9.冒険者

 一瞬の眩い光りとともに、頭に昆布を乗せた全裸の幼女は、一振りの黒刃を持つ剣に変わった。その横には、どこから現れたのか、僕が父からもらった、これもまた黒い鞘が一緒に転がっている。


 あまりにもな事態に頭がついて来ないけど、これってアレだよね。


「シャー」

「ああ、そうだった!」


 とりあえず考える前に目の前の3匹の蜘蛛を何とかしないと! 慌てて転がっている剣を拾い、くっついていた昆布をどかし、正眼に構えるが、どうも両刃の剣というのがしっくりこない。そう思ったら、刃の形状が代わり、片刃の曲刀……すなわち日本刀に変わった。


「あ、なんだかすみません」


 とりあえず、僕の身長に合わせた短めの黒刀に謝り、再び構え直す。うん、この方がしっくりくるな。ここまで空気を読んでくれていたのか解らないけど、ようやく前列に並ぶ黒蜘蛛が僕に対して粘液を吹きかけてくる。


 バシュ! バシュ! バシュ!


 僕はそれを華麗なステップで躱し……ているつもりなんだけど、何でだろう……躱した方に粘液が飛んでくる。鎧に当たって粘液が蒸発するから、避けなくてもいいんだけどさ。百発百中をされてしまうのは、さすがに落ち込む。


「もういいや」


 僕は粘液を避ける事は諦めて、近い方にいる黒い蜘蛛に駆け寄り、ショートソードを刀を全力で振り下ろした。


「やぁー!」

「ガッ! シャー!」

「やぁー!」

「やぁー!」


 何度も繰り返し刀で斬りつけたんだけど、ビクともしない。しかしこいつら、蜘蛛のくせに硬いなぁ。そういえば、父上は僕が斬りたいものだけ斬れるって言っていたな。ならば……


「こいつを斬る」


 とりあえずそう全力で念じながら、刀を振り下ろすと、身体から力を吸い取られたような感覚があり……


 シュボ!


「はっ?」

「「シャー?」」


 蜘蛛が瞬時に蒸発した。


 え、え、ええええ!

 これ、僕がやりました? 確かに斬りたいって思ったけど……それに……ちょっと一回斬っただけで急に眠気が……。


----- * ----- * ----- * -----


 意識を取り戻すと、なんだか懐かしの風景。

 白い蜘蛛が僕を抱え、後ろからガリガリと噛っている。これ、気持ち良いんだよね。そして、前回と違うのは黒い蜘蛛が僕の脚を半分くらい呑み込んでいた事だ。


「うわ! ちょっとやめて!」


 慌てて僕が持っていたはずの黒刀を探す。

 お、あった。


「ちょ、ちょっとこっちに来て! ねぇ、聞いているんでしょ!」


 とりあえず足元に転がっている黒刀に呼びかけてみたが、無反応。


「ねぇ! ねぇってば!」


 すると、黒刀は先程と同様に再び光り、蜘蛛に抱えられ宙に浮いている僕を見上げる形で全裸の幼女が現れた。


主様ぬしさまはワガママ」


 不満げな顔をして、幼女が僕を見上げる。


「ワガママって……この状況を何とかして欲し「シャー!」」


 突然現れた幼女に激昂したのか、黒蜘蛛は僕の足を吐き出し幼女に掴みかかった。


「危な……えっ」


 幼女が掴みかかってきた脚を叩くと、蜘蛛は物凄い勢いでダンジョンの通路を飛んでいき、グシャっと潰れた。


「ノータッチ」


 幼女は、通路の先に向かってそう呟くと、再び僕を見上げる。


「主様、助けてほしい?」

「うん! 特に痛くは無いんだけど、出来れば助けて欲し……」


 その瞬間、幼女が飛び上がり僕を背後からホールドしている白蜘蛛に向けて、踵落としの要領で脚を振り下ろした。


「うわ!」


 幼女の、たったその一閃で白蜘蛛の脚が4本切り裂かれ、僕は無事に放り出された。そして、着地に失敗し無様に転がる僕を上から見下ろし……いや、このアングルは非常によくない気もするが……気だるそうに、


「後は主様の仕事」


 そう言って、再び幼女は眩い光に包まれ僕の手の中に黒刀として収まった。

 これは、僕にやれって言うことなんだよなぁ……


 僕は少し呆然としつつも、脚を失い激昂している白蜘蛛に相対した。

 とりあえずさっきの反省から、軽い感じで「斬る」と念じつつ白蜘蛛の残った脚を狙う。


 シュボ!


「すげー……へへへ」

「シャー! シャー!」


 ちょうど白蜘蛛が攻撃しようとした脚に掠ったのだが、掠った先から消滅してしまった。


 残された脚は3本。すでにバランスが取れない白い蜘蛛が、ゆっくりと後退しながら、まるでイヤイヤするように顔を振った。僕も白い蜘蛛へ向け、ゆっくりと歩みを進め、


「僕は君とは友達になれると思ったんだよ。本当に……」

「シャー、シャー」

「でも、僕を裏切ったのは君だよね」

「シャー、シャー」

「うん、許せないな。許せないよ……ううん、そういう消極的な気持ちじゃ無い。積極的に僕は君を許さない!」

「シャー」


 一気に駆け寄り、袈裟懸けに斬り捨てる。


 シュボ!


 僕と2度目の激闘を繰り広げた白い蜘蛛も、一瞬で蒸発してしまった。


「ふぅ、すっきりした」


 そんなに恨んでいなかったんだけどね。マッサージもしてもらったし。

 よし終了。


 さて……

 

 僕は黒刀を見つめる。そして、先程、幼女が剣に変わった際に転がった鞘を見つめる。


「この鞘じゃ、もうはまらないんだよな……どうしよう」


 とりあえず、黒い鞘を拾い上げ、剣先を合わせてみると、


「あれ?」


 どうやら黒刀と同じように形状が変更できるようで、スルスルっと鞘に吸い込まれていった。鞘は黒地に金糸で縁取った色鮮やかな花柄をあしらっており、ゴージャスな感じだ。


「なんて不思議な……」


 その瞬間、鞘が光り……


----- * ----- * ----- * -----


 幼女がなぜか僕に抱きかかえられていた。

 4歳児の力で持っていられるくらい軽いのも不思議だが……


「あれ? 服が……」

「主様は全裸が好みか?」

「い、いや……それは困るけど」


 幼女は黒い着物に身を包んでいた。


「逆に何でさっきまで裸だったの?」

「海に落とされたから」

「海?」


 そういえば、海賊船の船長が海に捨てんたんだよな。


「服が濡れるから、裸になった」

「?」


 どうも言っている事が繋がらない。


「服……」



 そう言って、幼女が着物を指差す。

 よくみると……鞘と同じ模様がそこには描かれていた。


「鞘って事?」


 コクリと幼女が頷く。


「あれ、でもさっきまで日本刀じゃなかったよね。鞘の模様も違ったし……」

「さっきまではドレスだった。主様の好みに変更された」

「そうなんだ」

「だから、今は和風テイスト」

「はっ?」


 なんで、この世界で和風なんて言葉が出て来る。


「君も日本から来たって事?」

「説明に疲れた。後は主様が勝手に理解するべき」


 そういって、少女は黙ってしまった。


「とりあえず、君は父が作った剣……刀でもあって、人間にもなるって事で理解しておけばいいのかな?」

「一目瞭然」

「僕はずっとピンチだったんだけど、どうして助けに来てくれなかったの?」


 武器さえあれば、なんとかなった場面があったはずだ。少し非難の気持ちをこめて幼女をみつめる。だが、幼女は幼女として僕の言葉に憮然そうに、


「海の底からここまでくるのは、大変」


 そういって、先程僕が払った昆布を指差す。


「あ、ああ……そうか、結局、僕のせいか……」

「そう。主様のせい。私は結構働いた。眠ってもいい?」

「え、そ、そうだね。ごめんね、僕のせいで……」

「zzzz」

「えー! ちょっと待って、立ったままで眠るの?」


 幼女は僕の叫び声にクワっと目を開き、


「ノータッチ」

 

 そう言って、再び目を閉じ、ゆっくりと僕にもたれかかって、眠ってしまった。今、ノータッチって言われたけど、そっちからくっついてきた分にはセーフって事?


 蜘蛛に襲われたり、全裸の幼女がやってきたりで、随分長くここにいるような気もするが、実態として入り口からたいして進んでいない。とりあえずジャンユーグ達が追いかけてこれないような奥に進んで起きたい。この子のおかげで生存確率がかなり上がった気がするけど……安全のためにも、少しでも奥に入らないと。


 僕はゴクリと唾を飲み込み、


「ノータッチっていっていたけど、これは仕方ないよね。やましい気持ちは無いからね。君を連れて行かないと、僕も困っちゃうし……それに、ほら僕は中身がおっさんだから、君みたいな子供には何とも感じないんだ。あれ、中身がおっさんの方が危ない? そうだ、僕は何を動揺しているんだろう。うん、姪っ子をお風呂に入れた事だってあるんだ。大丈夫、問題無い!」


 大丈夫。僕はロリじゃない。いや、このくらいの年齢だとペドになるのか? でも、見た目は同年齢だしなぁ……だったら、この動揺は正常な反応? とりあえず、通報はされないか……


「よいっしょ……なんでこんなに軽いんだろう……実態はやっぱり刀って事なのかな……」


 僕は幼女を背中におぶってダンジョンの奥へ進み始めた。高級そうな絹地と思われる和服の幼女を背負うため、何度も滑って落としそうになった後、僕は手が滑らないように裾から手を入れて直接太ももをかかえるようにしている。


(精神的にはおっさんだが、肉体的な同年齢の幼女にドキドキするのはやはり変態か? それとも正常と言ってもいいのだろうか?)


 という深いテーマに頭を悩ませつつ、僕は奥へ進んでいった。


 特に新手の蜘蛛や、他の生き物に出会うことなく、一時間ほど進むと、少し高くなった場所に手頃な窪みをみつける。あそこで少し休めるんじゃないか。


 幼女を抱えて登るのは難しそうだったので、やり方を少し考えていたら、突然幼女が刀に姿を変えた。僕の鎧の背中の部分が同時に形状を変え、鞘を固定してしまう。


「最初からこれでよかったんじゃないか?」


 剣の時も背中に綺麗に収まっていた。

 ようやく、元の状態に戻ったって事だ。


 僕は改めて岩肌に手をかけ、上方にある窪みまで登った。

 ちょうど大人の人間が休憩できるくらいのスペースなので、僕の身体には充分すぎる場所だ。


「やっと休める……」


 そう思った瞬間、これまでの疲れがどっと出てきたのか、急速な眠気が襲ってきた。さっきも蜘蛛に抱きかかえられ眠ったりしていたんだけど、身体を休められると思ったら気が抜けたんだろう。


 ダンジョンの中で無警戒に眠ってしまう事に恐怖はあったけど、もう無理だ。

 僕が横になろうとすると、背中に固定されていた鞘が勝手に外れた。確かに邪魔だしな。僕は用心のために鞘を抱きかかえ眠ることにする。

 

「もう家を出て何日目なんだろう……」


 突然、家の事を思い出して、涙がこみ上げてきそうになる。母の温もりを思い出しながら僕は眠りに落ちる瞬間、


「そういえば名前を聞いていなかったな……」


 そんな事を考えていた。


----- * ----- * ----- * -----


「主様、主様」

「え、何……どうしたの?」

「主様、恥ずかしい」

「えっ?」


 あ、やばい!

 僕はいつの間にか、毛布にくるまり、全裸の幼女をぎゅっと抱きしめていた……全裸? 毛布?


「え、何これ? どっから……え?」


 僕たちには茶色い薄手の毛布がかけられていた。そして、僕たちが寝ていた窪みの前にはパンとフルーツに水、二人分の肌着が綺麗に並んで置いてあった。


「何で? え? え?」

「……」


 幼女は僕の様子を気にもかけず、綺麗に畳まれていた下着を手に取った。


「主様も着替える」

「え、あ、はい」


 幼女から僕の分の肌着を手渡された。

 これって大丈夫なの? こんなダンジョンの中で毛布に食事、着替えまでって罠じゃない?


 そんな事を言っているうちに、幼女は手早く着替え終えた。早い! 今日も黒い和服姿なんだけど、いくらなんでも着替えるのが早くないか?。そして心なしか寝る前に比べて、輝いているようにみえる。今思うと、寝る前までは薄汚れていたのかもしれない……海の中だったらしいしな……

 

「主様、全部脱いで、早く着替える」

「う、うん、わかった」


 途端に鎧がガシャリと脱げ落ちた。

 出発してから一度も脱げなかった鎧が、初めて僕の身体から離れたのだ。


「脱げた……一生このままかもと覚悟していたのに……」


 長期間、着たきりスズメだった割には匂いもベタつきも無い。

 それでも新しい肌着に着替えられるのは嬉しい……。


 どこからやってきた肌着なのかは解らないけど、この子も着替えていたから大丈夫なんだろう……もう、そう思うしか無い。


 という事で早速着替えようとしたのだが、目の前から来る強烈な視線に僕は動きを止めた。 


「……」

「えーと、後ろを向いていてくれるかな」

「主様は私の裸を見た。これでおあいこ」

「そ、そんな事を言っても……」

「主従関係にあっても、貸し借りは無い方がいい」

「主従関係って……それに恥ずかしいよ」

「ちっ」


 幼女は後ろを向いてくれた。でも、今、舌打ちしたよね? その態度は良くないと思うんだけど……僕は手早く肌着を脱ぎ、新しい肌着を身につけた。はぁ、なんか気持ちが良い。


「終わった?」

「うわ!」


 いつの間にか幼女がこっちを見ていた。


「う、うん。大丈夫。あと、これ、どうしようか……」


 脱いだ肌着の行き先に困る。この先も着替えが必要になる場面は出てくるだろうけど、持ち運ぶものが無い。懐に入れて移動するかな……。


「大丈夫、問題無い」

「え、あ、汚い……よ?」


 幼女が僕が脱いだ肌着を拾うと、そのまま僕の足元に転がっていた鎧の上に投げた。途端に肌着は消えてしまう。続いて毛布を持ち上げると、これも鎧の上に投げ、やはり毛布は跡形もなく消えてしまう。


「ど、どういう仕組み」

「説明は面倒。主様が理解して」


 理解って、よく解らないだけど……


「主様、食事」

「あ、う、うん……」


 食べても大丈夫……なんだろうね。もういいや。とりあえず深く考えるのはやめよう。


「いただきます」

「……いただきます」


 なんとなく、前世に習って食べる前に言ってみた。

 幼女も僕の真似をして食べ始めた。


「ねぇ?」

「主様、食事中は黙って食べる」

「いや、君は刀だよね? 食べる必要があるの?」

「……主様、独り占めはよくない」


「ねぇ?」

「主様、食事中は黙って食べる」

「なんて呼べばいい?」

「……主様が決めて」


「ねぇ?」

「……」

「カタナでいい?」

「2つのタイヤでギュンギュン走りそうで嫌」

「……別の名前を考えます」


 なんでそれを知っていると思いつつ、頭を悩ます。

 名付け親のセンスなんて無いしなぁ。日本刀だからポン子? 逃げられそうだな……


「ねぇ?」

「決まった?」

「ミオは?」

「どういう意味?」


 幼女が僕をみつめる。

 いや、前世で好きだった子の名前なんだけど……振られたし……やめておこう。


「別のにします」

「ん」


 でも、なかなか思いつかないなぁ……

 

「うん、スンでいいかな?」

「……4輪?」

「2輪でも4輪でも無いから」

「飛行機?」

「本当に日本人なんじゃない?」

 

 僕がそう言うと、目を逸らして口笛を吹くそぶりを見せる。そこは突っ込まれたくないらしい……まぁ、いいや。


「由来……解るかな……ほら……僕はツノ付きの赤い鎧なので一緒にいるのは……」

「……主様、多分、そっちは名字」


 やっぱり知っているんだ。日本人だとしたら、下手をすると僕より年上の世代だぞ。それとも、父上の知識をベースにしているのだろうか。


「うん、それとまだ小さいから、『寸』という意味も込めてみた。一寸法師とか……」

「……」


 少し思案をしているようだ。


「語呂は良いし、どうかな? 他のにする?」

「ん。それでいい」

「よかった。それじゃぁ、スン、これからもよろしく。あと、僕の事はシャルルで良いから」

「主様は主様」

「そうなの? わかった……でも、そのうちシャルルって呼んでくれた方が嬉しいかな」

「気が向いたら」


 ここで、頬でも染めてくれれば嬉しいんだけど、スンは特に表情を変えてくれない。


「主様、私だけじゃ不公平。そっちにも名前を付けて」

「え、そっちって鎧?」

「そう」

「必要?」

「必要」


 なんだろう。赤い鎧の名前……ザ……いやそれは駄目だろう。ジオ……赤く無いか。ゲル……うーん、なんかスライムみたいな感じになりそうだしなぁ……ズゴ……語感が悪い。


「主様、そこに拘らなくてもいい」

「えー、大事な所じゃない?」

「……」


 じっと見つめられてしまった。

 うーん、鎧だし、これでいいか。


「ググ」

「どういう意味」

「赤い専用機の一つからと、鎧という事で具足の『具』」

「どう?」


 スンが鎧に向かって聞く。え? こいつも意思があったりするの? 人間になるの?


「主様、それでいいみたい」

「そうなの? じゃあ、ググ、これからもよろしくね」


 鎧に話しかけているというのは、なかなかシュールだが、赤い鎧ググも気に入ってくれたようだ。僕に抱きついてきて、そのまま装着となった。


「じゃあ、スンとググ、ダンジョンを抜けるために協力してください」

 

 スンがコクリと頷いた。ググもピクリと動いて僕に答えてくれた。


 孤独と恐怖の中、死ぬ覚悟までしていた今までの生活が嘘のようだ。人……と言っていいのかわからないけど、同行者がいるというのは大きい。気持ちが軽くなった。それに今までググもいたんだ。僕の事を傷つけずに頑張ってくれたググ。ちょっと涙が出そうになる。


 さぁ、出発だと動こうとする僕に対し、


「その前に、主様、これを」


 どこから出したのか、一枚のカードをスンが僕に差し出してきた。


「何これ?」

「冒険者のカード」

「冒険者カード?」

「違う。冒険者『の』カード」

「これが無いとダンジョンの攻略が出来ない」

「攻略?」

「そう」

「え、僕はただここから逃げ出したいだけなんだけど」

「同じ意味」

「説明が面倒、主様が理解して」


 スンが早々に説明を放棄した。僕はとりあえずカードを受け取る。


「えーと、持っていればいいの?」

「血を垂らす」

「え?」


 スンが僕の手をとって、僕の指に爪を立てた。


「痛っ」

「大丈夫」


 指を見ると血が滲んでいる。

 大丈夫って言っても、ちょっと痛いんだけど……スンは僕をじっと見つめるだけなので、仕方なく僕は指から出てきた血をカードに垂らす。


「何も起こらないけど?」

「よく見る」

「えーと……」


 あれ?

 よく見ると、僕が垂らした血は、「冒険者のカード」に吸い取られ表面上の細かな溝に広がっていき……


「えっ?」


 僕は慌ててスンの顔を見ると、どこかしら自慢気な顔をしているように感じる。


「理解した?」

「うん……」


 そのカードには、薄っすらと文字が浮かび上がり……


「これってステータス?」

「ん」


 カードの表面にいくつかの文字と数字が浮かび上がっていた。

 確かに僕のこっちの世界での父は、日本からの召喚者で、おっぱいのでかい神様にあったとか言っていた。この世界はまるでロールプレイングゲームの世界だって。


 ようやく、僕もその世界の一端に触れられる訳だ。


「HPは体力?」

「ん」

「MPは魔力?」

「ん」

「PPは……?? プレゼンテーションソフトじゃないよね」

「違う。力」

「ああ、パワーポイントって事?」

「ん」

「IPはIPアドレスじゃないから……インテリジェンス?

「ん。賢さ」

「ふーん、DPは……わからん」

「素早さ」

「へー……」

「EPは?」

「頑丈さ」

「耐久力って事?」

「ん」


 なるほど……それぞれに数字が書いてある。

 最後の項目が0で、その後の項目は数値も書いていないけど、これは何だろう……


「で、この数値が0のLPは?」

「幸運」

「……」


 うん、聞かなかった事にしよう。


「最後のSPは?」

「特殊能力」

「……」


 うん、忘れよう。


 とりあえず、僕のステータスは、


 HP(体力):4

 MP(魔力):40,000

 PP(力):4

IP(賢さ): 24

DP(素早さ):4

EP(耐久力):4

LP(幸運):0

 SP: 


 なに、この適当な数値。


「この4が並んでいるのは意味があるの? それに、魔力だけ4万もあるんだけど……」

「主様は4歳だから4」

「年齢なの?」

「大体そんな感じ。主様は4歳児の平均」

「へー、じゃぁ5歳になれば5になるの?」

「個人差はあるけど、そんな感じ」


 いわゆるゲームのような絶対的な数値というより、相対的な評価って事になるのかな……転生者なので、少しは良いこともあるかと思ったけど、なんだろう……この涙が出そうな平均値。救いは賢さの24だけど、これも前世+今世での年齢を考えたら平均値を下回っているって事だよね……


 それでも魔力だけはずば抜けて高い。

 ここに期待して、


「じゃあ、魔力の4万って、相当凄いって事?」

「4歳児の1万人分くらいの魔力」


 4歳児の1万人分か……多いのか少ないのか解らない……


「この世界は魔法が使えない人の方が一般的。だいたい1万人に1人」

「だから、1万人分って事?」

「ん」


 という事は、魔法を使える4歳児としては平均って事ね。

 解りました。理解しました。転生者として良いところは、道具だけって事だね。これ、絶対反抗期が来たらグレるぞ。


 ただ、一点、スンが気になる事を言ったな……


「スン、今、『この世界は』って言ったよね」

「……」


 スンが僕から視線を逸し、口笛を吹くかのように口先をすぼめる。


「スンは他の世界の事も知っているの?」

「……主様はいじわる」

「え、だって……」

「……主様はいじわ……」

「解りました、もう聞きません」

「ん」


 スンがもう一度、こっちを見てくれた。


「このステータスは変わったりするの?」

「冒険者のカードはそのための道具」

「え? どういう事?」

「使ってみれば解る」

「使う?」


 スンはそういって、洞窟の奥を指差す。

 そこには……


「シャー! シャー!」


 また黒い蜘蛛が出てきた。


「カードをしまって」

「え? どこに……」


 すると、僕のググが少し震えた。


「あ、ここにしまえって事? えーと、ググ、よろしく」


 そういうと、僕の手元からカードが抜け出し、鎧に吸い込まれるように消えた。


「仕組みは解らないけど、便利だ」

「主様、来る」

「わっ」


 僕がググに気を取られた間に、黒い蜘蛛は距離を詰めてきていた。

 

 バシュ!


 いつものように、粘液を僕に飛ばしてくるが、これまたいつものように、僕に当たる瞬間に粘液が消える。


「スン!」


 スンに呼びかけると、それを待っていたかのようにスンが黒い鞘に包まれた日本刀に変わり、僕の背中に装着された。僕はその刀を鞘から抜き出し構える。


(僕の手の長さで簡単に抜けるということは、スンが気を使って長さを変えてくれているのかな……)


 子供の頃にチャンバラごっこをやっていたから解るのだが、肘から下の長さよりも長い刀を背中から抜くのは難しい。この黒刀スンは、僕でも取り回せるとはいえ、そこそこの長さがあり、こんな風に簡単に抜けるというのは、長さを調節してくれているのだろうとしか思えない。


 いつか鏡をみながら試してみたいものだ……


「さて」

「シャー!」


 これで4匹目の蜘蛛との遭遇。

 もう怖くない。


「うりゃ」


 軽く念を込めて蜘蛛を斬る。

 攻撃してくる脚を順番に切り飛ばし、動きが悪くなった所で頭を真っ二つに……


「よし、おしまい!」


 巨大な黒蜘蛛は頭を割られた状態から一気に蒸発してしまった。


(これって、刀のパワーで蒸発させているというより、死んだら蒸発してしまうって事か?)


 どうもこのあたりの仕組みがよく解らないな。スンに聞かないと……そう思った瞬間、刀がピカッと光り、目の前にスンが立っていた。全裸で。


「あ……」


 スンがしまったという顔をしている。

 そして僕の背中からふわりと何かが落ちた。これって……スンが来ていた和服だ。


 その落ちたものにスンが向かっていき拾い上げ、無表情のまま、


「主様のいじわる」

「え、何が?」

「まだ服を来ていなかった」

「ぼくのせい?」

「ん」


 そう言いながらスンはその和服を羽織、


「え?」


 あっという間に着てしまった。

 いや、和服ってそんなに早く着付けられるものじゃないはずなのだが……


「主様、カード」

「ああ……ええと……カード?」

「冒険者のカード」


 ああ、さっきしまったカードね。

 とりあえず、カードが手元に来るように念じて見ると……


「お、きたきた……えっ?」


 そこには先程とは違い……


  HP(体力):124

 MP(魔力):1240,000

 PP(力):129

IP(賢さ): 145

DP(素早さ):112

EP(耐久力):110

LP(幸運):0

 SP: 


「ダンジョンの攻略に必要と言った」

「ああ……え、それじゃ?」


 僕がスンを見ると、スンがこくりと頷く。

 このカードが無いと成長しないって事なんだろうか?

 それにしてもたった1回の戦闘でステータスが跳ね上がっているんですけど……


「黒蜘蛛は4歳児には倒せない」


 大人としての相対評価になったって事なのか?

 それにしても、


「大人も1人では倒せない」


 スンの説明に僕は納得した。

 相対評価って事は、10人がかりで倒せるような生物だったって事なんだな。でも、そこだけ評価されるって事だと、


「ステータスが上がっても強くはなっていないという事?」

「問題無い。カードがあるから、世界を誤魔化せる」


 誤魔化す? どういう事?


「そのうち理解する。これ以上の説明は面倒」


 僕の疑問には、今は答えてくれないようだ。

 

「……わかった。それじゃあ、先へ進もうか。どっちへ行けばいい?」

「ん」


 スンは更に奥へ向かって指を伸ばす。


 とりあえず進むか。

 僕は視線を足元に落とし、自分だけの意思で一歩を踏み出した。そして、ダンジョンの奥を目指す。


 前へ! 

 前へ! 

 前へ! 


 僕の足取りは一歩ずつ軽くなる。

 僕は前を向く。


 この先に何が待っているかは解らない。

 でも……そう……ようやく僕の冒険が始まったのだ!

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