4−3

 保健室の扉を開けると、並べられたベッドのうちのひとつに、さつき会長は横たわっていた。

「あら」

 僕を見つけると、彼女は小さく声を漏らした。

「こんにちは、未草くん」

「こんにちは、さつき会長」

 僕が彼女のあいさつに返すと、彼女は意地悪そうな笑みを浮かべた。

「もしかしてサボり?」

「……まあ、そんなとこです」

 彼女はおかしそうにふわりと笑う。

「仮にも生徒会長に言うことじゃないわね」

 やっべそうだった、と僕がわざとらしく舌を出すと、さつき会長は肩を揺らして笑ってくれた。よかった、どうやら元気そうだ。彼女の笑顔を見て、心のつかえが少しだけ軽くなった気がした。

「お見舞いに来たんです」

「そんな、お見舞いに来てくれるほどのことじゃないのに」

「いいんです、好きでやってるんですから」

「きみは変わってるね」

「あまり無理しないでくださいね。さつき会長はひとりしかいないんですから」

「……ありがと。ふふ、前言撤回、きみはいいひとだね」

 僕は照れ隠しにぽりぽりと頰をかいた。

「そうです、さつき会長はひとりなんです。僕たち柊政権とはちがって」

 保健室の窓から、澄み渡った晩春の空が見える。きれいな青だった。さつき会長はその青を見つめながら僕の言葉を聞いている。

「……阿久乃は元気? 最近会ってないなあ」

「元気……なんでしょうか、ちょっとよくわからなくて」

「よくわからない?」

「はい」僕はうなずく。「なんだかいろいろ起こりすぎてて、阿久乃会長ともちょっとぎくしゃくしちゃって。その、あの、なんていうか」

 僕は必死に言葉を探した。でも、なかなか適当な言葉が出てこなかった。なんて言えばいいんだろう。いま僕たちに起こっていることをさつき会長に説明するには、どんな言葉が正しいんだろう。

 だって、彼女は、さつき会長は——。

「それだけじゃないんでしょう?」

「……え?」

「きみが今日ここに来た理由。私のお見舞いだけじゃないんでしょう?」

 僕は息を飲んだ。さつき会長の身体は空の青に縁取られ、濃い影を落としている。その青に向けられた顔に浮かぶ表情は、僕のほうからは見ることができない。

 いま言ったら、さつき会長は答えてくれるんだろうか。

「さつき会長は」

 僕は言った。「『犯人』、なんですか」

 ……。

 ……。

 ……沈黙。

 僕たちふたりがいる保健室は、でっぷりとした沈黙に満たされた。宇宙のまっただなかにこの部屋だけが漂流してしまったみたいだ。ふたりぼっちの宇宙船。空気の薄れた沈黙のなかで、僕はもう、彼女の答えを聞かないかぎり息をすることもできない。

 僕は祈った。

 ちがうわ……その一言だけでいい、お願いだからそう言ってくれ。

 さつき会長が顔をこちらに向けた。そして一言、言った。

「……きみはどう思う?」

 さつき会長の放ったその挑発的な言葉に、僕の鼓動は高鳴った。僕はどう思うのか? 阿久乃会長やはづきさんを襲った襲撃事件、散らかった生徒会室、そしてばらばらにされた天球儀。それらを目の当たりにしてきて、僕はどう思うのか? それら一連の事件を仮に目の前の少女がやったとして、いったい僕はどうするつもりなんだ?

 ——私はあのひとに追いつくために、あのひとの妹だって認められてもらえるために、これまでがんばってきた。そしてこの学園の生徒会長になった。かならず次の選挙にも勝って、永世名誉会長として、あのひとと対等の立場になる。

 ——ふん、ばっかみたい。見損なったよさつき。

 ——あの子、がんばりすぎなんだよね。

 さつき会長、阿久乃会長、そしてはづきさんの言葉。彼女たちの想いに触れて、僕は、いったいなにを思うんだろう。

 僕は、ぼくは——。

「……ちがうと、思います」

 そんな言葉を口にしていた。驚いたのか、さつき会長がやや目を見開いたように見えた。

「さつき会長は、今回の事件の犯人ではないと思います。きっと、たぶん、まちがってるかもしれないけれど、でも……僕は、さつき会長がやったとは思えません」

「……どうして?」

「わからないんです。阿久乃会長にも言われました、『おまえになにがわかるんだ』って。自分でもわからないんです。でも、僕はあなたがやったとは思えない。ほんのすこしの間だけれど、これまでさつき会長と関わって来て、話をしてきて、その表情を見てきて、僕が抱いたたしかな気持ちです……って、僕なに言ってんだ」

 こっ恥ずかしいことを口走ってしまったような気がして、僕は思わず顔を背けた。さつき会長はしばらく呆然と僕を見つめていたが、とつぜん「ぷっ」と吹き出した。

「ちょ、どうして笑うんですか」

「ごめんごめん、つい……」

 柄にもなくけっこうまじめに話をしてしまったうえに、それをさつき会長に笑われるだなんて……未草蓮という人生にまたひとつ深いふかい黒歴史が刻まれたのを僕が感じていると、低い声でさつき会長がつぶやいた。

「阿久乃がきみにこだわる理由が、なんだかわかる気がするわ」

「……え?」

「ねえ未草くん」

 さつき会長がそのきれいな顔を僕に寄せてくる。ぎょっとした僕は思わず身体を引いたが、彼女はさらににじり寄ってくる。

「うちに、善桜寺政権に入ってみない? このまえ逢ったとき、善桜寺政権で働きたいって言ってくれたわよね。あの言葉、本気にしていいかしら」

「あ、あれは……」

「阿久乃が怒るかもしれない。でももしかしたら、それを補ってあまりあるほどの価値が、きみの存在にはあるのかもしれない」

「そんなことは」

「どう、未草くん。私といっしょに、生徒会活動をしてみない?」

「……」

 僕は黙ってしまった。

 即答することができなかったのだ。僕の心は揺れ動いていた。我ながら不義理だと思う。阿久乃会長の言葉に助けられておきながら、会長の役に立ちたいと願っておきながら、彼女のライバルである少女に言い寄られて、きっぱり断れないでいる。なに考えてんだ、と自分でも思う。

 でも、これは阿久乃会長だって悪いんだ。きっと彼女は思い違いをしている。なにかだいじな部分を見落としている気がするんだ。どうして会長はそれをわかってくれないんだ。思えばそんなことばっかりだ。会長はいつも強引で、めちゃくちゃは生徒会の特権だと思っていて、それを素知らぬ顔で通そうとする。僕の話を聞いてくれた試しなんて、覚えているかぎり一度もない。奴隷なんていうとんでもない役職を押し付けて、振り回して、こき下ろして、いったいなにが楽しいっていうんだ?

 いったいなにが……楽しい?

 僕ははっとした。

 じゃあ、僕は楽しくなかったのか……?

 阿久乃会長や初奈先輩、環先輩、桐宮さんとの生徒会活動が、僕は楽しくなかったのか——。

「……考えさせてください」

 僕はそう言って、保健室を辞去した。もうさつき先輩の表情を見ている余裕もなかった。扉を出てから、けっきょく、彼女の口から答えを聞けていないことを思い出す。でももう遅かった。僕はいつもこうやって、だいじなところで役に立てないでいる。そんな自分がいやになった。

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