あの夢の、その先の

佐倉洸記

第1話 プロローグ

 夢の中でぼくはここじゃない場所にいる。


 見たこともない建物。聞いたこともない音楽。知らないはずの懐かしさ。ぼくは夢の中でそんなものに浸っている。


 それは夢のはずなのに妙にリアルな感触をぼくに与えてくる。


 ぼくの隣で親しげにはにかむ若い青年。ぼくはそれにごく当たり前のように答える。とんでもなく高くガラス張りになっている建物に朝日が反射してぼくの目を眩ませる。踏みしめる地面は石畳とは違うなにか硬い灰色のものに覆われてどこか居心地が悪い。


 前も後ろもぼくと同じ格好をした人たちがぞろぞろと歩いている。ぼくには馴染みのない、けれどやはり懐かしい気がする制服だ。黒を基調としたデザインの中で咲き誇る藤の花。胸に付けられたそれはきっとぼくたちの学校の校章なのだろう。


 朝だというのにけたたましい音を鳴らし、高速で駆けていく車輪のついた四角い物体。これから始まる一日を待ちわびるかのようにそこかしこから聞こえる話し声。夜のうちに降ったのであろう雨の残り香と、道の脇に咲いた紫陽花の葉の上にちょこんと乗った小さな滴。


 ぼくはこの光景を知っていると思う。けれどもぼくはこの光景を知っているはずがない。ぼくの住む世界にはないものが溢れているから。


 ぼくはこれは現実だと思う。けれどこれは夢だとぼくは知っている。この光景とは違う場所で育ってきた記憶がしっかりとあるから。


 幼いころから何度もこんな夢を見てきた。


 そしてそのたびに胸の奥のほうから悲しいような、もどかしいような群青と灰色がないまぜになったような気持ちはぼんやりと浮かんでくる。

 その気持ちは朝起きた時にはぼくの心臓の深い部分にたしかに居座っているのに、正午を過ぎた頃には元からそんなものなどなかったかのように姿かたちもなく消え去ってしまっている。


 ぼくはこの気持ちの正体も、夢に出てくる人や場所も、こんな夢を見る理由の何一つも知らない。


 ただぼんやりと。

 ただなんとなく。

 ぼくは今住んでいる場所がほんとうぼくのいるべき場所なのか疑問に思うことがある。

 ぼくは今していることがほんとうにぼくがすべきことなのか疑問に思うことがある。


 そんな疑問は意味のないものだと知っているけれど。

 大人に言えばそれは思春期特有のみんなに訪れ、そして過ぎ去っていく悩みの一つでしかないと言われるのだろうけれども。


 それでもぼくはあの夢を見る。

 何度も疑問に思う。


 今の暮らしに不満があるわけでもなく、ましてやこの暮らしよりいい暮らしがぼくには合っているなどと思いもしない。


 けれどきっとぼくは探し続ける。

 あの夢の正体を。ぼくがあの夢を見る理由を。


 きっとぼくは知りたがっている。

 あの夢の、その先を。

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