第2話 おでん

 原田さんは、バルセロナでひとりの青年と知り合っていた。イシドロという名前のその青年は、「日本に行って料理を習いたいから、どこか修行させてもらえる料理店を斡旋して欲しい」、と原田さんにせがんだらしい。そういった素人の見習い志望というのは、足手まといになるという理由で敬遠されるのが常である。しかし原田さんの人徳か、浅草にある一軒の居酒屋が受け入れを承諾してくれた。イシドロは大喜びで日本に飛び立った。修行予定は一年であった。ところが、イシドロは一月程でさっさと帰国してしまったのである。

 「もう日本料理の基礎は大体修得できました」

 とイシドロは大見得を切ったらしいが、どこの国の料理であろうとそんな短期間では大した事が学べるわけがない。不自由な日本語ときつい仕事のせいでホームシックにかかった、というのが実際の所らしい。これには原田さんも、あんなに根性のない奴は初めて見た、と呆れていた。

 「ところがこの前、そのイシドロから「バルセロナで日本料理店を始めました」っていう手紙が届いたんだ。地元の新聞やら雑誌に紹介された記事も添付されてた。それがなかなかの繁盛ぶりっていうんだから驚いたよ。俺たちは10年も20年もかかってやっとひとり立ちするのに、あいつはたった1ヶ月の修行で繁盛店を立ち上げちゃったんだから」

 原田さんからその記事を見せられた時、我々は思わず噴き出してしまった。イシドロという青年は、なんと忍者のコスチュ-ムで調理をしていたのである。原田さんが記事の内容を翻訳してくれた。店の評判はなかなかで、イシドロによると近々2号店の出店をもくろんでいる、とのことであった。『石灯籠』という彼の名前をもじってつけられたものが店名であった。

 「な?ちょっと変わった奴だろう?受け入れてくれた居酒屋の主人にもこの記事を見せたんだけど、えらく驚いていたよ。「電信柱みたいにボ-っと厨房に突っ立っていただけのくせに、よくも日本で修行してきた、なんて言えるもんだ!」って」

 厨房の先輩たちも笑っていた。忍者の衣装はもちろん、写真に載っている彼の料理にも言いたいことを言っていた。このような料理は、とても日本食とはいえない。日本食と名乗って欲しくもない。こんな料理を賞賛するなんて、スペイン人の味覚はどうかしている。いや、きっと日本料理について何にも知らない記者が書いた記事だろう。等々。徹底的にけなしていた。

 先輩達の言うとおり 、記事に載っていたイシドロの料理は日本料理といえるものではないかもしれない。『海外で見た珍日本食』としてテレビで紹介されてもおかしくないようなへんてこな品々があった。

日本そばをたっぷりの油とニンニクで炒めてしまった「ざるそば・アル・アヒージョ」やカタル-ニャ地方の名物ブティファラ(ソ-セ-ジ)にアリオリソ-スを塗った巻き寿司などというのは、海外の和食レストランにありがちなご当地オリジナルの和風料理としてまだ許せる範囲であろう。しかし、イクラの握りに見えたものが実はザクロであったとか、味噌の代わりにチョコレ-トを溶かしたチョコ汁などというのは首をひねりたくなる。

 イシドロの店で出されている料理はどれも不味そうだったが、日本食がそれほど海外で人気があるとは思いもよらなかった。あのような偽日本食でも二号店を出店できるほど繁盛するくらいなのだから、ちゃんとした日本料理を提供したらもっと大成功するのではないだろうか。そう思うと私は焦りを感じた。私が先輩のすね蹴りに耐えながら一日15時間働いている間にも、海外では次々に日本食レストランが開店しているに違い。私たちのように辛い修行をすることもなく偽の日本料理を提供して一儲けしている不届きな輩はごまんといるだろう。私は一日も早くスペインに行きたくなった。そして、いつかはバルセロナで店を出したいという気持ちが日に日に強くなっていった。

 ある晩、私は原田さんにその気持ちを伝えた。今の仕事を辞めてバルセロナに行きたい、と伝えると「やっぱりなぁ」と原田さんは言った。

 「お前はいつかそんな事を言い出すんじゃないかと思っていたよ。でもいい考えだと思うよ。よその国に行って挑戦したいって言うなら絶対若いうちの方が良いもの」

 「で、お願いがあるんですけど」

 「あぁ、どっか紹介しろってんだろ?でも、イシドロの店はやめておいた方がいいぞ。あそこはどうせ長くは続かないだろうからな。まぁ、友人としてなら紹介するけどね」

 「彼の店は長く続かないんですか?2号店を出すって言ってましたけど」

 「彼の性格じゃぁ、まず無理だね。人間的にはいい奴なんだけど、少し大口をたたく所があるんだ。「やれるか?」て聞かれると、どんなことでも「はい、できます」って答えちゃう奴なんだ。本当は全く経験がない事でも」

 原田さんは、再び彼の店が紹介された記事を指し示した。

 「もし、この記事に書いてあることを本当にイシドロが言ったのだとしたら、彼は客を欺いている事になる。お前も分かっているだろうが、店というものは客の信頼を失ったらおしまいだ。もう二度と立ち直る事はできない」

料理の写真の下にその紹介文があった。赤い肉が盛り付けられた皿には、SASHIMI de ballena 、白身魚のお造りはCarpaccio de pez globo、とあった。ballenaはクジラ、pez globoとはふぐの事だ、と原田さんは教えてくれた。

 「スペインの市場にはクジラがあるんですか?」

 「まさか!」

 「じゃあ、日本から取り寄せているんですかね?」

 「それもないだろう。もしクジラ肉を日本やアイスランドから輸入していたとしたら、到底こんな値段では提供できないよ」

 「ふぐ」といって出されている刺身もどう見ても偽者で、原田さんが言うには海外の日本食料理店でたまに「白マグロ」として出回っている深海魚ではないかということであった。ちなみにその魚は日本では食品として取引の禁止されている魚である。外人には人気があるらしいが、とにかく脂っこい。しかもその油脂成分は、人間の体内で消化できないらしく、食べ過ぎると下痢や腹痛を起こしたりさらに重症になる危険があるという。そのようなものを出していたらいつ事故を起こしてもおかしくない、というのが原田さんの意見であった。

 「あいつは客商売として、してはいけない事をしている。そんな商売が長続きするわけはないよ」


***


 日本を去ることになった直前、原田さんは私を飲みに誘ってくれた。二人で茅場町にあるおでん屋に行った。原田さんによると、スペインで一番恋しかった食べ物がおでんだったらしい。

 「当時はよい大根を探すのが難しくてな」

 スペイン料理は大好きだが、時には日本食が恋しくなった。特に冬は暖かい鍋物が食べたかった。と原田さんは言いながら、箸先で大根にからしを塗った。出汁がよく染み込んだ大根は中まで茶色かった。

 「冬のバルセロナは東京ほど寒くならないせいか、鍋物のように体が芯から温まる食い物がないんだ。もちろん、エスクデ-ジャとかカルド-ジャなんてス-プ類はあるけれど、猫舌の奴が多いせいかあんまり熱々を出してくれないんだ」

 原田さんとそのおでん屋に行ったのは、秋の初めであった。まだおでんには早い季節であったが、店内はエアコンが強く効いていて寒いほどだった。大きな四角いおでん鍋がカウンタ-の中にあってゆらゆらと湯気を立てていた。出汁の良い匂いが店じゅうに漂っていた。鍋には入れられたばかりと思われる真っ白なはんぺんが数個浮かんでいた。それ以外の具材は皆良い色に炊かれている。並んでいるゆで卵のなかにひとつだけ、てっぺんに染みのあるものがあった。きっと鍋底に当たって焦げたのだろう。店の調理人は、客の目からその染みを隠そうと箸先でその卵を突付いていた。頭に染みのあるゆで卵がおでん鍋に浮かんでいる姿は、温泉にくつろぐ禿頭のおっさんのようであった。それは、その時にアイスランドで行われたソビエトとアメリカ合衆国の首脳会談を思い出させた。

 「あのゆで卵、レイキャビックの温泉に浸かるゴルバチョフに似ていませんか?」

ブッと噴き出した後、原田さんはハ、ハ、ハと大笑いした。その時、原田さんの口から大根の一切れが勢いよく飛び出した。大根は熱々だったため、まだ飲み込まれていなかったのである。突然の爆笑により口から飛び出したその一切れは、よく磨かれた白木のカウンタ-をツ-っと滑りながら元いたおでん鍋にポチャンと落ちた。その時、カエルが古池に飛び込むような音を立てたが、幸いそのアクシデントに気づいた人はいない様子であった。

 「一度だけどうしてもおでんが食いたくなって、友達と一緒に用意した事がある。はんぺんだのつみれだの練り物なんて何種類も作ったぜ。手間をかけて鯖節も用意した。あれはクサイって近所から苦情が来たけどなぁ」

 「スペイン人には受けましたか?」

 「いや、全然。唯一食ったのは牛筋位かな。スペイン人の特に男達は、いつだって肉ばっかり食べてたよ。スペイン人との宴会ですき焼きやしゃぶしゃぶを用意した事があったんだけど、野菜なんか見向きもしなかった。さすが肉食文化だと思ったな」

 原田さんは、レストランで出されていた賄について説明してくれた。それは私たちが食べているような一汁一菜の地味なものではなく、きちんと前菜、メイン、そしてデザ-トまで付いつている。でないと従業員から訴えられる事もある、ということだった。

 「ところで、僕がスペインに行きたいと言ったとき、原田さんはどうして「やっぱりな」って仰ったんですか?」

 原田さんは熱燗の入った杯をくいっと飲み干してから私の杯にも酒を注いだ。親方や先輩から酌をされる時は、両手で杯を持ち上げるのが礼儀である。しかし、原田さんに止められたので、感謝の意を表すためにコメツキバッタのように何度もお辞儀した。原田さんは照れくさそうに「よせよ」と笑った。

 「お前もそろそろ分かるようになってきただろう。話もしたことがない一見の客でもその体型なんかでその人の食い物の好みが。俺みたいに40年もこんな仕事をしていると、食い物の好みだけじゃなくてその人がどんな人生を歩んでいるかも分かるものなんだ。お前が作る賄いを食べた時、俺は確信したね。「こいつは日本じゃ出世しない。海外で働いたほうがいいかもしれない」って」

 原田さんによると、私が作る賄いは我が強いのだという。先輩たちから、「普段どやされている仕返しに手抜きをしている」、と評されている私の賄いを原田さんは慎重に言葉を選びながら説明してくれた。

 「表面的には先輩たちの好みに合わせているように見えるお前の料理だが、いつも自分の提案や好みをねじ込んでいるよな。こっそりと。初めは仕返しにそんなことをしているのかと思ったけど、そうじゃないんだろう?お前はお前なりに賄いで作る品々にこだわりがあるんだ。とは言っても、自分の嫌いなものにはかなり手抜きしているけどね」

 図星をつかれた。自分の顔が赤くなっていくのが分かった。

 「でも誤解するなよ。お前のそういった試みは決して悪いことじゃない。料理は常に探究心なんだから。俺たち料理人は客に好まれる料理を常に考え、提案していかなければならない。その上で自分たちの店の味を出すって事は大切なんだ。教科書どおりに作っていれば良いってもんじゃない。ただ、お前の場合は、まだ自分の味を模索中というか、料理にいろんな主張が入りすぎているうえに言い訳がましいようなところがある。せっかく調理法やタレに面白いものがあってもバランスを崩していることが多いんだ。でも、あせることはないよ。これからヨーロッパで色々な料理を見てもっと勉強すればいい」

 おでん屋を出た後、我々は原田さんの住む門前仲町に向かって永代通りをぶらぶらと歩いて行った。隅田川にさしかかると生暖かい風が吹いてきた。永代橋の上から川面を覗くと、たくさんのくらげが浮いていた。暗い川の表面をいくつも白い傘が覆っていた。

 「また今年も大発生しやがったか」

 「危ないですよ、原田さん」

 原田さんは少し酔っていた。夜風に髪を乱しながら手すりから大きく身を乗り出していた。

 「こんなのは危ないうちに入らないよ。イシドロのしでかしたことに比べればね。あいつはこの橋げたの上に登っちゃったんだから」

 「何ですって!?」

 永代橋の橋げたは、一つのなだらかな山を描いている。橋の始まりから少しずつ登って行き、真ん中で頂点に達し、またゆったりと下っている。その青い鉄骨には人ひとり歩けるほどの幅があるが、落下事故防止用の柵などは付いていない。橋げたは橋の重さを支える為の物で、歩行者が登るためにつけられた訳ではないからである。見上げると、山の頂点は結構な高さであった。

 「イシドロを呼んで皆で飲みに行った時のことだ。俺はその場に居なかったんだけど、お前の先輩、蛸佐沢がイシドロをけしかけたらしい」

 蛸佐沢先輩は私の直接の先輩である。彼から受けたすね蹴りは数知れない。厨房内で最も鉄拳制裁を振るう先輩として、皆から恐れられていた人である。「バルセロナで忍術を習っていた」というイシドロを 蛸佐沢先輩がおちょくったのが発端であった。すったもんだの言い争いの後、先輩は「金玉が付いているならこの橋げたを登ってみろ」とイシドロを挑発したのだった。

 「こんな橋げたなんて、タラゴナにあるロ-マ時代の水道橋に比べたらちっとも怖くない」

 イシドロも大口を叩いた手前、引っ込みが付かなくなった。登り始めはよかったけれど途中で怖気づき、足がすくんで動けなくなってしまった。橋げたにしがみついたまま前にも後にも進めない。 そのうち野次馬が集まり出し、警察やらはしご車やらが来て大変な騒ぎになった。助け出されたイシドロの顔は、この橋げたみたいに真っ青だったらしい。

 橋を渡りきると、とたんに風が止んだ。お前は良い時に日本を離れるよ、と原田さんは言った。

 「日本の調理師はこれから大変だよ。どこの店も人件費を削るのに必死だから。なるべく調理師を少なくしようとしているし、独立するんでも東京じゃ家賃がバカ高い上に競争相手が多いから本当にシンドイぞ。聞くところによると、すでにアメリカなんかじゃあ焼き鳥だの寿司だのはもうすっかり定着していて、どこでも売っているらしいな。ヨーロッパの国々もこれから日本食の需要が伸びるんじゃないかな。スペインも自分たちの食文化に誇りを持っていて食に関しては保守的なところがあるけど、これからは好奇心旺盛な若い奴らがどんどんと日本食を受け入れるようになるだろう。俺が見てきた限り、日本に対して好意的な人が多かったもの。世界に誇れる日本食の調理人として自信を持つが良い。お前ならきっとうまくやれるさ」

 その時ついでに、「スペインの女性には気をつけろ」と言われたような気もする。

 「ああ、そうだ。もし俺の知り合いの誰かがバルセロナに行く事になったら、お前の連絡先を渡しても良いか?」

 「はい、もちろんです。ところで原田さんは、スペインで店を持とうとは考えなかったんですか?原田さんの店だったら、スペインでもどこでも行列が出来るに決まっているのに」

 「そりゃ、いつも考えてるさ。でもなぁ、この年になるとまず家族の事を考えなきゃならん。今の仕事を続けている限り食いっぱぐれはないだろうから、どうしても今一歩踏ん切れないんだ。人間ってのは、守らなきゃいけない物が多いとなかなか冒険が出来ないもんだ。ところで、この話は聞かなかったことにしろよ。お前と俺だけの秘密だ。わかったな」

 「わかりました」

 「よし、じゃあ最後にカキ氷を食べよう。あれもスペインには無いぞ」

 通りの向こう側にコンビニエンスストアの明かりが見えた。原田さんは、道路を横切ろうとガ-ドレ-ルを跨ごうとした。ところが、原田さんは足が短くて雪駄が地面に届かない。まごついているうちに交番にいた警察官に笛を吹かれてしまった。

 「そこは横断禁止!横断歩道を渡りなさい!」

 「すいません。お巡りさん、ごめんなさい」

 原田さんは楽しそうだった。子供のようにはしゃいでいた。

 別れ際、原田さんは私に封筒を手渡した。私はそれを家に着いてから開封した。餞別として紙幣が数枚入っていた。そして、イシドロの連絡先とメッセ-ジが同封されていた。

 「バルセロナでのお前の成功を祈る。しかし、もし日本に帰ることになったら迷わず連絡しろ。お前の働き場所くらいは、なんとか確保するから」

 日本を去る決心をしたことに後悔はなかった。横暴な先輩や長時間労働から解放される、と清々していたほどであった。それでもこの時だけは、何か大事なものを置き去りにして行ってしまうような気がしたのである。

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