第14話 木漏れ日③

 たぶんぼくらのその時の顔と言ったらこれ以上はないというほどの間抜けなものだったのだろう。まさに開いた口が塞がらない。あきれ返るのとは違うのだけれど、突然のことで閉じなくなってしまった。


「あら、面白い顔をしているのね」

 そう彼女はくすりと笑ったのだけれど、ぼくらは笑える気分ではなかった。さっきまでの緊張がまだ身体から抜けていない。

 突然のことすぎて身体が言うことを聞いてくれないのだ。ナオトにいたっては誰だこの人という疑問も相まって、ミズノさんではないが本当に面白い間抜け面になっている。

 おそらくぼくも鏡で見れば同じような顔をしているのだろう。心臓がばくばくいっていて収まってくれやしない。まさかこんなところで会うなんて誰が思うだろうか。


「あの、ミズノさん。どうしてこんなところに?」


「うん、まあ、ちょっとね」

 そう言う彼女は笑顔のままだったけれど、その笑顔が作り物めいて見えたのは気のせいではないだろう。ほんのわずかだけれど浮かべられた笑顔が固い。

 彼女と話すようになってから数か月経つがまだ彼女に信用してもらえていないんだなと思う。いや正確にはそうではないのかもしれない。


 この数か月で彼女とはずいぶん色んな事を話すようになったと思う。彼女が旅してきた町のこと。ぼくが作る料理のこと。時々見るあの夢のこと。

 ぼくは彼女のことを知りたいと思っていた。彼女もそれに応えていろんな事を話してくれた。けれどそれはきっと彼女の一番大切なところには触れていない事柄ばかりだとぼくは感じた。

 彼女が話してくれるのはぼくが知らないこの村の外のことだ。けれどそこで彼女がどう感じたとか、彼女の故郷はどんなものなのかだとかは一つも語ってくれない。

 ぼくはまだ彼女の内側に入れていないのだろう。高い壁で覆われた彼女の心の内側にぼくはまだ触れることが出来ていない。


「あの、トーリ。この人は?」


 ようやく驚きから立ち直ったらしいナオトが聞いてくる。


「この人はミズノさん。いろんなところを旅してて、最近この村に来たらしいんだ」

「ミズノ=リンクリンドです。よろしくね」

「あ、えっと、俺はナオト=クレールです。よろしくお願いします」


 ナオトの声は少し上ずっている。耳も少し赤くなっている。まあたしかにこれだけ綺麗な人を前にすると緊張してしまうのも無理はないだろう。ナオトならいつも通りのお調子者を貫けるかと思ったがそうでもないらしい。

 そういえばナオトはあまり女性慣れしてる方ではないらしい。故郷もここと大差ないほどの田舎であまり同じ年頃の女性がいなかったらしくなかなか慣れないのだと言っていた。

 ナオトの人懐こい笑顔なら年上の女性からたいそう可愛がられてそうなものだがそういうわけでもないらしい。というかそもそもそんなチャンスすらなかったのかもしれないなと思い当たる。


 ナオトが通っていた士官学校にはそもそもあまり女性がいなかったらしい。貴族が横のつながりを作らせるために自分たちの子供を通わせる騎士科ならまた話は別なのだろうが、わざわざ兵士になろうという女性はこの時代あまり多くない。

 特に本部で作戦立案や指揮を担いたいというものならごく少数はいるのだろうが、身体が資本の衛士や兵士になるものなどほぼいないと言って差し支えないだろう。

 そういう環境の中で育ったからあんまり女性が得意じゃないんだとナオトは言っていたんだっけか。


「それでトーリたちはここになにしに来たの?」

「新しいデザートに使う材料を取りに来てたんです。ほら前にミズノさんに食べさせてあげますって言ってたじゃないですか」

「ああ、覚えているわ。ずっと楽しみにしているのよ」

 そう言って笑う彼女に見とれてしまう。頭に葉っぱが付いていて普通なら間抜けに見えてしまうのに彼女はどうしてこう魅力的なのだろう。彼女といるとどうしようもなく鼓動が早くなってしまって仕方がない。

 どうかにやけてしまっていませんように神様に祈っておく。


「でもこんな森に取りに来るなんて何を使うつもりなの?」

 どうしようと一瞬逡巡する。本当はデザートに野イチゴを使っているなんてと驚かせたかったのだが仕方がない。彼女に隠し事なんてできやしないのだから。


「野イチゴを使おうと思ってたんです」

「野イチゴは食べたことがないの。どんな味なんだろう」

 彼女の頬が緩んだ。それだけでぼくの心はスキップを始めてしまう。

 彼女のために腕によりをかけた逸品を作ろう。真っ赤に熟れた野イチゴを見つけよう。そう思った。


「けどトーリはすごいよな。自分で色んなレシピ考えてんだろ?」

 ぼくたちの会話に中々入れずに手持ちぶさただったナオトがようやく話に入ってくる。

 完全にナオトのことを忘れて話し込んでしまっていたのでさぞ気まずかっただろう。心の中でごめんと真剣に謝っておく。


「別に昔からちょこちょこ母さんの手伝いをしてたから出来るだけだよ。いつも思い通りの味にならなくて四苦八苦してるからまだまだだよ」

「あらそれでもすごいと思うわよ。私料理はてんで駄目だから。私も早くトーリの料理を食べてみたいわ」

「トーリの料理ほんと美味しいですよ。今日もここに来る前に作ってもらって……」

 話し込み始めた二人を見ながら思い出す。


 初めて料理を作ったのはたしかまだ初等学校に行きだして間もない頃だったと思う。

 その頃はまだ食堂を開いておらず、母さんは宿屋の仕事だけに専念していた。それでも女手で一つで宿屋を回していくのは相当大変だっただろう。母さんが休んでいるところを見たことがなかった。

 そんな母さんの負担を少しでも減らすことが出来たならと作り始めたのがきっかけだ。しかし、ようやくぼくが学校を卒業し、宿屋の手伝いを始めたというのに、食堂を始めたのだからままならない。だから今は出来るだけ早く食堂を一人で切り盛りできるようになるというのが当面の目標だ。

 始めた頃はおぼつかなかった料理の手際も随分とよくなったと思う。まだまだではあるが新しいメニューを考えられるようにもなってきた。


 けれどそんなぼくに母さんは無理をしなくてもいいと言う。

 本当にしたいことをすればいいと。

 そう言われる度になぜだか逃げ出したくなるのはなぜなのだろう。

 今やってることが本当にしたいことだよと言う度に後ろめたい気持ちになるのはなぜだろう。

 他にしたいこともない。自分の作った料理でお客さんが喜んでくれるのが何より嬉しい。それは嘘ではない。

 嘘ではないのだけれども、それは違うとぼくの中の何かが叫び続けて仕方がない。

 結局ぼくはまだ何も知らないのかもしれない。

 自分が本当にしたいこと。自分の中にある相反する二つの気持ちのこと。自分が何を知らないのかということ。

 悩むたびに夢の中の藤の花の匂いがあふれ出てきて仕方がない。


「どうした、トーリ?」

 ナオトがかけてくれた声で我に返る。


「なんでもないよ」

 ちゃんと笑顔は作れているだろうか。

 自分で自分の表情を確認できないのがもどかしくて仕方がない。

 よし、と心の中でつぶやく。


 そろそろ野イチゴ探しの続きをしようよ。

 そう言おうと思っていたのに言うことが出来なかった。


 すぐ近くで木の倒れる異常な音がしたから。


 ぼくたちはその大きな音に身をすくませる。

 さっきとは違う身体を刺すような空気が辺りを埋め尽くす。

 まだその音の正体が全く見えていないのにはっきりと分かった。

 これは違うと。

 この村にいるべきものじゃないと。

 ぼくらが出会っていいものじゃないと。


 先ほどの爆音がした方向に生える背の高い木の間からそいつは現れた。

 獣臭い匂いがここまで匂ってくる。

 荒い息遣いがここまで聞こえてくる。

 こちらに歩いてくるその足音がまるで命の終わりを示しているかのように実際以上に大きく響く。


「なんで……」


 ナオトの声は恐怖で塗りつぶされていた。

 明らかに場違いな威圧感を放つそれは歩みを止めずに歩き続ける。


「なんでこんなやつがここにいるんだ!!」


 張り裂けそうなその声はすぐにかき消される。

 化け物。形容するのがおそらく正しい。


 そいつは、そのサイクロプスがあげた声は、ぼくらを絶望させるのには十分すぎるほど大地を揺らした。

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