第7話


「7つの海のイシタ」は、少年イシタが7つの大海を冒険するシリーズものだ。

孤独な少年イシタには、大海原を進むにつれ、一人また一人と仲間が増えてゆく。

乱暴で嫌われ者の海鬼。巨大なくせに臆病なジンベイザメ。

種族を問わず様々な者を引き込み、イシタは海を渡ってゆく。著者は、放浪の詩人としても名高い、ワニのドッペンゲルガーである。

フィリップは目を輝かせた。

「ご名答!僕は、海溝のレーベンスが好きだったなぁ~!」

「あぁ、タコのレーベンスが、彼の真っ赤な体を妬んだダイオウイカに騙されて、秘宝を求めて海溝に潜っちゃうやつね。余りに深いとこまで潜ったもんだから色が抜けて、レーベンスの身体が真っ白になっちゃうのよねぇ。」

子供の頃は、レーベンスがイカになっちゃった!と読んでくれていた母に泣きついたものだ。

「そう!事情を知った仲間とイシタが助けてくれるんだ!ほんとはダイオウイカは意地悪なやつなんだけど、いいやつだと信じて疑わないレーベンスの為に、イシタがあるはずのない秘宝を探しに行ってさ~。嫌われ者のシャチが、見かねて自分の宝物をこっそり地図の場所に置きに行くところとか泣いたなぁ。最後はイシタが赤の海獣から体液を貰って、レーベンスを塗ってあげるんだよね。イシタと赤の怪獣には過去に色々あったんだ。何回読んでもいいお話だよなぁ・・・。」

「で?」

フィリップはツボに入ると長いので、乗っておいてなんだが、イライザは話を元に戻す。 

「え?あぁ、そんなある日だ。森へ流れ込んできた毒蛾の花粉をノーランが吸い込んじゃって寝込んでしまったんだ。」

フィリップがそっと手を向けると、足元の空気が蜃気楼のように揺らめいた。ジョジョが不思議そうに手を伸ばしている。

やがて蜃気楼の中に、小さな少年の姿が浮かび上がった。

フィリップの話に合わせ、蜃気楼の少年は先へ先へと進む。

思いつめた表情の少年の瞳が、祖父と同じ深いブルーだと気付いたイライザは息をのんだ。

「心配した少年エドワードは図書館へ行って、薬草の本から毒蛾の花粉に効くという、ライエンネの花を探し当てた。ただ、ライエンネの花はブラックフォレストにある。ブラックフォレストは幾つかあるフォレストの中でも、最も光の差し込まない暗黒の森だ。昼でも濃い霧が立ちこめ、日が落ちれば夜より深い闇が森を覆う。守護者のブラックドラゴンに仕える、ビショップという一族が住んでいてね。彼らも含め、良い噂が一つもない、とても危険な森なんだ。そのブラックフォレストに、まだほんの子供だったじいさんはノーランを助けたい一心で踏み込んだ。

薄暗い森の中、湿った枯れ草とごつごつした岩が転がる荒れた獣道を、彼は黙々と進む。頭上をカラスや大コウモリが飛び回り、時折聞いたこともない獣の声がする。何かが食らい付いてくるように、一歩ごとに靴が重くなっていく。いくらやんちゃ盛りでも、さすがに怖かったと思うよ。そうしてどれくらい進んだだろうか。朽ち果てたモミの根元に、一輪だけ咲くライエンネの花を見つけたんだ。急いで駆け寄ってその花を摘んだとき、さっと頭上を掠めて何かが幹に突き刺さった。驚いて振り返ると石の弓矢を構えたビショップの集団に取り囲まれていた。余りの恐ろしさにエドワードは、ライエンネを握り締めたまま、動けなくなってしまった。」

 イライザとジョジョは固唾をのんで蜃気楼を見つめていた。まるでイシタの続編を見ているようだ。

「少年エドワードを捕らえたビショップは、オリビアへ使いを出した。彼らもまた、己の欲望のためにオリビアをいつも狙っていたから、使いと言っても迷子の連絡なんかじゃない。

じいさんを餌に脅迫したんだ。

ビショップはね、もともとブラックフォレストの住人ではなく、外の国から追放された人たちなんだ。彼らは自分たちを追い出した祖国を恨んでいた。そしてブラックドラゴンの庇護の下、次第に血や争いを好むようになり、フォレストの外へ出て行っては、戦いを繰り返すようになっていた。そんなビショップにとって、例えば戦士の一族であるオリビアのかぶとむしは、格好の標的となってしまうんだよ。何故だか判るかい?

かぶとむしの薄くて軽い羽は、ビショップの空飛ぶカイトの帆となり、鉄にも勝る強度の甲は、立派な刀や盾となる。

そして王族のそれは、大きさ・強度と全てにおいて他を圧倒する。王族のかぶとむしが一匹手に入れば、ビショップの武器が全て新品に生まれ変わってなお余り、この先何百年と前線で戦えるんだ。」

いつも空から眺める外の世界には、内と同じ平和な日常があるものと疑いもしなかった。

そういえば、幼い頃よく言われたものだ。

空を求め、決して高く飛びすぎてはいけない。

天空は神の領域だから。

また、神の森を求め、決して遠くへ飛びすぎてもいけない。

フォレストは魔の領域だから。

蜃気楼の少年は、一輪の花を握りしめて立ちすくんでいる。

「話を聞いたノーランは、皆の制止を振り切ってビショップの元へ飛んでいった。じいさんは蛇つる草で縛られていたそうだ。背中できつく縛られた泥だらけの両手にしっかりと握られたライエンネの花を目にしたとき、ノーランは全てを悟った。

エドワード。怪我はないかい?

ノーラン!来ちゃだめだ!

もう大丈夫だ。ビショップよ、道に迷った我が友を迎えに来た。長は何処か。

ノーラン!だめだ!戻って!

必死に縄を解こうともがけばもがくほど、つる草の蛇はぎりぎりと腕に食い込んでゆく。棘のような鱗が白い小さな腕にいくつもの傷を付け、いつの間にか血が滲んでいた。

その時。取り巻きの一部がザッと左右に割れ、痩せこけた老人が、ボロボロのマントをひきずりながら杖を手に出てきた。

歩みを進めるごとに辺りは光を失い、空気は冷え、踏みしめるそばから大地は痩せ、木々に残ったわずかばかりの葉までもが枯れ落ちてゆく。

これはこれは。オリビアの英雄ノーランではないか。

くつくつと嗤いながら現れたのは、ビショップの長だった。

ノーランは身をかがめ、お辞儀をした。

ミルズよ。我が友を返してもらおう。

ミルズと呼ばれたビショップの長は、さも困ったと言う様に天を仰いだ。天は暗さを増し、辺りは一層鬱々としている。

だがノーランに向き直ったミルズの瞳には、ギラリと光が走っていた。固唾を呑んで見守っていたエドワードは、全身に鳥肌が立つのをはっきりと感じた。

それは困った。かの少年は、我が土地の恵みである薬草を盗んだ咎人である。我らが見過ごせば、この森の守護者エフゲニーの怒りを買うであろう。

ノーランはほんの少し、声を荒らげた。

彼は私の病を癒すために、ライエンネを必要としていた。決して卑しい盗人などではない。

暗灰色の衣をまとった老人は、右の眉を一層高く上げる。

ほう。だが残念、少し遅かったようだ。先刻使いを出してしまった。我々はこの少年の命を差し出すよう、守護者から命を受けている。

ノーランは、角を地面にまで下げて乞うた。

それはかぶとむしにとって、最大限の屈辱であり、敗北を意味する行為であることをエドワードは知っていた。

オリビアの代表として頼む。エドワードを救ってくれ。

さてどうしたものか。ただ見逃したのでは納得すまい・・・。

老人の濁った瞳に宿っていた鋼の光は、いつの間にか爛々と輝き始めている。

そうじゃノーラン。我が守護者はこの度、新たな領土を欲しておられてな。我ら、遥か西国で戦をせねばならぬ。かの土地は、入り組んだ深い谷間を屈強な戦士が守る難攻不落の地。さすれば、空から一気に攻め込めば、戦局は我らに有利に傾くであろう。そうオリビアの戦士のようにな。だがご覧の通り、我らに羽はない。カイトを多数用意せねばならぬ。聞けばかぶとむしの羽は、薄いが矢も通さず、一度風を受ければ遥か天空まで飛ぶという。そなたの羽があれば守護者も納得しよう。なぁに全てとは言わんさ、片羽で十分であろうて。

エドワードは戦慄した。

かぶとむしの羽だって!?

彼は泣きながら大声でわめいた。だめだ!お願いだ止めて!花なら返すよ。ほら!取れよ。だからそんな事しないで!

雷のような声が、エドワードの叫びを一蹴した。

ならばそなたの命差し出すか!卑しき少年よ!

ミルズはノーランを見据えたまま、少年を見向きもしない。

いいんだエドワード。

うつむくエドワードの耳に、いつもの優しい声が聞こえる。

何がだよノーラン!ノーランはちっとも悪くないじゃないか!僕が勝手に入り込んだんだ!嫌だ!絶対に嫌だ!!

エドワードは、自分を押さえつけていたビショップの手を振り切って、縛られた状態のまま転げるようにノーランの元へ駆け寄ると、ぼろぼろと涙を流し大きな声で泣いた。涙に濡れた頬を押し付けると、ノーランはいつもと同じお日様の匂いがした。懐かしいオリビアの匂いだ。

嫌だ!嫌だ!嫌だ!!

泣きじゃくる彼を安心させるように、ノーランは話しかける。

エドワード?エドワード、聞いておくれ。僕に羽がなくなったら、君は僕の友達じゃなくなっちゃうかい?もう一緒に本を読めなくなっちゃうかい?

エドワードは言葉にならない声を上げて、ぶんぶん顔を横に振った。ノーランに触れようと、何度も何度も縄を解こうと伸ばしたその手首からは、今はもう幾筋もの血が流れていた。

そんなわけないじゃないか!ずっと僕達は友達だ!僕は・・・僕は君に早くよくなってもらいたかっただけなんだ!それなのに!それなのに!!

君が無事に解放されるなら。僕の友達でいてくれるなら、片羽くらいくれてやろう。ありがとうエドワード。僕のために随分怖い思いをさせてしまったね。あと少し待っておくれ。一緒に帰ろう。


そして、エドワードは解放された。


 震える体を両手で包むイライザの横に、顔を強ばらせたジョジョがくっついている。

初めて飛んだあの日、あんなにも祖父が怒った理由が解った。

フィリップは涙声だった。

「戻ってきたノーランを見て、皆は言葉を失った。じいさんはひどくショックを受けて、しばらくは口も聞けなかったそうだ。ただ戻ってからも、ぼろぼろと涙をこぼしながら黙ってノーランにしがみついて、誰が何を言っても、決して側を離れようとしなかったらしい。戦士の一族である彼らにとって、空を飛べない事は死にも値する。ましてや、ノーランは王族の子。いずれは王となる定めだったのだ。国中が嘆き悲しんだ。ビショップ達に復讐を望む者も多くいたそうだ。

けれど、そんなことをしてもノーランの羽は元に戻らない。国王リロ・オリビアは、決してそれを許さなかった。片羽であろうとも、我が息子は立派なオリビアの戦士である。身を挺して民を護ったのだってね。」

「ノーランはそのあとどうなったの?」

フィリップは涙声で笑った。

「うん。ここからがノーランのすごいところさ。傷が癒えると、彼は飛ぶ練習を始めたんだ。もちろん最初は上手く行かなかった。幾度も地面に叩きつけられ、幾度も木々に激突し、それでも毎日努力し続けて、ノーランはついに飛ぶ力を取り戻したんだ。その頃には残った彼の片羽は、まるで翼のように巨大に進化していたそうだ。そしてノーランは、いつものようにじいさんを背中に乗せて、いつまでもいつまでも大空を舞った。その日は国中が、お祭り騒ぎだったそうだよ。

ごらん、エドワード。向こうの森が赤く色づき始めている。秋がもうそこまでやって来てるんだ。また栗拾いに出かけよう。僕の背中には羽がある。君を乗せて、どこまでだって飛んでみせるさ。

胸がいっぱいで、頷くことしかできなかったじいさんを乗せて、ノーランは気持ちよさそうに、いつまでも王国の空を舞っていたんだって。おしまい。」

「よかった。また元通りになれたのね。」

「しばらくはね。というのも、また飛べるようになったとはいえ、ノーランが片羽をなくしたことを好機と捉える一派にオリビアは狙われてしまった。民は必死で抵抗する。力のある魔法使いたちは、鉄砲水を起こし砦を出現させた。山を動かし、侵略者を遠ざけようともした。ノーランを始めとするかぶとむしたちは宙を舞い、大きな角で相手をなぎ倒していく。

だけど戦況は劣勢に傾き、ついには中心部まで攻め込まれるほどに悪化した。

心を痛めた国王リロ・オリビアは、王国の全ての資産を封印し呪文の鍵を掛けた。そして残ったかぶとむし達に命じ、重大なものほど遥かかなたへと脱出させた。その一つがイライザが見つけた魔法の鍵さ。この辺りはじいさんから聞いたろう?」


昔話のように聞いていた話は、ほんの数十年前に起こったことだった。 

もう少し生まれるのが早かったら。

もしも人間ではなく、かぶとむしとして生まれていたら、自分が宿命を背負って飛んでいたかもしれない。

この手で誰かを倒し、この腕に小さな鍵を抱いて、燃え盛る炎をかいくぐり、見知らぬ土地へ飛んでいたかもしれないのだ。

胸が締め付けられるような感覚を覚える。

けれど、今の環境からどんなに想像しても、まだ現実には足りないだろう。

悲しむ気持ちも、ほんの少し心に留まって通り過ぎてゆく。

何を言っても気持ちを正しく表せそうになかったので、イライザは黙っていた。

そうだ、ノーランは。

「ノーランはどうなったの?」

「ノーランはね最前線で戦っていた。高く飛べばその飛翔は空を裂き、巻き上がった疾風は砂嵐を生んだ。低く飛べば逃げ遅れた民を背に乗せ、安全な場所へと運んでいったという。ノーランの力強い羽ばたきは、民に安心と勇気を与え、羽が片方しかないことなんて微塵も感じさせない大活躍だったそうだ。

そんなさなか西の丘では、ストローモンキーという大猿が、魔法のストローに手当たり次第詰めて、やたらめったら吹き飛ばしては大喜びしていた。

大きな岩、鶏や牛などの家畜たち。ストローに入ったものは、炒りゴマが弾けるように、一瞬で飛んでしまう。飛ばした先は本人にも判らない。こいつはただ面白がってるだけだからさ。

人々が逃げまどう中、一人の少女が標的になった。そして彼女を庇ったノーランが、代わりに吸い込まれてしまったんだ。

身体の大きなノーランは、ストローにぴっちりはまって簡単には飛ばせない。ストローモンキーは、顔を真っ赤にして息を吹き込んだ。

ぷぅぅぅ!ぷぅぅぅぅぅぅ!!!

そして、最大限の力で飛ばされたノーランは、運悪く空中を漂うダストホールに吸い込まれてしまった。それっきり、彼は戻ってきていないのさ。」

イライザは、父のシャツの裾をぐいぐい引っ張った。

「猿はどうなったの?捕まえて白状させればいいじゃない!」

「もちろん網で捕まえて袋に入れられた。かぶとむしに乗った戦士に鞭でストローを奪われると、すぐに大人しくなったらしい。でもさっきも言ったように、ただ遠くへ飛ばしたり、的に当てることしか考えていないから、大した情報は聞き出せなかったのさ。

それからずっと、じいさんはノーランを探している。王国から南をよく呼び出してるだろう?ダストホールはトンネルだから、どこかに出口はつながってる。中は迷路でどこに出るか判らないけど、もう何十年も探し続けて、最後はやっぱり、飛ばされた方角に望みを託してるんだろう。

自力で戻って来ないところをみると、飛ばされたときの衝撃で大きな怪我をしたのかもしれない。頭を打って記憶を失ったのかもしれない。けれどじいさんはノーランがきっとまだどこかで生きていると信じて、今でも手がかりを探し求めている。

そして現在、国内で外に出ているクワトロはノーランだけだ。

だから、マダムのところに来た風渡りの読みが当たっているなら、風渡りが感じたクワトロとはノーランに他ならない。」

「どうしておじいちゃんは今日一緒に来ないの?」

「本当は来たいさ。けど、場所がちょっとやっかいでね。」

「やっかい???」

「うん、まぁね。で、ストローモンキーは迷惑だけど嫌なやつではないから、結局王国で預かることになってね。そのままではどうしようもないから魔法で小さくされた。ちょうどこのくらい、おもちゃの猿くらいに変えて、ストローも短くカットして、彼は今、図書館の掃除係にされているよ。物を飛ばすことが大好きだから、毎日ご機嫌で書棚の隙間に溜まったほこりを飛ばしまくっているのさ。そして。」

フィリップは、イライザとジョジョへ顔を近づけると囁いた。

「カットしたストローの一本は、我が家で魔法郵便の速達を出すときに使われています。」

「えぇ!?あの縞々のやつ?ピンクと青の?こないだ私使ったわよ!」

「そうあれ!変なことに使うんじゃないぞ。喋ったことも内緒な。じいさんがうるさいから。さて、話しすぎてのどが渇いたな。ちょっと早いがランチにしよう。」

フィリップは、石と枯れ木を集めてかまどを組むと、ポケットからマッチ箱くらいの小さな寄せ木作りの箱を取り出した。飾り彫りの蓋をスライドさせると、

ぽわん。

オレンジ色に淡く光る、小さな火種が顔を出す。

「やぁセルフィム。ちょっと力を借りたいんだが。」

セルフィムと呼ばれた火種は、木箱に手を掛け半分くらい顔を出すと、用心深そうに辺りを見回した。

「フィリップ、ここはどこだい?まさかまたフォレストにやってきたんじゃぁないだろうな?だったらごめんだぜ。」

「違うよ、ここはオリビアの森さ。イライザもいるだろう?」

「ハイ、セルフィム。父さんの言うとおり、ここはフォレストじゃないわ。禁断の森に行くはずないじゃない。だったらついてきちゃいないわよ。」

セルフィムは、ふんっと鼻を鳴らしてぶつぶつ言い始めた。

「それはどうかな。フィリップのことだから分かりゃしないさ。全くどうしてフィリップの火種箱に入っちまったんだろう。セルフィム様痛恨のミスだ。」

開いた箱に小さな炎の手を掛けうなだれたセルフィムの炎が、薄いブルーへと変化している。よほど後悔しているようだ。

「そりゃぁ、僕の作った火種箱が大好きだからだろう?」

それを聞いたセルフィムは、興奮したのか、ぽうぅっと炎の身体を大きくした。

「そうさ!しっかりと磨きこまれたこの艶々の肌触り。ささくれもなくてトゲが刺さったりしない。横たわればいつでもヒノキのいい香りがする。前のところは扉を閉めても光が入って良く眠れなかったんだ。だけどこれは違う。いったん閉めたら音も光も入らない。ヒノキの香りに包まれてぐっすり眠れるのさ。それに見てくれよ。見事な百合の飾り彫りも最高だろう?」

「で、入っちゃったのね。じゃぁしょうがないじゃない。父さんの勝ちね。それか今より素敵な火種箱をみつけなさい。あ、そうだ。私のところにくる?」

「ふん!俺たち火の精は、気に入った火種箱じゃないと入らないんだぜ。前のだって隙間はあったけど、そりゃぁ見事な細工がしてあったのさ。イライザはそんな素敵な箱を持ってるのかい?」

「そうねぇ、考えてみれば火種箱は持っていないわ。でも今年のショコラメゾンコフレの箱なら置いてあるわよ。」

「じゃぁ帰ったら見てやるよ。気に入ったら入ってやってもいいぜ。」

「おいおい、セルフィム。じゃぁ僕はまた君好みの箱を作り直さなきゃならないじゃないか。イライザもセルフィムを誘惑しないでくれよ。」

フィリップはセルフィムの入った火種箱を持ち上げると、出来たばかりのかまどにそっと向けた。

「さぁ、出番だ。」

フィリップが丁寧に組んだかまどを見たセルフィムは目を輝かせると、

「ごめんよイライザ。やっぱりフィリップがいちばんだ!」

ふわっと乗り移ると、満足げに薄紅色の息を漏らし、セルフィムは気持ちよさそうに大きくうねった。

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