第12話 ゆきと夕さんの変化

【from 渡川 夕

今日の予定

ごめん、やっぱり遅くなりそう。

夕食準備できなくてごめんね。

先に寝ていて。】


【RE 今日の予定

お疲れ様。無理しないようにね。】


かれこれ2週間は一緒に夕食を食べていない気がする。もちろん朝ごはんは一緒に食べられる事が多いけれど、結局毎朝余裕はなくて、会話もニュースを見ながら、みたいになってしまう。


夕さんの今日の予定は午後出張。直帰できそうなので、久々に夕さんの手づくり料理の約束だったけれど、そのまま接待の流れかな。


仕方ない。


「柳井さん、最近毎日遅くないですか?」


「そうなの。要領が悪くて、時間内にさばききれないのよ…。佐藤さんも遅いよね?」


「柳井さんのおかげでうちのチーム全体的に仕事が増えてます。チーフ変わってからは柳井さん、勝本さんと同じ量こなしてますもんね。人気もあって指名なんかも来ているので、こちらも調整なかなか忙しいです。」


佐藤さんは嬉しそうに話す。


チーフから私を守れなかったと、私の気にもしていないところで気にかけてくれていた佐藤さん。


「新婚さんなのにごめんなさい。奥様怒ってませんか?」


「もう新婚って言わないですよ!それに妻も仕事をしているので、理解はかなりある方だと思います。」


「柳井さんこそ、本来こんなに仕事していてはダメでしょ。と言いたいところですけど、今の柳井さんにはちょっと頑張ってもらわないといけない状況ですね。いつもたいしたサポートできなくて本当にすみません。僕も渡川さんみたいにスーパーマンだったらなー。」


「渡川さんも最近忙しそうですね。」


こうして夕さんの名前をいかに普通に声に出すか、はじめはこんなことだけでドキドキしたけれど、最近はすっかり慣れてきて、誰かに気付かれそうな心配は微塵もない。


「営業チームで分担してますけど、なんせ渡川さんも指名が多くて、しかも相手先に気に入られて接待の流れが多いんですよね。話しを合わせるのが上手すぎるんです。知識も豊富だからどんなネタでも返せるし。」


「知識も話上手もどちらも見習わないとな…。」


「私もです…。」


佐藤さんと静かなオフィスで二人で笑い、気分転換に二人分のコーヒーを入れる。


都会のビルの、9階からの夜景を大きな窓から眺める。


「イルミネーションでいつもより町が明るく見えますね。もうすぐクリスマスでしたね。忘れかけていました。」


「そうですね、柳井さんご予定は?こんなこと聞くとこのご時世はセクハラですか?」


「ほんとに気を遣う世の中になりましたね。私はあまり気にしないので、どうぞ何でも聞いてください。今年もどうせ家ですよ。」


嘘はついていない。一人で、とは言っていない。でも今年は本当に一人で家になりかねないかな。

下を向いてふふっと笑ってから、少し離れたデスクの、自席でコーヒーを飲む佐藤さんに視線を向ける。


「家でも素敵なクリスマスはやって来ますよ。」


佐藤さんが一瞬、優しい表情の裏に含みのある笑顔を見せた気がして、驚いた顔をしてしまった。

気付いている?


「その返しは反則ですよ。涙が出そうになりました。」


すぐに返したものの目がおよいでしまう。

佐藤さんはあははと大きな声で笑ってから、

「それではサンタさんのプレゼントに期待して早く寝て下さいね。」


何て言うので、やっぱり私の深読みかな?と思いつつ、一度速くなった鼓動がなかなか収まらない。



家に帰ると11時過ぎ、暗く、寒い。


お腹もすいたまま。


リビングを素通りして、寝室の暖房を入れた。

大きなリビングを今から暖めてももったいない。

電気は付けずにバスルームに向かう。


手早く服を脱いでシャワーを浴びる。

メイクを丁寧に落としながら、「今日も一日お疲れ様」と、優しい声で自分にささやきかける。


夕さんは今日も遅いかな?

待っていなくていいよね。

濡れたか髪にドライアーをかけながら、11:25と表示されたデジタル時計に目をやる。


明日の朝洗濯が終るように洗濯機のタイマーをかけて寝室に戻る。


こんなことを、最近ルーティンでやっている気がする。昨日も今日も、一週間前も

何も変わっていない気がする。


満たされない私は、カサカサとした、もしくはトゲトゲした自分自身の心に苛立っていく。じわじわと時間をかけながら傷ついていく。痛みに気が付かないほどにゆっくりと。


何がそんなに嫌なの?


夕さんの帰りが遅い。


仕方ないじゃない、忙しいんだから。


お腹が空いた。


ご飯を食べれば?


一人では寂しいから嫌だ。


大人なのに我儘だ。


今の状況では、大切にされている気がしない。


それではあなたは彼のために何をしていると言うの?


確かに…。何もしていないか。お互い様か。


頭の中で自問自答して、声に出してあはははって笑ってみた。


喉元がぎゅと閉まって熱くなる。同時に目の奥が温かくなる。こぼれ出す涙に安堵する。これで少しはスッキリできる。


私の気持ちは逃げ場を探して心の中をさまようから、どうにかして出してあげないと体と心が共倒れになってしまう。


「良かった。今日は泣けて良かった。」

また声に出して呟いて、わざと一人の自分を自分に知らしめて、大粒の涙を流す。


布団に入ろうと掛け布団を持ち上げると、玄関の扉の開く音がする。


慌てて涙をぬぐって、扉に背を向けて横になり掛け布団を口元までかける。


近付く足音にドキドキする。

カチャと、寝室の扉を開ける音と同時に涼しい空気とほのかにタバコの香りが入ってくる。やっぱり居酒屋さんで接待だったかな?と思いながら、目を固くつむる。


いつもなら私が寝ていれば、静かに扉を閉めて自分も就寝の支度をする夕さん。なのに、今日はゆっくりとベッドに腰掛ける。


ベッドのきしむ音に心拍数が上がる。

そっと頬に触れられ、はっとする。

今、頬を伝った涙がまだ乾いていない。


「ゆき、起きてるの?泣いてる?どうした?」


「お帰りなさい。大丈夫。あくびしただけだ…」


言い終わらないうちに夕さんの唇がそっと触れる。


「ごめんね。本当にごめんゆき。仕事もきついのに、家で話を聞いてあげることもできないね。」


自分の方がよほどきついはずなのに。


大きく首をふって、さっきまでの私の思考回路の全てを情けなく思って、別の涙が溢れてくる。


夕さんはそっとそっと優しく私の首筋に触れて、胸元のボタンに手をかけながら、

「疲れてるよね。」

と囁く。


「私なんかよりずっと疲れているでしょ?」

やっとの思いで声をだして、冷たい頬に暖まった手のひらをあてる。


「シャワーを浴びてくるから、先に寝ていてね。」


優しい声色を残して部屋を出ていく。


今日の私は、夕さんに抱いてもらってはダメな気がした。


夕さんが戻った時に私が寝ていたら、「疲れてるよね。」への答えはyes。

起きていたらnoだ。


本当はnoで、胸にかけられた手を、もっと感じていたいけれど、今日はダメだ。

これ以上自分が情けなくなったら、きっと八つ当たりをしてしまう。

こんな時も完璧な夕さんを悪く言ってしまう。

もっと、もっとさらけ出してくれたら、私も思いをさらけ出せるのにと、本当は心のどこかで思っていることを、言わなくてもいいことを…


そうならないために今日の答えはyesだ。


眠くないのに、固く目をつむり、体を小さく小さく丸める。


暖まった家のリビングで夕さんが料理を作っている。

鼻歌が聞こえて、湯気が立って、いい香りがする。

暖かさも、香りもするのに、私は何故かその光景をスクリーンの中に見ている。夕さんはテレビの中にいる。

変だ。そうか、これは夢だ。

夢だ、と気が付いていて、その夢をさらに見続ける事ができる。と、友人に伝えた時に、とても驚かれた事がある。けれど、やっぱり私はそれができる。

「夕さん」

そっと、スクリーンに向かって話しかける。

当然こちらを向かない。

何やらとても楽しそうな顔をしている。振り向いてほしい。こんな顔、久しく見ていない。私を見てほしい。

「ねえ!」


本当に声が出そうになって、震えかけた声帯のわずかな振動で目が覚めた。


朝、夕さんより先に目覚めることは少なくて、久し振りに夕さんが隣で眠っている光景を見た。

昨晩、夕さんが隣に入って来た記憶は全く無く、狸寝入りは成功したらしかった。


まだ暗い。

頭上の携帯に手を伸ばして電源を入れると、時間は5:05。

薄暗い部屋の明かりの中で夕さんの寝顔を穴が開くほど見つめ、吐息と自分の呼吸を合わせる。


寝ているのに、眉根を寄せて疲れた顔をしている。


「お疲れ様」


と呟くと、夕さんの目は閉じられたまま、突然左腕が私の首の後ろに回り、夕さんの胸元に顔を押しあてるように引き寄せられる。


「恥ずかしいから、そんなに見ないで。」


寝起きのかすれた優しい声で夕さんが囁く。


「あれ?いつから起きてたの?」


「ゆきが始めに何か叫んだ時から。」


「え!本当に声が出てた?」


「ううん。体がびくんってなった。」


夕さんの甘い香りのする胸元に頬をつけて、どうしてそれで叫んだとわかるのだろうと、不思議に思いながら、深く息を吸って、ゆっくりと吐いて。

首筋に唇をあてて、目を閉じて、息も止めて

「ごめんね」と動かす。


「今何時?」


「5時過ぎ。」


「はー…時間無いね。」


首に回っていた手は腰に、右手が背中に回されて、優しく強く抱き寄せられる。髪に夕さんの唇があたる感触がする。

私ついに、夕さんを感じるために髪にまで神経が通ったか、と思う。


顔を上げると、眼鏡を外した見慣れない夕さんの、やっぱり少し疲れた顔。


「朝御飯作るよ。たまにはゆっくり食べよ。」


「ありがとう。ゆき。」


やっと夕さんらしい、穏やかな表情になる。

体を起こすと眼鏡をかけて、前髪をさっと後ろに流す。ベッド下に置いてあるパーカーを羽織って、体をひねりベッドサイドに座り、私の方を向く。私はその姿を横になったまま見つめて、夕さんの左肘あたりに手を伸ばして、自分の方に強く引き寄せる。


「おっと、何?」


バランスを崩した夕さんが、私の顔の横に右手をついて、ベッドサイドに腰を掛けたまま、上半身だけ覆い被さるような姿勢になる。


何?て言った時の、すごく愛しそうに見下ろしてくれる目が優しくて、もう一度握ったままの左肘を強く引いてキスをする。


長いキスをして、顔を離して頬に手をあてる。


「好きだよ。」


と伝える。


「好きだよ、ゆき。」


と返事が返ってくる。


「起こして。」


と甘えた声で言ってみたら、嬉しそうに肩のあたりに手を回して軽々と持ち上げてくれる。


夕さんは、


こういう人だ。


弱音を言わない。


愚痴も言わない。


無理強いしない。


応えてくれる。


私は胸が痛い。


自分の弱さが、子供っぽさが、器の小ささが日に日に自分自身を傷つける。


大好きなのに。


大好きだから痛い。

だから恋って大変だ。


誰かに相談したら、それは間違いなく私の我儘だと言われる。

わかっているから相談などしない。


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