第21話 冬の強化合宿

 ダンス部に入って早くも半年が経過した。12月も半ばを過ぎ、冬休みを迎える。雪はまだ見えないけど、肌が痛いほど寒い。

 クリスマスも目前の今日。12月20日から三日間、他の大学と合同の強化合宿が始まる。年明けの大学対抗戦のための合宿。参加する人はもちろんしない人でも、バトルに磨きをかける絶好の機会だ。ウチのダンス部はこの地区では強豪で、この合宿は毎年参加しているらしい。

 現地集合で、今は一人で海の見える駅に到着したところ。みんな来ているだろうか。


「おーい! リクー!」

「マサヤくーん!」


 嬉しいことに、彼は駅前で待っててくれた。後ろにはミナミさんもいて、早速チームが揃うことができた。


「ごめんね。待たせたかな?」

「そんなことねぇぜ。ミナミは早かったけどな」

「寒い.....。早く行きましょ」


 ミナミさんは寒そうに足踏みをしながら缶コーヒーで手を温めていた。いつからいたんだろう。

 立ち止まっているとどんどん体温が削り取られるので、僕達は目的地を目指すことにした。ここから徒歩十分くらいの場所にある鳴神体育大学の合宿用施設。大型体育館からトレーニングルームまで、スポーツの為のものが揃った合宿にふさわしいところらしい。

 少し話しているだけで到着してしまい、大きな正面玄関のフロントから奥に進むといきなり体育館に出た。そこで、すでに到着していたウチのダンス部メンバーと合流する。


「遅かったなぁリク。うんこでもしてたのか?」

「遅くないですよニシキ先輩。まだ集合時間の一時間前ですよ」


 ニシキ先輩、タックさんはすでに練習着に着替えて汗を流していた。他の部員や、別の大学のサークルの人達も各々練習をしている。開会の挨拶があるはずなのだがいいのだろうか。

 マサヤくんは待ってましたとその場で練習着に着替え始めてるし、ミナミさんはすでにいない。たぶん、更衣室に向かったのだろう。僕も遅れないように着替えないと。

 しばらくアップ程度に身体を動かしていると、続々と人も集まり、マイクを持ち出してきた人が二、三度「テストテスト」とマイクテストを始めた。そろそろ開会式だ。


《あ〜、では、開会式を始めます。皆さんこちらに集まって下さい》


 鳴体大の主将が声をかけると、体育館にいた人達が舞台の近くに集まる。こうして見ると、百人は越えるダンサーがいてなんだかワクワクしてきた。

 鳴体大の主将が定型文のような挨拶をしていると、一つ気掛かりなことがあった。


《ここにいる、『舞力』『DINO』『ハリネズミ』『the one』の皆さま.....》


 あれ? ウチの...洛美大は?


「タックさん」

「なんだ?」

「ウチの大学呼ばれました?」

「呼ばれただろう。『DINO』がウチのダンス部の名前だ」

「そうだったんですか」


 知らなかった。そんな名前があったのか。


「勧誘パンフレットにも書いてあったんだがな。お前は本当に興味があるもの以外に無頓着だな」

「へへっ、すみません」


《.....以上で開会式を終わります。それでは、一旦荷物を部屋において各ジャンルに別れて練習を開始して下さい》


 開会式が終わると、みんなは散り散りに自分の部屋へと向かった。僕も急いで荷物を持って、宿舎三階の部屋へと向かう。

 一部屋がかなり大きく、それぞれ12人ずつ割り振られている。学年事に分けられていて、マサヤくんとも同じ部屋だ。


「それじゃあ戻るか」

「うん。ここから別々だね」

「おう! しっかり吸収してこような!」

「うん!」


 体育館に戻った僕たちは、広いスペースを贅沢に使ってジャンル練習を始める。ブレイクのグループは思ったより少なく、15人ほど。ヒップホップが一番多くて、全体の半数ほどは集まっていた。もちろん、選抜を勝ち抜いたメンバーは四人で個別の練習をしている。

 ジャンル別練習とは言っても、ブレイクダンスは個々が特徴のあるジャンルだ。最初のストレッチと基礎練が終われば個々の練習に入り、最後に軽くサイファー(円形に並んで順番に踊るの擬似バトル)があるだけ。気になるのは、アイソレーションが組み込まれていないことだろうか。


「タックさん。ブレイカーはアイソレーションしないんですか?」

「あんまり使うタイミングもないからな」

「でも、タックさんはするんですね」

「俺には必要だからな」


 軽くやり取りをしながら、僕と師匠はアイソレーションを始めた。タックさんはブレイカーとしては珍しく、アイソレーションの可動域がかなり広い。きっと、ダンスを始めた時から続けているのだろう。僕は癖のようなものでやっているが、やっぱりタックさんみたいになりたいのでこれは欠かせない。

 やっと本格的に練習を始めようとしていると、先に技の練習をしていた人達が何人かこちらに集まってきた。


「あの、あなたが『DINO』のBBOYタックさんですか?」

「そうだ」

「やっぱり! 俺、タックさんに憧れてダンス始めたんです! 是非一緒に練習させてもらいたいんですが!」

「俺もです! お願いします!」

「わかった。じゃあまず、お前達のフリームーブを見せてくれ」

「はい!」


 彼らは飛び上がって喜び、大音量で流れているブレイクビーツに合わせて順番に踊った。タックさんは腕を組んでそれを見ている。


「タックさん。有名なんですね」

「知らん。人違いじゃなければいいがな」


 またはぐらかされた。結局、この人はどういった人なんだろう。

 何となくタックさんを取られた気がして、僕は少し離れて練習を始めたのだが、タックさんに首根っこを掴まれて引き戻された。どうやら、ここで僕を大幅強化をさせることが目的らしく僕の練習メニューは全て作ってきたようだ。

 集まってきた人達のフリームーブを見て、いくつか指摘をしたことで、タックさんは解放された。嬉しそうに遠ざかっていく彼らは、なぜタックさんに憧れたのだろう。


「さて、始めるぞ。まずはチェアをしろ。そこからオープンチェア、クローズチェア、ハイチェア、軸手を入れ替えて同じ流れを。どのチェア状態でも安定出来るように徹底的にやり込め。もちろん、曲に合わせてな」

「はい!」


 無駄な詮索はいらないか。こうして、僕を育ててくれているのだ。今はそれだけに応えないと。

 今までとは違う新しいメニューに気持ちも高まり、すぐにチェアの態勢に入る。一つ一つ丁寧に、音を意識しながら形を変える。地味だが、やってみるとかなり辛い。


「遅れてるぞ。音に合わせろ」

「は.........はい!」


 容赦のない声に、僕は必死になって身体を浮かせる。チェアを維持することが、こんなに辛いなんて知らなかった。

 入れ替えを5週ほどすると、腕は限界を迎えて崩れ落ちた。ずっと支えてた筋肉は驚くほど震え、手を握ることが難しいほど力が入らない。


「持続力が足りないな。今日はチェアの強化とステップの種類を増やすことに全部費やすぞ。次は、新しいステップだ」

「はぃぃ!」


 休む間もなく立ち上がり、タックさんの真似をしてステップを踏んだ。名前のないステップから、ヒップホップのポップコーンというステップ。本当にブレイカーとは思えないほど足技が多彩な人だ。


「基本は横に踏み出すステップでも、前や後ろに出してみろ。それが個性に繋がる」

「こ、こうですか?」

「軸がぶれている。身体が流されないように意識してコントロールするんだ」

「わかりました!」


 いくら真似をしてみても、タックさんのようなキレが出ない。形は一緒なのに、何が違うんだ。


「よし、ステップは終わりだ。またチェアに戻るぞ!」

「はい!」


 再び地面に手を付いて身体を持ち上げる。すでに腕は震えて、呼吸も整わない。でも、これは筋力と体力強化だ。限界までやらないと意味がない。

 そうして、タックさんの鬼トレは続いた。夕食の時間がやってきた頃には、僕は全身が錆び付いたロボットのようになってしまい、上手く歩くことさえ出来なくなっていたのだった。練習終わりのサイファーでは、フットワークすらまともに出来ない素人以下のダンサーと化していた。


「リク、ずいぶん派手にしごかれたんだな.....」

「あはは! リクっちロボットみたい!」

「へへっ、ボロボロにされちゃった」


 夕食を一緒に食べているマサヤくんと、ツボに入ったのかヒーヒー笑い転げるミナミさんは割と元気そうで、タックさんが如何に厳しい人なのか痛感する。

 明日はどうなるんだろう。自分の身体が心配になった。

 大浴場で順番に入浴を済ませた後、タックさんの呼び出しで僕とマサヤくんは体育館に来ていた。体育館は0時まで好きに使う事が出来るので、結構な数のダンサーが引き続き練習をしていた。


「あ、いた」


 タックさんとニシキ先輩だ。二人ともジャージを着ており、でも、練習しているわけではなさそうだ。僕もマサヤくんも練習着で来てしまったのに、何をするんだろう。

 マサヤくんは駆け足で彼らに近寄る。


「タックさん。こっから練習じゃないんですか?」

「あぁ、お前らにこれを渡したかったんだ」


 タックさんの手には細長いマグボトルが二本。それぞれ一本ずつ受け取った僕たちは中身を確認して首を捻った。茶色? いや、黒っぽいかな。


「中はプロテインだ。本当は練習前にも飲んでおいてよかったんだが、あまり量がないからこの三日間は練習後に飲むようにしろ」

「「プロテイン!?」」


 僕とマサヤくんは声を合わせて驚いた。これがプロテイン。不味い不味いと噂のそれは、名前を聞いただけで途端飲む気が失せてしまう。以前、マサヤくんとどうやったら強くなれるかという話し合いをしていた時にも出てきたが、お互い苦笑いしながらスルーしたのだった。


「マサヤの練習は見てないが、リクは絶対に飲んでおけ。明日筋肉痛で動けなくなるぞ」

「で、でも。これって不味いんですよね」

「心配すんなリク! タックのプロテインは特別製だからよ。美味いんだなこれが!」


 ニシキ先輩は指を立ててさあさあと促してくる。お手製なのか。断れないぞ。

 マサヤくんと目を合わせて、意を決してそれを口にした。


「ん?」


 なんだろうすごく懐かしい味がする。牛乳とココアの風味を混ぜて、ほんのり甘く、そしてするすると飲めてしまう。

 そうだ。小さい頃によく食べたこれはチョコのシリアル。それの最後に残った牛乳の味だ。チョコ味の牛乳。う、美味い!


「なんだこれ、全然不味くないぞ!」

「本当! むしろ美味しいね!」


 悪い噂とのギャップもあって、二人とも一気に飲み干してしまった。これで筋肉の回復を促進させられるのなら毎日だって飲める。

 タックさんはどこか自信有り気な顔で頷いている。かなりの自信作だったのか。たぶん、彼もプロテインの味がダメだったので改良を重ねたのだろう。


「よし、飲んだな。ボトルは明日までに洗って返せよ」

「はい!」

「んじゃ次だな。アイソレとストレッチやるぞー」


 ニシキ先輩はスピーカーから緩やかなジャズを流して、僕たちの前に立った。残りの三人は並んで、彼のカウント通りに身体を動かす。


「あんまり無理矢理動かすなよ。ゆっくりと、丁寧に身体をほぐすんだ」


 アイソレーションのあとのストレッチ。お風呂でよく温められた身体がいつもより伸びる。風呂上がりのストレッチはかなり効果が上がるらしい。やったことはなかったけど、実際にしてみるとちゃんと体感でわかるものだ。

 最後にラジオ体操のようにぐっと身体を上に伸ばしながら深呼吸。


「よし、終わり! お前ら帰っていいぞ」

「「ありがとうございました!」」

「明日もやる。風呂が終わったらここに来い」


 そして、タックさんとニシキ先輩は部屋に戻っていった。本当に、ここまでしてもらえる事に感謝しかない。ちゃんと実績を残して、彼らに恩返しをしなくちゃ。

 僕たちが部屋に戻ると、同室の人たちはみんなで動画鑑賞をしていた。備え付けのパソコンの画面を大型モニターで映し、何かのバトルを見ているようだ。

 僕たちに気付いた一人が、「あっ」と声を出すと、そこにいた全員がこちらを向いて動画が止められる。


「二人ともお帰り! 待ってたんだよ!」

「あの、何か観てたんじゃ?」

「いいのいいの! それよりさ。君たち、あのタックさんと同じ部活なんだろ? 色々話を聞きたいんだ!」

「えぇ!?」


 僕たちは集まりの円に引きずり込まれ、タックさんの事を根掘り葉掘り聞かれた。答えるだけで「おぉ!」と感嘆の声が上がる。


 タックさん。あなたはアイドルか何かなのか?

 みんなが観ていたのは昨年の大学対抗バトルの動画で、そこに映った師匠の横顔を見る度に、僕の口からはため息が出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る