Requiem of Black

浜能来

第1章

『ブラック、インバウンド。これより作戦を開始する。アイシャ、ベラは地形を盾にして援護射撃。クリス、ドリーが敵を殲滅する。エイミーは別命あるまで待機。以上だ』


「聞いた通りだ。各自、自分の銃に殺されないようにな」


 自分の銃に殺されないように、この軍では銃の補充がめったにないことに由来するジョークの一つだ。特に気に留めることなく、黒く塗装された愛銃を撫ぜる。長年使い続けたその塗装は所々剥げていた。

 小高い丘の斜面に預けた背に触れる地面は冷えていて、装備越しでも行軍の熱を冷ましてくれる。視線の先には、夜闇によって不気味さを強調された森がうっそうと広がり、しかし頭を伸ばして後ろを見れば、木の一つ足りとて生えてはいない。時折、森の木々を揺らしながら風がやってくる。


「おいおい。木が揺れたくらいでビビッてちゃ、この先オムツがいくつあっても足りねえぞ」

「ちげぇねぇ」

「オムツを替えてくれるあの可愛子ちゃんはいないんだぜ」

「ほんと、お前にはもったいない女だよ」

「し、しつこいですよ! いい加減にしてください!」


 相変わらずうるさいあいつらでも、新人の緊張をほぐすくらいの役には立つらしい。それはいいのだが、緩みすぎても困りものだ。


「そろそろ来るぞ。気引き締めとけ」

「小隊長さんのお言葉だ。ケツの穴まで引き締めとけよ!」

「大まで漏らしちゃいけねぇからな」

「なんで僕のほう見るんですか!」


 効果のほどがあったかは不明だが、今回はどうせ死ぬ奴も出ない。とりあえずの責任は果たしたことにして、自分も敵が来るであろう背後に意識を尖らせていく。

 何度も踏みしめられているこの野でも、雑草は生えていた。月明かりの照らす世界に似合わない土煙が、禿げあがったスラジャワ山脈を背景に迫ってくる。決して自然のものではない振動が、空気を、そして大地を揺らす。


「射撃用意!」

「おっしゃあ、ぶっ殺してやる!」


 スコープを覗いた先にいるやつらは、筋骨隆々で文字通りに黒々とした全裸の集団。四つん這いになって手足をせわしなく動かしつつ近づいてくる奴等は、人間の形を取っていながら頭と呼べる部位がない。頭部からもう一本の右腕が生えているのだ。三つの掌にはそれぞれ一つ眼があり、頭部の腕のそれが頭の代わりに視界を確保する。A型黒魔コクマ、今は見えないだけの腹部に開いた大口で、人類種の大半をその血肉に変えた存在。黄色く濁ったその目は、どこを見ているのかいまいちわからない。いつみても気色の悪いくそったれどもだ。


「うてぇ!」


 号令とともに、引き金を絞る。堰を切ったように、周囲からまばらな銃声の雨が降ってきた。

 支給されたこのスナイパーライフルは、連射が利かない。銃弾を湯水のように使う余裕は軍になく、この援護射撃の目的は精密狙撃にあるからだ。

 俺は冷静に先頭集団の眼球に狙いを定め、射貫く。硬い皮膚を持つ黒魔に対し、遠距離射撃を行う意義の唯一存在する部位が眼球だ。人間でいう頭部の視界をつぶされれば、奴等は両腕の掌に残された瞳のどちらかを前に向けるしかない。当然四つん這いでは進めなくなるから、速度差が生まれて集団に混乱ができる。そこを白兵戦部隊が叩く。

 サルでも知っている基本的対黒魔戦術だ。一匹、また一匹と俺の銃弾に視界を奪われていく。

 --少し本気を出しすぎたか。

 適度に手を抜きながら隊員の様子を確認する。


「うひゃ、うはは、うひゃひゃひゃ」

「死ね死ねしねシネェェェ!」


 ジャックにノリス。あいつらはどう見てもサル以下だ。目玉潰しであんなにハイになれるやつはいない。ヤクでもキメテいるんじゃないだろうか。


「うひぃぃぃ!」


 パーカー。あいつはサルじゃないが、チキンだ。スコープ越しなのに何を怖がるか。次回の出撃では白兵戦の担当が回ってくるはずだが、あいつはそこで生き残れるのか。


 まったく、どいつもこいつも役に立たない。ため息一つ、遠き彼方へと意識を戻す。

 再び覗くスコープの先で、白兵戦部隊が接敵していく。練度の低いものが、おびただしい鮮血を残して黒魔の腹に消えていく。その黒魔は一度立ち止まったかと思えば、急速に、不気味に、おぞましく、その体積をブクブクと膨れ上がらせ、細胞分裂のように二体の黒魔に分かれる。

 見慣れたその景色に心が動くことはない。発射した弾丸は、外れることなく外れていった。


 ◇◆◇


「勝利を祝し! そして死んでいった戦友たちを悼み! 乾杯!」


 それぞれがジョッキをかち合わせ、しかしその威勢のいい動きには見合わずちびちびと酒に口をつける。夏も過ぎ去ろうとしているこの時期、わずかに感じる夜の肌寒さを酒は誤魔化してくれる。

 もう何度目になるのかわからない対黒魔防衛線は勝利に終わり、部隊ごとに分かれた野営地では祝勝会が行われていた。静かな夜気の満ちる森林には月明かりすらわずかで、所々に焚かれた火がなければたちまち闇に飲まれてしまうだろう。


「いやー、しかしこの量はないっすよね、隊長!」

「俺たちの命はジョッキ一杯分かってんだ畜生め!」


 小隊メンバーの囲む揺らめく火を無心に眺めジョッキを傾けていた俺に、部下が話しかけてくる。


「どこが命懸けだ。援護の基本すら忘れて好き放題に……。飲めるだけいいだろう」

「そうはいいますけどぉ、隊長だって結構外してるでしょう!」

「なんでそれで毎度生き残ってんのか、疑わしいですなぁ!」

「うるさい。酒くらい、静かにたしなめ」


 ジャックとノリス、一種のバトルジャンキーで双子かと疑うほどに似ている。

 二十歳を過ぎて四年が経とうというのに、全く落ち着きというものを身に着けないスキンヘッドのゴリラども。頭はジャガイモのようにごつごつとして、親の仇討のため黒魔狩りに狂う姿を揶揄してクレイジーポテトと呼んだものもいた。

 いい加減静かになってほしいという俺の願いなど露知らず、彼らは能天気に笑っている。


「あっしら、まだガキなもんで」

「だよなぁ、新人!」

「はぁ……」


 そして、最近奴らの被害担当に抜擢されたのがパーカーだ。

 おそらく酒は初めてなのだろう。この前死体と交換で入ってきたばかりの彼は酒に口もつけず、身の置き場に困っている。別に筋肉がついていないわけではないのだが、あいつらに挟まれるとその白さも相まってもやしのようだ。


「相変わらずノリが悪いなぁ。で、どうだ?」

「どうとは……」

「どうってお前」

「そりゃぁお前」


 二人の声が被る。


「漏らしたかどうかに決まってんだろ」

「漏らしませんよ!」

「そうなのかぁ? 戦闘中も情けない声出してたじゃないか」

「ケイトォォってな。あれがお前の女の名前なんだろ」


 ケイトとは、二人の言う通りパーカーの女だ。若気の至りで彼女を孕ませてしまったらしい。彼女の両親は激怒した。最初は降ろそうという話になったが、彼女たっての希望で産むことに。代わりに金銭面の全額負担を要求されたパーカーには、肩代わりしてくれる両親がいなかった。貯えもなかった彼は、その養育費諸々を稼ぐべく軍隊に入ったそうだ。今回の作戦前夜に彼女の写真を見ていたパーカーは間抜けにもポテトヘッズにつかまり、洗いざらい吐かされているのを又聞きした。


「俺ぁてっきり本当にオムツ変えてほしくなったのかと」

「違いますよ……」


 手に負えなくなったパーカーが助けを求める視線をこちらによこす。

 パーカーには悪いが、三十路を通り越して四十路目前の俺にそいつら二匹は手に余る。すっと立ち上がり、ジョッキを煽りながらその場を後にする。


「ほどほどにしろよ」

「へっ、心配には及びませんよ。なっ、パーカー君!」


 一応声はかけておいたが、効果があったかは俺の知るところではない。


 野営地の外周、テントの合間に設置されたかがり火の光の届くギリギリの範囲を何となしに歩く。久々の酒に沸く内側の騒がしさに比べ、外側の静かさは不気味さしか感じない。

 森とはこんな薄気味の悪い場所だというのに、あいつはそれでも森が好きで、あの子も虫嫌いなくせに強がって好きと言っていた。酒のせいか、いらない記憶がよみがえってくる。

 その記憶を振り払うついでに、耳元でうるさい蚊を払う。蚊は、ふらふらと明かりの方へと飛んでいったようだ。

 その方向から、ちょうど手を打ち合わせるような音が響いた。


「払うなら、森のほうへ払ってくれよ」

「飛んで火にいる夏の虫って、聞いたことあるだろ。ほっといてもどうせ死にに来るさ」

「でも、俺たちは手を汚さなくていいだろう?」


 歩いてきたのは俺と同期であり、今は俺の小隊を含む中隊の隊長であるベネットだった。若いころは撫でつけられた金髪と甘いマスクを持ち、あとは背の高ささえあれば世の女という女を虜にできたであろう残念な奴だ。その甘いマスクも歳には勝てず、しかし渋みの増したその顔は新たな魅力を放っている。

 隣に並んだベネットは森の方へ視線をやりながら話を続ける。身長が175強しかない俺であっても10センチメートルの身長差があるベネットは、首が疲れるとかで、距離の近いものの顔をちゃんと見て話すことは稀だ。そんな彼に倣い、俺も淡いオレンジに照らされる葉を眺める。


「一人でグラス傾けて、寂しい奴だな」

「このジョッキのどこにグラスの風情があるんだ」

「そもそもグラスに風情はないんじゃないか」

「それもわからないとは、まだまだガキだな」

「ガキより階級の低いお前は赤ん坊か?」

「そういうのを気にしないのが大人だ」


 二人の会話はこんなくだらないものから始まるのが常であった。

 俺はお世辞にも愛想のいい人間とは言えず、たいして面白いことを言っているつもりもない。それなのに俺の隣でおかしそうにくつくつと笑うこいつが不思議でたまらない。今ではこの疑問も酒とともに流れてしまうのだが、今晩はそうもいかなかった。傾けたジョッキには既に何も入ってはいなかったのだ。ジョッキを逆さに持ち替えて降り、残った水気を払う。

 ベネットはそれを見て、自分のジョッキを差し出してくる。


「俺の分も飲むか?」

「飲んでほしいだけだろ」


 普通に受け取っただけなのに、琥珀色の酒がこぼれる。これ以上貴重な酒を失わないよう静かにジョッキを口元へと運び、ぐいっと傾ける。味を捨て酔うことだけを目的とした安酒は、チリチリと舌を刺す。


「よくあんなのが近くにあるのに飲もうと思えるもんだ」

「テントの中だろう。気にするほうが神経質だ」

「俺だってあんなのじゃなければ気にしないさ」

「強がるんじゃない。単にお前は下戸なだけじゃないか」


 今回の作戦において援護役だった我らがB部隊--通称ベラ--の仕事には黒魔の死体の回収が含まれる。回収された死体は内地のセイン生体科学研究所へと運ばれるのだ。唯一国の援助が続く研究所であり、強化兵パワードである俺の体対黒魔武装は、この研究所の研究成果だ。爪や牙を加工して、今回の作戦で俺の部隊が使用したような対黒魔貫通弾などを作り、志願者に強化兵手術を施している。その技術は門外不出で、ゆえに苦しい財政のなかであっても国は援助を止められない。


「それで、何の用だ」

「釣れねぇなぁ、用がなきゃ会いに来ちゃいけないのか」

「わざわざ酒を持ってきたんだ。何か面倒ごとなんじゃないのか」

「さすが、付き合いが長いだけあるな」


 ベネットはたははと笑って頭をかく。その仕草からわざとらしさを抜けば、少しはモテようものを。

 まぁ、そこが魅力というもの好きもいるのだが。


「まぁ、詳しくはわからないんだが、明日にもお前の小隊に命令が下るはずだ」

「それで?」

「どうにもクサい。そもそもお前の小隊だけに命令が下るというのが解せないと思わないか」

「確かにな」


 今日黒魔の襲来があった以上次の襲来までには余裕があるはずで、そもそも黒魔関連の任務は危険度が高く、小隊だけが駆り出されることは少ない。偵察ならありえないこともないが、その程度なら上官にあたるベネットから指令が伝達されるはずである。そして黒魔関連でないなら、貴重な対黒魔戦力である強化兵のみで構成されるAからF部隊に声がかかるはずがなかった。それらとは別に、G部隊という治安維持目的の一般兵部隊は存在しているのだから。

 あまりのきな臭さに眉もひそまろうというものだ。


「で、お前のことだから本当は何かつかんでいるんだろ」

「いや、今回は本当にお手上げさ」


 おどけて肩をすくめてはいるが、長年の付き合いが嘘をついているわけではないことを教えてくれる。それは、今回の件が異常であることを下手な情報よりも切実に訴えてくる。もったいないと思いつつも、酒の減り方は激しくなっていく。


「ま、お前が死ぬことはないと思ってるけどさ。一応注意しとけよ」

「何のためにもならない助言をどうも」

「否定できない自分が悲しくなる」


 言うことはそれだけとばかりに、ベネットは野営地の中へ戻っていく。その背を肩越しに見やりつつ、寂しくなった口に新たな酒を入れる。軍服のポケットに手を突っ込んで歩くあいつの影が、ゆらりと長く伸びている。


「その酒の代金、今度払いに来いよな」

「支給品で少尉から金を巻き上げるのかよ、大尉殿」

「はっはっは、聞こえんなぁ」


 ひらひらと手を振る奴の姿から目を離す。視線を戻した正面には、すべてを吸い込んでしまいそうな漆黒の森林が広がっていた。


 ◇◆◇


 首都、カーライル。

 国家元首の名を関するこの都市は、現在のシルル社会主義共和国では珍しいものとなった木造でない建築物が立ち並んでいる。どれも、建国前に存在したものばかりだ。建国から九年、木造建築が主であったこの国では、相対的にこの首都の町並みは特別性を増している。

 だが、建造物の主張が激しいのに反し、人の姿はあまり目立たない。まばらに人影があるばかりでおよそ活気というものは見られない。農村部に人が流れ出しているという噂はどうやら本当だったらしい。

 そんな街並みを歩きつつ、適当に目についたレストランに入る。今日は週末であるはずなのに、腹減り時のその店の中には空席がいくつも見て取れる。入る店を間違えたとも思ったが、わざわざ別の店を探すほど暇でもない。本来客が名前や人数を書くはずの紙にはただ一言、『空いているお席へどうぞ』とだけあった。

 指示に従い、空いている席に座ってメニューを開く。


「高いな……」


 メニューから片手を離し、黒の中に白の混じり始めたぼさぼさの髪をかきまわす。何年も軍で出される食事をタダで食っていた俺が食事の値段について正しい価格基準を持っているとは口が裂けても言えないが、7年前くらいにこのあたりで食ったときはこんな値段ではなかった。出てきたコックに注文を伝え、実際に食してみても特別おいしいわけではない。軍の大衆食堂よりマシかという程度だ。手早く食事を終えて、店を後にする。

 食事なんかのためにわざわざ軍の宿舎から離れた首都に来るはずが、ましてや援護とはいえ戦闘を行った次の日であればなおさらそんなはずはない。ベネットの言葉通り、俺は軍の司令部に呼び出しを食らっていた。残りの道程を歩きつつ、首都の逼迫した現状に考えを巡らせずにはいられない。


 シルル社会主義共和国は、食料生産の豊富な国でありながら食糧難にあえいでいる。この食糧難を語るためには、シルルの建国からの歩みを振り返らねばならない。

 かつて世界唯一の巨大大陸、パンゲアを統一していたエスペランザという国があった。シルルやライツでは足元にも及ばない大地には数十億の人間が過ごしていた。その首都で突如黒魔が地下から湧き出たのが、十年前だ。銃弾を見れば防弾性能の高い個体を、航空機を見れば対空能力の高い個体を。生物を食らいつつ鼠算式に増殖しつつ敵に適応するやつらは、人口過密地帯でのパニックの中で急速にその数を増やした。通常の銃も効かず、刃物も弾かれる軍隊に人類は敗北し、逃げ延びた人類の半分がこのシルルで生きている。

 三方を囲む海からの湿潤な風が北側をふさぐスラジャワ山脈にぶつかって雨を降らすこの国では、温暖であることもあって農業に適していた。最初のうちは避難民の内で戦闘に参加できないものが必死に大地を耕し、食料に困ることはなかった。

 問題は、鉱物資源の不足であった。偶然シルルに存在したセイン生科研からの技術供与を手土産に国家元首となったカーライル。彼の功績により維持された防衛線は、弾薬の枯渇によって崩れようとしていたのだ。そんなとき、残り半分の人類が興した国、ライツからの地下通路が開通したのだ。これが、現在の食糧難の元凶になる。

 地下通路を独力で作るほどに、ライツは鉱物資源に富んでいた。何しろ、急峻な山で囲まれた平地に作られた国だ。掘ればいくらでも出たのだ。しかし、シルルとは逆に吹く風の水分全てを山に絞られたその地に雨は少なく、気温も低いその地では作物が育たない。そこで、食料を求めてシルルへの通路を掘ったのだ。当然、シルルとライツとの間で交易が始まる。

 しかし、これは一方的な搾取であった。地下通路の所有権はもちろんライツにあり、彼の国は地下通路の使用に法外な税をかけたのだ。シルルの足元を見たライツの要求に、カーライルは応じてしまった。税を食料の形で求められていたため、政府により市場に出ていた豊富な食料が安く買い占められる。シルル単体でライツとシルルの人々を養うこととなり、結果、食料品の値段は吊り上がった。首都などに暮らすものにとっては大打撃だが、農村部からすれば安定した政府からの買い上げができたことになる。それに気づいた首都の人々が農村部に流れ、より首都の活気は失われたというわけだ。

 俺は今の状況をそんなに悪いものと思っていない。人類種は絶滅の一歩手前にいるのだ。栄えていたころのまねごとをした首都に人が集まるより、生きる糧を作る農地に人がいる方が自然だ。


 案外と早く目的地に到着した。思考を切って、すっかりくたびれてしまっている濃緑色のBDUのしわを伸ばしつつ、首都の中でも珍しい高層ビルの前に立つ。対人類の戦争を気にしなくていい現在、この柱のような建造物には首都機能が集中している。そのうちの一つであるここに、わが国家人民軍の首脳部が詰めていた。

 ガラス製のドアを押し開き、受付でタグを見せて用件を伝える。正直めんどくさい事務手続きだが、軍人として規則を守らないわけにもいくまい。わざわざ過剰な治安維持に定評のあるG部隊に目をつけられる必要はないのだ。

 タグを差し込んでセキュリティを解除し、古びたエレベーターで目的の階へと上がる。高層ビルといっても、その階数は二ケタには届かない。そう待つこともなくポーンという機械音が鳴る。

 辿り着いた部屋には、いやに簡素な白い扉が取り付けられていた。長方形の窓はついていても、すりガラスになっていて中の様子はわからない。


 ここまで呼び出された以上、何かしら重大な連絡事項なのは決定している。けれども、だからといって何ができるというわけではない。特に気負うこともなく、静かにドアをたたく。


「B‐113小隊所属、狭霧京少尉、入ります」

「入れ」


 その声からは、相手がある程度の年齢を重ねた男性であることしかわからない。感情というものもおよそ感じとれはしない。

 金属の軋む小さな音とともに、戸を開ける。

 まず目に入ったのは、飾り気もなくこじんまりとした部屋に鎮座する木製の立派な机。そしてそこに座る初老の男性だ。そのいかつい顔に刻まれた皺は深く、反対に皺のない軍服がよく似合っていた。階級章を見るに大佐か。机に両肘をつき、組んだ両の手に顎を載せている。

 そしてその脇に立つのは一人の少女。俺と違って真新しいBDUに身を包んだ彼女は補佐官という風には見えない。それ以前に、立ち方に一切の緊張が見られない彼女は軍人には見えない。短く切りそろえた白髪と白磁のような肌を持つ彼女は作り物のようで、金の瞳はどこを見ているのかいまいちわからない。表情からも何も読み取れない。見たところ十五歳ほどの彼女は、このくらいの年になっていただろうあの子を思い出させる。


「本日はどういった御用でしょうか」

「ふむ、どういった御用だろうな」

「あの、何か指令があるのではないのですか?」


 まさかの発言に、思わず聞き返してしまう。もしも何の用もなく呼び出されたのなら、昼食代を返してほしいところだ。

 これに対し大佐は組んでいた手を崩し、白い手袋に包まれた手を振る。少し相好が崩れただろうか。


「いや、すまないな。お前の言う通り、今回呼び出したのは指令の伝達で合っている」

「では、先ほどのは……」

「まぁ、まずは指令書を受け取れ」


 片手でぞんざいに差し出された書類を受け取る。ざっと流し読む程度で済ませる気でいたが、読み逃した点があるのではないかと何度も読み返さずにはいられない。『何の御用だろうな』という言の意味がよくわかる。

 そこには、新兵器の実地試験を黒魔支配領域内で、しかもたった一つの小隊のみで行えということしか書いていなかった。兵器の詳細、指令の出処などは一切不明。新兵器の受け取り地点すら記入がない。だというのに作戦本部の印だけははっきりと押されている。

 印が押されている以上、あまり不満ととられる発言をしては、この大佐を通じてG部隊の標的になりかねない。隣の少女がG部隊の監察官でないとも限らないのだ。件の新兵器の詳細に疑問を挟むだけにしておくのが無難だろう。


「新兵器とありますが、いったいどこで受領するのでしょうか」

「ここだ」

「と、いいますと」


 このビルにあるのは指令部のみ。軍事関係の開発は主に黒魔素材を用いた対黒魔兵器になるため、ここから離れた森の中に潜むセイン生科研で行われているはずだ。この部屋にそれらしいものもない。


「紹介しよう。ファス・シンセシス、今日から君の小隊に臨時配属される。新兵器についての詳細は彼女に聞いてくれ。私も、何も聞いてはいないのだ」

「はぁ」

「階級は准尉だ。作戦中の面倒はお前が見てやれ」

「それは構いませんが」


 ファスといっただろうか。彼女の話をしているというのに、全くこちらに注意を払っている様子がない。新兵器の詳細を知らされているということは、セイン生科研の人間なのだろうか。だとしたら、小隊に配属される意味が分からない。

 いろいろ聞きたいこともあるが、上官の前で彼女を質問攻めにするのもはばかられる。彼には新兵器の詳細が語られていないようだから、ここで新兵器について聞いたところで碌な情報は得られないだろう。

 大佐に目で伺いを立てると、どうやら意図は通じたらしい。


「以上だ。下がってよし」

「はっ」


 くるりと踵を返し、外見だけはまともに見えるように気を付けて退室する。ドアのところで一礼し、あとは閉めるだけなのだが、もう一人がいつになっても来ない。


「おい、早く来い」


 ファスは俺の言葉を聞くと、大佐に視線を送る。


「ファス、次の上官は彼だ。ついていきなさい」

「了解」


 初めて聞いたその声は、無感情を通り越して機械的だった。

 ファスの黄色い瞳がこちらを捉え、歩み寄ってくる。歩み寄ってくるのはいいのだが、あまりにも遅い。俺の二分の一くらいの速度しか出ていないのではないか。正直とても癇に障る。

 やっとたどり着いたと思えば、俺の横をすり抜け斜め後ろに立つ。目の端で様子をうかがうのだが、身体は大佐のほうを向くが一礼をする気配はない。ここでも余計な時間を費やされると思うとげんなりするのだが、そんなことはなかった。


「閉めないの?」


 もはや怒りを通り越して呆れてしまう。こいつの面倒を軍隊で見ると思うと、頭が痛い。『面倒を見る』と簡単に言ってはくれたが、これならパーカーを一週間でまともにしろと言われたほうが気が楽だ。

 何はともあれ、こいつはすでに俺の部下であり、部下の失敗は俺の失敗だ。


「申し訳ありません。この者には後程指導しておきますので」

「気にするな。ほんの一瞬だが私の部下だったのだ。彼女の軍属とは思えない態度には私にも責任がある」

「いえ、私の責任です」


 大佐は本当に気にしていない様子だったが、ここでその言葉に甘えるわけにはいかない。彼女の耳に口を寄せる。


「ほら、一礼だ」

「れい?」

「見てなかったのか? 俺がやったろう」

「知らない」

「頭を下げるんだよ」

「こう?」


 その場で膝を曲げ、真下に頭の高さを下げるファス。軍属とは思えない以前に、社会性があるとは思えない。


「はっはっは、教えがいのありそうな部下じゃないか。もういいから下がりたまえ」

「し、失礼します」


 大佐が気の良い人でよかったと言わざるを得ない。ドアをぱたんと占めると、ついため息が出てしまう。


「ねぇ」

「なんだ」

「いつまで下げてればいいの」


 そこには、いまだ頭を下げているファスがいた。片手で頭を掴み、引き上げる。


「痛い」

「罰だ。これだけで済ましてやるんだ。俺と大佐に感謝しろ」

「ありがと」


 やはりそこに感情は感じられず、言われたから言ったという風にしか見えない。それでもまだましだと思える当たり、この先の苦労が透けて見える。

 果たして、俺の小隊はこいつを受け入れられるだろうか。女日照りの馬鹿二人と、チキンの新人。

 ……意外と問題ないな。


 一階まで降りてくると、それまで俺の後ろについてきたファスが突然離れていく。


「どこへ行くんだ」

「そこ」


 指さす先には受付がある。きっと荷物でも預けているのだろう。果たしてこいつ一人でコミュニケーションが取れるのか、そんな興味と不安から一応後ろについていく。


「荷物」

「荷物……?お預かりしている荷物を受け取りに来られたのですか」

「そう」


 なんだかんだで軍の中枢があるビルだ。外国人というものがめったにいないこの国で、ここにこんな会話能力の欠落したものが来ることはない。応対する女性は多少困惑しているようだった。


「タグの提示をお願いします」

「ん」


 本来戦場で死亡した兵士の確認用に存在するタグだが、現在はそこに身分証の役割も付け加えられている。これを盗み見ればファスの身分もわかるかと思ったのだが、やはりエレベーターで確認した通りB‐113所属の准尉であることしかわからない。

 受付嬢はタグを丁寧に受け取ると手慣れた動作で確認用の機材に差し込み、やたら駆動音が耳につくモニターをファスの顔と見比べる。おそらくあそこに顔写真でも表示されているのだろう。


「……確認しました。少々お待ちください」

「了解」


 返却されたタグをファスはぞんざいに胸ポケットに押し込む。ほどなくして、裏から男性係員が銀色のキャリーバッグを持って出てくる。かなり大きなもので、彼の腰くらいまでの高さがある。


「お待たせしました。こちらで間違いないですか」

「うん」

「それでは、お受け取りください」


 カウンターの、人の出入り用に跳ね上がる部分を通してバッグを受け取ったのを確認する。わずかな段差を超えるだけで大きな音を立てたそれは、おそらく相当の重量があるのだろう。実際キャリーを転がしてきただけであるのに、あの男性は額に汗をかいていた。

 そんなキャリーを引いて、ファスは変わらぬ無表情で少し後ろに控えていた俺の前に立つ。

 なるほど、彼女も強化兵だったということか。


「もういいのか」

「うん」

「……上官への返事なんだ。『うん』じゃなくて『はい』と言え」

「うん」

「まったく……」


 なんでこんなに疲れなければいけないんだ。今までの非常識っぷりを見れば、これがおちょくってるのではないことなど察しが付く。

 どうせ数日の任務だ。適当に放っておいて教育は本来の上官に任せようと、そういう気分になっていた。

 入った時と同じガラス戸を開き、外に出る。手を放したガラス戸が、何かに当たる音がした。


「痛い」

「ドアぐらい、自分で開けとけ……」


 ファスを連れて、やはり人通りの少ない通りを歩く。時折後ろを振り返ると、たいていファスはそこらを見渡している。


「おい」

「何?」

「それで、アレはどこで受け取るんだ」

「アレって?」


 しまった。こいつが漠然とした指示語が通じないやつだというのを忘れていた。声を潜めて、具体的に聞く。


「今回試験する新兵器だ。どこにある」

「もうある」

「は?」

「作戦の実行は明日」

「勝手に話を進めるな」

「以上、指令終わり」

「おい……」


 それだけ言うと、ファスは周囲の観察に戻ってしまう。


「おい、兵器はどこなんだ」

「あれ、何?」

「だから、兵器の場所を」

「食べたい」


 まるでダメだ。ファスの視線は、終始気難しそうな親父の立つ所々いたんだ木製の屋台に注がれていた。閑古鳥のなく年季の入った屋台からは、炭のはじける音が時折聞こえている。のぼりを見るに、串焼き肉を売っているらしい。少し距離がある今でも、漂ってくる香ばしい匂いに食欲をそそられる。

 あの子の相手をしていたあいつならファスの扱いもわかったろうが、家庭を捨てて働いていた父親である俺にはわからない。とりあえず欲求を満たせばいいのだろうか。


「ほら、食え」


 買ってきた肉をファスに差し出す。レストランに同じく値の張ったその肉は、たれでてかてかと光っていてうまそうだ。

 ファスは片手だけ挙げて受け取り、そのままはぐはぐとしている。


「あんまおいしくない」

「……」

「あげる」

「……どうも」


 食べかけの肉を受け取り、再び歩き出す。近くで感じる香りは余計に腹を空かせ、噛み締めればじゅわっとたれの甘辛い味が広がる。十分に美味しい部類に入る肉だった。

 これを美味しくないと言えるとは、裕福な家庭の生まれなのだろうか。そうなると、政府高官やセイン生科研の関係者の娘あたりか。どうであるにせよ、裕福だとすれば強化兵手術という失敗の危険のあるものを施している意味がわからない。


「それで、新兵器は」

「あれは?」

「もう買わんぞ」

「……」


 どうしたらいいんだ。もしや作戦地点につくまで当事者にすら伝えられないレベルの重要機密なのだろうか。だとしたら、特に優秀な戦果を挙げているわけでもないうちの小隊に指令が来る意味が分からない。


「そうだ」

「どうした」

「これ」

「……なんだこれは」


 BDUのポケットから取り出したそれを受け取る。掌に余裕をもって収まる筒状のそれは水色で、片側にボタンが、反対の側には細長い半透明のカバーが突き出ている。カバーを取れば、銀色の針が光を受けて光った。

 注射器、だろうか。


「これが新兵器か?」

「何言ってるの?」

「じゃあ、これはなんだ」

「緊急停止用」

「……セーフティか」


 --なるほど、これが答えか。

 注射器型の緊急停止装置。それはつまり、新兵器が生物兵器だということを示している。そして、彼女は『もうある』と言った。もう受け取りが済んでいる生物。そんなものは目前の少女しかいない。大方、最新の強化兵手術をうけたのだろう。

 一通りの考察を終え、BDUのズボンのポケットにしまう。


「ねぇ、あれは」

「……お前、こんなので機嫌をとれたと思ってるのなら間違いだ」

「きげん? なにそれ」

「辞書なら買ってやるよ……」


 ◇◆◇


「よーぉ! 無事に帰ったか」

「まぁな」


 日も沈んできた夕暮れ時。走って帰ってくれば、前線基地のゲートに寄りかかる影が一つ。確認するまでもなく声からしてベネットだ。そもそも帰還の時間も伝えてないのに待っていられるほどの暇人はベネットくらいのものだ。

 彼は勢いをつけて姿勢を戻し、ほほえみと共に手を振って近づいてくる。


「また仕事を副官に放り投げてきたのか?」

「そりゃそうだ。それが副官の仕事だろ?」

「仕方のない奴だ」


 惚れた弱みとはよく言ったもので。恋を追いかけた彼女はいつのまにやら仕事に追いかけられるようになり、それなのにゴールには全く近づいていないようだ。


「それで、お前さんは首都の可愛い女の子をお持ち帰りかい」

「違う。うちの新人だ。見てわかる通り強化兵のな」

「あれ、お前が背負って走ったんじゃないのか」

「なんで部下を背負わないといけないんだ」


 首都と前線基地の距離は当然離れていて、自動車などを使おうにも燃料代が高いためたった二人のためには使われない。よって強化兵はその強化された脚力を生かして走って移動するのが常であり、彼女と俺はキャリーバッグのけたたましい音とともに走って帰ってきていた。部下になったファスを甘やかす選択肢は、俺にはない。


「それにしたって、本当に可愛いじゃないか。犯罪的だね、こりゃ。二重の意味で」

「死にたいのか、お前」


 かがんでファスの顔を覗き込んでいたベネットが驚いて顔をあげる。ファスはのぞき込まれても眼前で驚かれても知らん顔だ。そんなファスの顔をベネットはもう一度眺め、一度うなずいてから顔を離す。


「なぁるほど、そういうことか」

「どういうことだ」

「細かいことは気にするとモテないぞ」

「お前が言うと、不思議な説得力があるな」


 あいつが事態をこんな少ない手がかりから読み解いたのかはわからない。しかし、あいつには天性の勘とも呼べるものがある。全部とはいかないまでもある程度勘づいているのではないか。


「お前、どうせこの子の面倒を見るようにとか言われて安請け合いしてきたんだろう」

「……そうだが」

「後でうちの副官を頼るといい。女性のことは女性に頼んだほうがうまくいくだろ」

「お前の仕事があるんじゃないか」

「気にすんな。若いってのは素晴らしいよな。あいつ、俺の依頼した仕事ならいくらでもこなしちまうんだから」

「……惜しい奴だな」

「なんか言ったか」

「気のせいだ」


 こいつを見ていると、神様というものは意外と人間を平等に作っているんじゃないかという気がしてくる。

 そんなおっさん同士のやり取りに飽きたのか、袖をつまんで引っ張るものがいる。


「ねぇ」

「なんだ、食べ物か」

「まだなの」

「まったく、軍属に臨時とはいえなるんだから我慢を覚えろ」


 帰りの道中で基地なら食事の時間になればタダで飯が食えると教えてからずっとこの調子だ。こちらの目を見て話しているだけマシかとも思ったが、きっと目を向ける食物がないというだけなのだろう。


「おやおや、お姫様はお腹がすいていらっしゃるようで」

「そういうわけだ。俺たちはもう行くぞ」


 ベネットの横を通り抜けようとすると、彼に呼び止められる。


「待てって。まだ食事まで時間はあるんだ。どうせ俺の執務室に寄ってくんだろ」

「まだなんだ」

「ごめんな。規則なんだよ」

「で、だからどうした」

「俺も行くとこないから、ねぎらいにでもと思ってな」

「一種の嫌味だぞ」


 それに加えて女連れ。嫌味を通り越していじめだろう。

 しかし、彼の中ではすでに一緒に行くことが決定しているらしい。俺の左後ろを確保し、右後ろに控えるファスを質問攻めにしている。


「そういえば、名前はなんていうんだ」

「名前? コードなら、ファス・シンセシス」

「名前じゃなくてコードか。面白いこと言うじゃないか、ファスちゃん」


 もはや追い払うのも面倒だ。ファスの面倒を押し付けられる、そう考えて放っておくことにした。


 廊下に響く軍靴の音は一人分。階段を上り終え、二階の廊下を歩く俺はB‐11とだけ書かれた小さな木製のドアの前に立つ。ここが我がB-11中隊の隊長用の執務室の扉だ。特に気負うことなく、それをノックする。


「なんでしょう。ベネット大尉でしたら外出されていますが」

「狭霧だ。別にベネットに用はない。入っていいか」

「狭霧さんでしたか。今手が離せないので、ご自分で開けてもらっていいですか」


 言われた通り扉を開いて中に入る。

 部屋には簡単なつくりの木製机が置かれ、隅には各小隊の資料が山のように積まれている。人が十人も入らないんじゃないかというその部屋で、目的の人物を見つけられないはずもない。

 机にかぶりついている茶髪を後ろでまとめた彼女こそ、ベネットの副官、巻島マイである。黒魔の襲来により今では珍しくなってしまった、俺と地元を同じくする人物だ。

 書類から目をあげず、ペンを動かしながら聞いてくる。


「ベネットさんに用がないなら、何かの報告ですか。そういえば、今日は首都に出向かれたんですよね」

「まぁ、報告といえば報告だが、その出向がらみで頼みがあるんだ」

「狭霧さんまで私に仕事を押し付けるんですかー」

「大丈夫だ。ベネットなら捕まえてあるから、残りはあいつにやらせればいい」

「それは、ベネットさんに無能と思われるかもしれないじゃないですか……」


 髪をなでながら、それでもペンを止めずに不安を口にする。


「道楽のために部下に仕事を押し付けるやつに、そんな感想を持つ権利はない。あいつだってそれくらいはわかってるだろう」

「でも……」

「それにあいつはお前の有能さは十分わかってる。そうやってるだけではダメだと、そろそろ気づいたんじゃないか」


 途端にぴくっとマイのペンが止まる。そして次の瞬間には、書類の上に突っ伏していた。顔だけ起こして、こちらに向かって愚痴を垂れ流す。


「やっぱりですかー。おかしいとは思ってたんですよ。お礼に食事でもってなるのが理想だったんですが、食事じゃなくて仕事が来るんですもん。というよりも、よく考えたら食堂以外に食事をとる場所のないこの基地で食事といったってロマンチックにならないですし……」

「……わかった。歩きながらでいいか」


 ここに来ると、いつもこれだ。パーカーにも上官にほぼため口で愚痴をこぼせる胆力を見習ってほしかった。

 どろどろと流れ続ける愚痴に適当に相槌を打ちつつ、マイと並んで歩く。

 背の小さいファスと違って、マイは俺より少し低い程度だ。以前、酒が入った時に170くらいと言っていた気がする。ベネットの身長は165くらいだったはずだから、マイは彼に身長で勝っていることになる。彼女の愚痴の定番の一つ、『彼より身長の高い彼女とかありえない』はここからくる。

 愚痴の量からベネットの押し付けた仕事量を推測し、それが当たるか当たらないか賭けでもするか。実はベネットには駄々をこねるファスを押し付けてきただけで、仕事に戻らせる算段はついていなかったのだ。きっとあいつなら乗ってくるだろう。

 愚痴にも楽しみ方があることに感心していると、司令部を出て向かいの兵舎にある食堂に辿り着くのはすぐだった。


「だいたいですねー、ルックスと中身が釣り合わないんですよ。あの見た目で女心が分からないなんて、詐欺です、詐欺!」

「落ち着け。もうすぐベネットのいる食堂だ。聞こえるかもわからんぞ」

「ひぃっ! 嘘ですよね、そんなに食堂の壁薄くないですもんね!」

「嘘だ。落ち着け」


 俺に対しては強気なくせに、ベネットに対すると及び腰。こんなわかりやすいやつの気持ちに気づけないベネットはどうかしている。本気で心配そうな目で見てくる彼女が、ひどく不憫だった。この女のいない基地で本当によく頑張っている。

 だから、ルームメイトを与えても罰は当たるまい。


「そろそろ、いいか」

「ええ、大丈夫です。そういえば狭霧さんの依頼って何なんです?」

「今日付けで俺の部隊に新人が配属されてな。お前と階級も変わらないし、部屋に空きもあるだろう。面倒を見てやってほしいんだ」

「……私に面倒を? まさか、その人って」


 期待に目を輝かせるマイ。この切り替えの早さが、ベネットの酷使に耐えられる素養の一つなのだろう。


「見たほうが早いだろう」


 そういって、食堂のドアを開ける。

 もう食事の時間にはなっており、他の隊員も用いるこの食堂でファスの姿を探すのは一苦労だと思ったのだが、杞憂に終わる。


「お、あそこですね」


 マイにだってわかる。あれほどの人だかりができるイベントが、突然の女子の出現以外に食堂で起こるはずはない。

 突っ込んでいくマイがこじ開けた通路をすいすいと進み、見覚えのある金髪と、やっと見慣れてきた白髪が目に留まる。


「やっと戻ったか。ろくすっぽ状況を説明しないで行くのは勘弁してくれよ」

「悪いな。本来仕事してるはずの奴が暇そうにしていたから、仕事がもっと欲しいのかと」


 わざとらしく肩をすくめるベネットは、どうやらファスに押し寄せる人波をうまくさばいていてくれたらしい。自分から買って出ただけはあるが、そのやる気を本来の業務に回せと言いたい。

 こんなことで寄ってくる連中の階級などたかが知れている。最悪ベネットという後ろ盾があることも利用し、高圧的な態度でひとまず野次馬を散らす。


「で、なんでマイちゃんがここにいるんだ」

「どうせ同室で面倒を見てもらうんだ。顔合わせは早いほうがいい」

「まったく、お前も人のこと言えないな」

「発案はお前だろう」


 俺たちの視線の先では、ベネットとファスが並んで座っていた間にするりと入り込んだマイが嬉々としてファスの名前やなんだを聞いている。対するファスは無表情で淡泊。それでもマイは気にせず話し続けている。


「ところで狭霧。ここにマイちゃんがいるってことは、俺の仕事は?」

「安心しろベネット。ちゃんと残ってるぞ」

「じゃあ、マイちゃんファスちゃん同居計画はなしということで……」

「まぁ待て、賭けをしよう」

「ほう……」


 マイとファスを眺めながら話していたベネットの視線がこちらを向く。


「内容は」

「今日も俺はある人物の愚痴を聞かされたわけだ」

「ご愁傷さまだな」

「黙れ。そこから俺は、お前が今日押し付けられた仕事量を割り出した」

「ほほう、愚痴の量から推測したわけか。その正否が賭けの対象だな」

「乗るか?」

「もちろん」


 ベネットは完全に乗り気だった。ファスとの一方通行の歓談に興じるマイを呼び、ジャッジを務めさせる。


「さぁ、答えを聞こうじゃないか」

「そうだな、今日のお前の仕事とは」


 ベネットは不敵な笑みを浮かべ、マイはこれが俺のベネットに仕事をさせる策だと気づいて不満を目で語っている。

 きっと彼女は俺が懇切丁寧に仕事ぶりを、あるいは彼女の魅力までベネットに語って聞かせてくれたとでも思ったのだろうが、現実は非情だ。


「黒魔運搬の数値報告の確認並びに消費弾薬の補給申請、加えて戦死者の法的処理だな」

「すごい、合ってる……」

「なん……だと……!」


 ベネットが驚くのはわかるが、マイ、お前が驚くのはおかしい。愚痴の中で答えを教えてくれたのだから。

 この賭けを思いついた後、答えを言われてしまったときは焦ったが、なんのことはない。『割り出す』という単語から、愚痴の量から割り出すものだとベネットは推測するだろうと思い至り、果たしてこうなった。自分の勘に頼るからそんな失敗をするのだと言ってやりたいが、それでこの賭けを無効にされるのも面白くない。


「ほら、早く執務室に行け」

「男として、潔く働くしかないか」

「男として、与えられた仕事は自分でこなせ」

「わかったよ」


 うるさそうに言って、食堂を後にする。

 待っている間に食べ終えたらしいプレートを途中で捨てていくのを見て、ファスのプレートをちらりと確認する。ほとんど手をつけていないものの、どの皿も見事に一口ずつ食べた形跡があった。


「全然食べてないじゃないか」

「まずい」

「ここじゃあ残すのは許されん」

「あげる」

「俺は残飯処理係か……」


 かといって、おそらくこいつは最新型生物兵器。口に合わないものを無理に食べさせて健康に支障をきたしたり、何より機嫌を損なって戦闘を拒否されてはたまらない。

 空いているほうのファスの隣に座りプレートを差し出しもしないファスの手前からプレートを引き寄せる。試しに野菜炒めに箸をつけてみるが、やはり食えないほどまずいわけでなく、塩コショウが絶妙でとてもおいしい。


「めずらしいですね、狭霧さんが部下を甘やかすなんて」

「……お前、本気で言ってるのか」

「何のことです? それより、私もお食事取ってきますね。狭霧さんの分はどうします?」

「いるように見えるのか」

「ですよねー」


 マイは出入り口から見て食堂の手前にあるカウンターに向かう。そこでタグを提示することで、食事を無料で受け取ることができる。鉱物資源不足のこの国で弾薬などの消費を最低限に抑えるのに肝要な強化兵だからこそ許される待遇だった。

 そう考えると、一つの疑問が浮かんでくる。ファスは一体何を食べてエネルギーを得ているのだろう。


「おい、ファス」

「何?」


 マイから視線を戻すと、さっきまで彫像のようにただ座っていたファスが椅子の下を、正確には持ち運んでいたキャリーバッグの中をあさっている。


「……なに、やってるんだ?」

「食事」


 取り出したのは、大人の拳二つ分ほどの大きさの黒いブロックだった。ただ黒いとしか形容できないそれは、俺の40年にもなろうとする人生経験をもってしてもおよそ食べ物とは認められない。

 ファスは両手でそれを口へ近づけ、小さな口でついばむように食べ進めていく。耳さえふさげば可愛いと言えるのだろうが、外見に不釣り合いな音が気になってしょうがない。こいつは岩でも食っているのだろうか。

 事実、遠巻きに眺めていたギャラリーたちもその異様さに少し気圧されている。


「うおぉ! ファスちゃん、ワイルドだね……」


 プレートを持って戻ってきたマイも、驚きのあまりスープをこぼしてしまっている。そのままにもともと座っていた席を通り越し、俺の隣に座る。


「ファスちゃん、いっつもあんなのを食べてるんですか」

「知るか。本人に聞け」

「はぁ、もしかして結構な厄介ごとを押し付けられたんですかね」

「ベネットに薦められてな」

「そうですかー。そうなんですかー」

「よろしく頼む」

「了解です!」


 やはり俺も、あまりベネットのことは言えないのかもしれない。


 ◇◆◇


 朝日が目に染みる、よく晴れた日だった。朝の涼しい空気の中、兵舎前にはB‐113小隊のメンバーが勢ぞろいしている。整列こそしてはいるが、ほとんどがその姿勢を崩している。頭からつま先までピンと伸びているのはパーカーだけだ。

 俺としてはそんな奴らの指導などというめんどくさいことはしたくない。そんなわけで、この小隊だけでの集合の際には特に何も言わないことにしていた。当然、点呼もなし。ファスに点呼について教えるのは手間だ。


「指定の装備は持ってきたか」

「はい! えっと、近接戦闘用装備一式……ですよね」

「そうだ。お前らは」

「忘れるわけないでしょう!」

「狩残しでも狩りに行くんですかい!」


 近接戦闘装備とは、黒魔の皮膚素材を用いた軽量のプロテクターにフラッシュバンや手榴弾、取り回しの良さを考慮した小柄なハンドガンとタクティカルナイフ、携行食料や水といった、文字通り近接戦用の装備セットだ。BDUの上からプロテクターをつけ、胸にハンドガン、腿にナイフ、腰に予備弾倉を装着。残りは後ろに背負っている。

 近接戦闘装備の小隊単体での森に紛れ込んだ死にぞこないの討伐、あるいは小型ゆえに見逃されたD型黒魔の討伐は、稀にではあるが十分起こりうることだった。

 当然隊員たちはその推測を持ち、一部は興奮し、一人はビビっている。唯一作戦の詳細を知るファスだけが平然としている。


「ファス、お前の装備は」

「これだけ」


 そういうファスは両の太ももに装着したナイフと背嚢しか装備しておらず、他は昨日と変わらぬBDUであった。ナイフは両刃の少し長めのものが足に対して斜めに三本ずつささっている。背嚢にはやけに角ばったものが入っているようで、おそらく昨日の黒いキューブだろう。どうでもいいが、ファスを送ってきたマイが言うにはこの世のものとは思えないまずさらしい。


「まぁいいだろう」

「た、隊長!」


 新型生物兵器と思しき彼女には好きにさせておこうと思っているのだが、やはりパーカーが食いついてくる。


「こんな15歳くらいの女の子、強化兵だとしてもこんな軽装じゃ死んじゃいますよ!」

「パーカー、そんな心配をする暇があったら自分の心配をしろ。それに、そいつの階級は准尉でお前より上だ」

「そりゃすげぇ。俺たちより上じゃないですか」

「パーカー、土下座したほうがいいんじゃねぇのか」


 か弱い女の子を守らなければという男の本能に水をかけられたパーカーは俺の顔とファスの顔とで視線を往復させ、ジャックとノリスは意に介することもなくパーカーをにやにやと眺めている。


「ファス・シンセシス、この任務中臨時でこの小隊に配属されることになっている」

「臨時⁉ そりゃもったいない」

「こんなに可愛いのになぁ」


 ジャックなどはファスに向かって手を振っているが、ファスは相変わらずの無反応だ。


「彼女には新兵器の試験を行ってもらう。それでいいんだな、ファス」

「うん」

「俺たちの仕事は彼女の護衛。場所は森林帯ではない。人工丘陵も超えた先、スラジャワ山脈のその先だ」

「そんな……」


 パーカーは顔を青くし、ジャックとノリスは喜びを爆発させる。

 予想はついていたことだ。スラジャワ山脈はシルルの国境線にして黒魔の支配領域との境界線。それを小隊単位で超えると聞けば、常人なら絶望し、狂人ならば歓喜する。


「そんなの無茶です! どれだけの黒魔がいるか……」

「だからこの時期なんだ。黒魔の襲撃は不定期とはいえ必ずインターバルが存在する。やつらも兵力を補充するんだ。前回の攻勢から二日と経たない今が好機だ」

「だからって……」

「新兵器もある。軍に入った以上、命令は絶対だ」


 俺に対する抗議が無意味と悟ったパーカーは仲間を増やそうと画策するが、ファスにはうるさいと一蹴され、ジャックとノリスには笑い飛ばされていた。


「気は済んだか」

「もう、いいです……」

「やっとかよ」

「隊長! 早く楽しいピクニックに行きましょうや」


 かくして、俺たちは先の見えない任務に各人各様に出発した。


 目的地までの道程を何の問題もなく走破していく。黒魔が一匹で迷い込むようなことはめったになく、攻勢もたった二日前にあったばかりのこの日であることも考えれば当然と言えた。

 朝のしっとりとした気配を持つ森林を抜け、人類が防衛のために作った横一直線の低い丘陵を超え、それと山脈の間に横たわる黒魔と人間の血が染みついた大地を強化兵特有の脚力で駆け抜ける。

 登っていくスラジャワ山脈には、大量の黒魔が木々をなぎ倒していくため、せいぜい雑草くらいしか生えていない。比較的なだらかなコースを登り、頂上手前で早めの昼休憩を取る。この先で何があるかわからない以上、今のうちに疲労は抜いておくべきだった。

 頂上を超えても、特に何があるというわけではなかった。パーカーだけは精神を張り詰めさせていたが、それ以外に問題もなく下山していく。パーカーの警戒むなしく、その間の襲撃はなかった。

 本格的に支配領域に入り、小隊に麻雀牌の5のような陣形を取らせる。精神的疲労がたまっているパーカーを囲い、少しでも安心感を与えようというものだ。先頭には俺とファスがつく。


「どうです隊長! あいつらはまだですかい」

「落ち着け、いくらお前でも数十倍の相手をしたくはないだろう。大声を出すな」

「そうですよ……。なんならいないほうが……」

「なぁに言ってんだよパーカー! これからがお楽しみじゃねぇか」


 小隊に姿勢を低くさせた俺は、双眼鏡で周囲を警戒する。黒魔領はスラジャワ山脈と同じ理由で見晴らしがよく、双眼鏡で周囲を見渡しておけば不意の遭遇はない。

 十分な距離の空いたところに、いくつかの黒魔の集団が見られた。


「ファス、試験にはどれくらいの数がいいんだ」

「いくらでも」

「だったら一人でこの世から黒魔を消し去ってもらいたいもんだ」


 もはや呆れを通り越して感心する適当さ。数の少ない集団から試して、自分の目でその性能を確かめるしかあるまい。

 ちょうど、あまり黒魔領に入り込みすぎないあたりにA型五匹の集団がいる。直立して山脈の向こうをぼんやりと眺める奇怪な黒い人影に、こちらに気づく素振りは見られない。あれなら一人一殺で狩ることができ、パーカーの訓練にもなるだろう。


「総員、傾注」

「待ってましたよ隊長!」

「静かにしろ。ここで荷物番させてもいいんだぞ」

「アイサー!」


 やっとこさ戦闘に入れるとあってジャックとノリスは素直に指示を聞く。ファスは依然聞いているかわからないが、まぁ大丈夫だろう。荷物番していたいとか言っている奴は、どうせ支持を無視する度胸はないだろうから放っておいて問題ない。


「いいか。10時の方向、距離千に黒魔の小集団がいる。ちょうど五匹、一人一匹は狩れ。周囲に他の黒魔は見られないから接敵の直前に荷物をいったん捨てて、安全性を優先しろ。ファスは俺がフォローする。パーカーの面倒はお前らがみてやれ。以上だ」


 伝達を終え、それぞれに違った『了解』の声を聴く。背後で隊員たちが動き始める気配を感じて移動を開始しようとするのだが、隣のファスだけが明らかに違った行動をとっている。


「ファス、どうして荷物を置いている」

「指令」

「それはそうだが接敵直前といっただろう」

「何言ってるの」

「何ってお前--」


 思わず言葉を飲み込む。荷物を置いてクラウチングの姿勢を取り出すファスの首筋を、白皙のその肌をじわりじわりと這い上がる黒、その不気味さに。


「だから、今でしょ」


 ファスはすさまじい土煙とともに弾丸のように走り出す。


「ファスちゃん、すげぇな」

「あの子が新兵器ってことか」


 後ろでその被害を受けたジャックとノリスが、せき込みながら感嘆する。


「のんきなこと言ってる場合か! 追うぞ、ノリスはそいつを持ってこい!」


 一瞬呆けてしまったが、後を追い即座に駆け出す。


「あぁもう! なんでこうなるんだ!」


 愚痴りながらもついてくるパーカー。足音からしてジャックも来ている。


 走る、走る、走る。

 腐っても強化兵である俺たちの速度は、瞬間的には時速50㎞にも及ぶ。


 駆ける、駆ける、駆ける。

 しかし水切りのように大地を飛んでいくファスには追いつかない。二倍の速度はあるんじゃないだろうか。


 迫る、迫る、迫る。

 手に持ったままだった双眼鏡でとらえたファスは、すでに黒魔に発見され両者間の距離はどんどん近づく。


 そして、ついに接敵した。

 先頭の一体が、突っ込んでくるファスの頭を横なぎに払う。だがその攻撃は当たらない。走ってきた勢いそのままに、ファスは地面を強く踏み切る。ここまで、地面を蹴る音が届いた。大ぶりの右腕を飛び越え、黒魔すらも飛び越える。そのままきりもみながら着地し黒魔の背後に隠れるファス。一瞬の静寂。次の瞬間には、黒魔のたくましい肉体はあっけなく崩れ落ち、彼女の背中が目に入る。倒れた方の背中には、一本のナイフが突き立っていた。


「背中越しに、しかも背中から、核を狙ったっていうのか……」


 黒魔の弱点は、人間でいう心臓の位置にある核のみ。黒魔が倒れたということは、こちらに背を向け平然と立つあの少女が俺の言った通りのことをしたということだ。

 けれども黒魔はその技量をたたえるなどということはしない。ファスの両斜め前から、同時に二匹の黒魔が押し寄せる。

 刹那、少女の両肩がシャボン液に息を吹き込んだように隆起する。張り裂けんばかりにBDUが膨らみ、それはまるで卵の殻を突き破らんと蠢めく怪物だ。

 肩の布を弾き飛ばして突き出してきたのは、筋骨隆々として、どこまでも黒い黒魔のような腕、いや、黒魔の腕そのものだった。

 素早く彼女の腿からナイフを抜き取ったその二手が、リーチを読み誤った二体の胸を瞬間のうちに貫く。断末魔に繰り出された頭部に当たる腕の一撃は、軽々と残りの腕に止められてしまう。


 残り、二体。俺たちの到着まで二ないし三秒といったところ。


 残った二体の片割れが、脱力した二つの死体の間から襲い掛かろうとする。ファスは死体の胸に刺さったナイフをあっさりと捨て、四本の腕を自由にする。

 それを見た敵は、同類の死体二つをファスに向かって勢いよく突き飛ばす。それを嫌った左に飛ぶファス。そこに待ち受けていたのは、仲間の死体に隠れて移動したもう一体だった。

 風切音と共に突き出された右腕の掌底を、彼女は自前の左腕で関節をはたいて右に流す。しかし敵は黒魔。崩れた姿勢から強引に右の猿臂を放つ。これに対し、小柄な体格を生かして右腕の下に潜り込む彼女を、容赦なく左ひざが向かえ打つ。それすらもファスには当たらない。彼女は肩から生えた右腕で受け流して見せたのだ。ついに黒魔は立て直せないほどに前のめりに体勢を崩す。勝敗が決した。硬質な皮膚を突き破る、独特な音。黒い左腕に逆手に構えられたナイフに、倒れこむ胸部は深々と貫かれる。


 残り、一体。ちょうど四体目に覆いかぶさられることによってできた右側の死角から、最後の黒魔が襲い掛かる。死体ごと押しつぶそうと両手を振り上げている。


 --そうは、いくものか。


 ぎりぎり間に合わせてくれた肉体にさらに鞭打ち、ファスと黒魔の間に体を滑り込ませる。地をする足がじゃりじゃりといってブレーキをかける。ファスしか見えていなかった黒魔の対応は遅い。胸から抜き放った黒いハンドガンの銃口を、黒魔の胸部に押し付ける。いくら黒魔の体表が硬いとはいえ、ゼロ距離からの対黒魔弾ならば十分に核まで貫ける。

 乾いた銃声が、最後の黒魔の動きを止めた。


「さすが隊長! 鮮やかですね」

「一発銃弾を撃っただけだろうが」


 にこやかに近づいてくるジャックから、戦闘に介入する時に押し付けた荷物を受け取る。


「それにしても、ファスちゃんはすごいっすね」

「参考にでもしておけ」

「残念ながら腕は四本もありませんで」


 俺たちの視線の先では、ファスがマイペースにナイフを回収している。

 純白であった彼女の肌はすべてどす黒く染まり、唯一その穢れない色を守った頭髪がなければ黒魔に見間違うほどだ。今はそこに、ナイフを引き抜くたびに噴き出す血液の緑色を加えている。

 黒魔の死体にまでいちいち怯えながらナイフの回収を手伝っていたパーカーなどは、ファスにナイフを渡すときには若干顔が引きつっている。


「あれ、もう片付いちまったんですか」


 声のする背後を振り返れば、ノリスの姿があった。興ざめだとばかりに残念そうな顔を見せつけてくる。彼が地面に下ろしたファスの背囊は、その音だけで重さを伝えてくる。


「あぁ、ファスが全員片付けた」

「そりゃすごい。で、あの悪魔みたいなのがそのファスちゃんで?」

「そうだ」

「ありゃあ、何しようとしてるんですかね」


 ノリスに説明しつつ指示したファスは、まっくろくろすけのまま黒魔の死体の一つに歩み寄っていた。その死体からは、すでにナイフが回収されている。

 俺たちはファスの異様さもあって目を離すことができない。


「さぁ、わからん」

「なんか服脱いでないですか」

「なんだパーカー、そういうときだけは発言が早いじゃねぇか」


 ファスから離れて俺たちのところへ歩いてきたパーカーが観察者に加わった。

 パーカーの言う通り、実際にファスはBDUの前を開けて、死体のそばにぺたんと座りこんでそれを抱き寄せるようにする。


「もしかして、生き別れの兄貴とかだったんじゃ」

「何言ってんだノリス。あんな可愛い子ちゃんの兄貴がガチムチでたまるかってんだ」

「今の姿だと納得できますけどね……」


 部下たちのくだらない憶測を聞きながら、俺は何となく思い出していた。

 昔、黒魔が突如世界に現れてから俺がシルルに逃げつくまでに、一度食料に困ってしまったことがある。その時、ちょうどよく転がっていた黒魔の死体が目についたのだ。切り出そうにも碌な手段がなく、しかたなく腕をそのまま炙ってかみついた。結果、俺は歯の折れそうな痛みと底知れぬまずさに対する不快感を手に入れただけだった。

 これはあまりにも、あの背嚢の中身に一致してはいないだろうか。

 俺の考えをファスのほうから響いてくる咀嚼音が肯定する。


「おい、まさか……」


 ノリスが信じられないといった顔をする。何かを啜る音やら、液の滴る音やら、肉を割く音やら、骨を砕く音やら、感動の対面やら愛の抱擁にはおよそ似合わない音が響く。


「その、まさかだろうな」

「隊長! なんなんですかぁ、あんなの兵器通り越して怪物ですよ! なんであんなのと一緒にいなきゃいけないんですかぁ」


 パーカーが我慢の限界を迎える。涙目になったパーカーは俺の体をゆする。とにもかくにも面倒だ。


「ジャック、パーカーを連れて状況の目視確認」

「喜んで」


 抗議の声を強めるパーカーをジャックが羽交い絞めにして引っ張っていく。にやにやとしたジャックに比べ、パーカーは顔を真っ赤にして抵抗を見せる。しかしそれも、ファスの前面を見るまでだった。

 戻ってきたジャックの表情は特に変わっていないが、パーカーは顔を真っ青にして、ふさいでやりたかった口を自分の手で覆っている。


「どうだった」

「ありゃ、すごい。緑のシミがついちまっているが、少女らしい純白のスポーツブラが慎ましい胸を覆う姿は神秘的でした……」

「それは本当か、兄弟!」

「……報告を、しろ」


 鼻の下の伸びたジャックと、いらない報告に沸きたつノリス。この黒魔領で普段通りなのは結構だが、やはり度が過ぎている。


「いやぁ、まさに黒魔という感じですな。腹にあいた大口でそれはもうバリバリむしゃむしゃと」

「……うぷっ」


 思い出したらしいパーカーが吐きそうになっているのは放っておいて、ファスの正体を確信する。synthesis、合成とはよく言ったものだ。おそらく彼女は、黒魔と人の合成体だろう。

 当の彼女が食事をしつつも思い出したように語りかけてくる。


「指令、終わり」

「これで試験は終了なのか」

「うん」

「なら帰投するぞ」

「食事中」

「……そうかい」


 ここにいても百害あって一利なし。けれども食事というからにはエネルギー補給なのだろう。途中で倒れられては、のちにどんな文句をつけられるか。


「仕方ない。各自、周囲の警戒に入るぞ。監視さえ忘れなければ、お前らも食事にしていいぞ」

「そうはいっても誰も食欲なんて起きませんよ、隊長」

「特にパーカーは」

「食事……おえっ……」


 真昼の日差しの中、四方に座り込む男四人の中心で、一人の少女の奇妙な食事会が開かれた。


 十分後、幸か不幸か黒魔の襲来もなくファスの食事が終わりに近づく。ジャックとノリスは、戦闘もなしに終わりそうな任務への不満を顔に出している。

 今ではファスは三つの口で食事していた。どうやら黒魔の腕にも掌に口がついていたようで、掌に目のついている本物の黒魔よりおぞましいと言える。

 食事音の三重奏はすでに一人をノックアウトしており、そいつはショベルを肩に抱いてげんなりとしている。

 地獄の演奏は、ひときわ大きな喉を鳴らす音によってフィナーレを迎える。どの口にも喉は繋がっていないのに、一体何が鳴っているのか。


「食事は終わりか?」

「……うん」


 緑のまだら模様がついているものの、未だ真っ黒い肌のファスがゆらゆらりと立ち上がる。その姿にも慣れたらしいノリスが、ファスの背嚢を渡そうと近づく。その顔からは、ファスのあらわになったままの下着を拝もうという下卑た心情が見え隠れしている。

 その姿を目の端でとらえた後、最後の周囲確認を行う。


「ファスちゃん、ほら、君のにも--」


 ノリスの声が途切れる。


「……ノリス?」


 振り返った視界に映ったのは、腰を抜かすパーカー、振り返る途中のジャック、そして、黒魔の腕に頭を鷲掴みにされ、釣りあげられるノリス。彼のあがきに意味はなく、足元に転がった背嚢を蹴り飛ばすのみ。背嚢からごろごろと黒いキューブが転がり出る。

 瞬間、思考が停止する。


「ノリスゥゥ!」


 事態を確認したジャックが拳銃を向ける時には、すでに遅かった。


「めいれい」


 この十分で嫌というほど聞きなれた音が鳴り響き渡る。鮮やかな赤が飛び散り、ノリスの体が力なく崩れ落ちる。


「ッ!」


 俺よりも、すでに銃を構えていたジャックの行動の方が当然早い。ファスは連続する銃声を常人にはありえない身体のひねりでさばく。その隙に俺はナイフを足から引き抜き、ファスに突進する。


「くそっ、ジャムった……!」


 ちょうどファスが上体を前に倒してかわし、四本の腕を地に着いた時だった。逆手に握るナイフを振り下ろそうとするが、その刹那にファスの姿が消える。派手に地面を抉る音を伴った急加速が、土煙を巻き上げ俺の視界を奪う。


「ぐふぅっ!」


 晴れた土煙の先に、ファスの頭が腹に突き刺さるジャックが見える。悶絶の表情を浮かべる彼だが、震える腕で片方二本ずつ、ファスの腕を付け根近くで固定し後ろへ投げる。


「隊長! ノリスを!」


 ファスとノリスの間にジャックは立ちふさがる。左手で腹部を押さえる一方、ナイフを握る右手からは消えない戦意の炎が感じられる。ノリスのことを考えれば、六年にわたる戦友に場を任せて彼の手当てをすべきだろう。

 --しかし、ノリスの命は風前の灯火だった。

 足元の彼の顔には、顎も、口も、すでにない。いびつな歯形がそれらをすべてこそぎ落としている。先ほどから俺の足を掴んで何かを訴えるノリスだが、その声はヒューヒューとした空気の抜ける音にしかならない。強化兵であるが故の生命力でかろうじてつながった命を生かすには、時間がかかりすぎる。


「隊長! はや--ごえっ!」


 その時間のなさはジャックの声が伝えてくる。


「パーカー! おい、パーカー!」


 呼びかけに答える声はない。

 苛立ちとともに視線を向ければ、そこには顔をぐちゃぐちゃに潰された死体があった。頭からは血とは違う何かがとろりと流れ出ている。ファスの頭突きの踏切が、細かな石礫を散弾のように打ち出したのだ。


「……許せ、ノリス」


 こうなれば、ノリスの苦しむ時間が増えるが俺とジャックでファスを手早く抑え、それから手当を行うしかない。ナイフを握っていない左手に拳銃を構える。


「がぁぁ!」


 悲鳴のする方を見れば、ファスの黒魔の腕が蛇のようにジャックの腕を飲み込み、黄ばんだ牙が不揃いに並ぶ腹の口がジャックの下半身を飲み込んでいる。黒魔に比べやわらかいジャックはみるみるうちに飲み込まれ、最期が近づいた時、ジャックが戦闘態勢に入った俺を見つける。

 その顔に似合わない安心した笑顔を浮かべ、あいつはこう言った。


「隊長--」


 --あとは、頼みましたぜ。


 そう聞こえた気がした。

 ジャックの頭蓋が凄惨な音とともに砕かれ、残さずジャックを飲み込んだファスが相変わらずの無表情をこちらに向ける。ジャックが純白と評したブラジャーはひたすらに紅く、ボロボロに破けたBDUが風にはためく。


「まずい」

「あぁ、そうかよ……」


 足元のノリスを見下ろすが、その表情はわからない。ただひとつわかるのは、その両目から感じる死への決意。


「すまない。お前を救えない俺を憎め」


 外すことなく、眉間に銃弾を手向ける。二人だけの静かな空間に銃声だけが響く。


「仕置きの時間だ、ファス」


 待ってか待たずか、俺がしゃべり終わるや否やファスは襲いかかってくる。走る彼女の全ての手には逆手にナイフが握られている。

 初手はファスの第二の両腕によるナイフの振り下ろし。俺は左にかわし、直撃コースの右のナイフは順手に持ち変えていた左手のナイフでそらす。甲高い金属音。予想以上の力強さに手がしびれる。よけた俺の横腹を狙って突き出される少女の右腕のナイフは、銃床で叩き落とした。残されたファスの左腕のナイフはいつのまにやら順手に持ち替えられていて、今度は反対の脇腹を狙ってくる。即座にナイフを逆手に戻し、腕を引く。ナイフのソードブレイカーでファスのナイフを捉え、硬質な音とともに折り砕く。同時に胸へと向けていた拳銃をファスの空いた右腕に掴まれそうになり、咄嗟に後ろへ飛ぶ。ついでに落ちたナイフも踵で引っ掛けて後ろへ飛ばす。追ってくると思われたのだが、ファスはそうしなかった。


「初めて」

「……何がだ」

「私と戦えるの」

「光栄だな」


 しゃべりながら、ファスは新たに腿からナイフを二本抜き取り、俺は胸のホルスターに戻したハンドガンの代わりにファスのナイフを拾う。

 次に仕掛けたのは俺だ。自分で開けた距離を一瞬のうちに詰める。黒魔の腕は俺よりリーチが長い。ナイフを突き出す黒い右腕を皮一枚でよける。耳に届く空を切るナイフの音が、背筋を冷たくなぞる。その腕を肘で切り落とそうと振り上げた左手に、ファスが寝かせた刃をかませる。これで、右腕二つは抑えた。斜め上から迫る太い左腕をくぐるように避け、すり抜け様に左のナイフで肘を切り払う。手応えがあった。ファスの長めのナイフは、黒魔の腕であろうと一閃で切り落とせる。緑の血を吹き出しつつ宙を舞う腕、ファスはそれを気にせずに残った左腕で下から切り上げようとする。


 この機は、逃さない……!


 強く、強く大地を蹴る。近づくことで切り上げは阻んだ。少し腿が裂けたが気にならない。左手はナイフを離し、右手に握ったナイフの柄頭にあたる部分に添える。ナイフとファスの胸の間に障害はない。


 必殺を確信した。その時に見たファスの顔は、死への怯えなど微塵も浮かべていない。操り人形のようなその顔に、黒く染まっていない白髪がなびいている。


 なぜか、あの子の、娘の顔が被った。


 動きの止まった俺の顔を、横から迫る黒い拳が殴り飛ばす。文字通り飛んでゆく俺の体は横に回転し、さっきまで最も高い場所にあった頭が地面にぶつかる。鈍い音がした。回り続けた体は左側面すべてを打ちつけることでやっと止まり、そのままうつ伏せに倒れる。


 ぼやける思考。

 また俺は殺すのか。十年前、黒魔から逃げた俺は仲間と妻子を見殺しにした。そして今、力はあったはずなのに隊員のすべてを殺した。

 あの子は言った、『命令』と。善悪の判断のつかなそうなあの子を、誰かが利用しているのではないか。あの感情を感じない様子が、黒魔との合成の影響でないとどうして言える。


 そんな子を、俺は殺すのか。


 立ち上がろうとして、左腕の動かないことに気づく。痛みは感じなかった。仕方なく右腕をついて体を起こそうとすれば、何かが落ちる音がした。視線をやれば、裂かれたBDUのズボンのポケットから零れ落ちたらしいことが分かる。彼女から唯一もらったそれを右手に握りしめ、立ち上がる。

 そういえば、ナイフはどこに行ったのだろう。両手のナイフは、どこかに消えていた。

 頭をあげれば、悠然と歩み寄るファスの姿。その姿はさながら獲物をいたぶる肉食獣だ。切り降ろされた腕は仕舞ったようで、そのシルエットはひどくアンバランスだ。彼女の姿を捉える左の視界に、頭からどろりと垂れた血が赤いカーテンをかける。それが煩わしくて、左目を閉じた。

 覚悟を固めた俺の左の瞼の裏に、のんきな脳みそが隊員たちの顔を浮かべる。


「すまない」


 本当ならば、俺はお前らの仇としてファスを殺すべきなのだろう。


「俺の勝手に、付き合え」


 最後の力をかき集め、右手を強く握って走り出す。ファスは特に動じることもなく歩き続けている。

 そして、ついに黒魔の腕のリーチに入る。彼女がナイフを突き出してくるのと、俺が右手の中身を上に放り投げるのは同時。ナイフの切っ先が迫る。さっきは頭を狙って避けられたからか、向かう先は俺の心臓だった。左に身を回して半身になってかわし、なおも突進する。

 その先では、ファスが残りの両手に逆手にナイフを持って待ち受ける。右のナイフでわき腹を横から、左のナイフで頭か胸を上から、二振りを同時に突き刺そうとしている。

 それに対して俺は胸から抜き放ったハンドガンで、素早く右のナイフを撃ち落とす。接触の音が耳を裂き、火花が視界を焼く。

 そのまま胸に狙いをつけられることを恐れたファスが、右足を軸に体をドアのように開く。当然、左のナイフの攻撃が遅れる。降りぬいた銃床でそのナイフを弾き、ついでに銃を投げ捨てる。勢いのままに回転する体。ファスの死角になる位置で落ちてきたアレを掴む。


「終わりだ」


 回転の勢いを殺さず、武器を捨てたことに対し少しの油断を見せたファスの首筋に右手の中のものを突き刺し、ボタンを押す。空気が勢いよく抜けるような音がして、それと同時に距離を取る。


 黒い首筋に突き立つのは水色の筒。片側についていたボタンはすでに押されていて、もう片側についた針がファスの首筋に刺さっている。

 一日しか経っていない、あいつとあった日。その日に渡されたセーフティだ。


 ファスは追撃の意思を見せるが、踏み出した右足はかくんと折れ、その体重を支えない。左足からも力が抜け、頭からうつ伏せに倒れる。首を横に向け、黒魔の腕で抜き取った注射器を視認する。

 その途端、生えた時のように黒魔の腕の表面が泡立ち、指先から黒い粘性の高そうな液体となって、ぼたぼたと地に落ちる。水たまりができるかに思えたそれは、地面に吸われるかのように忽然と消えた。続いてファスの体から、流れる水のように素早く黒が引いていく。黒魔の腕が生える際に破れたBDUから、雪のように真っ白な肩甲骨がのぞく。


「ファス、聞こえるか」


 返事はない。震える足で近づいて、膝をついてその首筋に触れる。脈はあるが、やはり反応はない。


「気絶……、いや、寝てるか」


 耳をすませば、規則正しい寝息が聞こえる。

 大きな安心感に包まれ力が抜けた俺は尻餅をついてしまう。体重を支えるために、後ろに右手をつく。見上げた空では、今も太陽が輝いている。


 今日の日差しは、やけに目に染みた。

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