5.『HEAVEN』発足

 澤田君に言われたとおり、放課後もう一度例の部屋の前に立って、私は大きく深呼吸した。

 意を決してノックすると、「どうぞ」と中から声がかかる。

 

(繭香だ!)

 そう思っただけなのに、あの眼力を思い出して、私の心臓は飛び上がった。

 

 恐る恐る扉を開けてみると、朝と同じように繭香は部屋の真ん中の席に座って、扉のほうを真っ直ぐに見ている。

 私の顔を見て、「ああ」というふうに、少しその眼力が弱まった。

 

(良かった……)

 私は胸を撫で下ろした。

 クスクスクスと笑いながら美千瑠ちゃんが私の手を引いて、部屋の中に招き入れてくれる。

「良かった。来てくれたのね」

 

 そして、朝はこの部屋にいなかった新しい顔に、私を紹介してくれる。

「こちら近藤琴美ちゃん。最後の一人よ」

 

「へええ」

 感心したように私の頭のてっぺんから足先までを眺めているのは、ショートカットの快活そうな女の子だ。

 椅子から立ち上がり、私の前まで来て、さっと右手をさし出す。

 

「あたしは、古賀夏姫。よろしくね」

 そのいかにも体育会系そうなサバサバした態度に、私は自分のクラスの子たちにはないものを感じて、嬉しかった。

 

「こちらこそよろしく」

 手を握り返した私に向かい、おもいきり笑った顔が、輝く瞳と白い歯でまるで歯磨き粉のCMのようだ。

 爽やかさ全開。

 とても好印象だった。

 

(うん、友達になれそう!)

 私の直感は、けっこう当たる。

 

 続いて紹介されたのは、背の高い男の子だった。

「俺は瀬川玲二。夏姫と同じD組だよ。サッカー部」

 しかし彼は、自己紹介が終わらないうちに真っ赤になり、私から目を逸らしてしまう。

 

(えっ? もしかして私に気がある?)

 思わず誤解してしまいそうな場面だが、この手の男の子には、私は免疫がある。

 

(きっと女の子の顔を真っ直ぐ見るのも照れくさいんだよね……渉もつきあい始めの頃はそうだったなあ……)

 感慨深く思い出したりすると、チクリと胸が痛む。

 私はカラ元気を駆使して、「よろしく瀬川君」と彼に笑いかけた。

 ――その途端。

 

「だめだめ。だめよう琴美ちゃん。……ここの中ではみんな名前で呼びあうのよ?」

 背後から妙に妖艶な声がかかった。

 ふり返ってみると、(どう考えてもフルメイクでしょ!)と心の中で突っ込みを入れずにはいられない、真っ赤な唇の美女が、肘掛け付きの椅子に、しゃなりと腰掛けている。

 

(このいい匂いって……もしかして香水?)

 思わず後退りしそうになった私に、その美女は、二倍ぐらいに増量されたまつ毛をバサバサと瞬かせながら、ググッと顔を近づける。

 

「私は水沢可憐。二年F組。か・れ・んって呼んでねぇ……」

 艶のある声でお願いされて、同姓ながらどきどきする。

 なんという美人。

 なんというプロポーション。

 とても自分と同じ年とは思えない。

 

「う、うん。よろしく」

 気圧されてしまった私の手を引き、もう一度美千瑠ちゃんが今朝私が選んだ席まで連れて行ってくれた。

 

「これでだいたい自己紹介は終わったかしら……?」

 言いながら首を傾げて部屋の中を見回す。

 私もつられてみんなの顔を見ながら、それぞれの名前を確認した。

 

(美千瑠ちゃんに、繭香。それから夏姫、順平君。玲二君に可憐さん。澤田君は……剛毅だったっけ?)

 可憐さんに言われたとおり、律儀に名前で呼ぶように努力しながら、記憶を辿る。

 朝と同じように左奥の窓のところで寄り添っている二人の姿も確認した。

 

(本を読んでいる男の子が、智史君。眠っている女の子が、うららちゃん!)

 部屋にいる全員を確認し終わって、誰にともなく胸を張った。

(どうよ! この記憶力!)

 

 しかしよくよく数えてみると人数があわない。

(今ここにいない芳村君を足しても、言われてた十二人には一人足りないんですけど?)

 私の心の声が聞こえたかのように、繭香が返事をくれた。

 

「あと一人なら、今、貴人が呼びに行っている」

「ひぇっ! ……そ、そう……」

 突然声をかけられて、相槌よりも先に悲鳴が口から飛び出てしまう。

 それにしてもどうしてこう毎回、私の考えていることが繭香には筒抜けなのだろう。

 

(あなたって超能力者なの……?)

 内心は問いかけたい気分だったけど、彼女にはなんだか他人を寄せつけない雰囲気がある。

 私はおとなしく自分の椅子に座り、全員が揃うのを待つことにした。

 

 間もなくして、遠くから何人かの人が走ってくる音と、芳村君のあの屈託のない笑い声が聞こえてきた。

 

(……また笑ってる)

 そう思うだけで、自分の頬まで緩んでくるから不思議だ。

 芳村君の極上の笑顔を思い出し、温かな気持ちになっていたまさにその時、笑顔も凍りつくような人物が、彼と一緒に部屋に駆けこんできた。

 

(げえっ、勝浦諒!)

 バッチリ目があった私の顔を確認するなり、勝浦諒はクルッと回れ右をして、今来た道をひき返そうとした。

 

「こら! どこ行くんだ諒?」

 頭一つ分も背が高い芳村君に捕まり、しぶしぶ部屋の中には入って来たけれども、あからさまに私からは顔を背けている。

 

「勝浦諒だよ。最後の一人。もしかして知ってる?」

 よほどやつを見る私の顔に、険しい色が浮かんでいたのだろう。

 芳村君は珍しく怪訝そうな表情で、私の顔をのぞきこむ。

 

 私は慌てて、「同じクラスだから……!」と答えた。

 その途端、そっぽを向いていた勝浦諒がふり返り、私の顔をまじまじと見る。

 

「な、何よ……!」

 いつになく真顔で見つめられ、不覚にもドキドキする。

(こんなに性格悪いのに、なんであんたはそんなに可愛い顔してるのよ!)

 

 長めの前髪の間から見え隠れする黒い宝石のような瞳を睨み返しながら、今までずっと心の中で思っていたことを、今日もひとり毒づいた。

 その時、スッと私の耳に顔を寄せて、勝浦諒が囁いた。

 

「お前……教室で俺に怒鳴る時と、声が一オクターブ違うぞ?」

 ニヤッと笑った顔を見て頭に血が上り、つい握りしめたこぶしでおもいっきり殴りつけてしまう。

 瞬間――凍りついた芳村君の笑顔と、部屋の空気。

 

(あああ、どうしよう! つい、やっちゃった!)

 頭を抱えて逃げ出してしまいそうになった私を、次の瞬間、みんなの大爆笑が包みこんだ。

 

「すっげえ、琴美!」

 順平君の叫びにつられて、私はみんなの顔を見回した。

 

(みんな笑ってる……芳村君も順平君も……美千瑠ちゃんも、玲二君も、智史君も剛毅も、可憐さんも夏姫も……あの繭香まで!)



 

 みんながとりあえず落ち着くのを待ってから、美千瑠ちゃんが改めてお茶を淹れてくれ、そのマグカップを片手に、私はもう一度自分の席についた。

 順平君が、あまりに笑いすぎて浮かんだ涙を拭き拭き、語ってくれるには――。

 

「俺、初めて見たよ……諒を殴った奴。しかも女の子! しかも、こぶし!」

 言いながらまた笑いが甦ってきたのか、笑い出してしまった順平君に代わって、玲二君が続ける。

 

「諒は口が悪いからね……正直言い過ぎだろうって、俺だって思う時もあるんだけど……」

 言いにくそうに言葉を濁すと、その後を可憐さんが引き受ける。

 

「注意するとすぐに拗ねていなくなっちゃうから、みんな、扱いに困ってたのよね。でもこれでもう大丈夫ね」

 なんの躊躇もない、身も蓋もない言い方だった。

 

(ふーん、そうなんだ……なあんだ。やっぱり性格に問題ありで、みんなを困らせてるんじゃない……!)

 私の非難をこめた視線に、「ふん」とばかりに鼻を鳴らして、勝浦諒は肩を竦める。

 

「いいお目つけ役ができたじゃないか……」

 剛毅に言われて、何か言い返そうと勝浦諒は口を開きかけたけれど、繭香に睨まれて、口を噤む。

 

「これで少しはおとなしくなるだろう……」

「……勝手にしろ」

 諦めたような呟きに、またみんなの大爆笑が起こった。

 

 誰よりも大きな声で笑っていた芳村君が、その大爆笑の中、なぜか私のところへやってくる。

 いつもの笑顔を崩さないまま、小さな声で尋ねてきた。

 

「諒とかなり親しいの?」

 私は誤解されては困ると、大慌てで首を横にぶんぶん振った。

 

「全然! もう全然っ! 腐れ縁で迷惑しているだけだから!」

 芳村君は花が開くようにニッコリ笑うと、少し頷いて、また向こうへ行ってしまった。

 

(えっ? ……今のって、どういうこと……?)

 ドキドキと心臓が早鐘のように鳴りだす。

 顔がボッと赤くなっていくのが自分でもわかる。

 そんなところをジーッと見られている視線を感じて、見返してみれば勝浦諒だった。

 

 途端に、眉間にしわが寄り、険しい顔になっていくのがこれまた自分でもよくわかる。

 そんな私の様子を、チラリと横目に見ながら、勝浦諒は思いがけずニコリと笑った。

「な、何よ」

 

 反射的に何か言い返さずにはいられない私を見ながら、しれっと言ってのける。

「いや。ものすごい百面相だと思って……」

 

 その直後、私は本日二回目のこぶしを勝浦諒にお見舞いしたんだけど、今度は当の本人までみんなと一緒になって大笑いした。

 今まで見たこともなかったその無邪気な笑顔に、私はびっくりして、不覚にも「うっわ……可愛い……」と思ってしまった。

 

 本当に、一生の不覚だった。



 

 ひとしきりみんなでお腹を抱えて笑った後、女の子のように可愛い顔をした美少年の智史くんが、私に言った。

 

「可憐さんの言ったとおりです……僕たちはみんな名前で呼びあうことにしてる。だからきみも遠慮なくそうして……?」

 私は承知の意味で頷いたけれど、ふとあることに思い当たる。

 

(え? それってひょっとして……芳村君のことも名前で呼べってこと……?)

 そう考えると、頭に血が上ってクラクラしそうだった。

 そんな私をしたり顔で笑っている勝浦諒だって、もちろん名前で呼びたくなんかない。

 

「でも、やっぱり……」

 名前の呼びあいは辞退しようかと口を開きかけたけれど、背後からの繭香の射るような視線に気がついた。

 だから慌てて口を噤む。

 

(どうやらみんなもそう思ってるみたいだけど……私だって……繭香にだけは逆らったらいけないってわかる!)

 

 そんな思いを知ってか知らずか、当の繭香は隣に座る芳村君に、顎で指示を出す。

「とにかく、こうして全員が揃ったんだ。早く済ませろ」

「ああ、そうだね」

 

 芳村君も頷き、すっくとその場に立ち上がった。

「みんなそれぞれに部活なんかで忙しいし、全員揃うのはなかなかできないと思うから、今のうちに俺たちの団結式をおこないたいと思う」

 

(団結式?)

 私は首を傾げようとしたけど、笑みを浮かべながら一人一人の顔を見つめる貴人(だってみんながそう呼べって言うんだもん仕方ないじゃない!)と目があったら、まあいいかと思ってしまった。

 それぐらい貴人は威厳に満ちていて、表情も輝いていて「カリスマ性ってこういうことを言うんだろうな」としみじみ思うくらい、人を惹きつける魅力に溢れている。

 

「会長、芳村貴人」

 ものものしく宣言して、貴人が差し出した大きな手の上に、繭香が小さな手を重ねる。

 

「副会長、藤枝繭香」

 その上に諒が(しつこいようだけど、みんながそう呼べって言うから仕方ないのよ!)手を重ねる。

 

「書記、勝浦諒」

 そしてその手の上に、みんなの視線に促されて私が手を重ねた。

 

「会計、近藤琴美」

 その上には、剛毅の大きくてごっつい手。

 

「体育部長、澤田剛毅」

 その上には、夏姫の生き生きとした健康そうな手。

 

「体育副部長、古賀夏姫」

 そして、いつの間に起きてたんだろうか。(というか、起きてるところを初めて見た!)うららの細くて白い手。

 

「文化部長、高橋うらら」

 その上に、智史君の繊細そうな指の長い手。

 

「文化副部長、松山智史」

 それから、玲二君のスポーツマンらしい日に焼けた手。

 

「体育祭実行委員長、瀬川玲二」

 それとは対照的な、美千瑠ちゃんの華奢な白い手。

 

「文化祭実行委員長、杉原美千瑠」

 待ってましたとばかりに手を重ねた、順平君の指輪をつけた手。

 

「新入生歓迎会責任者、中山順平」

 そして最後に、可憐さんの綺麗にマニキュアの塗られた手。

 

「交流会責任者、水沢可憐」

 そうして全員の手が重なったところで、貴人がまたもう一度みんなの顔を見渡した。

 

「生徒会としての愛称も、もう決めてある。『HEAVEN』。天国だよ。俺たちの力で、星颯学園を天国みたいな場所にしよう!」

 他の人が言うと笑ってしまいそうな言葉も、貴人の口から出てくると、なんだか楽しげで、たまらなくドキドキする。

 

「まずは、生徒会選挙! そこで勝てなきゃ話にならない。ぜひとも当選するようにみんなで力をあわせて頑張る。みんなよろしく!」

 貴人の言葉に、みんなで一斉に「おう!」とかけ声をかけた。

 

 もちろん私も、らしもなく、誰よりも大きな声を出した。

 胸の痛みなんてどこかに飛んでいってしまうような、ドキドキワクワクの毎日が、これから始まるような――そんな気がした。

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