旅機人―End of Stranger―

紅葉紅葉

旅人―Stranger―

『――人類は一度、その存在証明を失いかけた。

 即ち、その種を根絶しかけたのだ。

 かつて、人の手による環境改変により動物が絶滅したように、人間もまた自分達の手で絶滅を約束されていた。

 しかし、人類はその破滅を回避するために一つの手段を取った。それは、支配権を別種に譲渡する事。無責任な管理の受け渡し。荒廃した地球の回復を信じるため、彼らは王座を譲り渡したのだ――【管理者アドミニスター】に。

 世界は彼らの物となった。支配者の権限を失った人類は、普遍的な存続を手にした。それは同時に、絶対的な不自由を手にした事になる。【管理者】により、人間は生きる場所を限定されて、彼らの管理の下での生活を余儀なくされた』


「ねぇ」


『人々は【植民地コロニー】と呼ばれる壁に覆われた区画で生活をしている。各地に点在するそこだけが自治を認められた人類の希望だ。【管理者】はそれ以外の区画を支配し、世界は完全に【管理者】の物となった。

 天候は彼らの思い通りとなり、大地は瓦礫の塊となり、生態系すら彼らの意志に染められた』


「ねぇ!」


『しかし、我らは反旗を翻すのだ。行動せよ。挑戦せよ。かつての愚者の事など捨て、我らは時代を切り開く勇者となり、再びこの世界を取り戻すの――』


「ねぇって言ってるでしょーッ!」

「うわッ!?」


 少女の大声がコックピットの中で反響し、イヤホンをしてカセットテープを聞いていた少年はビクリと少し跳ねた。

 その少年の髪は白くボサボサだが、どこか整っているように見える。

 顔立ちは幼いが精悍な印象を覚え、何よりその赤き瞳の印象は、彼を何かの芸術品に仕立て上げているようだ。

 少年はカセットレコーダーの停止ボタンを押し、渋々とイヤホンを耳から外した。

 彼にとっては暇潰しの道具である。とある男の演説の記録だが、残念ながら声をかけてきた少女には聞こえていない。


「なに? エメ」

「ねー、リシティ。すごくひまー」

「と、言われてもなぁ」


 彼がエメと呼ぶ少女は、少年が座るコックピットの中にはいない。

 声は高く幼さを感じさせる。容姿からして十代前半である少年よりは幼いと思われるが、姿が見えないため判断が難しい。

 リシティと呼ばれた少年はボサボサの髪を手で弄りながら、カセットレコーダーをコックピットにある物入れに収める。

 彼の目の前には、肘掛に繋がる二つの引き金がついたレバーと、幾つかの計器、そして外を映すモニターがある。モニターには灰色の荒野が映像として映っており、僅かに上下している

 明らかに歩を進めている機体だが、少年はレバーを握っていない。独立して駆動しているのだ。


「次の国までまだある……いつも通り、しりとりでもする?」

「えー、あきたー」

「しかし、それ以外となると――」


 と、そこで少年は呆れを警戒心へと変える。エメの声も潜めた。

 僅かに音が聞こえた気がしたのだ。コックピットの中から耳を澄ませる。

 動きを止めた彼らが乗る【MエムHエチMエム】――【マシンヒューマンモンスター】と称される獣人型機械――《碧狼ヘキロウ》は目を閉じるようにその瞳をカバーで覆い隠す。

 まるでリシティとエメと共感するように。機械であるそれが、その頭に生えた耳を澄ませていた。

 固形物を壊すような連続的な破砕音。

 遠くから、何かが大地を踏みしめて近づいてくる音が聞こえる。

 《碧狼》が突き進むのは、果ても眼下も鋼の残骸が連なる瓦礫の荒野だ。空は曇天に包まれて光はなく、大地は人気もない無機質な世界を構築していた。

 この時代に鋼の瓦礫の荒野を歩く者は、【管理者】の眷属だけである。


 そも、【管理者】と呼ばれる存在はこの灰色の荒野の支配者である。そして、それを機械的に統治する存在が眷属である。

 この世界の摂理は、そうできていた。顔も見えない、ただその名だけが絶対的な力を有する、姿なき支配者。


 そしてそれは、二人にとって見逃せない敵でもあった。


「エメ、神経接続。君の身体、借りるよ」

「うん――CW-07 碧狼。搭乗主マスター、リシティ・アートに譲渡します」


 エメの口調が機械のように抑揚が少なくなると、リシティの座っていた座席からケーブルが独りでに伸びてきた。それは、彼のうなじにある穴――神経接続口――に突き刺さる。

 瞬間、リシティは僅かに身体をびくりと震わせて大きく目を見開いた。その瞳は虚ろに、モニターではないどこかを見つめる。

 彼の意識は、とうにこのコックピットの中にはない。

 いや、厳密には無意識は肉体に存在する。だが、自意識は《碧狼》に溶け込んでいた。実際に、肉体の彼は自意識に合わせて口を開き、言葉を発する。


「接続完了――意識領域の改変を認証。戦闘モード移行……リシティ、認識コードを」

「僕は君だ」

「私はあなた」

「「我ら一心同体。求めるは遥かなる生存。一秒先の未来」」


 二人の言葉が交わる。

 閉じていた狼人間の瞳は、赤く輝く光を放ちながら開かれた。《碧狼》の肉体の至る部分にある排出口から白い蒸気が漏れる。

 今やリシティとエメは、この碧緑色の獣人型の機械を操る一パーツに過ぎない。


 ――否、《碧狼》に命を吹き込んだのだ。


 その赤く獰猛な瞳は、迫りくる前方の敵を捉えていた。

 《骨人コツジン》。【管理者】の眷属が使用する量産型の【MHM】。

 灰色の人の骸骨に、灰色の鎧を着こんだような姿。骸骨騎士、というべきか。剣の代わりにマシンガンを持ってこそいるが。

 規則正しく横に並んだ二機のそれらは、《碧狼》を狩るために銃口を向けていた。


「始めよう、エメ。僕達の生存闘争を!」

「始めましょう、リシティ。私達の生存闘争を」


 その二人の言葉を合図に、獣人型である《碧狼》は未熟な獣のように前傾姿勢になった。決して四つん這いになるわけではなく、二本の脚で身体を支えている。

 まるで人が獣の真似事をするように。

 《骨人》が、右手に装備したマシンガンから銃弾を放ったのが見えた――そうリシティが認識した瞬間、《碧狼》の身体は前傾姿勢のまま、身体の至る所にある推進口スラスターから火を放ちながら、瓦礫を破壊しながら走り始める。


「回避運動は私が!」

「なら、攻撃は僕が!」


 リシティの肉体は、肘掛の先にあるレバーを握っていた。

 これは《碧狼》に搭載している武装の攻撃指令を行う引き金だ。

 《碧狼》が感じ取った五感を受け、エメは脚を動かし、リシティは腕を動かす。

 この三要素が絡む事で、《碧狼》は機械とは思えない滑らかな動きを実現する事ができる。

 無表情の二機の《骨人》が、数百メートル先からマシンガンで銃撃をしてくる。

 その弾速を物ともせず、少ない動きで攻撃を避ける《碧狼》。獣じみた動きの中にある、確実かつ器用な動きは矛盾を感じさせるものだ。

 だが、敵に近づくにつれて攻撃を躱すのが難しくなる。ましてや十メートルほどの機械の身体だ。小さな身のこなしの度合いは生身と違う。


「くっ!?」

「大丈夫。碧狼はこの程度、負けやしない」


 《碧狼》と肉体を融合しているからか、リシティは銃弾の余波に少しの怯みを見せた。戦場の中の常である恐怖という感情。

 だが、エメは冷静にその動揺を言葉でコントロールする。その口調は先程まであった幼さがなくなっているように思えた。

 被弾を最小に抑え、そして《骨人》に順々に近づいていく《碧狼》——。

 二機の《骨人》はマシンガンで同方向から攻撃する中、腰に控えていたナイフを左手で構える。動作はほとんど同じであった。マニュアル通りの動き。

 そしてその動きこそ、少年が見出した軌跡。


「リシティッ!」

「オーライッ!」


 エメの意志が届いた瞬間、リシティの肉体は、反射的にレバーに付属している三つのスイッチを同時に押す。

 それが起動の鍵であり、《碧狼》の両腕にある三つの管が稼働し、手の甲を覆うように展開された。

 先端からの光が噴きだし、爪のような鋭利な刃を形作る。機械で再現される狼の爪。それこそが、《碧狼》の武装であり、ここまで近づいた理由である。

 《骨人》のゴーグルのような瞳が、その光を見つめて揺らぐ。

 光を硬質化させる技術――それは、人類側が持つ技術ではない。

 そして、《骨人》のような量産されているモデルでもあり得ない技術だ。

 あり得るのは――【管理者】側の最先端技術。量産がされていない、特別にして一オンリーワンの【MHM】。


「その動揺が――」

「最高の隙ッ!」


 《碧狼》は重心を一気に低くし、背部にあるスラスターの出力を一気に爆発させる。回避と防御を完全に捨てた突撃――捕捉された《骨人》は、その動きの反応ができない。

 殺意を感じる暇もなく、振り被った高速の右腕は《骨人》の腹部を容易に貫いた。

 加速も加わった一撃。それに重ねるかのように、光の爪が《骨人》の灰色の装甲を溶かしているのだ。

 殴っただけではビクともしない。堅牢に造られているはずの【MHM】の装甲を、光の濃縮された熱は容易に融解させる。


「エメッ!」

「いっくよー!」


 だがそれだけでは終わらせない。

 完全に息の根を止めた《骨人》には、まだ大事な役割がある。

 何せ、横で相棒を殺されたもう一機の骸骨兵士が、勢いのまま通り過ぎていった《碧狼》に銃口を向け続けているのだ。

 大地を走り続ける《碧狼》の背部のスラスターが一度止まり、その間に軽くジャンプする。

 数秒間の浮遊、その間にも再び点火した全身のスラスターを使って宙を回転し、残った《骨人》をその赤い目で捉える。

 余っている左腕の爪を大地に突き立てつつも、脚部を無事に着地。爪でブレーキを掛けながら、右手の《骨人》の残骸を盾にして追撃の銃弾を受け止める。


「準備完了」

「スタートッ!」


 大地を抉った左の光の爪が衝撃によって折れる。それは同時に、《碧狼》の背面スラスターの再点火を意味した。

 再び加速し、一筋の弾丸となった《碧狼》は、右手に突き刺さる《骨人》で余計な被弾を抑えながらも突き進む。

 狙われた《骨人》はマシンガンでの攻撃に迷いがない。非情なのか。それともそれを感じる情さえないのか。


 どちらにせよ、二人には関係のない事だ。


「左腕スラスター展開。物量で貫くッ」

「いっけぇッ!!」


 右腕の残骸を投げ捨て、左腕にあるスラスターから火を噴出させ——その勢いで銃弾の嵐を突き進む。

 だが先程の攻撃を見て動きを理解していた《骨人》は、マシンガンを捨て、ナイフを右手に構えた。あわよくば、《碧狼》の左手を切り裂くつもりなのだ。

 相対する刃と拳――生身の肉体では前者が有利。

 だが、それはあくまで人間の常識の問題だ。

 【MHM】同士の戦いは、馬力と頑丈さ、何より躊躇いの無さが勝負を極める。

 光が空を舞う。瓦礫の大地から踏み現れる粉塵は、世界に響く金属音と共に静寂の中に消えた。


「ふぅ……」


 溜まっていた熱い息を吐くエメの声に合わせて、《碧狼》の瞳は赤から青に戻る。

 眼前には腕ごと胸部を破壊された《骨人》が、《碧狼》の鋭利な左腕に貫かれていた。

 単なる勢いのいい拳であっても、機械の身体ゆえにナイフなど抵抗手段としては意味はない。生身の常識は【MHM】には通用しないのだ。

 攻撃のタイミングに、スラスターを前方に噴き出しながら左足を軸に急ブレーキをかけたのだ。その結果、自分達の後方に舞っていたナイフの刃が落ちた。

 静寂の中、碧緑色の獣は全身からエネルギーの蒸気を噴きだした。《碧狼》はその機体の特性上、熱が籠りやすく、現れる白煙は一時的にその姿をシルエットに変える。


「骨人じゃ、碧狼には敵わない。そう知っていたはずだろうに」

「ねぇ」


 神経を繋げるコードをうなじから抜いたリシティは、疲れたように首と手首を回す。それを見てエメは、うへーと、気持ち悪そうな声を出した。


「どうした?」

「リシティの首回すの怖い」

「と、言われてもなぁ」


 少年はボサボサの白髪を弄る。日常的行為を怖がられるのは悲しい事だ。


 彼女との旅が始まってもう数か月。

 リシティにとって短くも長い、かつての自分との決別をして数か月。そのキッカケとなった少女と旅をして数か月……二人は世界を見て廻っていた。

 世界は変わらない。かつての人々が世界を壊したそのままの情景だ。【管理者】は世界を治そうとせず、この世界を原初の光景として存続させる事を選んだ。

 彼にとって、かつて人間が住んでいた自然の風景は障害にしかなり得なかったのだから。


「碧狼、エメ。行こうか」

「うん!」


 彼女の快活な笑みが見える声に、リシティは小さく微笑んだ。

 世界は終わった。だからこそ、この世界で旅をする。

 彼らは旅人ストレンジャー。終わった世界を見つめる者。一秒先の未来を信じて、今日も彼らは世界に生存する――。

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