻に浮かぶ一粒の涙。
2人が会話をしている間、ラグは「私、ちょっとお手洗いに行ってくる」と、その場を離れて行った。つられて「あ、じゃあ、あたしも」とカナメがその後をついていく。
2人の姿を見送ったリマは、怪しげな笑みを浮かべながら切り出した。
「そのマリーっての、大事な子なんだってね。でも委員長、今浮気寸前だからな」
「浮気って……マリーは別にそんなんじゃ……そもそも浮気ってどういう――」
「俺の愛しい愛しいラグのどこが好きなんだ?」
「……っ!」
何を言い出すのだと言ってやりたいが、声にならない。
変な汗が流れ、大城は顔を真っ赤にしながらパクパクしている。
「隠さなーい、隠さなーい。いつも“わざわざ”大城を誘って、“わざわざ”ラグの隣に座らせてやってるんだよ。有難く思ってよね」
時々、4人集まって談笑するときに、大城は決まってラグの隣に座っているか、立っている。今までそれに気を取られていたわけではなかったが、自分のポジションが意図的に配置されていたと知った今、大城は耳まで真っ赤にしながら俯き、ほくほくと顔から熱を発しながら、途切れ途切れに呟いた。
「ラグさんほど優しい女の子は、僕は少なくとも知りません……」
「さすが委員長、お目が高い。でもラグと付き合うなんて1000年早い。というか俺が許さない」
「そっ……そんな恐れ多いこと思ってませんよ!」
大城の大事な“マリー”とは、一体全体誰のことを指すのか。
その話は、またいずれ。
***
いつもの裏庭で、うんこ座り姿勢の山梨と田代。そして腹部に傷を負っているため、1人胡坐をかいている黒摩。毎日のように、田代以外は煙草をふかし、特に味気のない談話で暇を持て余していた。
ご存知、田代祐二という少年は、常に女子を、エロイ目で見ている。
女という名の生き物とは昔から縁があったものの、中学生になってから、これほど魅力的に思ったことはなく、初の情欲では、下半身が自重できない狂おしい状況に至ってしまったものだ。
ある種、男のバイブルでもある、グラビア雑誌やアダルト雑誌を鑑賞することもしない黒摩と山梨に、田代は正直理解に狂っていた。プロのモデルたちが何パターンもの扇情的なポーズを取るため、様々な光景を楽しめる良さが写真では活かされている。写真は永久保存。この良さがわからないなど、宇宙人としか言い様がない。
そして生身の女の良さ。自分が例えスカートを捲って本人に殴られたとしても、「生」という迫力を眺めることができるため、これはまた一種の快感でもある。下着が見物できる上に、女がリアクションを起こすのなら、それがプラスアルファとなるのだ。まして、何度も取っ組み合いを繰り広げている田代にとって、女に引っ叩かれるというのは、屁でも無い。
男は「下着」というものに、さほど弱いらしい。
田代の実際の経験上の話。路上を優雅に歩く別嬪な女性の後姿を眺めていたとき、すぐ側で、不細工な女のスカートが風で捲れてしまったが、美女を差し置いて、目線がそちらへ偏ってしまったことがある。
男という生き物は、下着さえ見れれば、後は無頓着のようだ。ブスだと分かっていながらも、その瞬間を見逃さないほど、男という生き物は性欲に執着しているのだろうか。
「お前は、ただのサッカースケベだ」
「え!? ただのスケベじゃなくて、ただのサッカースケベ!? 俺がサッカーにスケベ心を持っていると!?」
素っ頓狂な声を上げた田代を、更に嬲るように、「パンツに食い込んだ女のたてすじを見て興奮するお前のことだ。サッカーボールの黒と白の斑点模様の間の筋を見て、興奮のあまりマスターベーションでもしてんだろ」と、クールな表情で卑猥発言が立派な我らがボス。
「確かに四六時中、俺の機関銃は勃起してますが、紳士が興ずる健全なスポーツに必要不可欠となるボールを見て興奮するような変態じゃないッスよ!」
「マスターベーションの否定はしないんだな」
「ええ、紙切れに写った女の裸を見ながら一人寂しくオナってますよ! 黒摩さんだって立派な童貞でしょう!?」
「そうだ。俺は童貞のエキスパートだ」
「童貞の!?」
田代は、まるで手慣れたかのような口調で、黒摩のフレーズに突っ込みを入れた。
山梨は、ぐうの音も出ず、返す言葉が無い。
卦体な話、黒摩魔王は思春期なのにも関わらず、女に興味が無いらしい。男には当たり前のスケベ心を、まるで軽蔑しているような言動ばかりを繰り返す黒摩を、田代は怪訝な顔を浮かべて目を凝らした。
だが女に関心もない素振りばかりなのに、マスターべーションやたてすじなどと、卑劣な言葉は使う。
興趣を添えないが、色々なことに詳しい。
彼の求知心が、常に働くのかもしれない。
そんな我等がボス――サディストは、よく読めない男である。この男は、下等の間でも、学内の間でも、「サディスト」という異名で通っている。
“
相手の歯をヘシ折り、地面に倒れた男を追撃するようにアバラを折り、腕の関節を外すなど、「鬼」と「畜生」を繋ぎ合わせた「鬼畜」という形動がとても似合っている。
喧嘩は、はたから見ればただの暴力として見られがちだが、下等の間では一種の“コミュニケーション”として捉えられている時もある。周囲は“対話で解決するほうが良い”と意見するが、下等の間で“対話”というものは無意味な場合がある。腕力で会話を取るということは破壊的で危険性を伴い、処罰の対象となる恐れもあるが、拳を交じり合うというのは、コミュニケーションが根深い証拠でもあり、対立の解消に有効な効果を生み出す事もあるのだ。
己の矜持のために振り上げる拳。
己の仲間のために振り下ろす拳。
言うに言われぬ妙味。
だが黒摩魔王に自負心は無い。情の無い拳を振りかざすだけだ。
黒摩は田代の憧れではあるが、果たして彼は自分たちのことをどう思っているのか。考えてみれば、こうやって互いに駄弁っていても、楽しそうには見えない。
喧嘩のときも、助けられた覚えはない。
自分たちが媚びても、うんともすんとも言わない。女同様、自分たちにも何の関心も無いのかもしれない。それでもこうして同じ場所で腰を下ろしているという、そんな些細な事だけで、黒摩がほんの少しだけ、自分たちを認めてくれているのだという自身が少なからずあった。
黒摩が心を開かないのは、それを遮るような事が彼を襲ったからだと、田代は予想していた。
「にしても、何処の学園のヤツ等ッスかねー。卑怯な真似すんの」
田代は、湿布で目元が隠れている黒摩の顔と、包帯で巻かれた腹部の傷に対して、溜め息混じりにそう言い出した。
本当は、他校の生徒ではない。しかしそれを田代に語る気はなかった。
「バッドやスパナで殴るならまだしも――」
瞬間――バコッと、良い音がした。
「バットもスパナも、頭部やられりゃ即死だっつーの」
横っ面を殴打され、地面に倒れこんだ田代は後頭部を打撲。がばりと起き上がり、ひーひーと喘ぎながら、後頭部を両手で押さえている。
確かに、バットで殴られても、痛いのは痛い。
だが田代にとっては、“刃”で殴られるよりは、マシだという。
何故なら彼は、先端恐怖症。
2年ほど前に、父親が勤めていた工場で、ある従業員が高速回転する電動丸ノコで中指と人差し指を切り落とした生々しい事故現場を目撃し、1年ほど前に、名も顔も知らないヤンキーにカツアゲされ抵抗した際に、小型ナイフで腕を切り裂かれた日から、刃物を恐れ始めたのだと、本人は語った。
そこへ、誰かがこちらへ歩いてくる。
「あれ? キヨ姉さんじゃないっすか?」
先日のこともあり、山梨の眉がぴくりと跳ね上がる。しかし、当の本人は田代と山梨を見向きもしなかった。
紫陽花の今回のターゲットはどうやらサディストのほうである。
「近頃、校内ではあまり見かけないな」
田代は、2人が顔見知りであったことに驚いた。
「え、お2人とも知り合いで!?」
「……ちょっとな」
詳細をはぐらかしながら、黒摩は頷いた。
紫陽花は腕を組みながら、にやにやしている。
「怪我の具合はどうだ? まさか昨日からそのままなのか?」
「お前には関係ない」
「まあな。これからはせいぜい、傷の手当は“異色の毛並みを持った少女”にしてもらうんだな」
「……!」
バレた、と思った。が、違うようだ。
この女は自分があの泣き虫に害を加えていることを知っている。
これは風紀委員長としての“忠告”だ。
「あまり行儀が悪いと、痛い目を見るぞ」
イラッときた。
田代は何がなんだかわからず、2人を交互に見る。
紫陽花の余裕ぶった笑みが癪に触り、黒摩は紫陽花を小突くように、田代に彼女を紹介した。
「こいつは種山ヶ原の元・女番長だ」
「え、種山ヶ原の!?」
「種山ヶ原」の、と聞いて、田代はあんぐりと口を開けた。この数分間で、驚きがたくさんだ。
紫陽花は戸惑いを隠しながらも、その声はどこか覚束ない。
「……過去の話だ」
「どうだか。切り傷は、深みによっては痕が残るからな」
「 ! 」
すかさず黒摩が追い討ちをかけたところで、紫陽花がサッと青ざめる。
逃避するように「ふん……」と冷たく鼻を鳴らし、去って行った。
「黒摩さん、えらい人と知り合いだったんッスね……」
まるで紫陽花の話題を濁すように、黒摩はふかしていた煙草の煙を、田代の顔面めがけて吹き突けた。
「ごほっ、ごほっ! ちょっ……黒摩さん、煙だけは勘弁してくださいよ」
田代はパタパタと煙を追い払うように、手を振った。煙草を吸わない田代にとって、その煙は肺の敵。相手がたとえ黒摩でも、嫌煙する。
「喫煙しない、パンチもできない上に先端恐怖症。お前、下等に向いてねぇよ。今すぐ止めろ」
「キックは得意ですよ! サッカーは得意ですからね!」
「だからどうした」
黒摩のように髪を剃ることもせず、山梨のように髪を染めることもしない。
所構わずエロ本を眺めていれば、サッカーボールでドロップキックばかり炸裂させる、第三者から見ても、ただの発情期真っ只中のごく普通の少年。
蹴りは得意でも、パンチはほとんど空振り。ワルに見せかけているが、所詮はそこら辺の女子に「ヤラせろ」と揶揄する程度。
取っ組み合いは、筋々が痛くなるほど活発に参戦するが、煙草も吸わなければ、酒も飲まない、至って健康な体。
焼きそばパンやサンドイッチ、ハンバーガーなどを食している下等の中で唯一、熟した甘酸っぱい果実と瑞々しい生野菜をかじっている。
「先端恐怖症は、克服する希望が見えてきたんスよ。せめて、包丁を握れるようにはなりました」
「お前は、お前の機関銃を握って一晩中、しごいてりゃいいんだよ」
「そんなに俺って下等に向いてないんスか!?」
仲間のちっぽけな進歩に耳を傾けようともしない黒摩に、ショックを受ける田代。
黒摩は無くなりかけていた煙草を地面に吐き捨て、立ち上がる。嫌な記憶を思い出され、機嫌を損ねた。地面を蹴り飛ばした土が宙に舞う。
田代に呼び止められても、黒摩が振り向くことはなかった。
――誰にも触れて欲しくない。
六月紫陽花。あの女は邪魔だ。だが迂闊に手は出せない。何故ならあの女は“師範代の娘”。もし自分の手によってあの女の身に何かあったとき、その情報がおそらく自分の“父親”の耳に入る。
そうなると、面倒事では済まない――。
NEXT STORY
「激痛。心痛。苦渋の色」
2016/10/23
Produced by KIYUMI TERANAKA
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