ポツダム少佐


EPISODE 034 「ポツダム少佐」




 能力者名を「呑龍どんりゅう」、本名は池野 潤一。日の出と共に彼の一日は、その日も変わりなく始まった。この寒中にも関わらず、呑龍はベランダに出ると体操を始めた。

 ケージ内の”同居人”は昨日と同じように、この時間は眠りについている。


 その日は麦飯と、梅干しと、佃煮を少々に、漬物を少量。そしていつもと同じ具の少ないみそ汁を平らげる。食事が終わればハムスターのマコトにも餌を与え、それからやはりベランダでラジオを聴きながら一服だ。冬の朝の金鵄タバコは美味い。


 ラジオが今日の天気を伝える。天気は快晴の見通し、日差しもあり、今週一番の暖かい一日となるでしょう――――男性キャスターがそのように読み上げた。


 呑龍はラジオを点けたまベランダで新聞を広げる。改正民法に関する告知――――能力者の扱いについてが民法に明記される日は来るだろうか? 出生増、未だベビーブーム衰えず「産めよ増やせよ」――――霊銀がこの記事を見たらどんな顔をするだろうか? 家庭環境が良くなかったのか奴はそういうものを嫌っている、不機嫌そうな顔が浮かぶようだ。

 おっと――――これは霊銀が笑いそうな記事じゃないか、ベビーブーム記事の真下に「若者の性病蔓延」だ。きっと乾いた笑いを浮かべながら「性行中毒者のために治療不能の性病が早く生まれるといい」などとコメントしてくれるだろう。


 それにしても霊銀と翠嵐の二人はなかなか帰って来ない。臨検任務とやらが予定よりも長引いているのだろうか? まあ、今更死ぬようなタマではないだろうし心配は無用か。


 そんな事を考えながら新聞をめくっていると、ふと小さな記事が目に留まった。

 見出しは「央宝おうほう株式会社に公職追放令下る」。


「央宝? それでマッカーサーお得意の追放令かい」


 呑龍は呟く。央宝といえば、戦前から存在する大手の映画配給会社だ。戦中には央宝の人間と少々関わった事もあったが――――戦争でだいぶ、この会社も変わってしまったのかもしれない。

 この会社は去年だけで二度ほど労働争議で揉めており、これで三度目。今では労働運動絡みのニュースで話題に上がる筆頭”顔馴染みの問題児”といった風だ。


 で、ついにこの三度目でマッカーサーは伝家の宝刀「公職追放令」を振るったらしい。この伝家の宝刀の切れ味たるや凄まじく、経営陣は一新。新社長は……ふむ、衆議院議員の田邉たなべ 銀蔵ぎんぞうらしい。


「……フウ、俺たちもマッカーサーも、今じゃやる事はお互い「赤狩り」か……。これが局長の言う所の「ノーサイド」ってやつなのかねえ……」


 煙草の煙を大きく吐き、呑龍がぼやく。瞼を閉じれば、今でも戦争の光景が鮮明に思い出されるようだ。あの光景を忘れる事など一生出来る気がしない。

 だというのに、あんなに争い合った日本とアメリカが今では同じ「反共」の意志の元に結託し、同じ敵と戦っているのだ。……霊銀は意外とすんなり受け入れたようだが……呑龍にはその事実が奇妙な出来事に思えて仕方がなかった。



 ★



 ――――彼はきっと、”その日”という未来をどのように選択するかを選べたのだろう。一日中ハムスターを眺めて暮らす事が出来た。日が暮れるまで柔道に明け暮れる事が出来たのだろう。競馬場の競争を一日眺める自堕落な休日を選ぶことも出来たのだろう。

 だが池野 潤一は自分の休日の過ごし方を選んだのだ。例えそれが些細な選択であっても、自由とはそういうものだ。


 ハムスターの世話を終え、寮を出た呑龍の格好はまるで野外の情報収集活動に出る時の装いで、動きやすいズボンにYシャツ・ネクタイ、その上にブラウンのレザージャケットを着込み、おまけに普段は被らないようなハンチング帽も被っていた。そのため、近所を歩く際の甚平姿や、柔道着を着ている時のいかにも日本男児的装いとはまるで違う印象を与える。


 呑龍は待ち合わせ場所に向かう。一応、約束では寮の近くで落ち合う事になっていた。合流地点に向かった呑龍が目にしたのはイツ子の姿と……あれは海軍出身の天空テンクウではないか? そう、天空といえばこの間の戦闘中に応援戦力としてやってきた……。


「あの……えっと……」

「わかってるさ、お前がここに来た目的は。オイラに礼をしようって思ったんだろ?」

「あ、あのごめんなさい、私は待ち合わせが……」

 近づく天空を回避しようとするイツ子だったが、天空が彼女の手を掴んだ。


「おいおい、誰か知らないがそんなのは良いだろうが。なあ、忘れちゃいないぜ。”あの日の晩”、緊急連絡でオイラを呼んだのはお前だったろう? あの時に「礼はする」って約束したよなあ?」

「えっ……ち、ちがうんです……」

「何が違うって? 女に出来る礼ってのは一つしかないって、相場で決まってるだろ?」

「ゃっ……!」

 天空はイツ子のことはおろか、日の光さえ知らぬ存ぜぬといった態度でイツ子の腰に手を回し、後ろに回したもう片手の中指は衣服越しに、なぞるように花を愛でようとする所だった。


「おい、やめろ」

 天空の想像を絶する腕力と、今まで味わったことのない恐怖の感覚におののき、瞳にうっすらと涙を浮かべるイツ子の代わりに拒絶の意志を表明したのは、事の異常さに気づいて駆け付けた呑龍であった。


 天空は行為の手をピタりと止めると、ゆっくりと呑龍の方を振り向き、低い声で一言

「……貴様、今、何って言った?」

 と、問うた。その表情は鬼神の如し、戦場でこの表情の天空を目にすることがあれば、普通の兵士は「本物の鬼を見た」と錯覚してしまうかもしれない。

 しかし呑龍は臆することなく、毅然と警告を繰り返した。

「「やめろ」と言った」


 イツ子は、天空のこめかみに太い青筋が浮き立ったのを見た。天空はイツ子を離すとスタスタと呑龍の所まで歩いていき……彼の胸倉を掴むと、口を開くよりも先に容赦のないヘッドバッドを浴びせた。まるで車を金属バットで殴打したような異常な衝撃音が響き、呑龍の被っていたハンチング帽が地面に落ちた。


「誰に偉い口聞いてるかわかってるか? 貴様は中国に行ってた人間兵器【呑龍】……階級は大尉だったよなあ? 尉官如きの分際が偉そうに”オレ”に命令するんじゃねえ。判ってるのか」

 すると、呑龍はこう言い返した。

「俺はおかの人間だ。海軍のお前と上下関係になったつもりは無いぜ。”ポツダム少佐”」

 その一言は、天空の痛い所を突く言葉だった。呑龍の終戦直前の階級は大尉だが、実は天空の終戦直前の階級も同じく大尉である。


 ではどこで差がついたのか、その答えは「ポツダム進級」にある。8月の終戦後も北方領土での争いが続き、戦後も赤軍と戦犯追及から逃れるために一定期間の逃亡・潜伏を余儀なくされていた霊銀や呑龍と違い、天空はポツダム宣言の受諾後に恩給を多く得られるようにと海軍上層部から昇進を――――俗にいう「ポツダム進級」の恩恵を受け、佐官となっていたのである。


 もともと戦中より天空は軍では名の知られた人物だったため、彼がポツダム進級で佐官になった事などは軍の能力者ならば多くが知っている事であったが、あの苛烈な戦争を生き残った事それ自体が昇進に値する功績であったため、面と向かってそのような野暮な事を口にする者はいなかった。だが、今日このときばかりは例外だ。


「舐めた口を利くなと言ったばかりだろうがァー!」

 しかしその言葉は天空にとって怒髪天を突く一言に他ならない。烈火の如く怒った天空はここが保安局の土地内であるにも関わらず、戦闘用能力者の有する超身体能力によって増幅された超腕力で呑龍を殴り倒したのである。


 天空を少々怒らせるのも問題だったが、それ以上に彼と本気で戦うのは大問題だ。内部局員同士で殺し合う事はご法度であるし、第一に天空は保安局の能力者の中でもその戦闘力は最強といって過言ではない。”あの”アメリカ軍が本気で殺そうとして、結局殺せなかった個人なのだ、彼が本気で戦えば呑龍が殺される可能性は高いし、勝っても負けてもこの場にいるイツ子は確実に巻き込まれて死ぬ事になる。

 呑龍としても遺憾であるが、天空の癇癪が止まるまでは殴られるに任せるよりも良い方法は思いつかなかった。


「立てェ! その腐った性根を叩きなおしてやる!」

 天空が左手二指を呑龍に向けると、超常の力で呑龍を宙に持ち上げ強制的に直立させる。天空の重力操作能力だ。

 直立させられた呑龍は吊り下げられたサンドバッグのような状態となり、天空に折檻を加えられた。


「や、やめてください! お願いします!」

「……構わんぜ」

 イツ子が叫び懇願すると、天空は意外なほどにあっさりと折檻の手を止めた。天空が上向き大きく呼吸すると、朝の涼しい風が彼の癇癪をいい具合にクールダウンさせてゆく。


「呑龍、”俺だから”この程度にしておいてやるが……目の上の者に対する口の利き方には気を付けろ、いいか?」

 片膝をついた呑龍を見下ろす天空はニコチンによるクールダウンを図る。取り出した煙草に火を灯し、肺いっぱいに煙を吸い込むと、それまでの激情が引き波のように下がってゆくのを感じた。


「わかりました、”少佐殿”」

 天空の表情が落ち着き始めたのを感じた呑龍は逆らう事をしなかった。

「おい、本当にわかってんのか? ああ?」

「はい」

 天空は煙草を口から離すと、その先端を呑龍の左頬の傷に押しあてる。呑龍の左頬に光の薄い膜――――第六斥力場エーテルフィールドが生じ、彼を守っている。

 それ見て眉をひくつかせた天空が、左手で呑龍の頭をはたいた。

「わかってねえだろ?」

「はい」

 呑龍はエーテルフィールドを自主的に解除した。淡い焔と戦いの記憶の刻まれた頬とを隔てるものが消え、熱が傷跡に刷り込まれる。呑龍はただ、黙って耐えた。


 やがて天空は押し潰れた吸殻を地面に捨てると、一言

「……よし、もう行け」

 と告げた。

 この気変わりを逃す事など持っての他だった。呑龍は黙って軽く頭を下げると立ち上がり、呑龍から距離を取った。


「お嬢ちゃん、そんなふにゃちん野郎と居るだけ損だ。とっとと気を変えて”オイラ”の所に来な、すぐに嬢ちゃんをホンモノの女にしてやる」

 イツ子はこの言葉に答えず、ただ黙って頭を下げた。彼女は最もか弱く臆病で、最も利口だった。



 気を晴らした天空はそのまま徒歩でどこかへと消えていった。いや、行く場所は見当がつく、恐らくパチンコ場で今日もインチキをして稼ぐのだろう。奴はそういう行為が非常に得意な能力を持っている。

 彼が休日、寮から出かける時間帯にこんな所で待ち合わせるのは賢くなかった。これから女性と待ち合わせる時は、どこか別の場所で待ち合わせた方がいいだろう。




EPISODE「林檎の花は風に揺れ」へ続く。




===


☘登場人物



☘ 内村 サブロー / 天空

能力:重力操作


 大東亜戦争の英雄の一人。元大日本帝國海軍所属。戦時中は大尉であったが、終戦時の「ポツダム進級」により少佐となる。

 人格に難があり、かつ癇癪持ちであるため戦時中から軍内でよく揉め事を起こしていた。しかし、初代「神風」こと関 行男の亡き後に二代目「神風」を務めた男でもあり、強大な戦闘力を持つ彼の存在と功績無くして本世界における太平洋戦争を語る事は出来ない。

 好き嫌いが極めて激しいが従順な部下は可愛がる方で、能力者「赤蜻蛉」などは実際可愛がられているが、彼が若くして薬物依存に陥っている原因の一つが天空にあるとして、度々「震天」と口論している姿が保安局では見受けられる。

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