27 正体

 区の端にある建設中ビルに向かったのには理由があった。

 ここは再開発によって建設中のビルが複数あり、徒界のど真ん中にあるにもかかわらず夜になると人通りが一気に少なくなる。誰かを事故に見せかけ消すにはうってつけだからだ。


 銀色の万能塀に囲まれたビルは、ほぼ完成しているようで、すでに内装作業に取り掛かっている段階のようだった。もう深夜に近い時間なので搬入業者の出入りはとっくに終わっているが、その出入り口には警備の人間が立っている。

 俺は通りかかる際に建設計画の看板にちらりと目を通す。それから警備の視線が外れたのを見計らい、さっと銀の壁を乗り越えた。


 まだ何も置かれていない殺風景な受付を抜け、エレベーターホールへ向かう。二〇階建の高層ビル。エレベーターはもう稼働しているがこんな時間だ。動いているのを見られでもしたら不審に思われるだろう。同じようにやつも考えるはず……となればそれほど高い階層にいるとも思えない。


 非常階段から二階へ上がり、足音を立てないようフロアを周っていく。

 六階までくると内装はほとんど終わっておらず、一部は打ちつけのコンクリートがむき出しになっている。一定間隔で並んだ支柱の横には机や椅子、天井の照明をつけるための脚立などが無造作に積まれ、設置する予定の消火器は居場所を失い転がっている。それだけ急いでいるのだろう。内装は遅れても納期は遅らせないという日本人らしい気質を垣間見た気分だ。


 視線を回すと、ガラス張りの大きな窓の下、そこに誰かが倒れている。月明かりを反射する白いワンピースには見覚えがあった。


「未希……!」


 思わず腰を浮かせたとき、右側からわずかな気配――――

 身体をひねらせ柱に隠れた直後、ぼすんっという布団を殴ったような音が通り過ぎていった。スプレッサーから発せられたであろう硝煙しょうえんの匂いが流れ、鼻を突く。咄嗟とっさに反応できたのはこれまでの経験の賜物たまものといえるだろう。


「ほう。いい反射神経だ。さすがは不肖の弟子。しかしなぜここだと分った」

「あんたとの付き合いも長いからな。事故に見せかけて殺す……過去に何度か同じような手口を使ったのを知ってる」

「ふむ。だが建設中ビルは他にもあるだろう」

「建設計画の施工者欄に書かれていた「芥川建設」は、芥川譲治の妻が取締役を務める会社だ。頭のいいあんたのことだ。誰かを殺すならここを利用すると思ってた。問題を起こしてついでに失脚させるつもりなんだろ」

「くくくご明察ご名答。さすがは私の弟子」


 いつもの忍び笑いが柱越しに流れてくる。


「さて。一応聞くが何をしにきた」

「サイレンサー付の銃で撃っておいて聞くのか。順番が逆だろ」

「指が滑ったという可能性は考えないのか?」

「あんたの口が滑る確率より低いぜそりゃ」


 ちらりと未希へ視線を向ける。仰向けの胸は少し上下している。気絶しているだけのようだ。


「彼女は貴様が呼んでいると言ったら疑いもせずついてきた」


 おいおい未希、やっぱりバカよお前は! なんで俺がやったと疑ってるのになんでノコノコ出てきやがったんだ。

 俺を疑ってたのを気にしてたのか? だとしても殺し屋に気を使うとか、やっぱり優しくて変わったやつでバカだ。やっぱりこいつは助けなきゃならない。バカは死んでも治らないからな。


「二蝋。そいつは俺のことを喋らない。大丈夫だ」

「その保証はない」

「なら条件を付ける。それで手を引け」

「おいおい。貴様にそんな主導権があると思うか」

「勘違いするな二蝋。こいつは最大限譲歩した――――脅迫だ」

「脅迫だと……?」

「ああ。あんたの秘密だ」

「ほう秘密! いい響きだ! 例えばそれは私が五股をしていることか? それとも両刀バイだということか? ああまさか! 身体を洗う時はケツの右側からということか!」

「残念ながらどれも違うぜ。大樂おおら警視サマの失墜につながる、お前の秘密だ」

「……なに?」


 柱の向こう側、男の影がほんの少し揺らいだ気がした。


「あんたがなんで学校に入れたか、ちょっと気になってたんだよ。いくら神出鬼没なあんたでも、部外者が学校に入ってきたら誰かが気付いて騒ぐはずだ。しかしそんなことは起きなかった。そこで思ったんだよ。部外者であっても、信頼のおける人物だったからすんなり入ることができたんじゃないか、ってな」


 最近学校へ出入りしている校外の人間。さらに教師や生徒が見かけても問題に思わない信頼のおける人間。いや権威といい変えてもいいかもしれない。


「警察庁の大樂おおら一葉いちよう警視。あいつなら捜査という名目で難なく学校へ入ることができる」

「おいおい。まさか顔が似ているから双子だった、などと言い出すわけではあるまいな。第一、警察の人間がどうなろうと私には関係がないぞ」

「関係はある。あんたらの関係はもっと単純で、少しだけ複雑だ」


 俺は鞄に入れておいた本を取り出し、床を滑らせる。


「ドストエフスキーの『分身』――原題『Двойникドヴァイニーク』にはもう一つ翻訳がある。あんたなら知ってんだろ」

「…………」

二重人格ダブル。もう一つの題名であり、あんたの正体だ」


 影が揺らいだのが、今度こそはっきりわかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る