3−1

 それからしばらくして、僕はあの時計塔に赴いた。学園で唯一のお気に入りの場所だったのに、生徒会活動で忙しくて時間がとれずにずいぶん行っていなかったのだ。問題が山積みとなった生徒会活動、そしてめまぐるしく流れていく日々に揉まれた頭を落ち着けるために、僕は久しぶりにそこへ行ってみた。

 夕陽は遠く西の空に沈もうとしている。茜色に染まる時計塔は、長いながい影を校庭に落としている。空に浮かぶ雲は陽光を映して、オレンジ味の綿あめみたいにきらきらと光っている。あの日を思い出すなあ、と僕は思った。善桜寺さつき会長にはじめてここで出逢ったあの日、今日とおなじように西の空は茜色に輝いていた。

 さつき会長はどうしているんだろう。「よろしくね」と言ってくれたあの日からしばらくたつが、いまだにお目にかかれたことはない。この広い学園だ、めぐり逢うのは至難の業だ。それこそ奇跡でも起きないかぎり。

 いまの僕だったら、さつき会長に逢ったらなんて言うんだろう。帰宅部だった僕も生徒会に入りましたよ、ライバルですね、これからもよろしくお願いします、こっちの会長はめちゃくちゃなひとですけどすごいんですよ、でも最近なんだか問題が山積みで、会長が何者かに襲われたりもして……。

 ……首謀者はあなたですか、さつき会長?

 僕は溜息をついた。そんなこと言えるわけがない。「ちがうわ」と答えてくれるはずだと信じていながらも、さつき会長の口からべつの答えが語られることを想像すると、僕の心はさざめき立つのだ。

 相変わらずぎしぎしといやな音を立てる階段を昇りきったとき、僕は思わず「あっ……」と声を上げた。そこにいたのは、

「……あら」

 善桜寺さつき。

 白銀川学園執政生徒会長。

 僕があの日、この時計塔の頂上で出逢った少女。

「こんにちは。お久しぶりね」

 夕陽のなかで艶やかに煌めく黒髪をかきあげながら、さつき会長は言った。

「憶えててくれたんですか」

 僕のその言葉に、彼女はしずかに微笑む。

「もちろん。だって、コーヒーかけられたんだもの」

「すみません……」

 僕は萎縮する。そうだよなあ、あろうことか僕はこの学園の執政会長に、紙パックのコーヒーぶっかけたんだよなあ……。

 すとん、と肩を落とした僕を見て、さつきさんはふわふわと笑った。

「ふふ。いいのよべつに、気にしないで」

「あ、ありがとうございます」

 さつき会長は時計塔の縁に寄りかかる。それにならって、僕も縁の手すりに手を掛けた。さっきまで「もしここでさつき会長に逢えたらなにを話そう」ということをさんざん考えていたのに、いざほんとうに出逢ってしまうと緊張でなにも言葉が出て来なかった。

「柊政権に入ったんだって?」

 そんな情けない僕に、さつき会長が問いかけてくれる。

「あ、はい、そうなんです。実は柊政権に入会させられたんです」

「『させられた』?」

「はい」

「どういうことかしら」

「教室襲われて、生徒会室に呼び出されたんです。阿久乃会長のぷりぷりダンス盗み見た罰だとか言って強制的に……でも僕悪くないんですっ、あれは不可抗力で」

 必死で抗弁する僕をしばらく見つめたあと、さつき会長は小さく吹き出した。

「阿久乃らしいわね」

「……はい」

 阿久乃らしい。まったくそのとおりだと思った。いま考えてみると、ほんとうに阿久乃会長らしいやり方だ。自分の信じた道を突き進む、「悪の生徒会」の会長、柊阿久乃のやり方。

「でもめずらしいわね。阿久乃が生徒会室に客人を招くなんて」

「そうなんですか?」

「ええ。いろんな噂があるのよ、『悪の生徒会』の生徒会室では生体実験が行われているとか、魔女の釜がぐつぐつ煮えたぎっているとか」

「あはは」僕は思わず笑ってしまった。「そんなことないですよ、いたってふつうです。文化祭みたいに飾り付けられたり、ダーツやってたりしますけど」

「ダーツ?」とさつき会長が小首をかしげる。「どうしてダーツなんてやるの? 生徒会なのに」

 さつき会長はふしぎそうに僕を眺めるが、僕自身もなに言ってんのかわからないので、素直に「さあ、わかりませんねえ」と言うしかなかった。

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