愛しのロクサーヌ

第16話「僕の名は正宗由紀夫。よろしく」

「ところで目の下にクマが出来てるけど大丈夫? 」

 ロキシーが俺の顔を覗き込んで言った。


「寝不足なんだよ。疲れがたまってるんだ」

「よくそれで遅刻もせずに来れたわね」

「ここは俺にとっては楽園なんだ。ほとんど唯一の日常を感じさせてくれる場所だからね」


 学校は今日ものどかだった。初夏の風が窓から入って俺の頬を触っていた。


「ごめんね」

「何が? 」

「まき込んじゃって」

「まき込まれたんじゃない。俺がお前といることを選んだんだ。だろ? 」

「うん」

 彼女は嬉しそうに頷いた。


「なあ、俺たちみたいな警らエスコートって他にもいるんだろ? 」

「いるわよ。都市部には特に多く配置されてるわね」

「なんでこの街に本部があるんだ? 東京とかじゃなくさ」

「なんでそんなこと気になるの」

「いや、ふと思っただけだよ」


「たまたま本部の建設時に支援者が多い街が選ばれただけよ。実は言ってなかったけど、この時代にもキャラバンを支援してくれる人たちがいてね。ほら紙谷くんだってこの時代の人間じゃない。それと同じよ。ありがたいことよね」


「春樹、ちょっとー」

 その時マヤが俺を呼んだ。


「ほらマヤが呼んでるわよ。行かなくていいの? 」

「何、なんか用? 」

 俺は首を捻って叫んだ。

「そんなんじゃダメよ。ほら、行ってらっしゃい」

 ロキシーに押されて俺はマヤの席に向かった。


「今日ね、お弁当作ってきたんだけど食べてくれる? 」

 マヤがヒソヒソ耳打ちしたきた。

「当たり前だろ。ようやく食わせてくれるのか」

「良かった。じゃあお昼休みに屋上でね」

「教室じゃないのか? 」

「みんなに見られると恥ずかしいからね」

「俺は平気だぞ」

「もう、私が恥ずかしいのよ」

 そういうもんかな。


「そういやお前さっき誰と電話してたんだ? なんだかすごく嬉しそうだったけど」

「え……別にいいじゃない」

「なんだよ。マヤも俺に隠しごとする歳になったのか? 」

「当たり前でしょ。私だっていっぱい春樹に隠しごとしてんだかんね」

「他の奴には内緒にするからさ」

 俺はマヤに耳を近づけた。


「俺にだけは」

「……ダメ」

「そこをなんとか」

「おいそこ。じゃれるな! 」

 拓実が目ざとく見つけて教師のように指さした。


「ほら、拓実がうるさいからさっさと済ませろよ」

「もう、……実はね、この間全日本お弁当コンテストの予選を受けたんだけど、あれはその結果の電話でね」


「通ったってことか」

「そう。恥ずかしいからみんなには黙ってたんだけどね」

「やるじゃん。今日は期待するぞ」

「いいわよ」

 マヤの得意げな顔がなんだかとても愛おしかった。

 こういう一時が俺は堪らなく好きだった。


「ねえ、こっちも一つ訊いていい? 」

「何だよ、改まって」

「いつも私たちと別れた後、二人でどこに行ってんの? 」

「どこって、別にどこにも行ってないけど」

「香澄ちゃんがね、二人を駅で見かけたんだって。春樹の家ってこの街だよね」


 さて困ったぞ。


「買い物の荷物持ちに付き合わされただけだよ。あいつの親戚が来るとかで、急に物が必要になったとか言ってたな」


「ふーん」

 マヤの目つきからは、俺の言葉を信じたのか信じていないのか判断がつかなかった。


「じゃあロキシーちゃんの家にも行ったことあるってこと? 」

「玄関までならな」

「家に上がりたいと思わない? 」


 思う。ってかこれ尋問されてるのか? 

 マヤはじっと俺を見ていた。


「みんなで行くか? 」

「うん! 」

 良かった。正解みたいだ。


 ロキシーに話してみると二つ返事で「いいわよ」とのこと。

 これまた良かった。彼女にも家はあったんだ。


 俺はマヤの弁当を楽しみにしながら午前の授業を居眠りで潰した。


 ◇ ◇ ◇


 昼休み、拓実が俺に絡んできた。

「いいなー、俺もマヤの手料理食べたいな」

「今度ロキシーの家に行く時に作ってもらえよ」

「それじゃダメなんだよ。学校で俺だけの為に作られた弁当が食いたいんだ。男どもの嫉妬と羨望の入り混じった視線を浴びながらな」


「考え方が不純だな」

「だってよー、それって男の勲章みたいなもんだろ。俺も一度は他の男どもに嫉妬される男になりたいんだよ」

 そんなものの為にマヤを使うなよ。


 程よいところであしらうと俺は屋上へと向かった。


 踊り場から屋上へと通じるドアを開けると既にマヤはいて、なにやら男子生徒と話をしている最中であった。


「あいつは確か隣の組の山中。もしかしてこれは……」

「どうやら告白中のようだね」


 誰だこいつ?


 いつの間にか俺の隣には見知らぬ男子がいて、同じように屋上を覗いていた。


「可愛い人だね。あれならモテるのも無理はない」

 そいつは俺の方を向くとニコリと笑った。


 美少年とはこいつの為にあるような言葉だろう。

 涼やかな瞳、キュッとしまった唇、どの角度から見ても顔の造形が完璧であった。


「僕の名は正宗由紀夫。よろしく」

「見たことない顔だな」

「一年のクラスは三組だ」

「俺のクラスだ。俺の記憶が確かなら俺はお前を知らない」


 またキャラバンは俺以外の連中の記憶を改竄したのか?


「今日転校してきたばかりだからね。到着が遅れてしまって、今は学内の施設を見学して回ってるところさ。ところでこれ覗いちゃまずがったかな? 」


「面白いから俺は覗くぞ」

「じゃあ僕も」

「誰にも言うなよ。喋ったら俺たち縛り首だ」

「オーケー、僕たち共犯ってとこだね。ところで君は? 」

「紙谷春樹だ」

 他人の恋路を覗く共犯者となった俺たちは、暗がりの中でがっちりと握手をした。


「あ、どうやら上手くいったみたいだね」

「いや、あれはダメだったんだろ」

「だって彼女、頭を下げてるよ。あれはこれからよろしくお願いしますってことだろ? 」

「いくらマヤが礼儀正しくてもそれはないだろ。あ、山中がこっちに来るぞ」


 俺たちは身をかわすと隅の方で小さくなった。


 山中は俺たちに気づかず行ってしまった。

 彼も今日からマヤに撃沈された男たちの仲間入りだ。さぞかしいい同志に恵まれることだろう。


「早乙女マヤは誰のことが好きなんだろう? 」

 正宗が呟いた。


「俺に訊いてるのか? 」

「いや、単なる独り言だよ」

「それなら良かった」

「君も知らないのかい? 」

「まあな」

「それは残念」

「まさか興味を持ったとか? 」

 正宗は答える代わりにもう一度笑った。


「そこで何やってんの? 」

 いつの間にかマヤがヒョッコリ顔を出していた。


「見てたでしょ」

「何のことだ? それよりそろそろ食わしてもらっていいか? 」

「どーぞ。たんと召し上がれ」

「申し訳ないが僕のことを紹介してくれないか? 」

と正宗。

「礼儀を重んじたいんだ」

 変な奴だな。


「こいつは正宗由紀夫。俺たちのクラスに今日転入してきたらしい」

「よろしく早乙女マヤさん」

 正宗は手を伸ばした。


 マヤはまるで異星人とコンタクトでも取るかのように、おずおずと手を伸ばした。


 一方正宗は騎士のようにマヤの手を恭しく握ると、その美声でもって囁いた。


「マヤ、美しい名だ」

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