3−4

 いくら学園広しと言えど、吹奏楽部の部室なんてすぐに見つけ出せるだろう、と僕はたかをくくっていた。なぜならば、彼らは楽器を演奏するからだ。楽器の音が学園内に響き渡り、その出所を辿れば楽器をぷいぷい吹かす吹奏楽部員に出逢えると思っていた。しかし、僕の思うとおりには行かないようだった。環先輩いわく、第二部室棟にある彼らの活動場所は、高性能な防音設備を備えているというのだ。そういえば、この学校の敷地内にいて、いままで吹奏楽部の演奏を聞いたことがないような気がする。前にいた高校では、放課後には決まって学校の敷地内に吹奏楽部の演奏が響き渡っていたのに、この学園にはそれがない。そう気づいたときには、先輩に連れられて第二部室棟に到着していた。

 彼らの活動場所、第二部室棟。零細同好会である河川敷愛好会が寄せ集めの第三部室棟に押し込まれているのに対し、規模が大きく実績もある吹奏楽部には充分な活動場所と設備が与えられているのだ。

 デザイナーズマンションみたいなこぎれいな建物を前にして、僕は河川敷愛好会をはじめとした零細同好会たちを不憫に思った。規模や実績のちがいによって、これほどまでに待遇に差が出るのか……。

 この時間はパートごとに練習をしているということなので、僕たちは手近な活動部屋へ行ってみることにした。「コントラファゴット」と呼ばれる楽器の担当パートの練習部屋らしい。はじめて聞く名前の楽器だ……まあ、僕が知っているような楽器の種類なんて、数えるほどもないんだけれど。

 僕たちが部屋に入ると、なかには数人の部員たちが楽器を持って椅子に座っていた。僕たちの存在を見とめた部員が「あ」と口にすると、そのほかの部員たちもいっせいにこちらを向く。

「ど、どうも……」

 おそるおそる僕があいさつをする。横で環先輩が軽く会釈をした。

「こんにちは、練習中に失礼します。生徒会役員の杏沢あんざわです」

 とつぜんの闖入者ちんにゅうしゃを見て、部員たちはきょとんとしているようすだ。先輩はドアからいちばん近いところに座っていた部員ふたりのところに足を運び、訊ねかける。

「ちょっとお話、いいかしら?」

 話しかけられた女子二人組はコントラファゴット(だと思われる楽器)を抱えている。想像よりも大きな楽器だ、身体のちいさいふたりには不釣り合いな大きさの楽器を抱えて、ふたりはおたがい顔を見合わせたあと、声をそろえて「はい」と返事をした。顔がよく似ているので、もしかしたら双子の姉妹かもしれない。

「あなたたち、何年生?」

「一年です」

 片方が答える。その答えのあとに「ね?」ともう一方の女子に言い、そう言われた片方も「ね」とうなずき返した。

「ほかの学年はいないの?」

 彼女たちはまた見つめ合った。すると先ほど答えたほうの生徒がふたたび口を開く。

「いま、コントラファゴットは学年ごとのミーティングをしてるんです。わたしたち一年は、個人練の時間になってて」

「ということは、ここにいるのはみんな一年生?」

「はい、そうです」

 さきほどとおなじように、彼女たちは「ね?」「ね」と確認し合う。たしかにみんな、制服のリボンが一年生のものだ。ここではあまりいい収穫はなさそうだな、と僕は思った。一ヶ月前に入学したばかりの生徒は、おそらくあまり事情を知らないだろう。

「きみたち、桐宮夏日ってひと、知ってるかな」

 僕が姉妹に訊ねかけた。その人名を聞いて、ふたりはすこし考えるそぶりを見せたあと、また片方が答えた。

「聞いたことあります。前に吹奏楽部にいて、すごい上手なひとだった、って。ね?」

「ね」

 入部して一ヶ月しかたたない新入部員にも名が知られているほどだ、桐宮さんの実力はけっこうなものだったんだろう。それにしてもこの姉妹、そんなに毎回毎回、自分たちの発言に対する相互確認が必要なのか……?

「そういえば、生徒会役員にもおなじ名前のひとがいますよね。ね?」

「ね」

 こんどは僕たちに向けられる「ね」の応酬。とつぜんの「ね」の方向転換にややたじろいだ僕に対して、環先輩は平静に「そうよ」と答える。

「あなたたち、その桐宮夏日がどうして吹奏楽部をやめたのか、知っているかしら」

 核心をつくような先輩の問いに対して僕の心はさざめき立つ。しかしそんな事情を知らないコントラファゴット姉妹は、「知りません。ね?」「ね」と言い合った。

「……そう」

 おそらく予期していた答えだっただろう。環先輩は変わらず平静に、「ありがとう。お邪魔してごめんなさい」と言って部屋をあとにした。僕も軽くお辞儀をして、先輩のあとに続いて部屋を出る。そのすぐあとに、部屋からは「ぼおー」という低い音色が聞こえて来た。

「いい収穫はなかったですね。べつの楽器の練習部屋に行きましょうか」

「そうね」

 次に向かったのは、クラリネット担当のパート練習部屋だ。クラリネットといえば、吹奏楽をやったことのないひとでも知っているようなメジャーな楽器だろう。メジャーであるがゆえに希望者も多いようで、コントラファゴット担当の部屋よりもだいぶ大きな練習場所があてがわれていた。

「こんにちは」

 さきほどとおなじように、先輩が軽いあいさつをしながら練習部屋へ入っていく。とつぜんの来客に吹奏楽部員の好奇の視線が注がれる。

「おっ」

 そのうちのひとりの女子が、環先輩を見て声を上げた。

「たまたまやん、なにしとんの?」

「桃子! ……ちょっと、そのへんな呼び方やめてよね」

 環先輩がその女子の肩を軽くたたく。その女子はそれを見てけらけら笑った。「たまたま」って環先輩のことだろうか。はたで聞いているとなんだかむずがゆくなる呼び名だ。桃子と呼ばれた女子は先輩とおなじ三年用の色のリボンをつけている。制服をラフに着崩したスタイルが、環先輩に対する接し方と相まって印象的な女子だ。

「こっちの御仁は?」

 桃子さんが僕を覗き込んで訊ねてくる。いまどき「御仁」なんて言い方しねえだろ、と思いつつも「せ、生徒会役員、二年の未草です」と名乗る。すると彼女は「ふぅん」とさして興味もなさそうにそっぽを向いてしまった。じゃあ訊くなよ。

「あはは、うそやって。よろしく未草ちゃん。ウチは三年の日下部くさかべ桃子、この吹奏楽部の部長や」

 いきなりボス来た、と僕はとっさに身構えてしまった。吹奏楽部から詳しい話を聞くというつもりではあったが、まさかこのタイミングで部長から話を聞くことになるとは思わなかった。手っ取り早い話だけれど、事情が事情なだけにすこし気を張ってしまう。

 そんなことを考えていると、彼女がそっと手を差し出してきた。僕がそれに応えて手を握り返すと、彼女は精悍な笑顔を浮かべて身体を横に向けた。僕もつられて横を向く。すると、環先輩がスマートフォンを取り出してフラッシュを焚きながら写真を撮ってくれる。なんだこれ、なんで「長らく冷戦状態だった両国首脳が和平対談で歴史的握手」みたいになってんの? 明日の朝刊トップを飾るつもりなの?

「役員ってことは、未草ちゃんも柊阿久乃の手下ってことやんな?」

「その言い方は語弊をふんだんに含んでいますが……まあ、そんなところですね」

「ウチになにか用? 戦争でもしに来た?」

 和平の握手をしながらとんでもねえ発言をする桃子さん。

「いや、戦争だなんて、そんな」

「あはは、冗談冗談」彼女は手を叩いて笑う。「戦争ちゃうわ。滅ぼし合いやんな?」ほぼ同義だしむしろ世紀末感増したわ。

「桃子、そんなにレンくんをからかわないで」

「ごめんごめん、からかいやすかったから、つい」

 僕ってそんなにいじりやすいのかな……。

「んで、なにしに来たん?」

 桃子さんは手に持ったクラリネットを手近な机の上に置いた。そして、その机に座り、右足だけを浮かせて両手を右ひざの上で組む。ほかの吹奏楽部員たちは、はじめのころは僕たちのようすをうかがっていたものの、いまはそれぞれ楽器の練習にいそしんでいる。

「ちょっと調べごとをね」

「……調べごと?」

 環先輩の返答に対して、桃子さんが訝しむように目を細めた。「ええ」と平然と言葉を返す環先輩。

「柊政権さんが、ウチら吹奏楽部についてなにを調べてんのや」

「桐宮夏日さんのことよ」

 その名前が出ると、ふたりのあいだの空気が凍りついたような気がした。吹奏楽部員たちが奏でるクラリネットの音も遠くかすみ、冷えきった空気が僕の肺から体温を奪っていく。

「……へえ」

 すこし目を伏せたあと、顔を上げた彼女はふと口角をつり上げ、僕たちを見据えた。

「戦争、っちゅうのはあながち冗談ちゃうかもしれへんな」

「……え?」

「ここじゃあかんな。べつの部屋行こか」

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