32 ~想いを取り戻せ!~

◎◎



「取り戻せ信田葛葉! それまでの時間は、私が稼ごう!」


 もはや人間とは思えない雄たけびをあげながら、獰猛に襲い掛かる係長だったものの拳。

 それを黒衣の男性は体操選手のようなアクロバティックな動きで避けつつ、あたしに向かってげきを飛ばす。

 彼の手が地面を、壁を、ときには配管などを叩き、そのたびに青い燐光が舞い踊る。

 鬼の背後では、道満と呼ばれた彼女が、焦れたように歯噛みをしていた。


 でも、そんなすべてはどうでもよかった。

 だって、あたしの手の中には。

 そこに、あったものは――


「かん、ざし……?」


 精緻な紋様が彫られた、一つのかんざし。

 放射状の、太陽を現す衣装が凝らされたそれがいま、あたしの手の中で、淡い輝きを放っているのだ。

 なかったはずのものが、そこにあるのだ。

 違う。

 わかる。

 そうだ。



 



 取り戻す。

 思い出す。


 すべてを――あたしが、やるべきことを!


 無自覚に握り締めたかんざしから湧き上がるのは、ぬくもりと勇気!

 いまなお眼前で繰り広げられる異形の闘争のさなか、あたしは、叫んだ。


「蘆屋道満!」


 その瞳を炯々と燃やす怪人の名を、あたしは呼ぶ。

 苦々しげに、足谷一颯だったものが――否、蘆屋道満が吐き捨てる。


「取り戻したか、やはり神秘が薄いとはいえ人の世が続く限り天照の加護は残るというのか。ええいそれとも、それとも亡霊が笛もかなでぬのにしゃしゃり出て来たゆえなのか――


 なにを意味不明なことを口にしているのか、知らないけれども。


「蘆屋道満! あたしを、もどしなさい!」

「なんじゃと?」

「もどして」


 あたしを。

 あの時代に。

 あの場所に。



「平安時代に――!」



「――ッ!!」


 その刹那に、一颯だったものが浮かべた表情はわすれない。

 怨念、憎悪、恩讐、害意、悪意、そして――憧憬どうけい

 醜く歪んだかおから滲む、一抹の安らぎ。

 道満は――嗤った。


「帰してときたか、この時代の人間が。くっ、くっくっくっ……だが、はいそうですかと応じるほど儂は、安く――ないわ!」

「故に、私がいる!」


 跳躍。

 黒衣の男性が飛燕のように跳ねた。

 そのまま、いまだ暴走を続けていた久沓係長の頭に掌底を叩きこみ、


赦魔しゃま――調伏ちょうぶく!」


 印を結び一息に言葉を吐きだす。

 それに励起されたのか、まったく同じタイミングで路地の至るところが発光をはじめ、そして――あたしは見た。

 輝くすべての場所に、札が張られていたことを。

 彼が先程まで触れ続けていたあらゆる箇所に、鬼と化した係長の頭部からも、光の帯が伸びていることを!


「五点を結ぶ光、地上にて輝ける星辰ほし! やはり、やはりぬしは――」

「ふっ、この時代でしか許されぬ、本来の私には無いちからさ――さあ、道満。現世の道満よ。おまえは此処で、私とともに、光へけろ!」


 彼の言葉とともに、光が広がる。

 それは苛烈な炎や、道満の瞳に燈るような怨嗟ではなく、やさしい、ぬくもりに満ちた輝きで――

 融ける。

 係長の身体が、光に融ける。


『し、これで、しねる……ありが、ありが、と、――』


 流れる涙の意味を変えて、彼は融けて消える。


「くっ! ここは、退く。いまのみはしりぞく! だが、だがもはや、ぬしがを守ることは出来んぞ! 時を超える術など、本来外法! 肉体をとうに失い、魂だけとなったぬしでもこれほどの術を使えば――そうよ、次こそは、儂の勝ちよ! なにせ、なにせ信田葛葉の肉体は、いまだ我が手中に――」


 そんな台詞とともに、道満は姿を消す。

 光には溶けず、闇のなかへ。

 そして。

 そして、あたしの目の前で、黒衣の彼は。


「……道満のたくらみを阻むためには、この機会を狙うしかなかった。沖津島姫おきつしまひめの振袖。多岐都姫たぎつひめの金の烏帽子。そして、挟代姫さよりひめのかんざし。それらは天照のみこあかしだ。君たちの、未来を照らす光だ。ただただ、おのれの欲望のためにすべてを奪おうとする道満に、渡してはならないものなのだ」

「道満は、どうしてこんなことを?」

「平安の世では、君をまもる天照の神秘が強すぎた。だから、その守りの届かない未来へと君を送還した」

「それなら、あたしなんて元から呼び寄せなければ――」

「道満が恐れたのは君ではない。君たちがいずれ築き上げる未来だ。だから、彼奴は傲慢にも、君が天照の覡に選ばれるように仕組んだ。そうしなければ、〝天照との径脈が結ばれた君〟という器が手に入らず、彼奴の野望が成就しないが故に」

「その野望って」


 そこから先を訊こうとしたあたしに、彼は右手を突き出し、それ以上の言葉を遮った。

 そうして、告げる。


「もはや、刻限がない。選べ、信田葛葉。このまま未来にとどまるか、それとも平安の世へと舞い戻るか」


 二つに一つ。

 前者を選べば安穏が、後者を選べば艱難辛苦が約束されると、彼は、そう言って。


「平安時代に、帰してください」


 あたしは、一瞬すらも迷わなかった。

 父さん、母さん、会社の皆さん、その他もろもろ。

 恩返しも出来ずにごめんなさい。

 でも、あたしは。

 あたしは!



「保名さんの、そばにいたいから!」



 その言葉に、黒衣の彼は頷いた。

 そうして、慣れた動作で懐から札を一枚取り出す。


「すべてが終わったら、加茂さまと大江景麟を頼るといい。彼らは、とても優秀だ。それから。それからね、健気な娘よ――」














































 ――息子やすなを、よろしく頼む。





 それが、彼の最期の言葉。

 それを最後に、あたしの意識は再び光の中に消える。

 すべてが眩しい輝きに消え入る瞬間、一陣の風が吹いて、黒衣の彼の顔を隠す紗幕が、ほんの僅かに浮き上がった。

 その下にあった顔は――



「はい!」



 あたしの良く知る、ひとりの陰陽師によく――これ以上なく、よく似ていた。



 閃光が、はじける。















 あたしは――闇の中で目を、ました。

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