Rivele

風嵐むげん

プロローグ

一年後

 ――ああ、あれからもう一年近くが経つんだな。


 吹きすさぶ風に痛みを訴える剥き出しの耳を揉みながら、ジョセフはぼんやりと空を仰ぐ。頭上に広がるのは灰色の分厚い雲。晴天を最後に拝んだのはいつだっただろう、考えるのも億劫だった。

 色を無くした毎日に、ジョセフは疲れ切っていた。世界随一の軍事帝国と謳われ、栄光を極めたアルジェント。しかしその輝かしい軌跡は、たった一人の『人外』によって悉く破壊し尽くされてしまった。

 そして、ジョセフも全てを失った。大切な息子は無残に殺されて、愛する妻は行方知れず。今ではこうして、国境沿いの関所での見張り番に勤しむ日々。

 今日は他国からの配送車が来る予定は無い。ただ立っているだけの退屈な一日になる、筈だった。


「……ん?」


 荒れた街道を走る、一台の黒い車。一般車か。ジョセフは道の真ん中に立ち、誘導棒と胸に下げた笛で停車を促す。車は素直に止まり、何も言わずとも自ら運転席の窓を下ろした。

 早足でそちらへ寄り、ジョセフが車内を覗き込む。


「すみません、現在アルジェントでは一般人の入国は……」


 思わず、言葉を詰まらせる。こちらを見上げてくる、少々長めの黒髪に黒い瞳の男。二十代半ばくらいだろう。中性的だが、凄まじく整った顔立ちをしている。映画俳優か、もしくはファッションモデルか? そう思ってしまう程に、見目麗しい姿をしていた。


「……何だ?」


 何も言えずに居るジョセフに、男が訝しそうに問う。見た目に違わず高圧的な態度に慌てたジョセフは、咳払いを一つしてから改めて暗記済みのマニュアルに沿う。


「んん、失礼……現在、アルジェントでは一般人の入国は規制させて貰っています」

「規制……何故?」

「何故って、まさか……知らないのですか?」


 男の反応に、ジョセフの方が困惑してしまう。自国の失態は最早、隠しようが無いほどに世界に広まっていると思っていたが。


「……一年前の、人外による襲撃によってこの国の都市機能は停止しています。また、同時期に発生した『吸血鬼症候群』が国外へ流出することを防ぐために、国外への出国を禁止しております。つまり、一度我が国へ足を踏み入れれば、二度と出国することは出来ないということです」


 最初の頃は、彼のように入国しようとする一般人は少なくなかった。しかし、『吸血鬼症候群』が発生してからは徐々にその数を減らし、ついには一般人の入国は皆無となっていた。

 アルジェント唯一の生命線である他国からの支援物資も、この関所で全て受け取り、自国の輸送車に移し替える程なのだ。


「ふうん……つまり、その『吸血鬼症候群』とやらが終息するまで、この国から出なければ良いんだろう?」

「ええ、そういうことです」

「ならば問題無い。入国申請をさせて欲しい」


 度肝を抜かれるとは、こういうことか。何の迷いもない言葉に、ジョセフは瞬きを繰り返すしかない。


「身分証明証を見せれば良いんだろう? ええっと、少し待ってくれ……」

「いや、あの」

「……おや、俺のしか無いな」


 ジョセフの話を聞くつもりは無いらしく。黒いコートの内側から、写真付きの身分証明書を取り出す男。しかし、すぐには手渡そうとせずにダッシュボードやらカードホルダーをがさごそと漁り始めた。


「……無いな」

「あ、あの……話を」

「おい、リヴェ。リヴェル、お前の身分証明証はどこだ?」

「ん、んー……」


 男が助手席の方を向いて、そこに転がる毛布の塊を軽く叩いた。彼にばかり気を取られていたが、車にはどうやらもう一人乗っていたらしい。


「ふ、ああー……何、もう着いたの?」

「ああ。だから、身分証明証を貸してくれ」

「あー……ハイハイ、えっと……どこやったっけ?」


 むくりと毛布から起き上がり、自分のジャケットを探る。男よりも更に若い、十代半ばくらいの少年だ。

 つば付き帽を目深に被っているため、顔はよく見えないが。よく通る声や仕草が、何処となく幼い。


「すまないな、弟なんだ。可愛いだろう?」


 男が満足そうに微笑しながら、ジョセフに問いかける。同性であるジョセフでも心臓が跳ねる程の威力を持つ微笑みだが、それが弟に対するものであるのは如何なものか。

 いや、今の問題はそれではない。


「待ってください! ですから、現在アルジェントへの入国は出来ないと言っているじゃにですか!」

「あー、あったあった! え、何……入れてくれないの?」


 ようやく、少年がズボンのポケットから自分の身分証明証を見つけた。しかし、今までの話を全く聞いていなかったのか、不思議そうにジョセフを見つめてきた。

 よく見ると、少年の方は銀色の瞳をしている。この地方では珍しい。


「はあ、ですから……」


 結局、ジョセフは同じ説明を繰り返すしかなく。うんうんと頷きながら話を聞いているも、やがて少年も兄と同じ結論を出した。


「ナルホドー。じゃあ、そのナントカ感染症が無くなるまで国外に出なきゃいいんだろ?」

「吸血鬼症候群です……」

「オケオケ、何の問題も無いって。なあ、ルシア?」

「ああ、どうせ俺達は根無し草の浮浪人だ。ここで骨を埋めることになっても、それならそれで良いさ」

「はあ……もう、警告はしましたからね」


 これ以上は何を言っても無意味なようだ。実際、今までにも他国からの移住者は少ないまでも秘密裏に受け入れてきたのだ。この一年間で凄まじい人口減少を被ったアルジェントにとって、どんな訳有りの者でも人手になるなら出来る限り受け入れたいのだ。

 最も、まだ若い彼等にどんな問題があるのか。知る由もないことだが、気にはなった。


「はい、それでは身分証明証を確認させていただきます。ええっと、ルシアさんとリヴェルさんのお二人で宜しいですね?」

「ああ」

「ハイハーイ」

「手続きを行って参りますので、少々このままでお待ちください」


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