10 ~おいしいご飯と、ふたつの告白~

◎◎



「よし、やるか――」


 あたしは、腰巻(しびらだつもの、と呼ばれるスカートのようなものだ)を引き締め、ふっと息を吐いた。

 背後の台の上には、たくさんの食材が積まれている。

 今回の一件を穏便におさめたことに対する、表向きは在雅さんからの――そしてそのにいる人物からの、報酬だった。



◎◎



「ああ……今宵は、楽しい宴になりそうだ」


 片膝を立てて、縁に座る彼は、一緒に贈られてきたお酒を手酌で注ぎつつ、いつもの、あるかなしかの微笑みをたたえている。

 ただ、心なしかその瞳には光が灯り、常にある厭世的な色は鳴りを潜めているようで。

 どこか、子どもの無邪気さにも似た、おさえきれないわくわくが輝いているようでもあった。

 そんな彼――保名さんの前に、あたしは苦笑しながら料理を並べていく。

 川魚の塩焼きに、ひしおという、みそとしょうゆの中間のような調味料に漬けて臭みをとったヤマドリの照り焼き、野菜などの天ぷら、野菜の和え物、そして何より――


「日本人の心! お味噌汁!」


 そう、これが作りたかったんだ!

 醤自体がほとんど手に入らないし、照り焼きに使った水飴もそうだけど、とにかく材料が全くなくて断念していたソウルフード。

 それをあたしは、ようやく作ることが出来たのだ。


「おみそしる? はて、見たことのない汁ものだ」

「え? 保名さん、お味噌汁を知らないんですか!?」

「知るも、知らないも……古今、このような料理の文献は残っていないのですよ、信田姫。失礼ながら……本当に食べられますか?」


 あなたがどうしても料理をしたいというから、この場は譲りましたが大丈夫ですか?

 そんなことが保名さんの顔にはありありと書いてあった。

 失敬な!


「だ、出汁だって煎汁いろりですか? あのカツオに煮詰めた汁でとりましたし、味噌っぽいなにかもきちんと使いました! 味は、保証します!」

「……ちなみに、味見は?」


 あたしは、亜音速で顔を背けた。

 保名さんが形容しがたい表情で、ため息を吐き、手の中の盃を縁に置く。

 それから、ひと呼吸。

 覚悟を決めたように、彼は箸を取った。


「いろいろと、本当にいろいろと思うところはあるのです……が、冷めては美味しくないと、姫もさんざん仰いましたからね……ありがたく、戴くとしましょう」


 そう、それでいいのです!

 だから。

 それでは――


「「いただきます」」


 あたしたちは行儀よく手を合わせて、そうして料理に、手を付けたのだった。

 その味は……まあ、ご想像にお任せしようかと思う。

 強いて言うのなら、一点。



 それでもきっと、そのご飯はとてもありがたく、あたしたちの間に笑顔は絶えなかったから。



「「ごちそうさまでした!」」



 最後にはふたりで、そう言ったのだった。



◎◎



「月が、綺麗ですね」


 食事を片付けた縁側で。

 しんとした夜気に浸り、あたしたちは隣り合って腰掛けて、ゆっくりと、ゆったりと、ただただ静かな心持で、ふたりお酒を酌み交わしているのだった。

 見上げる月に見惚れつつ、初めて口にする平安のお酒は、少しだけ強く、少しだけ、甘い気がしていた。

 ポツリと、彼がつぶやく。


「そう、思われますか」

「保名さんは、違うんですか?」

「……はて」

「はて?」

「……目の前に、よほどうつくしいかたが、おりますので。比べることは、いささか失礼かと」

「――――」


 言葉に詰まる。

 火が出るように頬が熱を帯びるのがわかった。

 月から戻した視線の先で、彼の眼差しは、真っ直ぐにあたしを見詰めていたからだ。

 真剣な、どこまでも真剣で、優しい瞳。

 ドクンと、心臓が脈を打つ。


「えっと……いろいろ、ありましたね」

「はい。今回の一件、多くのことがありました。菅原途綱どのは、算道の秘奥を用いて、母君をもう一度この世に呼び戻そうとし、母君はそれにこたえ、我が子へと解を与えられた。問題は、あの衣が尋常な代物ではなかったことと、そも、あの秘術が、彼自ら解き明かしたものにしては胡乱うろんであったこと。そうして竜笛のを奏でたのが誰であるかという――」

「いえ、そうじゃなくって」

「?」


 不思議そうな顔をする彼に、あたしはちょっとだけ言いよどむようにして、尋ねる。


「保名さんは、あなたは。あたしのこと……変な女だって、思ってますか?」

「…………」

「おかしなやつだって、思ってるでしょ?」

「いえ、それは――」

「告白したいことが、あるんです」


 困ったような顔をする彼の、その言葉を遮る形で、あたしは言った。

 意を決して。

 真っ直ぐに彼を見て。


「あたしは――未来から来たんです」


 告げた。

 告げてしまった。

 言いだせなかったこと、蟠っていたこと。それをあたしは口にして。

 そして、すべては此処ここから始まるのだ。


「では、私からも、ひとつ」


 保名さんが、見たこともない表情であたしを見る。

 精悍で、だけれど愁いを帯びた、ひたすらに真っ直ぐな眼差しで。

 目の前の男性は、目の前のあたしに。

 真摯な言葉を、ひたすら愚直に、投げかけたのだ。


「告白します信田姫――いえ」


 




































「私の子を、産んではくれませんか――?」







◎◎



 そう、すべては。

 すべてはこの瞬間から、はじまるのだ。

 あたしと彼の、どうしようもない恋愛譚ロマンシアは――月のきれいなこの夜に、静かに、とても静かに、始まりを、告げたのだった。

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