第三章

第30話 僕の悩みとお面の少女

 その時、目の前のダンサーに釘付けになった。




 その小さな身体から、僕より小さな身体から繰り出されるのは、あまりにも多すぎる技の数々。




 キツネのお面をしているのに、一切顔がわからないのに、その人は辺りの感情を揺るがせた。




 これは、僕が自分のダンスを疑う初めての出来事だった。
















 新学期。大学二回生になった僕は悩んでいた。

 大学の図書館で頭を抱えている。目の前にはタックさんが座っていて、彼は課題で調べ物に勤しんでいたのだけど無理を言って話を聞いてもらっていたのだ。


「つまり、いまの自分はチームの足を引っ張っているからさらに進化したいけどビジョンが浮かばないと?」


 タックさんは一段落ついたのか、黒縁の眼鏡を外して眉間をマッサージした。忙しい所を捕まえたので気は引けたが、僕は小さく頷いた。


「僕、ブレイクダンサーとしてはフットワークで戦うスタイラーじゃないですか。このスタイルは音ハメを重視してるので他と被るんです。色んなチームを見てきましたけど、やっぱり一人だけブレイクのチームはパワームーヴが多いし、チームのインパクトを考えるとそれが当たり前なんですけど、僕にはパワーの才能がからっきしで.....」


 ブツブツとネガティブな事をぼやく僕に、タックさんは少し呆れ、外に行こうと誘ってきた。僕は連れられて図書館から出ると、自販機でフルーツオレを買って表のベンチに座った。


「結論から言うと、二択しかない」

「二択ですか.....」

「一つは周りに合わせてパワームーヴの練習に集中する。才能がないと言ったが、パワーは筋トレと練習量だ。有名なパワームーバーだって、ウインドミル一つ覚えるのに一年以上練習したやつだっている。出来るまでやるのが練習だ」

「名言ですね」

「もう一つは、自分だけのフットワークを死ぬほど作る。スタイラーというダンススタイルが定着しているのは、それがパワーやストロング、縦系に匹敵する強みがあるからだ。スタイラーだから弱いなんてことは絶対にない」

「.........」

「お前がいま悩んでいるのは今後のスタイルチェンジに関する事だな。どれが一番効率的か。それは本人じゃないと解決出来ない事だ」


 タックさんは厳しく言い放つ。ここまでヒントを言ってくれたのは有難いけど、やっぱりまだ答えが出ない。


「タックさんはどうやっていまのスタイルに行き着いたんですか?」


 憧れの人。尊敬するダンサーがどうやって道を選んだのか。今の僕にはそれにすがってしまうくらい弱っていた。


「俺は好きなことを全部やってる。スタイルもパワーも縦系も好きだから全部やった。それだけだ。ダンス歴は八年ほどだからそれだけ練習する時間があったから色々出来るようになった」

「で、でも.....!」

「お前はまだ一年にも満たない。悩むのは当然だ。しっかり悩んで決めることで自分だけのダンスに行き着く。焦ることはない」


 顔は変えずとも、優しく導いてくれる先輩が眩しく見えた。でもやっぱり、僕には時間がない。


「練習.....行ってきます」

「待て」


 立ち去ろうとする僕を止めて、タックさんは携帯を何度かタップした。そして、そこに写る一つのサイトを見せてきた。


「このバトルに出場してこい」

「これは?」


 なんだかポップなデザインで、アニメの絵まで貼ってある。でも、クラブの写真もあってなんだかチグハグだった。


「アニソンが流れるバトルだ。いまのお前には気晴らしになるだろう」

「そんなのがあるんですか? タックさんよく知ってましたね」


 タックさんはアニメを一切観ない。なんでこんなコアなバトルを知っているんだろう。


「ここの常連が知り合いでな。きっといまのお前に何かしらの影響があるはずだ」

「その方の名前は?」

「行けばわかる。目立つからな」

「??」


 それからタックさんと別れ、一人で校舎の屋上で練習を始めた。一応さっきのサイトからバトルのエントリーだけして、何となく基礎練を集中的にすることにした。

 気分は乗らなかったけど、音取りとアイソレーションをしながらサイトのバトル詳細を思い出す。


「シャッフルバトル。その場のダンサーとくじ引きで組んでの2on2か。どうしよ、あんまり知らない人と組むのは得意じゃないけど......」


 なにより勝てる気がしない。せっかくのアニソンで気持ちは上がるだろうけど、こんなコンディションで何を踊ればいいんだろう。

 迷惑、かけたくないな。拭いきれない淀んだ空気が身体を重くした。
















 週末。僕は例のバトルに参加するために電車を乗り継いで滋賀県に来ていた。会場は徒歩で十分ほど。到着した時には既にダンサーが溢れるほど入口に集まっていた。


「すごいなぁ。二百人くらいはいそうだ。中はもっといるんだろうか。こんな事ならミナミさんにも声をかければよかった」


 すれ違う人たちはアニメの缶バッチを鞄に付けていたり、今期のアニメの話で盛り上がっていたりと目に見えてオタクの人たちだ。なんだかシンパシーを感じて少し嬉しくなった。

 だけど、相変わらず重い空気がまとわりついてくる。本当にここで掴むものがあるのだろうか。

 エントリーを済ませるために列に並んでいると、どうしても目に入ってくる人がいた。僕の一つ前。赤いジャージにキツネのお面を被った小さな人がいた。


(怪しい! この人飛び抜けて怪しいぞ! 出来れば組みたくないな.....。まぁ、これだけ人数がいれば大丈夫だろうけど。それにしても怪しい!)


 エントリーの順番が近づいて、前の人が受付で話している。小さくて聞こえにくかったけど、どうやら女の子みたいだ。女の子でお面付けて一人でエントリー。どんな気持ちなのだろう。


「次の人ー」

「あ、はい」


 ダメだダメだ。あんまり知らない人のことを変な目で見ちゃ失礼だ。それに、今日はこの中にいるタックさんの知り合いを見つけるために来たんだから。


(まさか、この人じゃないよね?)


 そうして、エントリーを済ませた僕は広場の隅っこで身体を温めた。あれからアニソンバトルを色々調べたけど、そこまでレベルの高いものではない。アニメに時間を割いているダンサーだからか、気持ちが先行して技術がついて行ってない人が多いイメージだ。今回の目標を立てるなら、ベスト8は入っておきたい。

 開始間近になり、受付の男の人が招集を始めた。


「よし! 勝つぞ!」


 無理矢理指揮をあげ、会場のビルに入った。誰と組んだって負けない。負けるわけにはいかないんだ。


 中はかなり広いクラブのようで、外にいた人を簡単に収容していた。MCが順番にクジを引いていくつものチームが出来上がっていく。

 入口でもらった紙には『186』と書かれており、僕の番号はまだ呼ばれていなかった。


《では次〜、186番!》

「僕だ」

《相方は、185番! 二人とも前へ!》


 ん? 185? ということは一つ前の.....。

 壇上近くのサークルに入ると、そこにはお面を被った怪しい人が立っていた。


(最悪だ! よりによってこの人か! 怖すぎる!)


 きっと僕の顔は引きつっているだろう。一番組みたくなかった人と当たってしまった。彼女はお面を被っているからどんな表情かわからない。


「よ、よろしく」

「.....ん」


 掴めない。どんな子なのだろうか。身長から小学生の可能性もある。だめだ。わからない。

 出場はDブロック。結構時間があるから年上として少しでも話して仲を深めないと。じゃないと思い切り踊れない。

 二人で後ろに下がろうとすると、MCはすれ違いざまに小声で耳打ちしてきた。


「キミ、ラッキーだったね」

「え?」


 可愛くウインクをするイケメンのMCは、それだけ言って次のクジを引き出した。どういう事だ? ラッキーなのか。もしかして常連の人なのかな。

 思うことはあるけど、いまはそれにとらわれていられない。横を歩くお面少女と親交を深めないと。


「僕はリクって言うんだ。キミは?」

「.....マチ」

「マチさんって言うんだね。お面のまま踊るの?」

「.....うん」

「すごいね。ジャンルは何かな?」

「.....色々」

「.....そっか」


 続かない! 会話が続かないよ! 一言で切らないでよ!

 素直な感想はしまい込んで、挫けずにいくつか聞いてみることにした。もしかしたらあんまり会話が好きじゃないかもしれないけど、それすらまだわからない。


「そういえばマチさんってこのイベントによく出るの?」

「.....まぁまぁ」

「じゃあさ、よく目立ってめちゃくちゃ上手いダンサーって見たことない? 僕のダンスの師匠の知り合いなんだけど、今日はその人を探しに来たんだ」

「.....わからない」

「だよね! 僕も名前すら教えてもらえなくてさ、目立つから行けばわかるなんて言われちゃって。師匠がすごく上手いからきっとその人もめちゃくちゃ上手いんだろうなって.....」

「.....一緒に探す」

「そう、ありがとうね!」

「.....ん」


 僕頑張った! こんなに一人で話せるなんて成長した! だから普通に話してお願い!

 でも、どうやら拒絶されてるわけではないみたいだ。話してる間にちらちらこっちを見てたし、多分シャイなだけなんだ。凄まじく。

 会話ともならない会話を重ねていると、いつの間にかバトルは始まっていた。AブロックからCブロックまで、予想通りそこまで上手い人はいなかった。これなら勝てそうだ。


《では続いてDブロック第三試合! カレノコセカンド vs 響の憂鬱!》


 僕たちの番だ。カレノコセカンドが僕らのチームで、少し昔のアニメ『彼と私のこの学園での破天荒ライフ セカンドシーズン』から取ったものだ。僕のオタク歴でも屈指の神演出を見せた名作だ。このチーム名をつけた時マチさんも少し嬉しそうだったからきっと彼女もファンだったのだろう。

 二人で並んで相手の前に立つと、向こうの二人組はやる気満々で飛び跳ねていた。服装を見ると、きっとブレイカーとロッカーだ。マチさんのジャンルがわからないけど、ブレイカーだけは押さえ込みたい。


《それでは、バトルスタート!!》


 流れたのは今期のアニメのOP。ダンスミュージックではないけど、向こうのブレイカーは声を出して喜んでいる。かなり聴き込んでいるんだろう。油断は出来ない。


「あの人が出たら僕が返すね」

「.....了解」


 短くやり取りを交わし、相手の出方をうかがった。間髪入れずに飛び出してきたのはやはりブレイカーだ。アニソンバトルは感情の勝負。出始めの駆け引きはしなくてすみそうだ。

 ステップもそこそこに、すぐさまパワームーヴに入る。ウインドミル、トーマス。未完成だけどAトラックス。パワームーヴで悩んでいた僕の黒い部分が刺激され、少し後ずさった。


(大丈夫。そこまで上手くない。音も逃してる。勝てる。勝てるさ)


 動揺を感じ取ったのか、マチさんは裾を引っ張ってきた。代わりに出ようか? そんな瞳がお面の奥から向けられる。

 こんな小さな子に心配されるなんて、情けないや。


「大丈夫だよ。心配しないで」


 少し気持ちが楽になった。せっかく組めたんだ。この子にもたくさん踊ってほしい。

 相手のブレイカーがクローズチェアで締めくくると、僕は帽子を被り直してスイッチを入れた。


(この曲は怒涛の音ハメがある。パワーよりスタイルでこまめにハメてラッシュをかけるのが盛り上がるはずだ)


 チェンジの合図で滑り込み、直後の音ハメに合わせてセットムーヴを組み込んだ。歓声が沸く。出だしは掴んだぞ。

 まだまだバトルは続く。あまり引き出しを晒すわけにはいかない。堅実に、丁寧にいかないと体力も持たない。ここは細かくハメで早めに下がるのが吉か。

 クローズチェアに対してハイチェアで返し、完全に流れを持ってきた。相手へのパスも粘らずにクールに決め、思ったより上手く運べた。


《チェンジー!》


 相手のロッカーが飛び出してきた。予想外に固めが上手く、もしかしたらマサヤくんにも匹敵するかもしれないその技術に度肝を抜かれた。


「な、なんだあれ。ゲッダンからあんな繋ぎがあるなんて.....」


 しまった。Aブロックからここまで上手い人があまりいなかったから油断した。そうだ、後半に上手い人が集まっていたとなんで予想出来なかったんだろう。

 このままでは持っていかれる。不安になり横の少女に目をやると、彼女は相変わらずぼーっと立っていた。欠片も緊張せず、自然体のままで手をプラプラして出番を待っていたのだ。


 凄まじい音ハメの連打を力強いポイントでキメた相手が下がり、今度はマチさんの番だ。ゆっくりとセンターに立つと、腕を頭の横に巻き上げた。


「ろっ、ロックか!」


 テクニックタイプのロック。ステップは抑え目でアイソレーションを最大限に活かしたスタイルに全身が震えた。

 う、上手い。ロッカーだったのも驚きだけど、何より技術がおかしい。この年にして、マサヤくんより上手いぞこの人!

 オーソドックスとはかけ離れた個性的なスタイルで、彼女は持っていかれそうになっていた流れを簡単に引き戻した。気が付けば三十秒が経過し、バトルは終了していた。

 見惚れてしまった僕はMCの合図で我に帰り、興奮して戻ってきた彼女の肩を叩いた。


「すごいよ! すごく上手いんだね!」

「.....あなたも上手い」

「ううん! びっくりしたよ! 何年ダンスしてるの!?」

「.....五年?」


 そんなやり取りをしていると、ジャッジが下された。結果は圧勝。ジャッジの三人がこちらに手を挙げていた。


「これなら優勝も夢じゃないね」

「.....今回も、勝つ」

「今回も?」


 言い残して速やかに下がっていく彼女を追いかけ、僕もサークルを後にした。MCの言葉が不意に思い出された。


(もしかして、この子優勝経験者なのか?)


 それを聞くのは何となくはばかられた。優勝者と組むとわかってしまうと僕の実力がネックになってしまうからだ。


 いまは何も聞かず、次のバトルに備えることにしよう。

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