Scene 8 貴女に憧れて

 フラウズが終わった金曜放課後、今週の指定席である化学準備室に行く。

 手には大量の紙束2つ。片方は脚本の印刷、もう片方は白紙の塊。


 一昨日、ようやく400弱に分かれたカットは、A4用紙の中で少しずつ絵コンテに変身していっている。


「よし、ほいじゃ今日もいきますか!」


 自分に号令をかけ、シャーペンを取る。A4白紙を縦横に1回ずつ折り、数学の座標軸のような4コマに。1コマに1カット、1枚で4カット描ける絵コンテ用紙に早変わり。


「このカットは、と……」


 カットを分割しているときに台本に小さく書いたメモ。これをベースに絵を描いていく。


 絵といっても極限までラフなもの。役者なんかは人の形や顔の形を描いて、「優しく笑う」なんて注釈を書いて終わり。

 このくらいのスピードで描いていかないと、400コマも捌くことはできない。来週から撮影に入る予定だから、週末までに終わらせないと。


 カリカリ シュッシュッ カリカリ



 掛け時計もない部屋で、シャーペンの音だけが響く。隣の部室からも微かに声が漏れるくらい。窓の外からは相変わらず運動部のかけ声が聞こえてくるけど、それ以外は静寂が耳に鳴り響くだけだった。


 ただひたすら絵コンテを書いていくだけなら、曲でも聴きながらやればいい。でも、たまに疑わなきゃいけないときがある。


 本当にメモの通りでいいのか。月曜は3パターンの候補からこのアングルを選んだけど、今考えたらあっちの方が良かったんじゃないか。そう考え始めるとまた深みにはまっていく。


 手を止めて腕を組んで、上を向いて目を瞑って、脳内撮影をもう一度。やっぱりこっちの方が、いやこの前は考えなかったけどこういう撮り方もあるかも、そもそも前のカットと繋げてもいいんじゃないか。

 選択肢は増え、時間は削られ、なかなか思うようには進まなかった。



 部屋の電気が要らないくらいのオレンジが窓から射し込み始めた頃。廊下の足音が部屋の前で止まった。


「ユズ先輩、入りますよー!」

 ドアの向こうで元気な声が響き、灯香が入ってきた。


 私の後ろから零れる西日に照らされて、彼女の顔に光と影ができる。眩しそうにニコッと笑うその表情に、心は楽しげに波立った。


「どした?」

「ごめんなさい、忙しいときに! 簡単でいいんで、ふぇすらじの打ち合わせさせてほしいんです。明日からの土日で色々考えてたいんで」


 うず祭当日、校庭で放送予定のふぇすらじ。メインパーソナリティーとして、しっかり準備を進めてくれている。サブパーソナリティーとしては頼もしい限り。


「うん、いいわよ」

「よろしくお願いしまーす!」

 横並びになっている銀色机。私の隣に座りながら、プリントを1枚渡してくれた。


「えっと、まず気になってるのは、放送の準備についてなんです。ブースは4本足のテントに机を入れて作るってことだったんですけど、マイクはどこから引っ張ってくるんですか?」


「ああ、うん。放送室のワイヤレスマイクをそのまま使っていいと思う。放送室でマイクの電源を入れておけば、そこから一定以内の距離であれば使えるはずだからさ。ブースは校庭でも比較的放送室の近くに設置することになるかな」


「なるほど……BGMとかはどうするんですか?」

「さすがにそれは放送室から流さないとね。青葉やセットが暇なときは、どっちかに流してもらえばいいけど、そうじゃないときは私達のどっちかが放送室まで行くことになるかな」


「ふうむ、結構大変ですね。じゃあむしろ、要所要所でBGMを使うっていうより、流しっぱなしの方が良いのかあ」

「うん、青葉達もそこまで時間取れないだろうし、バタバタしないように流しっぱでも良いかもね」


 当日は部室で映画上映もする。受付や上映担当を考えると、青葉やセットが暇になる時間は結構少ないはず。


「うん、設備のイメージは湧きました、ありがとうございます! あとはコンテンツなんですけど、各部のオススメ企画紹介って普通に読み上げるだけでいいんですかね? なんか間延びしちゃう気がして……」

 眉を下げる灯香。


「確かに、ただ企画内容話してるだけじゃ退屈ね」

「アタシ達で勝手にオススメ度ランキングつけちゃうとかも考えたんですけど」


「んん、ヘタにやるとクレーム来るかもだから、やめた方がいいわね。テキトーに幾つか選んだって方が安全策!」


 ですよね、と頭を机に落とした。


 少し首を伸ばして彼女のプリントの隣に開かれているノートを見る。やることリストだろうか、幾つもの箇条書きが並び、横にグジャッとメモが踊っていた。


 ラジオでは全力で私のツッコミを受けている彼女が、自宅で目をバッテンにしながらウンウン唸って考えているの想像すると、なんだか可笑しい。


「そのコンテンツだと間延びするって気付いただけでもエラいだと思うよ、灯香。確かに私達がずっと喋ってると間延びしちゃうと思うから、外で放送してるって利点を活かしてもいいと思う。例えば紹介する部活の部員が近くにいたらマイク渡してアピールポイントを聞くとか、来場者にインタビューしてみるとか」


 ここまで聞いて、灯香がガバッと起き上がった。

「なるほど、そういう手もありますね! そっかそっか、近くにいる人を捕まえればいいのか!」


 インタビュー♪ インタビュー♪ と節をつけて歌いながら、高速でプリントに殴り書く。


 その後は全体の流れについて確認。昼12時から15時まで、3時間の生放送を土日1本ずつ。ちゃんとスケジューリングしないと、勢いだけでこなせるものじゃない。


「あとは日曜のコンテンツだね。特にオススメ企画。企画紹介するのは別にいいけど、土曜と同じ内容だとなあ」


「そうなんですよね、アタシも迷ってたんです。日曜だけ来る人には良いですけど、雲珠高の生徒は同じこと聞いても面白くないでしょうし。土曜と日曜で紹介する企画変えようかなって思ってます」


 ノートで軽く顔を仰ぐ灯香。味気ない紙の匂いに、柑橘系のような髪の匂いが混ざって鼻に届いた。


「うん、それがいいかも。ダンスとかライブみたな体育館ステージでやる企画は土日どっちか1日だけってのが多いから、そこは変えやすいわね」

「あとは土曜は教室内でやってる企画、日曜は校庭でやってる企画、みたいな分け方でもいいかなって思ってます!」


「そうね。来週にはうず祭実行委員会からパンフレット原稿もらえるんでしょ? それを元に紹介したい企画探して、土曜紹介するものと日曜紹介するもので分けてみよっか」

「分かりました!」


 よし、とりあえず企画紹介の案がまとまっただけでも良いかな。残りのコンテンツをどうするかは、また考えないとね。



「ユズ先輩、カット割はどうですか? 絵コンテ描くの大変ですよね」

 ふぇすらじの件はひと段落し、灯香は今まで私が腕を乗せていた脚本の束から数枚を手に取った。


「え、あ、うん。まあ、予定通りって感じかな。あと300カットくらいあるけど、土日あればなんとか終わると思う」

「そっかそっか、来週から撮影ですもんね。楽しみにしてます!」


 ニパッと笑う灯香に、胸の中の水位があがったかのように息が止まる。


 3秒の沈黙の後、夏休み前からの疑問をぶつけてみた。



「ねえ灯香。なんでふぇすらじやりたいって思ったの?」

「アタシですか?」


 ふぇすらじは灯香が提案したこと。今年上映する映画の役割を決めた次の日、「アタシやってみたいです!」と私と青葉に相談してきた。


「んん、ちょっと恥ずかしいんですけど……」

「何よお、照れてないで教えてよ」




「……ユズ先輩を見てたからですかね」


 目線を私から少し外して、彼女は呟くように言った。

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