6. 魔法の力

「ガァァァロォォォォ!」


 上甲板へ登る階段の上から、曲刀を片手に親方に向かって叫ぶ船長の姿に僕たちはピタリと動きを止めてしまった。


(化……者……)


 僕を見れば毎日のように殴る蹴るをしていた船長であったが、それは、まだ人であった。だが、僕たちの姿をみつけ咆哮のような声を上げている姿は、化物といってもいい姿だ。『俺』がもし作画監督だったら、口やら身体から水蒸気を上げる演出を加えたい。そんなイッちゃっている姿だった。


「船長、もう終わりにしましょう」

「終わりだと! 何も終わっていない! 俺は、この船とともにジャン・ダヴィ・ノー復活の伝説は今こそ始まるのだァァァ!」


 初めて聞きました。船長の名前。

 でも伝説が始まるも何も、こんな小汚い海賊船で何をするというのか。


 ダン!


 親方が上甲板から飛び降りてきて、親方の前に立ちはだかった。


「高貴な魂! 高貴な魂さえあれば、この船は復活する。そうすれば、この海で失った俺の国! 俺の民! 俺の宝が……」


 そう言って僕たちの方を見る。

 とりあえず、僕はソフィアの陰にそっと隠れる。だって4歳だし。


「えっ? 私?」


 船長が指差すその先にはソフィアがいた。


「そうだ! 小娘! お前だ! 高貴なる公女の汚れない魂! それさえあれば……」


「ちょ、ちょっとシャルル! ここはか弱い女性を守るところでしょ! 全力で私を守りなさい!」

「無理です! 僕だって、まだ4歳です! むしろ僕を守ってー!」


 精神はともかく体格はまだ4歳!


「船長!」


 親方がもう一度船長に呼びかけた。


「船長、前から薄々思っていたんだけど、俺達は騙されただけなんだよ。1,000の魂と引き換えに船を復活させてやるって言われて、船員に肉を食わせ、船を襲って捕虜にしては肉を食わせと、何十年も繰り返してきた! もうとっくに1,000人以上の魂を捧げてきたじゃないか!」


 一触即発の雰囲気の中、親方は船長の説得を試みるが、


「ガァァロォォォ! 今までは魂の質が悪かったからだ! その娘だ! 公女というその高貴な魂があれば、きっとこの船は!」


 親方の声は船長には届きもしなかった。

 しかし、そんな背景があったんだ。あのヘドロ型人間達、もう面倒だ。ヘドローズでいいや。そのヘドローズは、肉を食った船員や捕虜だったんだな。それが1,000の魂って事? やっぱり、あの黒い肉棒は食べちゃ駄目だったんじゃん! よかった食べなくて。


「その娘をヨコセェェェ!」

「船長! いや、兄さん!」

「ガァァァロォォォ!」


 兄さんだと? おい! 裏設定の暴露が多すぎないか。


 唐突な展開に、おろおろしそうになったが、僕はそこでふと気がついてしまった。


(階段まで、道が空いた!)


 上甲板から飛び降りた船長と、その正面に立つ親方。二人の位置から僕たちは少し離れており、階段までダッシュすれば行けそうだ。階段から上甲板に行き、船長室の先のマストにぶら下がっている救命ボートを降ろして、ボートごと飛び降りる。難易度高いなぁ……


 それでも、今なら何とか逃げ出せるのでは、そう思って、気配を殺そして二人の様子をみていいたのだが、ソフィアが空気を読まずに船長達の会話に口を挟んだ?


「あのー、うちの家族、最近、公主になったばかりで、それまでは商家の娘だったんだけど……」

「なんだと!」


 ああ! ソフィア、余計な事を!

 船長の注意がこっちに向いてしまった。これでは逃げられない。


「お父様が貿易で大儲けをして、多額の税金と賄賂を国に治めたら、漁村を自治領とアマロ公という地位を頂いただけで、それまでは、全然平民。アマロ公国って言っても、本当に小さな領地だし。お父様が頑張ったおかげで、お金持ちだったけど……本当につい最近まで、超平民。穢れなき魂って……あ、私無理。穢れっちゃってまーす! もうバッチリと。ビッチだね。ビッチ。うん、魂が高貴とかマジ無理」


 ソフィアのあまりにもな告白に、船長が固まった。

 体調不良でフラフラなカーラも青ざめている。


「ソフィア様……それは……」

(馬鹿ね! 作戦よ、作戦。私、まだ11歳よ。穢れようも無いでしょ)

(いや、そういう趣味の男もいますし……同い年の男の子とかでも……)


「あるわけないでしょぉ!」

(シー! 声が大きい!)


 おいおい、この二人、なんの漫才をしているんだ。


「おい、お前たち、今のうちに逃げろ……俺の事は構うな。ここは俺に任せろ!」


 親方がいつまでも漫才を続けそうな二人に見かねたのか、割って入ってくれたのだが……船長と姉弟って、僕の中では、あなたも、そっち側の人間です。という事で、遠慮なく……


「ほら、ソフィアさん、今のうちに行きましょう」

「ええ、そうね。カーラ、大丈夫? 歩ける?」

「はい、何とか……」


 カーラさんもフラフラになりながらも上甲板へ続く階段を歩き始めた。ソフィアが腕をとって少しでも助けようとしたので、僕も後ろから支えようと、手を伸ばした。


 むにっ。


 4歳児が大人の女性を後ろから支えようとすると、ここお尻に手があたるよね。ごめんなさい、わざとじゃないんです。


「ありがとう」


 お尻を触っているのにお礼を言われるなんて、どんなご褒美だ!。ビバ4歳児! これは合法なんですね。冒険に出てから文字通り、踏んだり蹴ったりな毎日だったけど、ようやく運が……


「どぉこぉへぇ行くぅ!」


 まだ向いてませんでした。


 階段を登りきった先には船長が立ちはだかっていた。あれ? さっきまで下で親方と……って、振り返ってみると、


「親方!」

「坊主、俺は……もう駄目だ……俺のことは忘れて……何とか、逃げ延びて……」


 そこには残った右腕と左足を切り落とされ、胸に曲刀を刺した状態で転がっている親方の姿があった。確かに、もう駄目そうだ……という事で、親方もああ言っているし、これで忘れよう。南無阿弥陀仏。僕を庇ってくれたり、助けてくれようとしたりと、立ち位置がよく解らなかったが、ヘドローズの統率者だったみたいだし、船長の弟だし、世界平和のためには良いことなんじゃなかろうか。


「カーラ!」


 今度は前から声がした。

 フラフラだったカーラさんが、僕たち二人を庇うように船長の前に立ったのだ。


「ソフィア様……勉強、続けてくださいね」

「カーラ、何を言っているの! 駄目! 一緒に」

「ぼく、ソフィア様をお願い……」


 そう言って、カーラさんは僕の事をじっとみつめ、頷くと、もう一度船長の方に向き直り……


「アマロ公国魔法士カーラ・ラミラ・エスピノ・ボルヘス、ここを死地とする!」


 船長の曲刀は親方の胸に刺さっていたため、船長は素手だ。一方、病身でフラフラのカーラも武器は……


このre手に炎をfirure宿しn hansこの炎をusivもってfirure敵をkulakutan撃て n enemire


 何やらお経のようなものを唱えた瞬間、上へ向けて開いていたカーラの手が輝き、そこから炎の柱が湧き上がって船長に襲いかかった。


「今!」


 船長が炎に包まれた瞬間、カーラさんが叫ぶ。

 僕はその声を聞いた瞬間、ソフィアの手を引っ張って走り始めた。ソフィアも涙を流しながらも、抵抗せずについてきてくれる。カーラさんが犠牲になるとしても、ここが最後の逃げ時だっていうのは、理解してくれたみたいだ。


 もし、さっきカーラさんがこちらを見ていなかったら、僕はソフィアの手を引いたりはしなかっただろう。


 あの瞬間、僕はカーラさんから、ソフィアの事をきっと託されたのだ。幼い僕に託すというのもどうかと思うが、カーラさんなりに、僕に頼む所があると判断したんだと思う。普通に考えて、断ってもいい所なんだろうが、何事もタイミングっていうものがある。


 僕はまさにあの瞬間、ソフィアを救命ボートまで連れて行くという業務を請け負った。日本のサラリーマン、請けた仕事は身を粉にしてでも完遂す……


「ふん!」


 船長が全身の炎を弾いた。無傷だ。

 これじゃ、完遂出来なさそうです。すみません。まぁ、仕事が必ず成功するってもんでも無いしな。

 

 船長はそのまま、腕を大きく振りかぶると、カーラさんに向かって、その拳を振り下ろそうとした。


「カーラ!」

「!」

「ぎゃん!」


 僕は咄嗟に船長とカーラさんの間に飛び込み、その拳を僕の顔面で受け、吹き飛んだ。


 ……いた……く、……


「いたくない!」


 よく間に合ったな。

 カーラさんには当たらなかったようだ。よかった。僕も何とも無いことをアピール。やはり、日本人の真っ当な感覚として、目の前で女性が殴られるのは許せない。こうなら、やるだけやるか……


 僕は少しだけ覚悟を決めた。


「シャルル! 大丈夫!」

「うん、大丈夫だ」


 カーラさんは、僕が無事なのを見てほっとしたのか、そのまま座り込んでしまった。やはり、相当体調が悪いみたいだ。


「小僧ぅ……やはり、鎧の力か……ダメージが……」


 そして、船長の方を見ると、僕を殴った拳から血がポタポタと落ちてる。どうやら僕を殴った事による衝撃で拳が砕けたみたいだ。そして、流れ出る血の色が黒い。まるで、あのヘドローズ達のように……


「許さん! 許さんぞ! 俺の尊い黒血を流させるとは……」


 そう言いながらも船長は、ゆっくりと僕から距離を取り、パッと下甲板に飛び降りた。


「これがあれば……」


 船長は、そう言って、すでにピクリとも動かない親方の身体から曲刀を引き抜いた。

 船長の頭からソフィアの事は消えたみたいだ。完全にターゲットが僕になっている。上等だ。こうなったらやってやる。何か武器に、何か武器になるものを……


 覚悟を決めたが武器は無い。僕たちの動きを見て、ソフィアはカーラさんの腕の下に身体を入れ、何とか移動をしようとしている。


 この鎧の防御力だけでいくか……


『魔力増加とか、付与されているのか?』


 その時、ふと親方の言葉が脳裏を過ぎった。

 僕が受けるダメージを何度も無効にしてくれた、この鎧。もしかすると、そんな力があったりするのか?


 試すだけなら無料タダ

 ならば!


 カーラさんが唱えた呪文みたいなものを、何となく意味は覚えていたので、


このre手に炎をfirure宿しn hansこの炎をusivもってfirure敵をtermijuen殲滅せよ n enemire


 真似をしてみた。だいたいこんな感じだったはず!

 すると、手のひらが何だか熱くなってきた気がした。慌てて、手のひらを船長に向けて、


いけーkulakutan!』


 その瞬間、僕の手の平は真っ白な光りを発し、そして僕はその光りに包まれ……


「うわ!」


 僕は爆風にさらされ吹き飛んだ。


「きゃー」


 ソフィアの声が一瞬聞こえたような気もしたが、僕は何度も何度も転がりそして何かに当たって停止した。強烈な光りを見た事で、一瞬視界が駄目になったが、やがて少しずつ見えるようになったけど……


「なんだこれ……」


 僕は何やらとても柔らかいものに包まれ、ちょうど救命ボートをぶら下げていたマストの直下に置かれたロープの塊に引っかかって止まっていた。マストは救命ボートを残して吹き飛んでいる。そして、僕を包んでいる柔らかいものは、僕とソフィアを抱えるように気絶しているカーラさんだった。カーラさんの額からは、大量の出血がある。ちょっとこれはまずいんじゃないか。


「カーラさん?」

「シャルル! 時間が無い。早くボートを!」

「は、はい!」


 カーラさんを気遣う僕に、やはり視界を取り戻したのかソフィアが涙目で叫ぶ。


 とりあえず考えるのは後!

 マストにかろうじて引っかかっている救命ボートを降ろし、二人がかりでカーラさんをそっと載せた。そして、


「どうしよう」

「沈むのに合わせて、漕ぎ出そう!」

「そうね、それがいいわね」


 僕たちはカーラさんを中心に救命ボートにのり、オールをもって、来るべき瞬間を待つ。それはすぐにやってきた。


「くるわ」

「せーの!」


 海賊船が沈み、救命ボートの周囲に海水が押し寄せてきたのに合わせて、ソフィアと二人で必死にボートを漕ぎ始めた。


「うわー!」

「きゃー!」


 海のもずくとなろうとする海賊船の最後のあがきなのか、渦が出来て、僕たちの救命ボートを引きずり込もうとする。僕とソフィアも必死にオールを動かし、何とかそれに負けないようにするが、どんどん中心に引きずり込まれていく。


「もう駄目ぇ」

「こんな所で、死んでたまる……かぁぁぁ」


 ソフィアが弱音をこぼすのを無視し、僕は全力を込めてオールを一漕ぎした。その瞬間……


「あれ?」

「へぇ?」


 僕たちを海の中へ引きずり込もうとした渦が突如消えた。ようやく海賊船が沈みきったという事かな……


「助かったの?」

「そうみたいだね」


 どうやら僕たちは助かったようだ。


----- * ----- * ----- * -----


「ところで、何が起こったの?」


 落ち着いた所で、僕はソフィアに聞いてみた。

 呪文っぽいものを唱えた瞬間、僕の手の平が輝き……


「あなたが唱えたのは多分、殲滅魔法。敵勢力の殲滅を意図した最終兵器みたいな呪文ね。使える人はいないって習っていたんだけど……」

「うん、それで?」

「あなたが呪文を唱えた瞬間、あなたの手のひらから敵だけを殲滅する炎が爆発的に広がって、船の大半を消し飛ばしたの」


 敵を殲滅……僕の敵って事は、船長とついでにヘドローズと便所かな。


「その爆発の余波で私も吹き飛んだんだけど、カーラが身を挺して……」


 それでも、よく生き残ったな。

 さすがに視界が戻った時、船長室あたりを境に船の前半分が吹き飛んで消えていたのには驚いた。


「船長や親方は……」

「多分、死んでるわね」


 消し飛んでますね。


「カーラさんの様子は……?」

「とりあえず、出血は止まったけど、意識が戻らない。傷もちょっと深そう。体調も悪かったし……ただ、それよりも」

「それよりも……」


「この先、私達、どうなっちゃうんだろう……」


 ソフィアがあたりを見回す。

 そう、ここは大海原のど真ん中。カーラさんの体調も心配だけど、それ以上に僕ら3人……


 遭難してますね。


----- * ----- * ----- * -----


「そうなんですね」

「何、バカなことを言っているの」


 とりあえず、笑ってはくれたみたいだ。

 オヤジギャクが滑らなくてよかった。


「あなたは一体何者なの?」

「僕はシャルルですが……」

「そうじゃなくて、あの魔法。なんであんな魔法が使えるのに、奴隷なんかに……」


 確かに、怪しく思われるよな。


「僕の力じゃなくて、この鎧の力だと思います」

「鎧?」

「どんなに殴られても痛くない、父が作ってくれた鎧なんです」

「そ、そうなの……」


 ジトっとした目で見られるが、嘘は言っていない。


「親方が魔力増加の力もあるかもしれないと言っていたので、物は試しと、カーラさんの魔法を試してみたんです」

「そう……」


 ソフィアは視線を落とし、少し考えたみたいだが……


「それだったら、『癒やしのvaulak力を借りてraravutimこのもののraravuteb 負った傷をn yen s 塞げkulakutim』って唱えてみて。聖系の精霊魔法だから、私は使えないんだけど、呪文は合っているので、シャルルならいけるかも」

「それって、ヒットポイント回復みたいなものかな?」

「ヒットポイント?」

「いや、いい。傷を治す魔法って事?」

「治すっていうのは語弊があるけど、傷を塞いで消毒効果くらいはあるはずよ」

「じゃぁ、やってみますね」


 駄目元でもやる価値はあるだろう。

 そんな気持ちで、カーラさんの方を向き、ソフィアに聞いた呪文を唱えてみる。


癒やしのvaulak力を借りてraravutimこのもののraravuteb 負った傷をn yen s 塞げkulakutim


 僕が呪文を唱えると、淡い光りがソフィアとカーラさんを包み、大きく拡がる。


「え、私も?」


 カーラさんだけを対象にしたつもりなんだけど、光りはソフィアの方まで届き、


「あ、服が……」


 ソフィアはそう呟き、クンクンと自分の匂いを嗅ぐ。


「汗臭いのも消えた……」

「カーラさんの傷が……」


 カーラさんの額にあった深い傷が綺麗に塞がり、薄っすらとした白い線が残るだけになった。これなら傷跡も残らないかもしれない。そして、血で汚れていた顔、薄汚れてしまっていた服が、まるで洗いたてのように綺麗になった。


「ソフィアさん……光りがまだ拡がって……あっ」


 僕が呪文を唱えた瞬間に広がった淡い光りは、かなり離れた所まで届き、何かにぶつかったように揺らいだ後、消えた。そして……


「島? いや陸地だ! 陸地だ!」


 これまで、どこまでも海しか見えなかったのに、突然、すぐそばに陸地が現れた。あそこであれば、二人で漕げば30分もかかるまい。


「どういう事?」

「異空間系?」


 僕とソフィアは顔を見合わせ、首を傾げる。

 海賊船は異空間にでも入っていたのだろうか……ファンタジーにSFが入ってきた?


「ソフィア様……」

「あ、カーラ。よかった。気が付いたのね」


 意識を失っていたカーラさんが、起き上がった。顔色もすっかり良くなっている。


「ここは?」

「見て、あそこ、陸地よ……」

「あれは……見覚えが……そうですね。間違いないです。エマの村ですね」

「じゃぁ、ちょっと行けば屋敷じゃない」

「はい」

「それじゃぁ、私達……」

「助かりました!」


 ソフィアとカーラさんが抱き合って喜ぶ。


「ありがとうございました。ソフィア様を助けていただき……」

「カーラの傷も塞いでくれたわ」

「私の命も救っていただいたみたいで……このご恩は一生忘れません」

「そんな大袈裟な」


 綺麗なお姉さんに感謝されるので、悪い気はしない。


「本当に……えーっと……「シャルルよ」……シャルル様。ありがとうございました」


 そうだ。まだカーラさんにちゃんと自己紹介していなかった。名前も覚えてもらえてなかったんだ……


「いえ、こちらこそ。お二人がいなければ、僕も…えっ?」

「うっぷ」


 カーラさんが、突然、海に向かって吐き出した。


「カーラ? って、私もなんか……うっぷ」


 ソフィアも吐き出す。二人は何か真っ黒なものを……これって……


「ご、ごめんなさい。突然……」

「この色って……」


 真っ黒なタールのような二人の吐瀉物は、やがて一箇所にあつまり、ボートの縁の辺りを漂っていた。そして……


「みぃぃつけたぁぁぁ……」


 ガシ!


 タールの中から腕が伸び、小さな救命ボートの縁を突然掴んだ。


「逃さんぞぉぉぉ……よくも……よくも……」

「ひっ」


 タールの中から現れたのは、船長の……残骸だった。


 僕が撃ち出した魔法が直撃したのか、残っているのは右腕と肩から上だけ。頭も半分無い。頭蓋の中は真っ黒なタールがこびり着いているだけで、脳みそすら喪われていた。目だけが相変わらずギョロっとしているが、肌は黒焦げの状態のため、目玉の白さが余計に際立つ。なぜ、この状態で動いているのか解からない。


「化物め!」


 カーラさんが立ち上がり呪文を唱えようとすると……


 ヒュッ!

「くっ」


 船長が口をすぼめ、何かを吐き出し、カーラさんの肩を撃ち抜いた。カーラさんは肩を押さえ膝を付くものの、その眼光は鋭いままだ。だが、そのカーラさんを気にすることもなく、


「お前は連れて行くぞ……」

「えっ?」


 船長が突然、片腕で船の縁から僕の方へ飛びついてきた。そして、大きな口を開け、僕の首筋に噛み付いた。鎧があるおかげで、その歯が肌に通る事はなかったが、


「うわがぼがぼ!」


 咥えられた状態で、僕はそのまま海に引き摺り込まれてしまった。


 溺れる!溺れる!

 突然の事だったため、僕は大きく息を吸う間もなかった。これだと、すぐに苦しく……ならない!


 鎧の力なのか、僕は海に引き摺り込まれても全く平気な事にすぐ気がついてしまった。ちょっと無敵すぎないか、この鎧。だけど、このままじゃ、深海まで連れて行かれる。たとえ、鎧のスペックがチートな感じでも、深海の水圧に耐えられるのか解らないし、深海から戻れるのか解らない。こいつは早めに……


 なんとか、首に噛み付いている船長を剥がそうと、殴りつけたりするが、水の抵抗もあり、うまく力が入らない。


『ぐはは……このまま、オデとウビノ底デ、エイエンに……』

(ふざけるな)



『兄上、もう帰ろう……』


 その時、どこからか懐かしくも無い親方の声が聞こえた。


『ガロォォォ、オデノオトウト……オデハ、オデハ……』

『兄上……もうゆっくり休もう。俺達の国は、もう無いんだ』

『オデハ……オデハ……こんなことをしたかったんじゃないんだ……』


 船長は突然、口を離した。


『坊主……サラバだ』


 そこには、親方だったものなんだろう……黒いタールで出来た人型が漂っていた。そして船長の身体も崩れ、同じようにタール上になっていく。やがて2つのタールは混ざり合い、徐々に黒みが消え、白い泡に変わっていく。


『黒い奴らに気をつけろよ、坊主』


 その声を最後に、僕は意識を失った。


----- * ----- * ----- * -----


「あ、気が付きました!」

「よかった」


 僕は何だか暖かいベッドに包まれていたみたいだ。

 もっとゆっくり眠っていたいけど……まわりが少し煩い。あれ?


「ここは?」


 見慣れない天井、見慣れないベッド、そして見慣れない二人の男女。


「よかったな坊主、意識が戻って。ここはエズの村だ」

「エズ?」


 少し訛りのある声で、僕を見下ろしていた若い男が答えてくれた。

 エズ、エズ……ああ、そういえばカーラさんが、ボートから見えるのはエズの村だって言っていたな。


「僕はどうしてここに?」

「ぼくはどこから来たの? 砂浜に打ち上げられていたんだよ? この人が漁の帰りに気がついて、ここまで運んできたのさ。その鎧、脱がしてあげようと思ったんだけど、どうなってるんだろう。全然、脱がす事が出来なかったわよ」


 今度は若い女の人が僕に答えてきた。この感じだと、二人は夫婦なんだろうな。そうか、意識を失った後、僕はそのまま浜まで流されたんだ。逆の方へ行かなくてよかった。そういえば……


「一緒に、女の子と女の人がいませんでしたか? あるいは、救命ボートを……」

「他には誰もいなかったよ」

「可哀想に……遭難したんだね」


 二人は哀れんだ目で僕をみつめてくれた。

 船長の口から何かを撃ち込まれたカーラさんが心配だったけど、船は大丈夫そうだったから、何とか自分たちの力で帰れたんだと信じたい。こうなってしまうと、無事を祈るしか無い。


「名前は言えるかい?」

「はい、僕はシャルルです」


 家の名前は、どんなトラブルを呼ぶか解らないので隠しておこう。僕はこの世界の国際情勢を知らなすぎる。僕が住んでいたダビド王国がどんな国で、アマロ公国とはどんな関係になるのか。父の名前を出して良いものなのかすら判断が付かない。


「シャルル君、とりあえず何か食べるかい? その後、役所の方へ君の事を届けなければいけないんで、一緒に来てくれるかな」

「はい」


 そう言って、僕をテーブルに案内してくれた。


「ありがとうございます……うわ! 暖かいスープ!」


 コーンポタージュだろうか?

 ……ちょっと違った。コーンをすり潰し、お湯で溶いた感じかな。でも、


「おいしい!」


 何日ぶりの食事だ?

 一口飲んだだけで、身体の隅々まで栄養が染みていきそうな感じだ。僕、今まで、よく飲まず食わずで、死ななかったな……


「何日も食べていなかったのか? ゆっくり食べろよ。あんまり急に食べると、胃を痛めるぞ」

「はい、ごくごく……おいしい!」

「お替りもあるぞ」


 ご主人の暖かい言葉に僕は思わず、


「はい!」


 と返事をしたが、その瞬間に夫婦間の視線で交された会話に気がついてしまった。


(うちの今晩の夕食が……)

(しっ、黙っていろ! あんなに美味しそうに食べているじゃないか)


「あ、ごめんなさい。もう大丈夫です。急に食べたので、お腹が……」


 空気を読みました。きっと、それほど裕福じゃないんだろう。

 落ち着いてみると、ボロ屋だし。まぁ、この世界の第一次産業従事者は、こういう生活レベルなんだろうなぁ。


「そうか、それじゃ、すぐに役所の方に行こうと思うが、大丈夫か?」

「はい、大丈夫です」

「それじゃ、行ってくるぞ」

「はい、いってらっしゃい」


 奥さんに僕はお礼をいってから、ボロ屋を後にした。ただ、ちょっと気になったのが、出かける際に夫婦で交された視線の会話。


(じゃあ、行ってくる。今夜はすきやきだ!)

(あなたの好きな牛肉ですよ)

(そんなもの食べたら、夜が眠れなくなるよ!)

(フフ、今夜は寝かせるつもりは無いわ)


 みたいな感じだったなぁ。

 まぁ、テレパシーがある訳じゃ無いので、勘違いだろう。


「お世話になりました。あ、まだお名前をお聞きしていなかったですね」

「坊主は小さいのにしっかりしているな。お礼なんて気にするな。たまたま、通りがかっただけだし、漁師としては当たり前の事をしたまでだ。それに名前はこういう場合、伝えないのが普通なんだ」


 へー。助けた相手に名乗らないなんて、奥ゆかしい文化だな。これって、ダビド王国も一緒なんだろうか。


「それに、こちらがお礼をいいたいくらいだし」

「えっ?」

「いや、気にするな。ほら、もうすぐだぞ」

「はい」


 海岸沿いにあったボロ小屋から内陸の方へ歩いていくと、正面に平屋の木造建ての建物が見えてきた。


「ここが、エズの役場だ……こんちわー」

「はーい」

「じゃぁ、坊主は奥の椅子に座ってな。俺は手続きをしてくるから」

「わかりました」


 僕は言われた通り、奥にある打合せスペースのような机の方へ向かった。ご主人は入口に入ってすぐにあるカウンターのお姉さんと何やら話始めている。ちょっと時間がかかりそうな感じだな。


(ふう、あっ……ようやく海賊船から逃げ出せたんだ……もう駄目かと諦めていたけど、逃げ出してしまえば、あっという間だったな)


 打合せスペースにある椅子に腰掛け、壁によっかかりながら、僕はボーッと考えていた。


(これから、どうするか……いきなりオドロオドロした冒険になってしまったけど、このまま冒険を続けるか、一度、屋敷に帰るか……でも、帰るにしても、ここがどこなんだって所からだしなぁ。少しだけ落ち着いて考えたいなぁ……)


「シャルル君?」

「は、はい」


 僕は、いつの間にかウツラウツラしていたのだろう。

 突然、女の人に声を掛けられ、びっくりして飛び起きた。一瞬、ここがどこだか解からなくなったが、


(あ、さっきの受付のお姉さんだ)


 さっき、ご主人と話をしていたお姉さんが僕の前でニコニコと立っていた。癖のあるショートヘアで、褐色の肌に金髪。ゆったりとした服を着ているが、それでもはっきりと解るボーリュームのある胸。思わず、目が釘付けになる。


 ああ、勿論、母を思い出してだ。


「えーと、手続きが終わりましたので、一緒に来てくれるかな」

「はい。あ、先程のご主人はどこに……お礼を言いたいのですが……」

「え、もう帰っちゃったわよ。スキップしていたわね。今夜はいい事でもあるのかしら? それに、この場合は、お礼は言わなくてもいいんじゃないかな」

「そうなんですか」

「むしろ、あなたがお礼を言われる立場かもね。それじゃ、こっちに来て下さい」

「はい」


 どういう事だろうと思ったけど、お姉さんが手を出してくれたので、僕はその手を掴んで一緒に歩き始めた。手を繋いでもらうのも、随分久しぶりな気がする。母上、元気かなぁ……心配しているだろうなぁ……それにしても、この子、オッパイが大きいなぁ。母上よりも、もしかしたら大きい?


 お姉さんは、受付の内側に入り、奥の扉を開け、下に降りる階段へ僕を案内した。


(地下室?)


 胸を揺らしながら階段を降りるお姉さんと一緒に、地下へ降り、ランプの灯りだけという薄暗い廊下を歩く。細い廊下の両サイドにガラスの無い小窓が付いたドアが何枚も並んでいる。そのうちの一つの前で、立ち止まり、お姉さんはドアを開け、


「はい、ここね」


 と、僕に向かってニコリと笑った。


「ここ?」


 部屋を覗くと、奥にベッドと枕がある。


「ここで、しばらく待っていてね」

「はぁ」


 そう言われたので、僕は言われた通り、中に入り振り返ると、お姉さんはニコっと笑って、ゆっくりとドアを閉め、外から・・鍵を締めた。


「トイレはそこに桶があるから」

「桶?」


 ドアについている小さな小窓からお姉さんが僕の背後を指差した。

 確かにベッドの横に懐かしくも無い便所が……


「街でのオークションは1週間後だから3日後に出発よ。いい人に買われるといいわね」


 僕が売られた事に気が付いたのは、少し経ってからだった。

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