王様と誘拐

 レヴ・クラスティ・オーブシャッティンサンは、カットの警護を勤めていた男だ。

 貴族の子息で構成されていた王族警護隊の中でも屈指の実力者であり、幼い頃からカットに仕えていた人物。その男がなぜかカットを誘拐している。

「ちょっと待て、なんでお前が俺を誘拐してるんだよっ?」

「陛下が好きだからっ!」

 カットは疑問に、レヴは得意げに笑ってみせた。

 猫橇を巧みに操るレヴに、カットは後方から抱きしめられている状態だ。

「お前、実家に帰って、家継いでる義兄さんを助けるんじゃなかったのか?」

「いや、義兄さんに嫁が出来ちゃってさ、なんかいづらくなちゃった。義父さんが俺にも結婚しろってしつこいんですよぉ。一応婚約者はいるけれど、そんな気分じゃないし……。俺、陛下のせいで今無職だし。どうしよう……」

 こくりと首を傾げ、レヴは笑みを深めてみせる。彼の言葉に、カットは何も言うことができなかった。

 彼の解雇を止められなかったのは自分の責任だ。王族警護隊に入っていた隊員のほとんどが、他の部隊へと移動となった。だが、レヴのように軍を辞めていったものもいる。

「それに俺というものがありながら、あんな可愛い子ちゃんが新しい護衛ってどういうことです? そりゃ、俺は陛下より弱いですけど……」 

「すまん……」

 去年の剣術大会を思い出し、カットは謝罪の言葉を口にする。 

 腹痛で思うように剣が振るえないレヴを、カットは容赦なく倒したのだ。自分の言うことをきかないこの男を懲らしめたくて、手加減が出来なかった。

「あ、もしかしてまだ去年のこと悩んでます? そんなもんとっくに水に流しましたよ。本当に陛下は生真面目なんだから……」

 レヴが顔を覗き込んでくる。眼を不機嫌そうに歪め、彼は言葉を続けた。

「俺がご挨拶したいのは、後ろから俺たちを追いかけてくる、こわーい女の子ですから」

 レヴの弾んだ言葉に、カットは思わず後方へと顔を向けていた。

 猫たちに引かれた青い橇が、物凄いスピードでこちらへと迫ってくる。橇を引く最前列のリーダー猫はアップルだ。 

 そして、橇を操るのは――

「陛下を返せっ! この不届き者がっ!」

 紅蓮のごとく眼を光らせ、怒り狂ったフィナだ。彼女はカットたちの乗る橇を睨みつけ、アップルに指示を送る。

「アップルさん。お願いしますっ!」

「にゃうっ!!」

 アップルが後方を走る猫たちに合図を送る。

『にゃー!!』

 猫たちはいっせいに鳴き、走るスピードをあげる。フィナの橇がまた近くなり、カットは彼女に叫んでいた。

「フィナこっちは大丈夫だ! これには訳が――」

「陛下、橇お願いしますっ!」

 後方にいるレヴがカットの言葉を遮る。彼はカットから離れ、立ち上がった。

「ちょ、レヴっ?」

「我はオルム・クラスティ・オーブシャッティンサンが義息子レヴ・クラスティ・オーブシャッティンサンっ! フィナ・ムスティー・ガンプンに勝負を挑むっ!」

 両脇に差していたレイピアとタガーを抜き、レヴが高々と名乗りをあげる。

「フィナ・ムスティ・ガンプンッ! その勝負承ったっ!」

 フィナも高々と声を上げ、腰に下げていたサーベルを抜刀した。フィナの橇が、カットたちの橇と並ぶ。

 フィナとレヴはお互いに睨み合い、剣を構える。

「アップルさんっ!」

「にゃうっ!」

 アップルが鳴く。その鳴き声を合図に、両者は刃を振るった。フィナの小ぶりなサーベルを、レヴのタガーが防ぐ。すきの出来たフィナの首元に、レヴはレイピアの刃を伸ばした。後方に下がり、フィナはその刃を交わす。

「おい、お前たちっ!」

「陛下は黙ってっ!」

 戦いを止めようとしたカットの言葉を、レヴが遮る。彼はカットへと振り向き、嗤ってみせた。

「陛下は俺のなの……。それを、あんな小娘に盗られてたまるかっ!」

 レヴが跳ぶ。フィナの橇へと着地した彼を、カットは唖然と見送ることしかできない。橇へと着地したレヴの剣劇を、フィナはサーベルを滑らせしなやかに受け流して見せる。フィナの腹部に、レヴのタガーが肉薄する。フィナは足を浮かせ、レヴに蹴りをお見舞いした。

 フィナの蹴りがレヴのタガーの軌道を逸らし、レヴの腹部に命中する。

「ぐぅ!」

 レヴは橇の外へと突き飛ばされ、カットの乗る橇に倒れ込んできた。

「レヴっ」

 カットが叫ぶ。

「女だからと言って甘く見るな、下郎っ」

 サーベルの刃を倒れるレヴに向け、フィナは不敵に笑ってみせる。レヴはそんなフィナを睨みつけながら、体を起こす。

「くそっ、剣以外ってアリかよ……」

 蹴られた腹部が痛むのか、彼は腹に手を当て立ちあがる。フィナは鋭く眼を細め、片足をあげてみせた。先ほどレヴのタガーがあたったせいだろう。フィナのブーツには、細長く切れ込みが入っている。

「どうしてくれる……? 陛下を攫っただけでは飽き足らず、国民の血税で賄われている軍備品をお前は傷つけた。まったくもって、万死に値する下郎だな」

 怒りに燃えるフィナの眼がレヴに向けられる。びくりとレヴは肩を震わせ、顔を引き攣らせてみせた。

「おいおい……。かりにもレディがそんな……」

「軍人に男も女もないっ!」

 橇の縁に足をかけ、フィナが跳ぶ。フィナは軽い身のこなしでカットの橇に着地した。彼女は、ためらうことなくレヴに向かって刃を振るう。レヴは横に逸れ、刃を躱した。

「小賢しいっ」

 容赦なくフィナのサーベルがレヴを追う。レヴはタガーを逆手に握り直し、かろうじてサーベルの刃をいなした。

「さて、ダンスといこうかレヴ殿っ」

 美しい唇を歪め、フィナが不敵な笑みを浮かべる。

「誘ってるんじゃねぇよっ!」

 レヴもまた苦笑を滲ませ、フィナに突きをお見舞いしていた。まるで蝶が舞うようにひらりとその突きを躱し、フィナはレヴの背後へと移動する。笑みを深め、フィナはレヴの両肩に手を置いてみせた。

「まだまだ、リードが甘いな。そんなんじゃ、レディの相手はできないぞ……」

 ふっとレヴの耳に息を吹きかけ、フィナは囁いていせる。びくりとレヴは体を震わせ、後方にいるフィナへと顔を向けていた。

「さらばだ。もう、顔を合わせることもないだろうがなっ!」

 レヴの両肩から手を放し、フィナは彼の背中に思いっきり蹴りを入れる。

「ぐわっ!」

 レヴが呻く。彼の体は橇から投げ出され、接近していたもう1つの橇へと倒れ込んだ。

「アップルさん。その不埒者を憲兵たちのもとに送り届けてくださいませんかっ!?」

「にゃーうっ!」

 フィナの言葉に、橇を引くアップルが上機嫌で返事をする。アップルの引く橇は速度をあげ、ぐんぐんとカットの乗る橇から遠ざかっていった。

「ちょ、おいまてっ! 陛下っ! 陛下ー!!」

 橇から身を乗り出し、涙目のレヴがこちらに向かって叫んでくる。

「なんなんですか、アレは……」

「ごめん……。あとでゆっくり話す……」

 呆れた様子のフィナに、カットはそう返すことしかできなかった。



 

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