10 もう一人が来る部屋

 制止する間もなく、玄関にぱたぱたと小走りで駈け寄っていく同級生。

 止められないもう遅い。

 やむを得ない見谷は放置してそこの荷物をまとめてすぐ帰すそんでもってアイツと鉢合わせしても何食わぬ顔で帰らせる――!


 こうだ。これが最小限の被害で食い止められる手順だ。ていうかこれ以外にない!

 一瞬で考えをまとめると、ソファにかけてある上着と隣にあるバッグを手にし玄関へと走――――


「おやそんなに駆け足になってどこへいくつもりだね」


 ――――りだそうとしたところで背後から声を掛けられた。これまでに何度も聞いたことがあるバスの効いた低音だった。

 振り返る。長身の男が立っていた。


「世の中には、急いだり走ったりする必要は何もないし、ましてや女の子の上着をクンカクンカする必要もないんだぞ」


 痩せ型だが長身の男は、なぜか誇らしげに胸を反らしそう言った。


「誰がするか! いやそもそもどっから入ってきた⁉」

「そこの硝子ガラス戸からに決まってるだろう」


 どこの世界に窓から入ってくる『決まり』があるというのか。


「玄関のチャイムは隙を作る為のフェイクだ。案の定、貴様と彼女くんは陽動にまんまと引っ掛かった」


 男はもじゃもじゃの髪の毛を片手でくしゃっと掴み、くくくと忍び笑いを漏らした。人の心を見透かしてやった、そんな嘲笑を込めた笑いだった。


「ねぇ誰もいなかったんだけど……って、あ、あれ」


 見谷が不思議そうな顔をして戻ってきて、男の姿を見てさらに不思議な顔をした。


「やあ初めまして。お嬢サン」「あ、えと。こんにちは。お邪魔しています」


 挨拶を交わしそれから俺の方を見る。「どちら様? というかいつの間に?」という疑問への説明を求めた視線だ。


「そいつは弐蝋にろう多々羅たたら弐蝋っていう胡散臭い奴だ」

「その説明には私はお前の保護者でもあるという部分が欠けている。情報はいつも精確に伝えるべきだと言っているだろう」


 長躯の男――弐蝋――は目にかかっているくせ毛を、ぴんと指で弾いた。胡散臭い奴という部分を否定しないあたり自覚はあるらしい。


「保護者、さんですか」見谷がおずおずと尋ねる。

「ああそうだ。君は確か……見谷未希さんだったかな」

「あ、はい!」


 ぺこりとお辞儀をした見谷の瞳が見開かれた。「あれ? 名前言ってないのに」とでも言いたげだ。

 そんな彼女を、弐蝋は値踏みするかのようにじっと見る。視線を固定すること五秒。男は口角をくいっとあげた。


「いやなに。特徴は八尋から聞いていたからね。長い髪が特徴的なかわいい子だと」

「え、ええ、かわいいとかそんなことっ! 依月いづきくんが言ってたんですか?」

「いや言ってねえし」


 こっちみんな。

 そもそも見谷のことを話した事すらない、のに「知っていた」のはこの男だからだろう。


「ふむ」弐蝋は一つ頷くと視線を見谷からキッチンへ移し、そして俺へと向けた。

 先ほど見谷へと向けていたものとは少し毛色が違う。値踏み、あるいは分析といった方がいいかもしれない。


 対象を細部まで調べあげ、その性格まで見透かすことができる。この男が持つある種の才能だ。

 そして分析した結果をもとに、対象を自らの思い通りに動かす。言葉では測り切れない重み。そういう力が備わっている。例え何物にも染まっていないものだとしても、この男なら好きな色に顕色けんしょくさせてしまうだろう。


「さて。今日来たのはもちろん彼女の唐揚げを食べるためではなく、八尋、貴様に話があるからなのだが」


 そのたった一言で。取り巻く空気が一変した。

 見谷が一瞬肩をビクっと揺らす。素人の彼女ですら感じるほどの異様な威圧感が、弐蝋から放たれたからだ。

 いや。これが多々羅弐蝋の自然体。本質。殺し屋としての本質なのだ。


「えっと、あの――」見谷が何か言おうとしたとき、テーブル脇に置いてあった鞄から機械音が鳴った。「あ、わたしの携帯だ」


 弐蝋の横をすり抜け鞄から携帯を手にする。画面を確認すると俺の方を見た。


「ごめん。弟を迎えに行ってほしいってお母さんからメール来ちゃった。まだ途中だけど帰らないと」

「ああ。いや俺の方は問題ないし大丈夫だ」

「まだ途中だったのに……」

「気にすんな。片付けはしとくし」


 見谷は何か言いたげだったが、荷物を手にし弐蝋にお辞儀をすると、玄関へ走って行った。


「ずいぶんと入れ込んでいるようだな」


 見谷が去ってからちょうど二〇秒後。弐蝋が口を開いた。

 気のせいだろと素っ気なく返すと、弐蝋は忍び笑いを漏らした。なにが面白いんだよ。


「いやなに。気のせいで同級生の女子を部屋に入れたっていうのがな? 貴様は嘘をつくのが相変わらず下手くそで、そりゃ笑いもでるというものだ」

「あんたが上手すぎるんだよ」

「で? ちゃんとやれたのか?」

「なにが」

「童貞を捨てられたのかと聞いている」

「は、はぁ⁉」


 突拍子もない質問に、思わず何かの技を繰り出す掛け声のような返事になってしまった。


「な、なにいきなり、は? するわけねぇだろ!」

「ククク。動揺しすぎだ小僧。そっちの意味じゃない。まあそっちもそっちで気になるところだが、俺が言ったのはやっと殺人依頼を引き受ける童貞を捨てた、という意味だ。私の紹介以外で自分の意思によって殺人を決めたのは初めてだろう」

「……おいそれ、どこで」


 二人以外知らないはずの情報を出され、俺は眉をひそめる。そんな俺が可笑しいのか、奴は口の端を上げたままソファに腰をどっしりと降ろした。


「愚問だな。REクリーンをなんだと思っている」


 多々羅弐蝋は都内にある小さなベンチャー企業の代表取締役で、『REクリーン』という位置情報を取り扱うスマートフォンアプリを開発している。

 もちろんそれは表向きの話。殺し屋の斡旋こそが弐蝋率いる『REクリーン』の本当の業務内容である。


 普通の人が誰かを殺したい、そう思っても殺し屋と連絡を取る手段などない。そこで弐蝋を通して俺のような子飼いの殺し屋に仕事を振っているのだ。ちなみに斡旋以外にも死体を隠したり、個人の情報を調べあげて流したりするなど探偵まがいの業務も請け負っている。

 得体のしれない情報網を、この男は持つ。

 そして膨大な情報から必要なモノだけを的確に取り上げる。情報の収集と隠滅において、この多々羅弐蝋の才能を超える者は少ないだろう。


 だから――一体どういう経緯で知ったかは分からないが――見谷が俺に殺しの依頼を持ちかけたのを知っていたとしても、納得できなくもない。

 しかし一体どこからこんなローカルな情報を手に入れているんだコイツは。


「気に要らないとでも言いたげな顔つきだが、不肖の弟子の行動くらい、何もせんでも分るものだぞ」


 嘘つけ。

 こんな捉えどころのない男だが……殺し屋としての実力は圧倒的で、俺など足元にも及ばない。界隈でも一、二を争うのではないだろうか。


「さて。茶番はこれくらいで十分だろう。依頼を伝えに来た」

「仕事か? 早いな。この間やったばかりだぞ」


 二蝋の低い声に疑問を返すが、「対象情報ターゲットデータはいつものようにフロッピーディスクに入れてある。記憶したら捨てろ」

 彼は答える気はないようで続けて内容を語り始めた。


 媒体を古臭いフロッピーディスクにしているのは、万が一手に入れられても今どきAドライブを搭載したPCは殆ど無く多少の時間稼ぎになるから、という理由で採用しているらしい。

 部屋の隅に置いてある、立ち上げっぱなしの古いPCモニタをつける。ディスクを入れ資料を吸い出す。軽く目を通したが、なるほど、都内で近いし必要な準備も終えている。これなら問題なくこなせるだろう。


「下調べと準備は半分くらい終わってるのか。なんだ、今回はずいぶん手回しがいいじゃないか」

「なに。最近貴様には難易度が高い仕事を回していた。サービスも必要だと思ってな」

「お気遣いどうも。で、期限は?」

「今日中だ」

「は⁉」


 思わず立ち上がり振り返る。今日中だって? 聞き間違えたか?


「いいや間違ってない。急ぎの依頼だからな」

「……やけに安易な物件だと思ったらそういう罠付きかよ」

「ちなみに報酬はいつも通りだ」

「じゃあ危険が多くて俺が忙しいだけってことじゃん⁉ どこがサービスだ⁉」

「優先的に仕事を回すサービスだ」


 飄々と答えるものだから、もし二蝋を知らない人間だったら、今バカにされたことに気づかないだろう。

 が、俺は慣れてる。いつものことだ。こんなことで怒るほど子供じゃない。ていうか怒りを向けてものらりくらりと躱されるだけなので、怒るだけ無駄なのだ。


「しかし幾ら何でも急すぎる。下調べと準備の手間は半分でいいっつっても、準備期間がないとどうしても雑になりがちだ。他のやつには任せられないのか?」

「都内では貴様が一番身軽で動きやすい。それに貴様がダメなら他の奴でも無理だろう。なんせ貴様は俺が育てた十七人の中で、最も優秀な殺し屋になったのだからな」

「こんなクソ技量が褒められても嬉しくないし、おだててもやらねーぞ」

「ふむ。普通他人の生命を自由にできると分かれば傲慢になるものだが……貴様のそういう、どこか達観した部分は特筆に値する。客観的に自分を評価し観察できるのは実に殺し屋向きだ」


 二蝋はソファにゆったり腰を降ろすと膝を組んだ。

 念入りに調べ、準備し、殺す。

 それが師匠である二蝋の流儀であるし、教え込まれた俺もそれを遵守している。だからこそ今まで捕まることなくやってこれた。これまでにない程の短期間の仕事に一抹の不安はあるが、出来もしない無茶な振り方はこの男もしないだろう。

 どうするか。考えをまとめようとしたとき、目の前を、微かな紫煙しえんが漂っていった。


「おい! タバコ! ここでタバコ吸うなって言ったろ!」

「ああ、そういえば苦手なんだったな」二蝋は口に煙草を咥えたまま立ち上がると台所へ向かう。


 テーブルの上に残り揺蕩う紫煙は、俺に絡まり、記憶を過去から呼び起こし始める。

 多々羅二蝋、そして死神に出会った記憶だ。

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