05.

「こんにちは」

「あー、いらっしゃーい」

 夕方、月理の部屋に日々野が一人で訪問してきた。日々野は学校帰りなのだろう制服姿である。後ろで二つに分けた髪の房が申し訳なそうにゆれた。

 黒のタンクトップに赤のハーフパンツで月理は日々野を出迎えた。

「こんな季節にその格好で寒くないの?」

「うん。燃える女に季節も敵わないってね」

 実は嘘である。回復促進剤のせいで体温が上がっていて、薄着になっているのだ。

「はい。水ちゃんと飲んでる? まだ顔が赤いわよ」

 そう言って、スポーツ飲料を渡してきた。

「ありがとう。では、早速いただきます」

 居間へと通じる短い廊下で、そのキャップを捻り飲み始める。

「ふーん。大分いいみたいね、腕の方は」

「あ、また試した?」

「いいえ、たまたまよ」

 日々野は、食卓テーブルにつき、月理はやかんを火にかけ、インスタントコーヒーの瓶の口を開けた。

「アイリは?」

 月理は、匙でインスタントコーヒーの中身を大雑把に、二つのマグカップに放り込んでいく。日々野が来たとき嬉しくて、そしてまた来てくれるようにと、新調したマグカップだ。つまり専用である。

「幸田さんは、学校祭の準備。委員だから」

「あ、そういえばそうだった。なんで、ああいうのを引き受けちゃうかな」

「仕方ないんじゃないの? 柏音さんが、藤崎くんの推薦蹴っ飛ばすから」

「あの野郎は、自分がお祭り好きだからってあたしも巻き込まないで欲しいよ」

「推薦されたとき、本気で寝てたから、すごい顔で断ってたわよね。あの迫力はどっから出てくるのかしら」

 やれやれと肩を竦める。

「ま、あー、その話はいいじゃない。はい、コーヒー」

「でも、藤崎くんも懲りないわよね。ありがとう。あの迫力で罵倒されるのがクセになってるのかしら?」

「やめてよ、そんな怖いやつが周りにいるのを想像するだけで胸悪くなるから」

 マグカップを片手に、げーっと言いながら舌を出した。

「だけど、本当になんとも思ってないの?」

 コーヒーを啜りながら、節目がちに訪ねた。

「なにが?」

「藤崎くんでもいいし、宇治原くんでもいいけど」

「あははは。これは面白いことを言うね、日々野さん。でも、ジョークとしては下の下だね。あいつら見て、なにを思えっていうのさ?」

 真面目な顔で月理は拒否をした。日々野は、少し不機嫌な面持ちで切り返す。

「ジョークではないもの。どういうつもりで、接してるのか聞きたくて」

「だから、ジョークとしては下の下なんだよ。面白いけど、ジョークじゃないからね。……あたしがあいつらになにか思ってたら日々野さん、困るの?」

 少し含み笑いをしながら、尋ね返す。

「いえ、そんなことはないわ。仲のよい男子なんていたことがないから、ちょっと参考にしてみたかっただけ」

「そ。あたし的にはただの友達だよ。ほんの少し周りより仲のいい友達。馬鹿やって、ふざけあうくらいがちょうどいいのさ」

「ふーん。ちょっと嬉しい?」

「なにが?」

「そんな関係」

「…………嬉しいよ。こうして日々野さんとも話せることも。中学までのあたしには手に出来なかったものだから」

「ふふ。そっか。そうなんだ。うふふ」

「なに? なにをそんな嬉しいそうにしてるのさ?」

「いいの。あ、そうだ。うちのクラスの出し物決まったのよ」

 日々野は自分の鞄をごそごそといじりいながら紙を取り出した。それは一枚のルーズリーフ。そこには日々野らしい几帳面さが窺える文字で色々と書き込まれていた。

「えっと、喫茶店。喫茶店には早々に決まったんだけど。なに喫茶にするかが意見が分かれて。男子どもはメイド喫茶がいいとわめいていたんだけど、藤崎くんが、ふう」

 なにやら頭が痛くなるよなことを言い出したに違いないことは容易に推測された。

「うなじのよさにを語りだして」

 額に指を当ててもう一度ため息をついた。

「ほう? うなじとな?」

「それで、はあ、鎖骨もいいとかわけわからない話になって、結局」

「結局?」

「浴衣喫茶になったわ」

「ふーん。衣装自前なのそれ?」

 もっと、激しいリアクションを期待していたらしい日々野はあっけに取られる。

「い、いえ、ない人は貸し合おうって」

「ふーん、親に送ってもらうか。なに?」

 日々野は、驚きも隠さず、喉の奥から声を搾り出した。

「いや、もっと驚くかなって? そんなことできるかー! とか怒るのを想像してたから」

「まあ、うなじとか鎖骨とか、あいつらにしてはわかってるよ。さすがは思春期の男どもだ」

 うんうんと頷く月理。

「いつも長い髪に隠れたアイリのうなじとか超いいんだよ? マジで。お風呂とか入ったとき、あたしを女に作ってくれて神様ありがとーって思うもん」

「はあ」

 完全に日々野は置いてきぼりを食っていた。

「あっ、その顔、わかってないな。いい? 普段隠れている美しい首のラインがね……」

 月理が、熱弁をふるおうとしたその瞬間。無情に玄関のチャイムが鳴る。

 日々野が助けが来たとばかりに、玄関を指さして強調した。

「いいとこなのに。はいはーい」

 渋々玄関へと向かう。

「やあ、つぐりん。お仕事終わったよー」

 ぐてっと月理に抱きつく。

「あや、まだ熱いね」

「あい、お疲れさま。おかげさまで快方に向かってますがもう少しかかりそうです」

 愛梨が学校での仕事を終えて月理宅にやってきたのだ。

「もー、本当は、つぐりんも学校に来てなきゃいけないんだよ? あー、日々野さんだ。ねー、日々野さんも言ってよ」

「そうね。本来学校休んだ人とこんなところで歓談していていいわけないものね」

「いいじゃんかよ。今回は本当に病欠なんだからさ」

 月理は、新しくマグカップを取り出して、コーヒーを入れる。

「どうして普段から寝ぼけてる人が風邪を引くのかしら。それに、さっきの熱の入りようでは風邪ももういいみたいだし?」

「あは。うわごとだよ。うわごとってことにしておいてください」

 さすがに本人にうなじとか言われては、困る。多分伝わったところでなにも変わらないだろうが、単純に恥ずかしかった。

 こうして集まる機会が増えて、月理は幸せである。自分がちまちまやってる世界平和の達成のための尽力の苦も、このためにあるとすれば全くつらくはない。



 次の日、三日ぶりに月理は登校をした。もちろん、愛梨のお迎えつきである。もう本格的な秋の風が二人の横を我が物顔で通り抜ける。木枯らしにしては寒さ厳しく、まさに冬将軍といった貫禄の一撫でであった。

「うわー、三日家にこもっただけで、ここまで寒さが違うとは。亜寒帯なめんなよってことだな」

 月理はその矮躯で痩身な身を風の中で無力に震わせた。

「だからマフラーつけておいでって言ったのに。マフラーなんて外が白くなってからじゃないとおかしいとか言うから」

 そういう愛梨は、きちんと紺のニットのマフラーを巻いて口元を隠していた。

「今日なら、手袋はめてたっておかしくないよ」

「まあ、言いたいことはわかる。今それが骨身に痛いほど浸透してる。現在進行中で。もうこの上は痛くなくなって、最後には全裸で走り回るんだぜ。怖いね、寒さって」

「それを面白そうに言うつぐりんの方が怖いよ」

「あたしのストリーキング鑑賞権はアイリの独占だ。まあ、日々野さんにも分けてあげて」

「そういう話だったっけ?」

「まあ、似たような話」

 ものすごく適当に切り返す。

 二人は、ようやく暖かい空気を発する校舎へと辿り着いた。だが、期待していたほど暖かくない。このような、急激な冷え込みに学校は対抗手段を用意していないようだ。

「あー、寒い。耳が腐ったらどうしてくれんだよ」

 ぶつぶつと文句を言いながら教室へと向かう。

 教室に入ると、藤崎が寒さなどどこ吹く風で、元気満タンに相棒に話しかけていた。月理が教室に入ったのを確認すると、つかつかと歩み寄り、高く右手を掲げる。それに答えるように月理も右手を掲げた。清々しいほど気持ちのいい音とともにハイタッチが交わされる。

「グッジョブだ。藤崎」

「任せろ、柏音。おまえなら、クラス中を敵に回してもそう言ってくれると思ってたぜ」

「いやいや、おまえは昼飯以外で始めてあたしの役に立ったんじゃないのか? 生かしておいた甲斐があった」

「そうだろうそうだろう? なにがメイド喫茶か。あんなぴっちりとした作業着なんぞ、浴衣の持つ末広がりな開放感に比べればゴミだ。それに、俺たちは浴衣には特別性を感じるように教育されている。別の意味でも楽しめる」

「パーフェクトだ、藤崎」

「感謝の極み」

 とても怪しい雰囲気が漂っていた。具体的には、宇治原と愛梨すら近づけないくらい。

 

 

 放課後、もはやなにかの悪の総統かと見紛わんばかりの怪しさを月理は醸していた。さすがに日々野も呆れたのかなにも言わなくなっている。

 なにが彼女をそうさせたのかといえば、浴衣の試着である。モデルは愛梨。燃えないはずはない。机に腰掛け、組まれた足の上でさらに組まれた手。その組んだ部分に隠れて忍び笑いがもれている。周りはそれを聞かないことにして、離れて立っていた。

 この五分前に、藤崎が月理に殴られている。理由は、あたしは女でおまえは男。藤崎は愚かにも、月理の試着同席を破廉恥であると申し立てたのだ。周りも、藤崎が同席しないのはもちろんのこと月理もはずしたかったことだろう。だが、月理のその雰囲気にだれも口に出せずにいた。

「ねえ、柏音さん」

「ん~?」

 もはや、このクラス最後の砦、しかも最近できたばかりの最新の砦である日々野が口火を切った。それに、ねっとりと絡みつくように月理は返事をした。

「あなたたちって、幼馴染よね?」

「うん、そうだよ」

 視線は愛梨から離れずに答える。

「珍しくもなんともないんじゃないの?」

「珍しいとか、そうじゃないとか関係ないよ。アイリが色っぽいカッコをしてるか否か、だよ。アイリが色っぽいカッコをしてくれるならあたしは三百六十五日このテンションを維持するよ、してみせる!」

 ぐっとこぶしが握られ、力強い。言ってることはめちゃくちゃだが。

「おーい、中条」

 月理が一人の女子を呼び止めた。中条は、びくりとあからさまな動揺を見せて月理の方を見た。小動物系という表現がしっくりきそうなおびえ方だ。ミドルの髪がいかにも平均ですという印象を与えるクラスメートだった。

「な、なにかな? 柏音ちゃん」

「次、つぎっさぁ、日々野さんやってよ」

 にこりと微笑む月理。憐れ中条は逆らう言葉を持たなかった。

「ちょっと、柏音さん! 順番や、準備ってひあ!」

 いきなり月理は日々野の背中を撫でた。

「い・い・か・ら。はい、どうぞー」

 てきぱきと周りは準備を進め、つられるように日々野は制服を脱いでいく。

「おろ、着やせするタイプ? いいもの持ってんじゃん」

 月理の声は軽やかで、聞くものに快を与える声だった。

 周りからも、スタイルいいねなどと声がかかった。日々野はすっかり顔を赤らめて俯いてしまう。

「うーん、やっぱり、日々野さんと幸田さんはちょっときついわね。大きいサイズ借りる?」

 月理が持参した浴衣を試着してるとそんな声が聞こえてきた。

「どうよ、中条? これ中学の二年のときのだからさ、やっぱ小さい?」

「ううん。ぴったり。まるで直す必要がない」

 中条は知ってか知らずか、きっぱり言い切った。

 月理は人知れず肩を落とす。わかってはいたのだけども。突きつけられる現実の破壊力はすさまじい。

 試着会も終了し、再び教室に男子も舞い戻り、もう幾日もない本番に向けて動き出していた。放課後も暮れ、下校時刻が迫ってきていた。

「はい、それじゃあ、みんなー。今日はここまでです」

 準備委員の愛梨がたどたどしくみなに告げる。

「おい、幸田ぁ。これ終わんないぞ」

「えーっと。それについては報告があります。明日、明後日は授業がないのでその間に教室を準備してください。エプロンとか、クロスとかは各自持ち帰って頑張ってください。あ、明日点呼あるんで学校には来てくださいね。では今日はおしまいです!」

 愛梨は、胸の前で小さくガッツポーズをして説明を終えた。

「よくがんばった」

 月理は、愛梨を抱き寄せて体を撫でた。

「さて、我らは、クロス班なわけだが。全く終わる気配がないな。だれだ、これに本格的にアップリケしようとか言ったやつ」

「こら、柏音さん。そんなこというのは反則よ。それは、言うべきときに言わなければただの卑怯者よ」

「うん。そうだね。わかってるけど、でも、どうしよう? この現実?」

 愛梨と日々野は達者といえる裁縫の腕だったが、月理はその器用さは錬金術でしか発揮されない特殊体質のため一人、進行が遅い。

「うー、まあ、どうするかなんてわかりきったことだよね。明日は授業ないし、徹夜で遅れを取り戻すよ」

「ねえ、柏音さん?」

 日々野がとても言いにくそうに言葉を向けた。

「うん?」

「あの、迷惑でなければ、私もやりにいっていい?」

「あー、うん、全然かまわないけど。アイリはどうする?」

「ねー、どうせだったら、今日お泊りしよっか。みんなで夜遅くまでちくちく縫い縫いするの」

「いいんじゃない? どうせだから、晩飯も一緒に食っちゃう? どう? 日々野さん?」

「え、あ、私は問題ないわよ。全く。うん。晩御飯は、寒いから鍋にでもしちゃう?」

「あーいいねえ。タラ買おう、タラ」

「タラだからね。変な新進気鋭の食べ物はいらないわよ?」

「あー、それは誤解。誤解だよ。あたしだって普通の食べ物食べてる方が多いんだよ? だって、毎回あんな珍しい食べ物を見つけてこれるわけないでしょ」

 月理は、「いやだなー」っていう顔をしながら、呆れ気味に笑う。

「そ、そうよね」

 日々野も納得した顔で頷いた。



「で、この白身の魚はなにかしら?」

 夜、夕食の席で、日々野は、タラとは別に盛られている白身の魚に懐疑の目を向けた。

「別に変なものじゃないって。きっと日々野さんも食べたことあるって」

「だから、なに?」

 なおも食い下がる日々野。確かに、月理の前科を考えれば無理もなかった。

「ナイルパーチ」

「ナイルってあのナイル?」

「河が一年に一度逆流するナイルを指しているならそのナイル」

「ちょっと、新進気鋭はいらないって言ったでしょ」

「別に、新進気鋭じゃないよ。シロスズキとかって言う名前で、給食とかでも食べられてるんだから。話によると、スーパーの白身も一部そうだって言うし。おいしいよ」

「なんで、幸田さんがついててこうなるの?」

「気がついたら、レジだったの」

 心底申し訳なさそうに告げた。

「虫とかいないでしょうね?」

「鍋にするんだから大丈夫でしょ。まあ、そう怖い顔しないで。スマイル、スマーイル」

 月理はわざとらしく、口の端を手で持ち上げた。

「健康被害は聞いたことないから大丈夫だって。じゃあ、いただきまーす。ポン酢ポン酢。やっぱ湯豆腐はポン酢でしょ、ね?」

「もう」

 その屈託ない笑顔に日々野は折れた。日々野は、ポン酢のビンに手を伸ばす。

 鍋に材料が入れられ、すでにぐつぐつと煮立っていた。

「はい、ナイルパーチ」

 月理は無理矢理、日々野の取り皿にナイルパーチを押し込んだ。どうしても食べてもらいたかった。日々野も戻せなくなはないが、渋々口にする。

「あ、おいしい、かも」

「でしょ? それなりにおいしいものもあるんだよ。いつもいつもザリガニみたいのを食べているわけじゃないんだよ。ザリガニもおいしかったけどね」



 夜も更けてから、少し部屋の空気もその温もりを失いだした頃。なんとなくつけられたテレビはBGMになりはてた頃。

 月理たちは、宿題となったテーブルクロスの刺繍を黙々とこなしていた。

「いてっ!」

 月理は、不器用に自分の指に幾度となく針を刺した。

「また? 大丈夫?」

 日々野が心配そうに声をかけた。

「うー、化学の実験ならガラス細工でも作ってみせるのにな。なんで、あたしの器用はジャンルが偏ってるんだろう?」

「単なるやりなれているかの問題だと思うけど。ステージ衣装とかはアレンジしたりしないの?」

「全然。どうしても必要なときはアイリに頼むし」

 日々野はびしっと指をさした。

「まさに、それじゃないの」

「でもさ、もっと細かいことがスムーズにできてもいいと思うんだよなぁ。ああ、日々野さん、ここ教えてよ」

「うん? そこはね、こうするの」

 ひょいひょいとやってみせる日々野。

「すごいよね。アイリも結構家事上手だと思ったけど、日々野さんはそれ以上かもしんないね」

「ねー? 私もまだまだだね」

 無邪気に喜ぶ、愛梨。月理はさらに続ける。

「本当、いいお嫁さんになれるよ」

「わたしは、たぶんもらってくれる人いないから。だから、夢なのよ。お嫁さんになるの。こんな歳でおかしいかも知れないけど。でも、幸せになんてなれないわ、きっと」

 日々野は苦笑しながらそんなこと言った。なにか事情がありそうなのは、雰囲気から伝わってきている。月理は、ここでどうするか悩んだ。突っ込むか否か。

「どうして、そんなに辛そうな顔で、そんな悲しいことを言うの?」

「わたしが辛そうで、悲しい顔をしているとすれば、それは現実がそういうものだからよ」

 現実の無情さを月理はよく知っていた。それこそ月理の戦いの歴史そのものといってもいい。それくらい理解してることだった。日々野はどんな重石を背負わされたのだろう? それは自分には取り除けないものか、聞きたかった。だけど、聞けなかった。

 それは、自分の正体について言及しなくてはいけないからもある。だが、一番はできないと言われることが怖いからだ。友達一人救えないことを知ってしまうから。

 その恐怖は、月理の口を重くさせて結果無言と沈痛な雰囲気を作り上げてしまう。

「さあ、辛気くさい話はなしにして、楽しい話をしましょう」

 日々野は笑顔で話を変えようとした。だが、その作られた笑顔があまりにも痛々しく見える。

「楽しい話、たとえば?」

「柏音さんが、逆ハーレム状態なのに全く反応してない件についてとか」

「えー、だってよ? 宇治原はなんとなく静かで大人の魅力というか風格を見せているかもしれないけど、藤崎はあれだよ? ムリ」

「えっ、じゃあ、宇治原くんならあり得るの?」

 いきなり色めく愛梨。

「ないない。あたしはこう見えてあたしに夢中になってくれなきゃいやなタイプでさ。あいつが恋愛に一生懸命になるのって想像できる?」

「わかんないわよ? 案外そういう人ができたら夢中になるタイプかも」

「じゃあ、なおさらムリだね。あいつのあたしを見る目の冷めたこと。ありゃ、友達以外の何者にも見てないね」

 一人自分の説明に頷く月理。

「幸田さんは?」

 もう手応えがなくなったと思ったのか、今度は愛梨に振った。

「え、あの、恥ずかしいんだけど、笑わない?」

「なに? 好きなやつがいるのか、アイリ?」

「笑わないわよ。ほら、そんなに慌てないの」

 日々野は、月理を落ち着かせて先を促した。

「ううん。私は、まだ友達でもちょっと怖くて、男の子なんてどうしていいかわからないんだ。だから、私の好きな人はつぐりんなの」

「やっぱり? はあ、女三人集まって恋バナ一つ咲かないとは。寂しいわね」

「えー、そういう日々野さんは? 遠慮なく咲かせてくれていいよ?」

「ご冗談。友達にも先日まで事欠いてたのよ、恋人なんて夢の夢ね」

「そんなことないと思うけどな。友達と好きな人って別な気がするよ」

「そうかもしれないけど、クラスの男子は宇治原くん以外は名前もよく覚えてないもの。宇治原くんだってテストの成績がいいから覚えてるだけで、そんな大層な理由があるわけでもないし」

「あーあ。あたしらって寂しいのかね?」

 作業を放り出し、ごろんと仰向けに寝転がる月理。

「こうして集まってお話しできるだけでも十分だな、私は」

「わたしもそう思うわ」

「そっか。そうだね。青春はなにも恋だけじゃないよね」

 秋の夜は更けていった。

 

 

 三日後。月理たちは自分たちが課された責任をこなした。周りもなんとか形にし、クラスの発表という形式は無事整っている。

 女子は、皆浴衣を着て接客の準備をしていた。男子は、裏に回り喫茶店という名目を果たすための準備をしている。

「ふー、緊張するね。つぐりん」

「なにが?」

「知らない人が来るんだよ? 変じゃないかな?」

 くるくる回りながら愛梨は自分の姿を確認した。

「そんなことないわよ。わたしは?」

「大丈夫だって、二人とも。季節外れを除けば全然変じゃないよ。少なくともあたしよりはきれいだね」

「もう、おだてたってなにもでないわよ」

「あ、そう? 残念。まあ、あたしは眼福だからいいんだけどね」

「オヤジくさいわよ」

「よいではないか、よいではないか?」

 月理はわきわきと指を蠢かせる。

「その手つきはやめた方がいいわ。いくら女でも警察呼ばれそうよ?」

「うん。私もそう思う」

「冗談だよー。二人とも真剣な目で心配するのはやめて、ね? あーあ、でも三人で回りたかったよね。シフトのせいでバラバラだもんね」

「本当。残念だわ」

「それにしても、なんであたしだけ仲間はずれかな。ま、二人は適当に回っておいでよ」

「う、ん」

 歯切れ悪く日々野は頷いた。

 そうして、文化祭開始の幕が切って落とされる。

 

 

 あっという間に時間は過ぎ去り、それは過去という名で保管された。校庭では寒い中、それまでの喧噪を惜しむかのように、静かにフォークダンスを踊っている。馬鹿騒ぎの余韻に浸っているようだった。

 それも無事終了し、最後に一つ歓声が上がってみな散り散りになっていく。

「うあー、お疲れ!」

 月理が元気よく労をねぎらった。

「二人とも楽しかった? どこ行ってきたの?」

「あ、えっと、屋上」

 日々野が遠慮がちにそういった。

「屋上?」

「うん、騒がしい雰囲気が辛かったから、屋上で幸田さんと話してた」

「寒かったよね。こう、ぴゅーって風が吹いて。でも楽しかったよ」

 本当に楽しそうに愛梨は言った。

「そうか、ならよかったよ。で、この後はなにか予定は?」

「帰るだけだけど」

「よし、じゃあ、出かけよう」

「どこに?」

「カラオケ」

「え、いや、わたし行ったことないし」

「何事も経験だって。おーい、藤崎。こっちはいいぞ」

「おーう」

 藤崎が短く返事をした。

「さて行きますか」

 月理は、日々野の腕をつかんで歩き出した。

「え、あ、ちょっと」

「いいからいいから」

 愛梨もにこにこしながら後をついてくる。それを見て日々野も決心をしたようだった。あきらめたと言うべきかも知れない。

「駅前でいいんだろ?」

「いや、あそこらは先生が張ってるから、藤幸裏かな」

「オーケー」

 そうして、月理、愛梨、日々野、藤崎、宇治原の五人はカラオケに向かって出発した。

「あ、あの」

 途中、日々野が月理にもじもじしながら声をかけた。

「あの二人と一緒なのにわたしがいて大丈夫?」

「なんで? 気にするような連中じゃないよ」

 藤幸デパートの裏にあるカラオケ店は、少し寂れた感じがしていたが、中に入ってみると客がいて、賑わいを見せていた。月理たちと同じような考えのものが多いのだろう。同じ学校の制服が目についた。茶色のブレザーにチェックのプリーツのスカートに、チェックのズボン。赤、青、黒のネクタイ。それが溢れていた。

 藤崎が、こなれた感じに手続きを踏む。

 奥の方のボックスに案内された。十人用くらいの部屋で、五人にとって十分な広さであった。ドリンク付きなので月理たちは飲み物を選ぶが、日々野はいまいち飲み込めていないようである。

「この中から好きなのを一杯選ぶんだよ」

 メニューを広げながら月理は説明した。結局、日々野はウーロン茶をたのんだ。

「でね、この本か、このリモコンの中から好きな曲を選んで、このボタンをポチッと押すんだよ。そしたら、こんな感じで曲が始まるんだ。二曲目以降は予約になるからばんばんいれていいから」

 冒頭から、部屋の中に洋楽が流れ始めた。

「ヘーイ! 今日までお疲れさーん! 今日は、弾けていくよぉぉ!」

 藤崎たちが、手を叩いてリズムを取り始めた。

 一人一曲ずつ入力していく。あの愛梨や宇治原でさえも。それでも、歌などに普段から興味をさいていない日々野はどれがいいか困惑してしまう。

 藤崎が、アニソンを絶叫している。月理は、それをものともせず、日々野の選曲に協力していた。

「これは?」

「わかんないわ」

「うーん、じゃあ、これは?」

「あ、これなら知ってるかも」

「ずいぶん古い曲だね」

「昔、父が聞いていたから」

 曲が奏で始められたが、初めてのカラオケで日々野はうまく歌えてない。月理は、マイクを持って一緒に歌い始めた。それを聞いて、日々野も調子をつかんで歌い始める。

「上手だね」

 そのたどたどしい歌いざまを見ても月理はそう言った。別にお世辞ではない。自分が初めてマイクを持ったときから見ればずっとうまい。それだけだ。

「あ、ありがとう。一緒に歌ってくれて」

「慣れだよ慣れ。それまでは、お供するよ」

「よし、じゃあ、俺たちも七十年から八十年縛りで行くぞ!」

 藤崎は、声ががらがらになるまでシャウトした。宇治原も、無難にバラードをこなしていたが、音が微妙に外れている。月理はもちろんうまく、一番だった。愛梨は、器用にアニソンからバラードまで雰囲気に合わせて歌っていく。

「意外。宇治原くんてあれなのね」

「いいよ、はっきり言ってやんなよ。音痴だって」

「悪かったな。でも歌うのは好きなんだ」

 ばつが悪そうにメガネを直しながら、顔を赤らめた。

 楽しい時間はあっという間に過ぎさり、お開きの時間となる。

「あー、歌った歌った。学祭はやっぱ楽しいな。な、柏音」

「楽しかったのは、カラオケじゃなくてか?」

「違げえよ。学祭の後のカラオケだからなおいいんだろう」

「そっか、よかったな。あ、そういえばできた写真は回せよ?」

「おうよ、そのためのカメラに決まってんだろう」

「じゃあな」

 男子組と女子組が分かれる。空は、とっくに明るさを失い、黒い姿をさらしていた。この前の寒さほどではないが、涼しい風が三人に吹き付ける。愛梨と日々野はマフラーを首に巻き、月理はアンデスキャップをかぶった。

「藤崎くんたちもいい人ね」

 日々野がそんなことをつぶやいた。

「わたしに、あんなに気を遣ってくれて。おかげで楽しかった」

「うん、あたしも楽しかったよ。機会があればまた行こう」

「そうね。じゃあ、わたしはこっちだから。また明後日ね」

 手を振り、日々野は帰って行った。

「じゃあ、我々も帰りますか」

「うん」

 そうして、青春の一ページが過ぎ去った。

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