軍艦上のモルモット:1


EPISODE 030 「軍艦上のモルモット:1」




 翠嵐スイランが甲板上で煙草を吸ってから30分程度が経っただろうか、彼がまた甲板上に戻ってきた時、今度はアメリカ人の大男と一緒だった。二人とも無言で、どちらも深刻そうな顔をしていた。


「戻ったな」

「主任、具足の調整は」

 尋ねると、鷺沼は組み立て式の三脚の上から吊り下げられた物体を指差す。

「済んだ、存分に使いたまえ」

 


「助かります」

「君の意見をもとにいくつか変更が加わっている、バッテリー持続時間や刀の保持位置などだ。稼働時間は全力状態で約9分30秒」

「20秒ほどは伸びましたか」

「そういう事だな」

「十分です」

 翠嵐は答えるとその場で上着とズボンを脱ぐ。白い半袖Tシャツとボクサーパンツのみの下着姿となった翠嵐の腕や脚は火傷跡が目立ち、痛ましい姿をしている。


 吊り下げられているのは黒い鎧だ。戦国時代などの中世日本において武士が用いた戦国甲冑のうち、大鎧より軽量化された「当世具足」と呼ばれるカテゴリーのそれに酷似した雰囲気を持つものの、そのフォルムはより近代的なものに差し替えられている。


「時間を取らせて悪いが、使わせて貰うぞ」

「好きにしろ」


 アンシンカブルは襲い掛かって来なかった。腕組みし仁王立ちし、戦闘準備中の翠嵐を待った。

 このため翠嵐は余裕を持って鎧の着用作業に臨む。吊り下げられた鎧は超常由来の特殊繊維によって編まれた新型小袖インナーに籠手、佩楯はいだてに相当する部分が半ば取り付けられた状態になっている。


 確かに、スーツを着るほどに楽ではない。それでも原初の当世具足同様、慣れてさえいれば一人で着脱を行える設計となっており、翠嵐は他人の手を借りず具足の上下に身を通していく、彼にとっては最早慣れた作業だ。

 上下の着替えと胴鎧の装着が終わった次に、翠嵐は兜を手に取った。戦国時代の兜にはあったような兜の突起や、クワガタめいた巨大な立物たてもの飾りは無く、吹返に相当する部品もない。しころに相当しそうな部分もかなり主張の控えめなもので、立物の代わりに額部分にライトの取り付けられたそれは戦国兜というよりも欧米諸国の軍用フリッツヘルメットの方がまだ似ている。


 兜の装着が終わると最後に、鋭い二つの瞳を持ったマスクを装着する。面頬めんぽおよりはガスマスクをイメージするようなそれの頬から伸びるチューブめいた配線コードとヘルメットを繋ぎ、ヘルメットの後部からは配線を胴鎧の背部へと接続する。

 胴鎧の後ろに背負った背嚢はいのうほどの大型機械には電源、魔術由来のサイキックバッテリー、冷却ファンなどの高度な超科学が詰め込まれており、それらは兜、籠手、佩楯……五体を守る装具とケーブルで接続されている。



 肉を得、電源の命を得、超人兵用次世代型当世具足 試作三号がハーレーのような低い駆動音を唸らせながらその存在を世界に示す。

 闇の中、マスクの両目、腕部、脛の部品が翠嵐のエーテルと反応して、翡翠色の淡い輝きを帯びる。――――まるで蛍のようだった。


「待たせたな」

 試作当世具足を纏った翠嵐はマスクから白い息を吐き、アンシンカブルと7メートルの距離に立った。

「準備はいいな」

「ああ、武器を抜け」

 翠嵐は半身となり、まず一刀による抜刀を行うと刀を青眼に構える。しかし、アンシンカブルは武器を抜こうとしない。


「俺はこれでいい」

「何故武器を抜かない」

 翠嵐が問い詰めると、アンシンカブルは一言だけ答える。

「武器は使わない主義だ。かかってこい」


 青眼に構え、いつでも攻撃可能な姿勢の翠嵐に対し、まるでカウボーイのような格好にも関わらずアンシンカブルは武器自体所持しておらず、腕を組んだまま半身に構える事さえしない。

 銃を忘れてきたカウボーイほど惨めで格好のつかないものはない。だというのに、アンシンカブルは不動を崩すそぶりさえない。自信の表れがみてとれた。


「……」

 翠嵐は青眼の構えのまま攻め込まず、様子を見た。自身の超能力を使う事に意識を集中させ、感覚を研ぎ澄ませる。

 受動的なものを除き、能動的に行う未来予測能力は多くの負担をかける。1秒毎に指数関数的に膨れ上がる可能性の波に溺れれば、翠嵐は即時に現実と幻覚の区別がつかない狂人になり、すなわち破滅だ。

 紙芝居的に送り込まれてくる幻覚ビジョンの絵を1秒60フレーム、未来の数分間の長さを、実現可能性の高い有力な未来数十パターンほど取捨選択。それを瞬時に脳内で処理しなければならない。おわかりいただけたであろうか、未来予知の戦闘転用とはかくも過酷なものなのである。



 戦いはもう始まっている! 戦後二年間鍛え続けた未来予測能力、翠嵐が戦闘開始時点における未来の初期乱数テーブルを解析するのに要した時間、5秒!

 しかし、未来を読むと翠嵐には緊張が奔った。実現可能性の高い有力な未来を約60パターンにまで絞ったものの、その内戦闘勝利する未来は僅か9パターンしか視えないのだ。


 内訳は60パターン中、勝利が9パターン、敗北が36パターン、残り15パターンが艦長の制止、もしくは目の覚めた霊銀の乱入によるノーコンテストによる無効試合。

 ……未来を読めるというアドバンテージ上、呑龍、霊銀、天空相手でさえここまでのひどい予測にはならず、仮に三人と一対一で決闘しても、勝率または引き分けの率が50%を切る事は無い。何度演算しても勝率が0パーセントにしかならない局長のアスタロトを例外中の例外として、これほどまでに劣悪なレーティングとなったのは翠嵐にとって戦後初めての経験だった。


「どうした、いつになったらかかってくる気だ」

 緊張し、どのように第一手を仕掛けようか攻めあぐねいていた翠嵐に対し、アンシンカブルは手招きして催促する。


「それは貴様の決める事ではない」

 翠嵐は摺り足でにじり寄り、徐々にはあるがその間合いを詰めてゆく。兜に取り付けられたライトの光がより近くなり、照らされるアンシンカブルは目を細める。……されど、不動。


 青眼の構えであった翠嵐は、構えを変えた。目線の高さで刃を上にし刀を水平に向け、鋭き刃先は敵へと向ける……彼がベースとする武術「鬼哭きこく流」をはじめとして、多くの剣術流派に伝わる構え、その名を「かすみの構え」と呼ぶ。


 霞の構えを取った翠嵐とアンシンカブルの距離は更に縮まり、大きく一歩踏み込めばその刃がアンシンカブルの首へと届くほどの近さになった。

 両者、まだ攻撃を仕掛けない。アンシンカブルに至ってはそのそぶりさえも見られない。霞の構えの翠嵐は袈裟に斬るのか、横に斬るのか、それとも真っ向切りか……。


 そのとき、翠嵐、攻撃開始! 半身を入れ替えるようにして右足前に踏み込み、斬りかかった。第一手、袈裟切りを選択! ――――が

 翠嵐の袈裟切り刃は確かに巨人の首を捉えた。体重も乗り、刀を持つ手はきちんと絞られ、常人はおろか、馬の首さえ落せるほどの一撃であった。

 だが、効かない。オレンジ色のエーテルフィールドが割って入り全く動かない。翠嵐にとっては未来予測と寸分違わぬ結果であり驚きこそ無いものの、生半可な硬化能力者の防御力を上回るほどの装甲を実際前にして、城の城壁に斬りかかるような不毛ささえ感じた。


 翠嵐はふいに、相対する男のコードネームの意味を考えた。アンシンカブル、沈まぬ者を意味する……

 そう、不沈艦アンシンカブル……。



「どうした、早く攻撃してこい」

 巨木の如くそびえたつ2メートル越えの大男は微動だにせず、首にかかった刃をどかそうとさえしない。彼は腕組み直立し、翠嵐を見下ろしていた。


「……!」

 言われずとも翠嵐は次の攻撃に移る。一度距離を取ると、霞から青眼に構え直し、深い踏み込みと共に突いた。非常に精確な突きで、それはアンシンカブルの眼球を確実に狙っていた。


 推定命中率95%、失明には至らずとも怯ませられる可能性。これが最も上策であったが――――

 アンシンカブルはついに腕組みを解き、左腕で刺突を受けた。眼球で翠嵐全力の突きを受け止める事は、全く不可能でないにしろ、リスクのある行為だと判断したのだ。

 刃は……布きれ一枚さえない腕に全く刺さらない。翠嵐はその状態で力を籠め、後ろ足で地面を蹴るようにして踏み込んだ。

「ヌウウゥゥゥゥゥ……!」

「フーッ……!」

 互いに唸るようにして押し合う、アンシンカブルの腕が押し込まれ、体が崩れそうになった。しかし彼が押し負けかけた左腕の拳の上に右手を乗せ、蒸気のような白い息を吐きながら踏み込むと形勢はあっという間に逆転。それでも翠嵐の突きの姿勢は崩れなかったが、馬力負けして後方へと押されてゆく、二人のパワーに甲板を覆う木材が根負けし、翠嵐が一歩押し込まれるたびにガリガリと床は削れていく。


「ムン!」

 純パワー強化型にも比肩するほどの圧倒的腕力が翠嵐の突きをついに弾き返した。翠嵐は素早く構えを立て直し、上段の構えを作る。


 突きを凌いだアンシンカブルはやや前傾姿勢、軽く開いた両の手のひらをこちらに向けるような構えを見せた。それまでの無抵抗に近い腕組み直立不動姿勢とは明らかに一線を画す構えは、アンシンカブルが翠嵐をようやく「敵」として認め、戦闘態勢へ移行した事実を意味していた……。


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