第5話

 小さな果樹園には、子供の頬に似た紅いりんごが、午後の光を受けキラキラと輝いていた。

白いフリルの日よけ帽をかぶったカンガルーのマダム アン‐スイが、手に持った鋏でひとつひとつ収穫しては、お腹の袋に入れている。

「こんにちは。マダム。」

「まぁ、フィリップにイライザ。いらっしゃい。」

マダムは微笑むと、

「ちょっと欲張って入れすぎたわね。」

お腹を抱えてよたよたやってくる。さすがに跳べないらしい。

「ノノの時とは違うようですね。」

「あの子は軽かったのよ。この子たちは沢山入るけど重いわ。」

ノノはマダムの三番目の子で、彼が大きくなった今では、マダムの袋はもっぱら収穫に役立っている。

木陰のテーブルに、お腹の袋から一つずつりんごを取り出すマダムは満足そうだ。

「気候も安定して、今年もとってもいい出来なのよ。」

このフルーツショップには、入ってすぐの木陰に置かれたテーブルと椅子が一組。枝にかかった紐には乾燥を待つドライフルーツ。

レジも荷造りも休憩も、必要な作業は全てこのテーブルで行う。作業をしていない時は椅子に腰を下ろし、乾燥具合を確かめるため、紐から1つ2つフルーツをもいでお茶に入れたりしながら、マダムはいつでも子供達を眺めている。

「手前の2本が食べ頃よ。お好きにどうぞ。」

訪れた客は、手渡された籠と鋏で好きなものを選び、欲しいだけ収穫する仕組みだ。

通りすがりの旅人が1個もいでゆくこともあれば、フィリップ達のように籠持参で買い込んでゆく者もいる。

王国では、野菜も果物もこのようなシステムになっている。

例えばこっちの畑でレタスを一つ収穫し、次の畑できゅうりとトマトをもいで帰るという具合に、客は自分の目と手で選んで畑から直に買い物をする。道すがらパンを買って、牧場でハムを買い、バターを塗ってもらう。コーヒースタンドでマイボトルにラテを詰めてもらって、畑でサンドイッチが出来上がる。

自然に逆らわず、いつでも季節の物だけを作る生産者によって育てられた作物は、とても元気で驚くほどに味も濃く、何よりそのままで美味しい。

例えば春に獲れる野菜を今食べることは出来ないけれど、その分春に楽しみが出来る。

いつでも何でも揃うマーケットは、この国には必要なかった。

なのでマダムのショップも、今は秋の果物を販売している。

「あぁ!今年も極上のようですね。」

端の一本を見上げたフィリップが感嘆の声をあげる。

彼が見上げる木は、あちこち虫に食われてぼろぼろだ。

大小様々な虫が、こぞって甘い果汁を吸っている。

下に落ちた実には、羽を怪我した小鳥が近寄っていた。

「そうなの。一本じゃ足りないくらいよ。」

木に生っているものの穴だらけの実からは果汁が滴り落ち、幹に張り付いた虫が行列をなしている。

甘い匂いに目を覚ましたのか、ジョジョが持っていた籠から顔を覗かせたので、イライザはそっと枝に止まらせてやった。

枝には既にてんとうむしやかぶとむしなどが押し合いへしあいで、ジョジョはきょろきょろと中を伺うものの輪に入れず、しばらくすると固まってしまった。

「あんたは基本、コミュ障なのね。」

イライザが手を伸ばすと、ジョジョはすぐに移動してくる。

こういうところは、まだまだ赤ちゃんだ。

けれど、ちょこっとピンクの舌を覗かせている。

そうよ。あれをやったらここからでも甘い汁が舐めれるわよ。家ではちょっと調子が出なかっただけかも知れないし。

口を開きかけイライザは気付いた。

ジョジョが何か言いたげに、こちらを見上げている。

「どうしたの?」

ジョジョは何か考え込んでいるようだ。

くるくる瞳を動かして見回したり、首を傾げたりしている。

「ねぇジョジョ。もしかしてあなた、舌を伸ばすのが思うようにいかなくて悩んでる?で、それがバレるんじゃないか笑われるんじゃないかって心配してるんじゃない?」

すると、真一文字に閉じていたジョジヨの口から、じわじわと下唇が突き出てきた。

ははーん図星ね。でも、知ってたわよとっくに。

でもここは、ジョジョの名誉のため知らんぷりする。

「いいんじゃない?だってあなたまだ小さいんだもの。そのうち出来るようになるわよ。」

そうそう。赤ちゃんだからって人格を軽んじてはいけないわ。

だが、ジョジョはまだ納得がいかないようだ。

「小さくたって僕はカメレオンだろう?何で出来ないのかな。」

とでも言いたげに、瞳をうるませて考え込んでいる。

イライザはさっきの大泣き事件を思い出し、

「だいじょうぶよ、ほら。」

軽く言うと、かぶとむしの隙間に出来た果汁溜まりにいざなってやった。

「上手くなるまで私がこうして連れてってあげるから。」

ジョジョの顔がぱっと明るくなる。

「うん!ありがとう、イライザ。」

と言われた気がしてイライザは微笑んだ。

せいいっぱい舌を伸ばして、ジョジョは美味しそうに果汁を吸い始めている。

小さくておとなしいカメレオンに、かぶとむし達はちっとも気づいていない。


 様々な生物が共存するオリビアで、住人たちは協力しあいながら暮らしている。

生産者たちは自分の得意なことを仕事とし、好きなものを作ったり提供したりして、日々せっせと生計を立てている。

例えば何かを洗うことが好きなアライグマのポポンは、自分や周りのものを洗濯することを仕事としているし、土を掘ることが得意なもぐらのレクターは、趣味の建築が高じて今では祖父の手伝いをしている。

今訪れているフルーツショップの隣にも、モリス一家が経営するレタス畑が広がっている。モリス一家は、レタスが大好きなリチャードソン・ジリスの大家族だ。美しいフリルレタスが自慢で、鼻をフコフコさせながら、一生懸命世話をし、うっとり眺めているのだが、気付いたらショリショリ食べてしまっている。なので、モリスの畑はいつも品薄で早く行かないと売り切れてしまうし、広大なわりに少し貧乏だったりする。

マダムやモリスのように野菜や果物を作る生産者達には動物が多いが、彼らは作物を大きくするために間引くようなことはしないし、虫を殺したり土を必要以上に肥らせる薬を使うこともない。果実や葉を求めてやってくる虫達に、育てた中の一部を提供するのだ。

代わりに虫たちは他の株を侵食しないので、オリビアではいつでも無農薬の作物が獲れるし、虫がたくさん付いている農園は美味しい作物が育っている証拠なので、お客へのアピールにも一役かっているというわけだ。

 二人が脚立を使い、たくさんのりんごを収穫し終えた頃、辺りは薄っすらと暮れかかっていた。

礼を言い代金を払って帰ろうとしたとき、茜に染まる西の空を見つめていたマダムが言った。

「そういえばフィリップ。風渡りが来たのよ。」


 同じ頃。ブルーフォレストの入り口では、セージグリーンの前髪で片目を隠した風渡りのフランが、人目を避けるように木陰に腰をおろしていた。

フードを目深にかぶっていれば、ほぼ顔は隠れてしまう。

森に同化した彼に気づく者はまずいない。

ただ一人、この森の主を除いては。

余程のことがない限り、風渡りもフォレストには入らない。

辺りに不穏な空気を感じないことを確かめたフランは緊張を解いて、斜めに掛けた愛用のバッグからりんごを取り出した。

腿の辺りでごしごし擦り、一口かじって息をつく。

誘惑するようにフォレストから聞こえるせせらぎの代わりに、甘酸っぱい果汁が喉の渇きを潤していく。

カンガルーの店でりんごを買ったのは、つい先日のことだ。

甘い香りを風が運んでくるので、近くに来たときには必ず寄るようにしている。

自分が導いたあの気配を、フォレストの奥から微かに感じる。どうやら無事に辿り着いたらしい。

まとわり付いていた陰湿な気配も、薄い靄のように辺りに残っている。こちらはフォレストを迂回し出口へ向かったようだ。ここから伸びる一本道を通って、いずれ出てくると踏んだのだろう。何ともしつこいことだ。

一口りんごをかじったフランは息を吐く。

フォレストには、出口なんてあってないような森なのに。

そんなことまでは知らないのだろうか。

さて。森の気配が落ち着いているところをみると、中へ入り込んだ者たちは、今のところドラゴンの怒りを買ってはいないらしい。

とはいえ長居は禁物だ。

店主のカンガルーに伝えておいたので、そのうちオリビアから誰かやってくるだろう。

それまでは。

最後の一口を食べ終えたフランは、腕を組んで一眠りすることに決めた。

野宿には慣れている。


 イライザはフィリップとマダムの話を黙って聞いていた。

風渡り。

風使いとも呼ばれる彼らは、風の力を巧みに操り、よりよい風を求め旅をする一族である。

老いた風渡りは風と話し、時に嵐を呼び、風に言葉を乗せ、迷える者を導くという。

自然の力を生み出し操ることの出来るその能力ゆえ狙われてきた彼らは、いつしかひっそりと身を隠し、森から森へ風を求め渡ってゆく流浪の民となった。

強大な力を秘めているが、オリビアと同じ平穏を望む一族だ。

彼らはめったに人前に姿を現さないので、イライザはまだ風渡りには一度しか会ったことがない。

だが、姿なら幼い頃から知っている。

フードのついた干し草色のマントを羽織り、子牛の皮で作った茶色いブーツを履いていた。

無口な彼は小枝の笛を吹いて、怪我をした鳥を風で送っていくのだ。

風渡りのフーシェ。

子供の頃、大好きだった絵本の一つである。

そして一度だけ、祖父の書斎で会った実物の風渡りはイライザの初恋の人だ。

今でも、彼のことは大好きだ。

あの寡黙で憂いを帯びたはかなげな眼差しを思うと、胸がどきどきする。彼の名はフラン。

「風渡り?彼らが何と?」

フィリップの声が、イライザを幼い頃の記憶から呼び戻した。

「西の森からクワトロを感じると。」

「クワトロを!? それは本当ですか!?」

「えぇ。けれどほんのわずからしいから、はっきりとは判らないわ。でも、もしかしたらと思って。」

フィリップが目を細め、西の空を見つめた刹那。 

眼差しが閃光を放ったように見えて、イライザは面食らった。

さっきまでの穏やかな表情とはまるで別人だ。

父のこんな表情は見たことがない。

けれど、それはほんの一瞬の出来事だった。

え?!と思ったのもつかの間、フィリップは瞬き一つでいつもの穏やかな顔に戻ると、丁寧にお辞儀をした。

「解りました。また改めて考えてみます。」

「えぇ。もし事実なら、エドワードもお喜びでしょう。」

 来た道を戻りジノのところへ行くまでの間、父は黙りこくっていた。クワトロが何なのか聞きたかったけれど、今はよしたほうがいい気がして、イライザは静かについていく。

「これからジノのところへ行くから離れてたほうがいいわ。りんごの籠に入れてあげる。」

肩に乗せたジョジョに囁くと、手にした籠に入れてやった。

お腹いっぱいになったジョジョはまたうつらうつらしている。冷たさを増した夕暮れの風に吹かれながら、この風もまたどこかで風渡りが起こしているのだろうか。もしかしたらまたフランに会えるだろうか・・・。 

そんなことを考えながらイライザは歩いていた。


 ジノは立派な狼の青年である。

ただの立派な狼ではない。

人間に変化できる立派な狼である。

しかも。

異常なまでにイライザを愛している。異常なまでに。

イライザを嫁にすると言ってはばからない、立派な狼の、とっても困った青年である。

ジノとイライザ一家とは、イライザが産まれて間もない頃からの付き合いだ。

群れからひとり立ちし、気の向くまま旅をしていたジノが、ある日オリビアへやってきたのである。

ジノは孤独を好み、コミュニケーションがとても苦手だ。

そんなつもりはないのに、目の前にいるだけで相手に恐怖心を与えてしまうのである。

だから他者とは余り係わらず、ずっと独りで旅を続けていた。その日もたまたまイライザ家の近くを通りがかり、いつものようにそっと通り過ぎるつもりだったが、キッチンから流れてくる匂いに釣られ、ジノはふと立ち止まった。

この美味しそうな匂いはなんだろう?肉とコショウとバターの匂い・・・。

思わずヒクヒク鼻をうごめかせていると、

「やぁ、こんにちは!いい匂いだろう?マーガレットがミートパイを焼いているんだ!」

庭の手入れをしていたフィリップに見つかってしまったのだ。実のところフィリップは、向こうから歩いてきた時点でジノに気付いていたのだが、こそこそと移動し隠れていたのである。

「旅人かい?食べて行きなよ!泊まるとこはあるの?泊まって行きなよ!」

「え!・・・いやそんなつもりは。」

小声で後ずさるジノを、がしっと捕まえたフィリップは、

「いいからいいから!お~いマーガレット!お客さんだぞ!」

と、強引に引っ張って行ったのだった。

ちなみにこれが、フリップの必勝パターンである。

 ジノが連れて行かれたのは、アイボリー基調の居間だった。

「適当に座ってて!飲み物を持ってくるから!」

「あ、あの・・・!」

長居するつもりはないと言おうとしたが、相手は自分の名も言わず、ジノをほっぽって出て行ってしまった。

しょうがないので部屋の中央へ進もうとし、ジノは暖炉にほど近い場所に置かれた小さな籠に目を留めた。

白い布がもぞもぞ動いている。

動きに沿って、底が流線型になった籠がゆっくり揺れていた。

なんだろう?

こわごわ近づいてみると、籠の中にいたのは柔らかそうな毛布にくるまれた人間の赤ん坊だった。

くりんとした瞳と目があったジノは、慌ててあとずさる。

赤ん坊の視界に入ってはだめだ。泣かれてしまう。

すると、さっきより大きく籠が揺れ始めた。

中で手足をばたつかせているらしい。 

あうあう言う声も聞こえる。

あぁ、そんなに籠を揺すっては危ないよ。

慌てて籠を押さえようと手を伸ばしたジノと赤ん坊の瞳が、今後こそがっちりと交わった。

まずい!

そう思った瞬間、やはり赤ん坊は固まってしまった。

やばい、今度こそ泣かれる!あぁさっきの人はまだだろうか。お願いだ、誰か助けてくれ!

瞬きもせずジノを見つめる赤ん坊の口が開く。

ジノはとっさに狼の姿へと戻った。

赤ん坊をくるんでいた毛布と自分の毛並みが、似てはいまいかと思ったのだ。

赤ん坊はさらに大きく目を見開いた。

よだれが垂れているが、気にもせずジノを見ている。

ジノは目の前で、そっと左右に尾を振ってみた。

「やぁ、君は狼だったのか!格好いいね!その子はイライザ。娘だよ。僕はフィリップだ!」

振り返ると、さっきの男性がグラスを両手に微笑んでいた。

フィリップはとっくに戻ってきていたが、面白そうなので部屋には入らず、じっと成り行きを見守っていたのだ。

「あ・・・あの!」

狼の姿を見られたジノは、またいつものように怖がられると思い焦ってしまう。

だが会話に慣れていないので、うまく言葉が見つからない。

「大丈夫だよ。ほら、イライザがよろしくってさ。」

「え・・・?」

振り返ると、籠の中の赤ん坊がいつのまにか尻尾を両手でしっかり掴んで、あむあむと口に入れていた。

「うわっぁぁぁ!だめだよ、そんなことしちゃ!あ、痛い!」

尻尾を引き抜くと、赤ん坊はきゃっきゃと笑ってジノへ両手を伸ばしたのだった。

それはジノにとって、初めて自分が誰かに受け入れられたと感じた瞬間だった。

それからというもの、ジノはフィリップによって半ば強引に、主にイライザの子守りをしながら一家と交流を重ねることで、次第に打ち解けるようになったのである。

だからジノにとって、イライザは特別な存在だった。

本当は同じ人型でいたいのに、イライザがわんわん。わんわん。と言うので仕方なく狼に戻って、時に籠を揺らして、時にカーペットに座り込んで寝落ちの受け皿となり、背に乗せ歩き、森を駆け、その成長を見守ってきたのだ。

唯一、成長するに付け昔のように抱きついてもらえなくなったことだけが、ジノの無念であった。

そんなジノは、とうの昔にオリビアをついの住処と宣言し、たいてい王国のどこかの木の上で昼寝をしている。

イライザはフィリップを先導して、ジノが寝てそうな木の下へやってきた。

それが判る辺りイライザも満更ではないのでは?とフィリップは思っているが、怒られるので黙っている。

イライザは足元の小枝を拾うと無造作に頭上に投げ、

「ジノ。」

と呼んだ。反応は無い。

「反応ないね。ほんとに今日はこの木にいるのかい?」

フィリップが不思議そうに葉の生い茂った木を見上げる。

「そう思ったんだけど。いないんじゃない?さっ、今日は諦めてポポンのところへ」

行きましょうよ。しめたとばかりにそう続けようとした瞬間、

バフンッ。

大きな白銀の尻尾が降りてきた。

フリフリフリフリ。

揺れているというより、これはもう明らかに意図的にイライザの頭や顔をなでている。

「・・・。ジーノー!こら!」

イライザが力任せにぐいーっと尻尾をひっぱると、

「いてててて。あっ!」

どしんっ。

黒ずくめの青年が落ちてきた。

金のような明るい茶髪を顎より少し下で切り揃え、彫りの深いすっと通った鼻筋。

くりくりした黒目がちな瞳がアンバランスなその青年は、しこたま打ったらしく、

「は~いてててて~。もぉひどいなぁ。」

と頭を抱えて二転三転していたが、直ぐに立ち上がるとじゃれついてきた。

「やぁ、イライザ。久しぶり!寂しかったよ!なでてなでて!」

立ち上がるとかなり背が高い。

余分な贅肉が付いていない引き締まった四肢が、彼を一層魅力的に見せているのだが、こういうときイライザは決まってジノのことを、所詮は犬だ。と思っている 。

ジノはなでられるのが大好きなのだ。

「お~こ~と~わ~り~。」

イライザはまとわりつくジノを避ける。

「ちょっと静かにしなさい、こらっ。泥だらけの荷物持ってんの、汚れるわよ!あんた狼でしょ!なんで尻尾だけなのよ!」

まず愛情量に絶対的な偏りがあるこの二人は、とにかくかまって欲しいジノと、まとわりつかれたくない思春期真っ只中のイライザとの攻防戦なのだが、変化が中途半端なことも人目も汚れも、

「気にしない。」

の一言で乗り越えてしまうジノの大きな愛に、イライザは終始押され気味である。

困ったイライザは、今回もまたフィリップに助けを求めた。

「ちょっと父さん、助けて!」

するとそこで初めてフィリップの存在に気づいたジノが、

「父さん!」

と歓喜の声を上げ、尻尾が消えて完璧な人型へと変化した。

婿として認めてもらうためには完璧でなくてはならない、と思っているのである。

そんなジノが面白くて仕方がないフィリップは爆笑すると、

「いや、一応まだ父さんじゃないんだけどね。これをマーガレットから預かってきたんだ。」

と手にした袋を掲げた。すると今度は、

「母さん!」

ジノは叫び、手渡されたシュガーラスクをぼりぼり嬉しそうにかじり始める。

早くもまた尻尾が出ていることには気付いていないようだ。

ジノは人型のとき、嬉しいと尻尾や耳が飛び出る。

尾を振りながら次々にラスクを口に運ぶジノにあきれたイライザが、

「いっぺんに食べちゃだめって母さん言ってたわよ。」

と言うと、

「だって美味しいんだもん。イライザは僕が口内炎なのに石みたいなラスクを食べさせるけど、母さんのラスクはサクサクして食べやすいし美味しい。」

ジノが真顔でそう答えたので、

「石みたいで悪かったわね!あれは黒糖ラスクなの!硬いのがいいの!てか、口内炎が治ってから食べりゃいいだけでしょうよ!なんでもかんでも一気に食べるんじゃないわよ!」

真っ赤になってイライザは怒っているが、

「また作ってね。硬くないやつがいい。」

ジノは全く女心が読めていない。

「まぁまぁ。ジノ、悪いけど僕たち今日は急いでるからもう行くよ。またうちに遊びにおいで。」

フィリップは笑いを堪えながらジノに別れを告げると、まだぷんぷんしているイライザを促した。

張り詰めていた心が少し緩んだようだ。

二人はジノの天真爛漫な性格をありがたく思いながら、ポポンの元へと向かったのだった。


 ポポンの店は、更に道を進んでから少しそれて、わき道を進んだ川べりにある。

ごとんごとんと、大きな水車がゆっくり回っている。

たくさんのロープがピンと張られ、整然と並んだ真っ白いシーツや、色とりどりの子供服がはためいていた。

棚には、緑の葉が美しいほうれん草や柔らかそうなフリフリのレタスが、きちんとラベルのついた籠に並べられている。

ラベルにはイライザも通っていた小学校の名前がついていた。明日の給食に使うためにポポンのところへ運ばれたのだろう。

そういえば母さんも言ってたっけ。

根元に土がついたほうれん草やレタスを綺麗に洗うのは、結構たいへんなのよって。

フィリップは、ポポンの手によって綺麗に洗って並べられた農具を感嘆の眼差しで眺めていた。

「よう、フィリップにイライザじゃないか。」

浅い川に入ったポポンが、しゃかしゃかとさつまいもを洗っていた。

「いらっしゃい。何か洗い物かい?」

「そうなんだよ、ポポン。農具に土が詰まっちゃって取れないんだ。」

持参した農具を袋から引っ張り出して見せると、

「なんだよ、フィリップ。ただの泥汚れじゃないか。こんなの流水とブラシで落とせるだろう?」

ポポンは首を振る。

「えぇ~!?がんばって洗ったんだけど、これでもう限界なんだよ。ポポン~助けてくれよ~、長い付き合いだろう?」

思わぬ査定に、フィリップはいかに自分が一生懸命洗ったか、身振り手振りで必死に訴えたが、

「キミは昔から飽き性なんだよ。根気が足りないの。どうせまた、マーガレットがパイでも焼く匂いにつられて、すぐに止めちまったんだろう?」

ピシリと言われ、

「とほほ・・・。」

とうなだれた。間違いではないらしい。

ポポンはケタケタ笑うと、イライザが手に提げた袋を指した。

「イライザも何か持ってきたのかい?」

「え?あぁそうなの、私のはワンピースなんだけど。」

イライザが例の恐ろしく汚れたワンピースを取り出すと、

「おぉぉっと!!こいつは上物じゃないか!」

ポポンは手にしたさつまいもを放り投げて、飛び上がって川から駆け寄ってきた。

フィリップが慌ててさつまいもを拾いに行っている。

確かにこれはイライザお気に入りの上物ワンピースだが、ポポンの言う上物とは、それだけ汚いということを指している。 

微妙・・・。

苦笑いするイライザだったが、

「うぉぉっ!?生地と生地の間にまで、みっちりと細かい砂が詰まってる!!表面のこれは、くもの巣だな?しかも素材も最高。上質の手織物と来た!こいつは貰ったぜ!!!」

商売なので、何が「貰ったぜ!」なのか解らないが、ポポンは大興奮だ。

こうなると必要なさそうでもあったが、

「それと、はいこれ。マダム アン-スイのりんご。」

りんごも付けてみた。

「あ!イライザずるいぞ!ポポン、それは僕がここまで運んできたんだ!」

足を濡らしてさつまいもを拾うフィリップが、また騒ぎ始める。

「このワンピースとりんご、確かに受け取った。ついでだから、フィリップの農具も洗っといてやる。その辺に置いてってくれ。それと帰ったらエドワードに伝えてくれ。ポポンが大層喜んでいたと。」

「おじいちゃんに?」

イライザが首を傾げると、ポポンは笑った。

「だって、エドワードの使いでこんなに汚れちまったんだろう?」

「やった~!」

さつまいもを片手に小躍りして喜ぶフィリップを横目に、イライザはため息をつく。

ほんと、おじいちゃんには敵わない。というか、また同じ手でやられそうだわ。

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