猫耳王は恋が苦手

王様の苦悩

 ぱちりと暖炉の火が跳ねて、猫耳がぴくりと動く。カットはがばりと上半身を前のめりにして、両手で顔を覆った。顔の両脇に生じている猫耳を力なくたらして、呻き声をあげる。

「舞踏会は来月開催される。それまでに、その猫耳をなんとか克服するんだ」

 向かいに座る父が厳しいまなざしをカットに送ってくる。王としての位をカットに明け渡したとはいえ、彼の威厳は衰えることがない。

「カット、お前はこの国の王であることを忘れてはいけない。王には国の母となる妃と、跡継たる子が必要なのだ」

 きりっと皺の寄った眼に鋭い光を宿し、先王ティーゲルはカットを睨みつける。

「いや、父上は孫が欲しいだけしょ……。ウルに先週愚痴ってるの聞きましたからね……。というか……。本当に結婚だけは勘弁してください、父上!」

 びんっと両猫耳を立ちあげ、カットは父に叫んでいた。潤んだ眼でティーゲルを睨みつけ、カットは父王から顔を逸らす。

 顔を逸らした先には、窓があった。

 窓硝子に映る自身の姿を見て、カットは唸り声をあげる。

 アイスブルーの眼が嫌そうにカットを見つめ返してくる。雪を想わせる白銀の髪からは2つの猫耳がにょっきりと生えていた。銀灰色の猫耳の内側には飾り毛があり、外側に向かってくるんと丸まった状態で伸びている。

 鏡像の向こう側には、雪に覆われた大地があった。峻厳な山脈と平地が続く白い土地を、細長いフィヨルドが走っている。フィヨルドの終わりには、カットのいる王城の建つ王都が存在する。

 赤い木製倉庫が建ち並ぶ港が、雪景色の中でひときわ映えていた。港の向こう側には暗い海が広がり、海の彼方には氷山が浮いている。

 北極点に近いこの国ハールファグルでは、氷山は見慣れたものだ。氷山の向こうに位置する北極点には、この世界を支える大樹ユグドラシルが生えている。

 雪に霞む海の最果てに、その巨大な姿を眺めることができる。

 父から王位を継いだとはいえ、この土地を治めているという自覚をカットは持つことが出来ない。

 猫耳もそう思う原因の1つだ。

 こんな耳を持つ自分を受け入れてくれる女性がいるだろうか。

 自分が一国の王だとしてもだ。

 この猫耳を隠すために、カットは一年中帽子を被っている。ノルウェージャンフォレストキャットの上等な毛で作られた、真っ白な帽子だ。

 そのため、ついたあだ名が帽子王。

 これまでティーゲルに隣国の姫君や貴族の娘たちと付き合わされた回数は山ほどあったが、すべて破局に終わっている。

 幼い頃に生えたこの猫耳のせいで、カットは極端に人付き合いを避けるようになった。亡き母の面差しを継いだ容姿は端正で、見る者にどこか儚げな印象を抱かせる。だが、人見知りな性格が女性たちとの触れ合いをためらわせるのだ。

 特に帽子にふれたら破局は必須だ。

 カットはこの猫耳を見られることを恐れている。仲の良くなった女性が帽子を脱がせようものなら、大変なことになる。カットは容赦なく帽子を脱がせようとした人間を突き飛ばすだろうから。

「そんなに嫌か、その猫耳……」

 はぁとティーゲルのため息が聞こえる。ぴくりと猫耳を動かし、カットは父へと顔を向けていた。

「こんな呪いが王にかかってるって知れたら……」

「それはそうだが、いつまでも隠し通せるものではないだろう?」

  カットは父を睨みつけていた。このハールファグルは難攻不落の王国として名高い。国土は峻厳とした山脈に取り囲まれ、長い季節を深い雪に閉ざされる。海から攻めようとすれば、細長く複雑に枝分かれしたフィヨルドの地形に進行を阻まれる。

 それゆえ、この王国は長年にわたって平和を築いてきた。そのあいだに築きあげられた豊かな国土と国財を狙うものが後を絶たない。

 例えば、ティーゲルの子供はカットだけだ。彼が王に相応しくないと国民が声をあげれば、近隣諸国を治めるティーゲルの兄弟や、その子息たちが我先にと王位継承権を主張するだろう。

 そうなったらこの国は、王位を巡る争いの渦中に放り込まれることになる。

 それに――

「呪いに打ち勝てない人間が王だとして、国民はともかく近隣諸国の王たちがなんというか……」

 カットの顔には自嘲が浮かんでいた。ティーゲルは顔を曇らせる。顎髭をなでながら、彼はカットの後方へと眼をやっていた。

 後方の壁には、大きな肖像画がかかっている。

 たくさんのノルウェージャンフォレストキャットを従え、玉座に座る女性が肖像画には描かれていた。

 カットと同じアイスブルーの眼と、眩いばかりの白銀の長髪を持つ女性だ。女性は整った顔に優しげな笑みを浮かべ、膝に真っ白な猫を乗せていた。

 亡くなったティーゲルの妃ヴィッツだ。彼女は国の母であるとともに、豊穣の女神フレイヤの血を引く魔女でもあった。

 王の妃には女神の血を引く魔女が選ばれる。 

 魔女は女神の血を引き、生まれながらにして魔法を使うことが出来る女性の総称だ。

 もちろん、その王妃から生まれた王子たちにも魔女の血は引き継がれる。

 遠い昔、この世界は神々と神々の敵である巨人族との戦いによって一度滅びたという。そして遠い未来、また神々の黄昏と呼ばれたこの争いが巻き起こり、世界を滅ぼすと予言されているのだ。

 その言い伝えに則り、古来より諸国の王たちは女神の血を引く魔女たちと婚姻を結ぶことを義務づけられている。

 戦いが再び始まったときに、神々の軍勢に加勢するためだ。女神の力を受け継ぐ者たちは、巨人族たちと対等に戦うことができるという。

 そして、この婚姻にはもう1つ意味がある。

 魔女から生まれた子供は、その血によって祝福される。魔女の血は国の王族たちを呪いから守ってくれるのだ。

 その守護の力が強ければ強いほど、その者は神々に祝福されているとされ、王に相応しいものだとされる。

 だが、カットは幼い頃に猫耳が生える呪いを受けてしまった。魔女でもあるヴィッツが四方八方手を尽くしたが、彼の猫耳が治ることはなかった。

 だからこそカットはこの猫耳が人目に触れることを恐れる。もちろん、一国の王に生える猫耳など容易に隠し通せるものではない。

 臣下たちはカットの帽子の下に何があるかを知っている。周辺諸国を治めるティーゲルの兄弟たちも同様だ。

 秘密にしていても、諸国の王たちはは密偵を放ってこの秘密を暴くだろう。それほどまでにカットの叔父たちは、抜け目がなく油断ならない人たちなのだ。だからこそこの事実を国民に知られてはならない。叔父たちはすきあらば帽子の秘密を公にし、カットに対する王の資質を問題にしてくるだろう。

「叔父上たちは油断ならない。この国を守るためにも、私は妻を娶る前に父上から教えてもらいたいことが山ほどあるのです」

 すっと眼を細め、カットは父を見すえる。ティーゲルは盛大に息を吐いて、椅子から立ちあがった。彼は壁にかかった肖像画の前に行き、口を開いてみせる。

「ヴィッツや、私たちの子供はいつからこんなに立派になってしまったのやら……。父上、弟が欲しいと泣きついてきたあの可愛いカットはどこに言ったのかのぉ……。お前が子供を産めないから、代わりにカットが孫をたくさん作ってくれると幼いときにしてくれた約束は、いつになったら果たされるのかのぉ」

 ひしっと両手を亡き妻の肖像画に押しつけ、ティーゲルは肖像画に頬ずりをする。ちらっとカットを一瞥してから、彼は悲壮な声で言葉を続けた。

「私も老い先短い身の上。だからこそ若いと懸念しつつも、カットに王位を譲ったというのに……。この息子ときたら王の最大の仕事である子作りを軽視しておる。あぁ、孫の顔が見たい。孫の顔が見たいぃ……」

 愚図りながらティーゲルは頬ずりを肖像画に続ける。そんな父の様子を見て、カットは怒鳴り声をあげていた。

「やめてください父上! 恥ずかし過ぎますっ!」

「ぶぅー、息子が恐いよぉ、ヴィッツ……」

 わざとらしく頬を膨らませ、ティーゲルはカットを見つめる。カットは猫耳をだらんとたらし、額に片手をあてた。

「父上のお気持ちは痛いほどわかります。でも、この猫耳を何とかしないことには女性との交際は……」

 すっと初恋の少女のことを思い出し、カットは猫耳を力なくたらす。  

 ティーゲルには言っていないが、女性と交際できない理由がカットにはもう1つあった。

 自分に呪いをかけた少女を、カットは忘れることができないのだ。

「何、それだったら手は打っておる」

 弾んだ父の声にカットは我に返る。

 くくくくっと怪しげな笑い声をあげながら、ティーゲルは指を鳴らしてみせた。 その音を合図に、部屋の扉を叩く音が聞こえる。

 誰かが部屋に入ってくる。カットは手早く卓上に置いていた帽子を取り、被ってみせた。

「今日から国王陛下警護の任を受けました。王族警護隊所属フィナ・ムスティー・ガンプンっ。参上いたしましたっ!」

 凛とした声が扉の向こう側から響いてくる。びくりとカットは猫耳を立ち上げ、扉へと眼を向けていた。

 扉が静かに開かれ、軍服姿の女性が部屋へと入ってくる。

 彼女は豊かな黒髪を後方へ結わえ、紺青の軍服に身を包んでいた。彼女は赤い眼をカットへと向けてくる。

 一瞬、カットの脳裏に幼い頃の記憶が蘇った。

 ――あんたなんて猫になっちゃえばいい!!

 そう言い放った少女に、彼女の面差しはどこか似ていたのだ。

 まるで、成長した少女がその場にいるような気がしてしまう。カットは女性から目を離すことができなかった。

 すっと眼を伏せ、彼女は右手を頭の前に翳し敬礼をする。その流れるような動作に、カットは見惚れていた。

「陛下、いかがなさいました?」

 凛とした声に呼ばれ、カットは我に返る。軍服の麗人は、不安げにカットを見つめていた。

「その、国王陛下警護の任というのは……」

「はい。先王様から仰せつかり、今日から私が陛下の身の回りの警護にあたることとなりました。よろしくお願いいたします」

 整った顔に笑みを浮かべ、彼女はカットに答えてみせた。彼女から視線を放し、カットはティーゲルを睨みつける。

「すまんカット。言うの忘れとったわ……」

 好々爺然とした笑みを浮かべ、ティーゲルは得意げに笑ってみせた。

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