第35話 激闘とハプニング
「つ.....疲れた.....」
牛丼屋の机で突っ伏したまま、僕は力なく冷水の入ったコップを握り締めていた。向かいの席に座ったマチは、知らない人に撮ってほしいとお願いしていた本日のバトル動画を見返すことに勤しんでいた。
「うん。これでベスト4なら、十分凄い」
「正直そこまで上がれたのが奇跡だよ。後半なんて相手のステップ盗んでそのまま返したりしてたからね.....ネタ切れ早かったなぁ」
「でも、技増えたね」
「まぁね」
言われるがままに立ち踊りのみで戦った僕は、見事にマチの足を引っ張ってしまった。フロアに入らないブレイカーとして観客に面白がられ、MCには「でもしゃがまなーい!」とネタ要員にされる始末。そりゃ、お面被った小さい人とすぐにネタ切れを起こした立ち踊りしかしないブレイカーのチームがいれば誰でも注目してしまう。
でも、不思議と悪い気はしなかった。
「楽しかったね」
「うん。意外と楽しかった。ああやって弄られるのは初めてだったけど、みんな笑顔で見てくれるしむしろ清々しい気分だよ。トップロックだけなんて普通やろうと思わないし、いい経験にもなったさ」
「リク、これいいよ」
「どれどれ?」
二人で携帯を覗き込んで鑑賞会。あまりにも不格好なステップから思いのかシルエットが良く見えたステップ。恥ずかしかったり面白くて笑ったり、こんなふうに自分の動画を見るなんて新鮮だった。
夕飯を終えた僕たちは、次の日の朝も早いのでさっさと部屋に戻り眠ることにした。明日は昼間に京都のショッピングモール。夜には滋賀のクラブでオールのイベント。なかなか激務だ。
「じゃあ、おやすみなさい」
《おやすみ、リク》
別々の部屋なので電話で予定の確認とおやすみの挨拶だけ済まし、布団に潜り込んだ。
気疲れだけで体の疲労はそこまで溜まっていなかったのはなによりだ。どうせ明日の夜にはボロボロになるだろうし、いまだけ布団の心地よさを全身で味わいながら眠ることが出来るのだから。
「リク、ラビット出来る?」
京都のバトル五分前。マチはまたワクワクしながら話しかけてきた。
嫌な予感しかしない。
「ラビットだけは少し.....。でも、ワンハンドはまだ出来ないよ?」
「それで大丈夫。今日はトップロックとラビットだけね」
「またか〜.....」
当たり前のように制約をかけてくるなこの子は。ラビットは逆立ちでぴょんぴょん跳ねて踊る縦系というスタイルの技だ。しかし、ラビットを使うくらいならトップロックだけの方がまだマシな気がするぞ。
「マチは?」
「私も同じ。縦系だけにする」
「ブレイクバトルだもんね」
そして、大規模なブレイク2on2が始まった。結果だけ言う。予選落ちだった。
同日深夜。今度は滋賀のクラブだ。以前来たことがあるマチの家の近所。どうやらフリースタイルチームバトルらしく、アニソンは流れない。そして、2on2ではなくチームバトル。ほとんどのチームが四人から八人で挑んでくる中での二人参戦。ムーヴ数が他の二倍以上となる過酷なバトルになりそうだ。
「リク、フットワークしていいよ」
「本当!? やったぁ! そろそろフロアに入りたくてウズウズしてたんだ!」
「フットワークだけね。フリーズも無し」
「はっ.........ははは、ですよね.....」
「私はトップロックだけ」
「.........予選は勝とうね」
「ふふっ」
その夜。いまだかつてないほどの激的な疲労感に見舞われた。スタイラーだけど、フットワークだけで他の何倍も動かされたら足がもげるかと思ったよ。
ただ、思ったより戦績はよくて、予選三回を勝ち上がって、さらに本戦を一回勝ち抜くベスト16。これは褒められてもいい。
マチの家に泊めてもらって昼まで寝た。あまりにも疲れていたので新幹線を寝過ごしそうになったけど、マチが起こしてくれて助かった(寝起きに死ぬほどご飯を食べさせられたけど)。
そして最終日、横浜の深夜イベント。これはブレイクチームバトル。京都では2on2だったけど今回はチームバトル。つまり、京都戦と滋賀戦の合体だ。疲労具合も考えると三日間で最も辛い勝負になりそうな予感がする。
「リク」
「はいはい。今度はなに?」
「このバトル、レベルは低い」
「ん? そうなんだ」
「だから優勝しよ。リクは全部解禁していいよ」
「やっと.....やっとまともに踊れる」
なんだか涙が出そうになる。自由にトップロックを踏んで、自由にフットワークが出来る。僕、こんなにブレイクが好きだったんだな。
「ただ、あそこのチームは気をつけてね」
マチが指さしたいのは五人組のチーム。ムードメーカーみたい人は眼鏡をかけて角刈りの一目で覚えられそうな人だった。
「あのチーム知ってるの?」
「うん、去年の九州代表だよ」
「うん? さっきレベル低いって.....」
「あそこ以外、ね」
まさかこんなところで地区予選代表と遭遇するなんて思わなかった。せっかくだ。たくさん勉強させてもらおう。
しかしマチは、お面ごしでもわかるくらい本気のオーラを出していた。
「もし負けたら」
「負けたら?」
「わたしがリクの師匠になる」
「.............優勝しよう!!」
やばいやばいやばい! それは嫌だ! まだ選手生命を断たれるわけにはいかない!
「二人きりで練習。素敵」
「マチ! 始まるよ!」
「リクは滋賀に住んで.....」
「ほら行くよマチ!」
それだけはあってはならない。この子、大学も滋賀から通わせる気だ。僕は僕の生活のために絶対に負けられない。
MCのコールが入り、イベントはスタートした。例のチームは決勝までは当たらない。どう温存して勝ち抜くかが今回の鍵だ。
命を燃やすつもりで、僕は先攻で踊り出した。
《勝者! カレノコセカンド!!》
ようやく決勝に上がれた僕たちは、拍手の嵐を受けていた。チーム戦で二人だけで勝ち進むというのはそれだけ価値のあることなのだ。
しかし、すでに身体はボロボロだった。足のみを酷使するバトルを越え、縦系で腕だけを酷使するバトルを越えてきたものが重くのしかかってきた。限界間近の肉体は絶えず悲鳴をあげ、出来ることならもう帰って寝たい。
「リク、やっぱり上がってきたね」
「例のチームだね。大丈夫。まだネタは残してるよ」
「バトル、上手くなったよ」
「ありがとう。この三日間でネタもいっぱい増えたお陰だね」
何だかんだ、この三日間は僕にとって有益なものばかりだった。スキルアップもさる事ながら、待ち時間でもマチとの観光。短い時間だったけど、こんな素敵な時間をくれたマチにお礼が言いたかった。
だけど、それはこのバトルで勝ってからだ。最高の優勝を彼女に捧げよう。
《それでは!! 決勝戦を始めます!! カレノコセカンド vs LOVE try ATTACK!! バトルスタート!!》
大地を揺らすようなビートが包み込む。ブレイクの超有名曲。決勝で流れるにふさわしい曲だった。
まずは相手の先攻。人数差があるときは多い方のチームから出るのが暗黙の了解なのだ。
「!?」
だが、それは相手を見くびっているわけでも手を抜いていることでもない。代表チームだけあってそれをよくわかっていた。まさか、初手でルーティーンをくるとは思わなかったけど。
「本気で潰しに来てるね」
「リク、耳貸して」
これは決勝戦。そこに上がるだけの実力を認められた証拠だろう。入れ代わり立ち代わりの目まぐるしいルーティーンは会場を一気にまくし立てる。
だけど、ルーティーンならこっちにもある!
「リク!」
「うん!」
マチと同時に駆け出し、二人のシルエットを合わせた高速ステップで応戦した。相手は面白いネタ系のルーティーンだったから、この高速ルーティーンは上手く噛み合う。
「いけマチ!」
タッチの勢いを使った高速バックスピンから入るマチのソロ。出始めで流れは持っていかせない逃げ切りの策に出たのだ。
《おぉおおお! 面をつけたままこのスピード!! アロンアルファでくっ付けてるのかそれ!!》
ハイレベルなマチのパワームーヴは一気に流れを持ってくる。さらにバク転からの力強いハローバックは並のダンサーでは返せない。
マチの下がり際で素早くズールースピンで一人飛び出してきた。あの人は、相手チームのリーダーだ。完全なスタイラーでレベルも高い。全く同じスタイルの僕が返せるかで前半の流れは決まる。
《メガネが出たぁ! 実力はお墨付き! オリジナリティ溢れるメガネワールドが炸裂する!》
名実共に実力者。そのフットワークは他とは桁違いに洗礼されており、ベーシックなステップを上手く改良してある個人技と化していた。
渋く頭に手を置いたワンハンドエアベイビーが痺れた。最高のパスだ。
「リク!」
「まかせて!」
僕は受け身のような前転で距離を詰め、個人技には個人技。オリジナルフットワークで返す。
(ワンハンドエアベイビーなら、僕だって持ち技だ!)
わざと背中に落としてのはね起き、変形の一歩から独自のワンハンドエアベイビーを返した。これで、彼と一対一の形を作った。
僕が下がると、相手のリーダーは受けて立つといった様子でもう一度出てきた。
《返す返す返す!! 男の殴り合いかぁ!?》
予想通りうまく乗ってきた。空気の掴み合いが始まる。
相手はエアベイビーの次はエアチェアと、またもやオリジナリティムーブを繋いできた。誰もが僕がもう一度返すと思っているだろう。ここが正念場だ。
相手が僕を指さして帰っていく。間髪入れずにマチと目を合わせた。
《ルーティーン!? 勝負には乗らない!!》
マチと合わせた、たった二つのルーティーン。組体操のようにお互いの身体を滑りながら音に合わせて舞った。そして、出たのはマチだ。
パワーからフットワークへ、スタイラー成分多めのセットを繋いでいく。ストマックから流れるようにハイチェア、勢いを反転させてエルボーマックスへ上げた。
(ここだ!)
相手が終わりを見極めるよりも先に、僕はマチの真上を通り飛び込み前転で戦線に突入する。
そう、これはマチのソロではなく、フェイントを入れた僕のソロ出しルーティーンだ。
《返した!! 味なことをする!!》
マチの短いソロで突き放した距離をさらに遠ざけるために、いま出せる限界の速度で足を回転させる。呼吸を対価に生み出されるハイスピードフットワークはスタイラーじゃないと返せない。
そして、向こうの実力派スタイラーはすでに二回連続出てきた。もう出られない。パワーが出てきてもマチに対抗出来る人はここには存在しない。
頭の中のパズルが、面白いほどハマった。
制限時間も残り僅か。序盤で掴んだ空気は簡単に覆されることもなく。こちらが逃げ、相手が追いかける図式が完成していた。
ラストワンムーブ。マチが突き放してしまえばかなり有利なままジャッジを迎えられる。僕は汗だくのマチと拳を合わせ、彼女を送り出す。
《これがラストムーブ! 決めてくれ!》
マチは助走をつけると大きく一歩を踏み出す。その足に力を込め、高く跳ね上がった。バク宙。それも空中で前進するダイナミックなアクロバットだ。
一気にセンターラインまで飛んだ身体は、そのままスピン系のパワームーブに繋がる。マチは繋ぎがとにかく上手い。どの技からどの技へ繋がるかを完全に把握している。
残り五秒。エアートラックスから背中へ落ちるボム。バックスピン、そしてAトラックス。
《3、2、1.......》
MCの声に合わせるつもりでそのまま頭に持ち上げドリルの体勢。
《終〜〜〜〜了〜〜〜〜ぉぉおおおおおおおおぉおぉおぉお!?!?》
声は途切れることなく続いた。それは驚愕の叫び。周りのダンサー達も合わせて声を張り上げる。
驚いたことに、マチは一瞬の高速ヘッドスピンであるドリルで終わることなく、軸を完璧に捕らえた超ロングドリルをやってのけたのだ。
身体が震えた。やろうと思っても出来るもんじゃない。ヘッドスピンからではなく、ほかの技からの繋ぎでロンドリは反則技だ。
声が一瞬途切れたのを見計らって、マチはドリルを解除して立ち上がる。圧倒的な力の差を見せつけ、大歓声が上がると思われた。
しかし、訪れたのは短い静寂とどよめき。
理由は一つ、それは.....。
《.........まさか【ファイヤーフォックス】のマチ?》
マチのお面が外れ、地面に転がっていた。素顔を露わにした少女の正体を悟ったMCとジャッジ達、観客の少数は唖然としていた。
なんだ? ファイヤーフォックス?
「.......」
マチはゆっくりとお面を拾って付け直すと、僕の横に戻ってきた。チラリと見えた素顔はいつも通りに見えた。しかし、横に立つと嫌でもわかってしまう。
彼女は激しい動揺に震えていた。
「マチ.....どうしたの?」
「.........何でもない」
とてもそうには見えない。マチはずっと下を向いたままだ。
そして一瞬狼狽えたMCは、この話題には触れてはいけないと言わんばかりに無理やりテンションを戻してシラを切る事にしたようだ。
《さぁハプニングがありましたが、そんなことがどうでも良くなるほどの激アツバトルでしたねぇ!! 会場の皆さん! 両者に手がちぎれるほどの拍手ーー!!》
何も知らない人達は素直にバトル内容を賞賛した大きな拍手を送ってくれた。
《手がちぎれてる奴がいないじゃないかバカヤロー!!》
しょうもない冗談で観客に笑いを与えてくれたMCは今日のMVPだろう。これで、さっきまでの不穏な空気が薄れていった。一部、事情を知っているであろう人達がコソコソと話しているのが気になるけど。
《じゃあそろそろいいかな? 待ちに待ったジャッジターイム! 行くぞー! スリー、ツー、ワン!》
全体を見ると、かなり拮抗したバトルだった。しかし、その勝敗はあっさり決まる。
ほんの一瞬、MCが苦い表情を見せたのは見逃さなかった。
《優勝は!! カレノコセカンドぉおおおお!!》
喜ばしいはずだった。
やっとの思いで二人で掴んだ優勝。盛大な拍手喝采。大手を振って優勝プレートを掲げるだけだったのに.....。
聞こえてしまった。観客の中から。
“またネームバリューか”
“忘れ形見のクセに”
「うぅ.........」
「マチ!!」
僕に聞こえる声は、当然マチにも聞こえる。僕には意味がわからない言葉でも、マチにはとても重く突き刺さってしまった。
彼女は足元の自分の鞄を掴んで、人目も触れず会場から走り去ってしまった。
僕は大急ぎでマチを追いかけた。間髪入れずにMCは最大限楽しそうな声でフォローを入れる声を聞きながら。
《お面付けてただけあって恥ずかしがり屋さんだなぁ!! 彼女らには後から賞金を渡すとして、張り切ってジャッジコメントもいきましょう!! 》
ありがとう。いまはそれしか出てこない。それより早くマチを追いかけないと!!
真っ暗な道を走って、逃げ去った相方に追いついたのは一本道を十分ほど進んだところにある小さな公園であった。
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