眠り獅子サンダーボルト

ハヤテ丸β

01 眠れる獅子

 山道を馬車が行く。

 街から街へ。大陸における三大国家のひとつ、シャノワーレ王国内の二つの都市を行き交う定員十名ほどの乗り合い馬車が、舗装された山岳地帯をひた走る。

 乗り心地は悪くないだろう。馬二頭に引っ張られる箱馬車内の揺れは小さく、その快適さに寝息を立てる者も少なくない。


 この馬車の目的地、スランドールは、国内でも有数の絶景を誇るカフネ山の麓に位置する広大な街だ。

 山岳にあることも手伝い、生活に必要な消耗品や備品を豊富に取り揃えるこの街には、冒険者などが集まり景気を盛り立てる。

 恐らく、彼らもそうなのだろう。旅人らしき気風の人々が座席の大半を占め、スランドールへの到達を待ちわびているように見えた。

 例えば、最奥で寝息を立てる少女の隣に並んで座る男女。フードを目深にかぶって顔立ちは判然としないが、まだ十代半ばの年端もいかぬ様子ながら、ケープにリュックと歩き旅を想定した装いをしている。

 まとう雰囲気から旅は初めてなのだろうと知れた。スランドールで必要な身支度を整えるつもりなのだろう。


 ……しかし、それほどまでに発展し、人を呼ぶ街が存在しているということは、裏を返せば、中よりも外。その周辺地域こそが鬼門ということになる。

 もちろん運は絡む。そもそもこのシャノワーレ王国は魔術の盛んな国である。民間への戦闘系魔術の普及率は芳しくないと聞くが、それでも魔術という存在が脅威なのは変わらない。

 とて、確実性を求む。好き好んで何者とも知れない相手を襲うことはない。

 故に、そうなったら、そういうことだ。


「な、何だお前たちは!?」


 馬のいななきともに、御者の驚愕を隠さない声が前方から届き、馬車の走りが緩やかになる。

 ならば、後は停まるだけだ。

 御者が御者台から引きずり降ろされるような物音と、複数の乱雑な足音が馬車を取り囲む気配。

 その異常事態には乗客もざわつき、自身に危険が及ばないように身を縮こまらせるばかりだ。

 どうやらこの馬車は、絶望的に運がなかったらしい。

 乱暴に、箱馬車の扉が開かれた。

 盗賊のご登場である。


「全員、外に出ろ!」


 剣を片手にした筋骨隆々の男の低い声が車内に投げかけられる。

 拒否権は、ない。有無を言わせぬ声音と威圧感、にぶく光る刃が、乗客たちを次々と馬車から降ろさせていく。


 しかし、ただ一人。男に動じない者がいた。

 ……動じない、というか、今この馬車で起こっている事態に気が付いていないだけなのだが。


「おい、てめぇ。何をしている」


 その者はジャケットにジーンズという出で立ちの少女だった。

 たてがみを彷彿とさせるように荒々しいオレンジのポニーテールと、美しく精緻な意匠の施された黒いネックレスを首から下げていることが、特徴らしい特徴か。

 そう、箱馬車の最奥に座っていた少女である。


「……すー。すー」

「ね、寝てやがるのか?」


 彼女は、この状況にあっても、まるで何の危険も感じていないかのように健やかな寝息を立てて熟睡していた。

 信じられないものを見る目で男が呟くも、その少女は気付くことなく眠り続ける。


「起きろ!」


 男が少女の胸ぐらを掴みながら叫ぶ。

 それでも起きない。


「もう食べられないよ……」


 古典的な寝言まで飛び出す始末だ。


「……ふざけやがってぇ!」


 いくら揺さぶっても眠り続ける姿に、男が限界を迎えるのは早かった。

 怒りを隠すことなく、男は少女を引きずったまま馬車の外まで降りてくると、少女を力任せに投げ捨てた。

 乗客たちが 、その先にある想像に難くない結末に目を逸らす。当然である。寝ている少女に受身を取る術などない。

 そして、皆の想像通り、不運なる少女は痛ましく地面に叩きつけられてしまうーーということはなかった。


「な、何ッ!?」


 なんと少女は、大地に激突するその瞬間、鮮やかな受身で体勢を立て直すと軽やかに足から着地をしてみせたのだ。

 片膝を立て、まるで高所から飛び降りた後のような姿勢で周囲から驚愕の視線を向けられる少女。


「……すー。すー」


 そんな彼女は、この後に及んでもなお夢の中だった。

 恐ろしいまでの寝坊助ねぼすけである。


「そのまま永眠させてやる!」


 そんな奇異な、尋常ならざる存在を前にして真っ先に覚醒したのは、少女を投げた男だった。

 叫ぶや否や、片刃剣を振り上げる。

 そんな男の姿に驚いたのは盗賊仲間たちだった。

 周囲に展開する数十人の武装した男どもが、仲間の行動に制止の声を投げかける。


「待て、ゼルド! 殺すな!」

「情報と違う。だったら殺してもいいだろ!」


 だが、ゼルドと呼ばれた男が聞く耳を持つたない。一切の躊躇なく剣を降り下ろした。

 寝入った少女の顔へ、刃が走る。

 一ヶ所に集められていた他の乗客からも悲鳴が上がり、今度こそ確実であろう数瞬先の惨劇を、人々の脳裏を駆け巡らせる。

 すなわち、少女の死。

 まあ、端から見ればそう考えるのも、やむ無しか。


「は?」


 次の瞬間、山合の一角に響いたのは、金属と金属がぶつかるような、甲高い音だった。

 男の突きだした剣が、少女の顔を守るように広がった漆黒によって防がれた音である。

 それは、小さな盾。正確には、少女が首から下げたネックレスが伸び、形状を変化させたものであり、ーーというか、だ。

 改めて自己紹介をしておこう。

 私の名はマター。普段は少女のネックレスとして過ごし、ただただ周囲の状況に思案を巡らせているだけの、しがない謎の存在である。


『頭に来るのは理解できるが、こんなのでも女なのでな。すまないが、顔はやめてもらえるか?』

「な、何だ。この声どこから……」


 首から下げたネックレス改め、わたしの声に驚き、四方を確認するように視線を巡らせるゼルド。

 さすがに盾がしゃべったなどとは思わないらしい。

 まあ、実際に口があってしゃべっているわけではないし、男の声を発しているので、少女が起きてしゃべりだしたと勘違いされても困るのだがーー


『……そう、元はと言えばお前が寝すぎなせいだ、レオン。いい加減に、目を覚ませッ!』


 少しイラッとしたので強めに行く。

 変化させていた盾の一部をそのまま手の形に再変化させると、私は少女ーーレオン・アルテミオの額にデコピンを食らわせてやった。


「……ふぐぇ!?」


 間の抜けた声が、レオンの覚醒を報せてくれる。

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