第24話 鵜2

警察官が逮捕しに現れた時、激しく反応したのは、鵜兎沼の両親だった。特に父親は、自分が頭取をしている銀行に、娘が強盗を働いた事実を受け入れる事が出来なかった。父親は最初、「娘はいない!」と、威厳をもって警察官を追い返そうとした。しかし警察官が合法的に行っている事、それを妨害する事は違反行為になる事、そしてそれは立派な犯罪で逮捕する理由になる事を順番に説明していくと、父親はみるみる内に青ざめていき、自分の威厳が安い鍍金だという事が、ばれてしまった。そしてついには、自分自身を守りたい為に、「私には、娘なんかいない!」と、言い放った。

その様子を奥から見ていた鵜兎沼本人は、銀行の制服に着替えて、やって来た警察官に自首した。その時、あたふたしている親に当て付けるように、

「私は、A銀行の鵜兎沼頭取の娘で、A銀行Z駅前支店出張所に勤務しております。」

と大声で言った。それに対して父親は、「知らぬ存ぜぬ」と、大きく動揺しながら言い続けた。その台詞を聞いた鵜兎沼は、ほくそ笑みながら、逮捕されていった。

雁刑事は、何故あの時、鵜兎沼がほくそ笑んだのか、取り調べの閑話休題として聞いてみた。鵜兎沼は、その時の笑みを浮かべながら答えた。

「私は、前々から親離れをしたかった。しかし両親、特に父親が、それを認めなかった。しかし逮捕されて、ようやくそれが叶った。だからつい嬉しくなって、笑ってしまったのですよ。」

鵜兎沼は、本当に嬉しそうに語った。そんな鵜兎沼を見て雁刑事は、悲しくなり、自然と泣きそうな表情になった。鵜兎沼は、何故そんな顔をするのか、雁刑事に質問した。

「ただ親離れする為だけに、強盗をするなんて、狂気だなと思って…まるで人形浄瑠璃や歌舞伎の八百屋のお七ではないか。」

そう言って雁刑事は、更に悲しくなった。しかし鵜兎沼が、「八百屋のお七というは、何ですか?」と言った為、一気にその気持ちが白けてしまった。雁刑事は、不粋な表情で、八百屋のお七を簡単に説明した。

「江戸時代、想い人に逢いたい一心で放火をした、八百屋の娘の悲恋を描いたお話だ。」

雁刑事はそう言って、話を本題の強盗事件の取り調べに移そうとしたが、鵜兎沼は喰いついてきた。

「そのお七さん、どうなったのですか?」

「火刑、つまり火炙りの刑に処されたよ。」

「…お七さん、どうして駆け落ちしなかったのですかね?」

急に鵜兎沼は、神妙な面持ちになって聞いてきた。雁刑事は、その面持ちに何か感じ取り、少し揺さぶりをかけてみた。

「…周りが見えていなかった結果だよ。強すぎる想いというのも、考えものだな。あっ、今気づいたんだが、強すぎる想いという点では、君と似ているね。」

「…そう、ですか?」

鵜兎沼は、少し動揺してしまった。確かに、お七にシンパシーは感じたが、心に響くほどの強さは無かった。その心情を、目の前の刑事に言い当てられてしまったからだ。その動揺を感じ取った雁刑事は、ここぞとばかりに、話を本題に戻そうとした。

「鵜兎沼さん、あの時、銀行内部で何があったのですか?」

そう言って、雁刑事は、鵜兎沼を見据えた。しかしそれは、雁刑事の戸惑いを隠す行為だった。鵜兎沼は、動揺の為か妖しい気配を醸し出していた。その気配に、少なからず雁刑事は、酔ってしまったからだ。雁刑事は、その気配は男性にとって危険なモノだと、直感した。

一方鵜兎沼は、雁刑事の心情を知ってか知らずか、あの時、銀行内部で告白された事を話した。

「鷹田という人が、鶏冠井先輩に『協力する代わりに、私が欲しい!』、と言いました。」

その話で雁刑事は、先程の直感が、確信に変わった。その確信が芽生えた為、雁刑事は、急に鵜兎沼が化け物に思えた。そして雁刑事は、恐る恐る「それで?」と聞いてみた。

「交換条件を突きつけました。『私を殺して、親元から自由にして欲しい』と。」

雁刑事は、怪訝な顔をした。鵜兎沼は、慌てて「言葉通りじゃないですよ。」、と注釈した。雁刑事は取り敢えず納得し、鵜兎沼に話の続きを促した。

「返事は、計画が終わってから聞く予定でした。けど、現在私達は、逮捕されてしまって、返事は聞かず終いですけどね。」

そう言って鵜兎沼は、微笑んだ。その微笑みに雁刑事は、寂しさを感じた。その事を鵜兎沼に告げると、鵜兎沼は、ハッとした。

「刑事さん、解りました。私、お七さんの寂しさに惹かれていたんですよ。ただ私…」

「『お七さんとは違う、そう思いたかった。』かな?」

鵜兎沼が言い切る前に、雁刑事が先に、鵜兎沼の台詞を言った。その行動に鵜兎沼は、驚きながらも腹もたった。しかし鵜兎沼が苦情を言う前に、雁刑事が話を続けた。

「鵜兎沼さん。あなたは、お七さんと同じだよ。自分の気持ちを満たす為に、他人の事なんか顧みない人だよ。」

鵜兎沼は、「違う!」と、力強く否定した。それに対して雁刑事は、鵜兎沼より力強く、「いいや、違わない!!」と、言い返した。その力強さに圧倒されて、鵜兎沼は、怖くなり泣きそうになった。雁刑事は、その流れの勢いに乗り、言葉を付け加えた。

「あなたは先程、『何故、お七さんは駆け落ちしなかったのか?』と私に聞いてきた。その台詞、そのままあなたに返しますよ。」

「駆け落ちなんて、相手もいないのに、どうしろと言うのですか?」

「だったら、台詞を変えますよ。『何故、あなたは、家出をしなかったのですか?』。」

「………」

鵜兎沼は、言葉を詰まらさせた。雁刑事は、鵜兎沼の言葉を待った。そうして取調室は、書記係の警察官が走らすペンの音だけしか聞こえなくなった。やがてその音も止み、とうとう静寂が、取調室を支配した。時折、窓から動物の鳴き声や扉の向こう側から足音や話し声が入ってきたが、取調室の静寂を打ち消す程ではなかった。

取調室が静かになって、雁刑事は、緊張感に苛まれた。自分が招いたとはいえ、この静けさは、耐えられなかった。雁刑事は、黙秘権が、好きではなかった。言葉尻に相手の考えや気持ちを察する術を身に付ていた雁刑事にとって黙秘権は、暗闇みたいなモノだった。だから雁刑事は、ただ待つしか出来なかった。

一方鵜兎沼は、静かになった事で、自分でも驚くほどに頭が冴え、心が落ち着いていた。その為、自分自身を見つめ直す事が出来た。変わらなかった部分。変わった部分。変えたい部分。変えてはいけない部分。それらの洗い出しを行って、これからの自分を思い描く事が出来た。

「刑事さん。」

ようやく鵜兎沼は、口を開いた。雁刑事は、内心安堵したかったが、鵜兎沼が、先程とは別人と思える程、芯がしっかりした人間の顔になっていたので、気を引き閉めて臨んだ。

「何ですか?、鵜兎沼さん。」

「刑事さんの言う通りですね。あんな小者の両親に対して、私は、どうして恐れていたのでしょうね。…本当、甘えん坊でした。お七さんの両親は、おそらく強い人だったんでしょうね。だからお七さんは、放火するしかなかった。しかし私の場合、両親に対して甘えていたから、家出をしなかった。両親に依存していたから、家出という発想すらなかった。……私は、両親の表面だけを見ていたから、両親の虚構を見抜けなかった。両親の虚構によって育てられたから、私も両親の虚構の一部になってしまい、そこから脱け出す考えが、抜け落ちていた。…全く刑事さんの言う通り、私は、甘えん坊でした。」

雁刑事は、素直に凄いと思った。これまで、何人もの容疑者の反省の弁を聞いたが、どれも上部だけの弁だと悟る事が出来た。しかし今聞いたモノは、しっかりと中身がある本当の反省だと、雁刑事は認識出来た。その為か雁刑事は、とても嬉しくなった。そしてその気持ちが、途切れない事を願いながら、鵜兎沼に「これからどうする?」、と質問してみた。

「まずは、罪を償います。裁判でどういう判決が下るか判りませんが、それをしっかり受け止めて、罪を償います。」

満足な回答だった。質問した方も回答した方も共に満足する回答だった。

それからの取り調べは、難なく進んだ。紳士的に尋問する雁刑事に対して、真摯な回答をする鵜兎沼。それはまるで、美しい自然現象のようだった。つがいの獣同士の呼び掛け合い、一定間隔で代わる日向と日陰、変わらないリズムで音を奏でる波と岩。そう思わせる程に、二人のやり取りは進んだ。

そして取り調べの最後に鵜兎沼は、雁刑事に深々と頭を下げた。雁刑事は、鵜兎沼に立派な敬礼をして返礼した。

こうして鵜兎沼の取り調べは、終わった。

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