3.個性的な面子


 中庭から特別棟に入って四階までの階段をいっきに駆け上がり、そのさらに一番奥の部屋の前まで来て、ようやく芳村君は足を止めてくれた。

 

 でも私はすでに虫の息――。

 それはそうだ。

 毎日何がしかのスポーツで体を動かしている人と、体育以外では走ったこともない、年中、本を読んでるか、勉強しているかの私が、同じスピードでなんか走れるわけがない。

 

「……大丈夫?」

 あまり息の切れた様子もなく、汗一つない涼しい顔で私を見下ろす芳村君に、私は声も出せず何度も無言で首を横に振る。

 

「ふっ、ふう……はあ……は……」

 ようやく息を整えて、肩で息をしながら、非難がましく彼の顔を見上げた。

 

「大丈夫……なわけないでしょ!」

 芳村君は綺麗な目を細めて、肩を揺すって大笑いする。

 

「ははは……でもこういう時はたいていさ。たとえ嘘でも『大丈夫です』って言うよね?」

 否定的な言葉とは裏腹に、芳村君の声はどこか友好的だ。

 でも私はむっとしながら言い返した。

「嘘は……嫌いなのよっ……!」

 

 言ってから後悔した。

(嘘つき。ほんのついさっき、渉に嘘をついて、見栄張ったのは誰よ……!)

 

 でも芳村君に語ったのは、私の信条だ。

 私は昔から嘘が大嫌いで、自分を守るような言葉も嫌いだった。

 まるで女の子らしくないさっぱりしすぎな性格で、敬遠する人も多かったが、渉はそんなところが好きだと言ってくれた。

 

(でもあの日から、その渉相手に自分を偽らないといけなくなった……)

 それが何より辛い。


 うつむいて唇をかみ締めていると、目の前の扉の向こうから声がした。

「貴人か? 帰ってきたんだったら、さっさと入ってこい!」

 

 やけに強気な女の子のものらしき声が響き、芳村君はいたずらっぽく私に眉を片方上げてみせ、それからもったいぶった動作でその部屋の扉を開けた。

 

 大きな背中越しにのぞきこんだ部屋の中では、何人かの人が、思い思いに立ったり座ったりしていた。

 

 その中の一人――黒目がちな大きな目をした小柄な女の子が、部屋の中央に置かれた椅子に座り、真正面から私をじっと見ている。

 日本人形みたいな長い黒髪の、おそろしく綺麗な子だった。

 

「どうだ? 私の言ったとおりだっただろう?」

 

 彼女がどうやらさっきの声の主らしい。

 あくまでも目線は私から離さないその子に向かって、芳村君は仰々しく頭を下げる。

 

「はい。確かに繭香姫の仰せのとおりでありました」

 

 ずっと私を凝視していた女の子が、ようやく視線を芳村君に移した。

「馬鹿者!」

 

 一喝と共にそのまま芳村君を睨みはじめ、私は絡めとられるような視線からようやく開放されて、やっと息が出来るようになった気がした。

 

(すっごい眼力! まさに蛇に睨まれた蛙の気分だった……)

 

 私の心の声が聞こえたかのように、クスクスクスと近くで笑い声がする。

 何気なくそっちを見てみると、ふわふわの長い髪をした色素の薄い美少女が、私を見てニコニコと微笑んでいた。

 

(お……お人形⁉)

 思わず目をみはらずにはいられないその美貌――。

 陶器を思わせる白い肌に、長い睫毛に覆われた茶色い瞳。

 薄い色の長い髪は、華奢な体を包みこむように、腰のあたりまでの長さがある。

 つんと小さな鼻に、見事に色づけしたようなピンク色の唇。

 

(すっごい美少女だわ!)

 感嘆のため息を吐きながら、私は改めて部屋の中を見回した。

 

 小会議室ほどの広さの日当たりのいい部屋に、無秩序に机と椅子が並べられている。

 

 正面にさっきの黒髪・黒目の凄い眼力の女の子が座っており、その隣に、体育会系ぽい男の子が、大きな体をもてあまし気味に座っている。

 

 左の窓際では、開けっ放しの窓に頭を持たれかけた状態で、やけに色白で線の細い女の子が眠っていた。

 その隣で本を読んでいた男の子は、私と目があった瞬間、はにかみながらもニッコリ笑ってくれる。

 窓から差しこむ光の中、うす茶色の髪がサラリと揺れて、大きな瞳はまるでビー玉みたいにキラキラしていた。

 

(え、絵に描いたような美少年……!)

 

 部屋の右奥ではやんちゃそうな印象の男の子が、背もたれを抱くような格好で椅子に逆向きに座り、興味津々といった顔で私を見ている。

 そして入り口の近くには、さっきの美少女――。

 

(これっていったいなんの集まりなの……?)

 

 思わず隣に立つ芳村君の顔を見上げると、まるで私の疑問を察したかのように、笑いながら部屋の中へと押し出してくれた。

「どうぞ入って、近藤さん」

「え……?」

 

 芳村君が私の名前を知っていたことにびっくりした。

 仮にも成績順位表の上位常連だったのだから、同じ学年の人には名前だけは有名かも知れないけど、その名前と私自身が結びつくのは、てっきり同じクラスの人たちぐらいだと思っていた。

 

 芳村君はちょっと得意そうに私の顔をのぞきこんでから、おもむろに部屋の中のみんなに向き直る。

 

「やっと見つけてきたよ。彼女が九月生まれの近藤琴美さん。みんなよろしく」

 

 ひゅうっと口笛を吹いて、椅子に反対向きに座っていた男の子が、ピョンと跳ねるように立ち上がった。

「近藤琴美って……ひょっとしてあの、一組の学年トップスリー?」

 

 いつもなら自慢に思うその呼称が、今は辛かった。

 だって今回の私の成績は、トップスリーどころか学年五十位以内にも入っていない。

 

 そんな気持ちを知ってか知らずか、制服をすっかり自分流にアレンジしてしまっている派手な髪型のその男の子は、真っ直ぐに私に近づいてくる。

 すぐ目の前まで来てから、いかにも人懐っこそうにニカッと笑った。

 

「俺は、中山順平。2年F組。ヨロシクー」


 さし出された手を反射的に握り返しながらも、心の中では「F組だったら成績は学年でもビリに近いほうか……」と咄嗟に思ってしまう自分が、たまらなく嫌になる。

 (人をこんなふうにランクづけするなんて最低! ……これじゃあ渉に愛想つかされるのも無理はない……)

 

 自分で思い出しておいて、胸がギュッと痛くなった。

 私の沈黙をどんなふうに解釈したんだかわからないけど、中山順平というその男の子は、もう一度二カッと笑って、握りしめた私の手をぶんぶんと大きく上下に振る。

 

「順平って呼んでね。琴美ちゃん」

 思わず一歩引くような思いはあったけど、屈託の無い笑顔にはなんだか好感が持てた。

 

「わかった……よろしく順平君……」

 ぎこちない笑顔で笑い返すと、ふいにすぐ近くから、鈴を転がすような声がする。

 

「私は杉原美千瑠です。2年E組です」

 

 私の一番近くにいた美少女が、口を開いたのだった。

 可愛い子は声まで可愛いんだな、なんてことを再認識する。

 ふり返って見た笑顔は、まるで本物の天使みたいだった。

 

「よろしく」

 緊張気味に頭を下げると、続けて左の窓のほうからも声が上がる。

 

「僕は松山智史、C組です。こっちは高橋うらら。同じくC組……」

 中性的な優しい声で穏やかに話す美少年は、いつの間にか窓枠から自分の肩へと、寄りかかる場所を変えた女の子のぶんまで、自己紹介してくれる。

 見ているこっちのほうが赤面してしまうくらい、寄り添いあっているのが絵になる二人――。

 

「俺は、澤田剛毅。E組だ。ラグビー部」

 ぶっきらぼうな太い声は、正面に座っている体の大きな男の子。

 いかにも運動していますというような日に焼けた顔の中央で、こっちを睨むように見据えている鋭い目が、怖くないと言えば嘘になる。

 私はゴクリと唾を飲みこんだ。

 

「そして私は、藤枝繭香。二年B組」

 再び私に視線を定めた黒髪の女の子の眼力は、やっぱり凄まじいものがあった。

 

(なんだか……見つめられたら思わず、聞かれてもいないことまでペラペラと話しちゃいそう……)

 

 別にやましいことはないのに、見つめられるとドキドキする。

 緊張の思いでぎゅっとこぶしを握りしめた時、私をこの部屋に連れてきた張本人の芳村君が、改めて私に向き直った。

 

「そして俺は芳村貴人。B組だよ。ヨロシクね」

 首を傾げるようにして微笑みかけられ、私も「よろしく」と頷いた。

 

 ひととおりみんなの自己紹介が終わったらしいので、改めて部屋の中を見回してみる。


(よくもまあ……これだけ違うクラスの人間が集まったわ……)

 

 感心せずにはいられない。

 成績順にクラスが別れる以上、大きなメンバーの入れ替わりはあまりないし、この星颯学園では三年間をほとんど同じような人と同クラスで過ごすことになる。

 入学してから一年以上が過ぎた今でも、私は他のクラスの人なんてほとんど知らない。

 

(でも、これってどういう集りなんだろう……?)

 いぶかしく首を捻る私に、芳村君はまだ他にも4人もメンバーがいると告げてから、嬉しそうに笑う。

 

「近藤さんが入って、ようやく全員が揃うんだよ」

 でも私には、何のことだかさっぱりわからない。

 

「はあ……」

 その様子を見て、繭香と名乗った黒髪黒目の女の子が口を開いた。

 

「おい、まさか……どうしてここに連れてこられたのかわかっていないのか?」

 ズバリ見抜かれてしまったことにどきりとしながらも、私は素直に頷く。

 

「ええ……九月生まれがどうとか聞かれたけど、それがどんな意味があるのかもさっぱり……」

 正直に語ると、繭香は燃え上がらんばかりの目をして、芳村君を睨みつけた。

 

「貴人っ!」

 

 芳村君は笑顔を崩さず、そのまま彼女に向かって笑いかける。

「だってあんまり嬉しくて、見つけてすぐに連れてきちゃったんだ。だから近藤さんは、まだ何も知らないよ」

 

 まったく悪びれもしない様子に、順平君が「らしいや!」と叫んで大笑いを始め、体育会系の澤田君は大きなため息を吐く。

 美少年の松山君と美少女の美千瑠ちゃんは、静かに微笑んでいるだけ。

 しかし繭香の怒りは凄まじい。

 

「だったらすぐに説明しろ! 今すぐにしろ!」

 小柄な体に似あわず、凶悪犯でさえ竦みあがってしまいそうな怒鳴り声で言い放つ。

 

「ひっ!」

 私は思わず飛び上がったのに、芳村君はいまだに余裕の笑みを浮かべている。

 

「わかった」

 全然わかっているふうではないその態度に、繭香はますます怒りを大きくしているように見える。

 それなのに芳村君はいつまでも笑っている。

 私はたまらず、彼にずいっと詰め寄った。

 

「お願いだから早く説明して! できるだけ手短に、早く!」

 ぶっと順平君が吹き出し、芳村君もつられたように声を上げて笑い出す。

 この状況でまだ笑っていられる心境が、私にはまったく信じられない。

 繭香の怒りが恐ろしく、芳村君の腕をつかんで長身の体をぐらぐらと揺さぶった。

 

「笑ってないで早く!」

 芳村君はついに「ハハハハッ」とお腹を抱えて大笑いを始めたのだった。



 

 しばらくしてようやく笑いが治まったらしい芳村君は、涙を拭き拭き、私に椅子に座るようにと促した。

 どれでもいいということだったので、南向きの窓の下に置かれた椅子を選ぶと、また順平君がひゅうっと口笛を吹く。

「確かに琴美でまちがいないみたいだ。だって迷いもせずに最後の椅子に座るんだもん」

 

(……いきなり呼び捨て?)

 すかさず心の中で突っ込んだが、口には出さなかった。

 言ってしまえば話が脱線してしまいそうなことは、私にだって想像できる。

 それよりも今は、まったく理解していない話の本筋のほうを、最優先で聞かなければならない。

 

「……これが最後の椅子なの?」

 問いかけた私に、芳村君は力強く頷いた。

 

「うんそうだよ。他の十一人は、なんとなくもうこの部屋での自分の居場所が決まっている。それを避けて最後の一つを選んだんだから、確かに君は俺たちが捜していた最後の仲間に違いない。うん……俺もそうなんだと思う」

 

(それって……)

 私はただ単純に、一番、空がよく見えそうな場所を選んだだけだったのに、断言されると悪い気はしない。

『最後の仲間』とか『捜してた』なんて言われると、今は尚更――。

 運命なんて信じているほうじゃないけど、思わず信じてみたくなる。

 

(なんかまだよくわかんないけど……こんなに喜んでくれてるんだし、もうその『仲間』になっちゃえばいいんじゃない?)

 

 そう思いかけた時、それまでむっつりと口を噤んでいた澤田君がやっと口を開いた。

「じゃあとりあえずこれで、全ての役職が決まったな」

 

「……役職?」

 首を捻る私に、天使のような美千瑠ちゃんが例の鈴の転がるような声で、教えてくれる。

 

「琴美ちゃんは会計よ」

「……会計?」

 ますます眉間にしわが寄る私に、窓際の美少年――松山君が、ようやく話の核心部分の説明をしてくれた。

 

「僕たち、次期生徒会を目指してるんです。貴人を会長にして……」

「…………!」

 

 驚くべき答えに私が口を開くよりも先に、美千瑠ちゃんがにっこりと太鼓判を押す。

「会長は貴人で決まりよ。他の誰かなんて考えられないわ」

 

 澤田君がため息を吐きつつ同意した。

「自分と一緒に役員をして欲しい人間を集めてみたら、全員誕生月が違ったんで、面白がって全部の月を埋めようと必死になって探しまわった……そんな奴が会長でいいって、全校生徒が受け入れるんならな」

 非難めいたことを口にしてはいるが、呆れつつも支持しているふうだ。

 

 当の芳村君はと言うと、自慢げに胸を張る。

「最後にどうしても九月生まれが欲しくって、繭香に占ってもらったんだ。繭香の占いはよく当たる……言われた時間に、言われた場所に行ってみたら近藤さんに会えたんだから……九月生まれの琴美ちゃん。これからどうぞよろしく」

 極上の笑顔に誘われるように、差し出された右手をつい反射的に握り返してしまってから、はっとした。

 

「ちょ、ちょっと待って! 次期生徒会?」

 さすがにそこはしっかりと確認しておかなければと問いかけたのに、その瞬間、始業のベルが鳴り始める。

 それを耳にして、思わずまったく別のことを叫んでしまった。

 

「ちょっと嘘でしょ⁉ 私、遅刻なんてしたことないのに!」

 慌てて立ち上がる私に、順平君はまたひゅうっと口笛を吹く。

 澤田君は小さな低い声で、「さすが学年トップスリー」と呟いた。

 

 その呟きを耳で拾った瞬間、反射的に訂正の声が出てしまう。

「今回は違うから! 五十位以内にも入ってないから!」

 

 一瞬の沈黙の後――みんなは大爆笑した。


「律儀に訂正かよ……ははは」

「近藤さんて、結構面白い人なんですね」

「そこは言わせておけばいいのに……くくっ」

 

 穴があったら入りたいほどの恥ずかしさだったけど、みんなの笑顔を見ているうちに胸のつかえが下りるのを感じた。


(ああ……なんだ……テストの結果なんてこんなふうに笑い飛ばしてよかったんだ……そうだよね。それなのに私ったら、なんでこの世の終わりみたいな気持ちになってたんだろう)

 

 突然目の前の視界が開けたような気分だった。

 目から鱗が落ちるっていうのは、こういう状況のことを言うのかもしれない。

 正直、そこに集まっていたみんなに「ありがとう」と一人一人握手してまわりたいほどだったけど、私の性分では今はとにかく教室に急がなきゃ気がすまない。

 

(ここで遅刻なんてしたら、また周りになんて言われるか!)

 

 私は急いで教室へ向かって駆け出した。

 背後からみんなの笑い声に混じって、澤田君の「近藤! 放課後も来いよ!」という声が聞こえるけど、ふり返って返事はしなかった。

 

(ところであの人たちは、教室に帰らなくてもいいわけ……?)

 とりあえずそこに突っ込まずにはいられない。

 

 ふいに、走る私のすぐ隣に芳村君が現われた。

 ほんのさっきまであの部屋の真ん中で、誰よりも大きな声で笑っていたはずなのに、いつの間にか並んで走りながら、私の手を取る。

 

「琴美ちゃん、最高だよ!」

 とびきりの笑顔に、そんな状況じゃないというのに思わず私の頬も緩む。

 

「どうも……」

 来た時と同じように芳村君に手を引かれ、私は全速力で自分の教室までの道程を走った。

 

「これからよろしくね」

 息をするのもどうかという時に、そんなことを言うのは反則だと思う。

 ましてや、そんな魅力的な笑顔で笑いかけられたら,私じゃなくっても頷くしかない。

 

「は、い……っ……こちらこそ……よろしく……っ!」

 息を切らしながら必死で、私は答えを返した。

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