第32話 学生の本分

「学内囲碁トーナメント?」


 寄宿舎の自室で、夏実はもらったプリントを読み上げながら、目を輝かせて優子に尋ねる。


「ええ、夏休み前に普段行っているランキングとは関係なく、中等部の囲碁専攻クラスの人たちで、トーナメント形式の大会が開かれるみたい」優子がプリントを見ながら解説をする。


 それじゃあ、と夏実は思う。そのトーナメントを勝ち上がっていけば、沙也加先輩ともう一度対局することができる。


「優子ちゃん、さっそく対局して練習して強くなろうよ!」夏実は大喜びして、優子を誘う。けれども、優子の表情は暗かった。


「優子……、ちゃん?」夏実が優子の様子を不審に思う。


 もしかして優子も、こんな風に騒ぎまわる自分のことを嫌いになったんじゃないかと、不安になる。


「トーナメントの前に何があるかを忘れていない?」優子が問いかける。


 夏実はいったい何かあっただろうか、と考えるも思い出せずに悩む。


「机の上を見て」優子の言葉通りに、机の上に視線を向ける。そこには囲碁雑誌や教科書、ノートなどが乱雑に置かれていた。


 いつも通りの何の変哲もない光景。夏実は優子の発言の意図がつかみとれず、首を傾げる。コミュニケーションが上手くいってないことに焦りを覚える。


「カレンダーを見て。まだ何も気づかない?」夏実は、壁に掛けられてあるカレンダーを見る。すでに七月に入っており、夏休みまでカウントダウンが始まっていた。夏休みに入ったら実家に帰るのを楽しみにしている。


 不意に背筋を悪寒が走る。何か大事なことを見落としているような、意識的に目をそらしてしまっていた何かがあった。


 海の日の祝日になっている三連休から、さらに前の日時へと視線を向ける。意識して目に入れないようにしていたのかもしれない。そこに刻まれていた文字には「期末テスト」と書いてあった。


「何も見てない、何も見えなかった!」夏実が必死に否定する。


 風のうわさに聞いたことがあった。中学校に入れば、定期的に大きなテストがあって、その成績を少しでも上げるため大半の人が涙ぐましい努力をする羽目に陥っているということを。


「目を逸らさないで。これが現実なの、私たちは囲碁の前に、まずテストと戦わなければいけないの」


「そんな強敵と戦えっこない、赤点取ったら大会も出られなくなるかも、嫌だー!」夏実が軽いパニックを起こす。


「お、落ち着いて夏実ちゃん。大丈夫、まだ時間はあるから勉強すればいいんだよ」優子が一時的に幼児退行をおこした夏実をなだめる。


「でも、勉強苦手だもん。教科書読んでいると眠くなってきちゃうし」夏実が悲しそうに告げる。


「人には向き不向きはあるけど、自分に合った勉強法をすればきっとテストもうまくいくはずだよ」


「自分に合った勉強法って?」夏実は優子に尋ねる。


 勉強というのは学校で習ったことを覚えていられるかどうかで、やり方を工夫するとかそういうことを考えたことはあまりなかった。


 記憶力がすべてで、物覚えが悪い人はただひたすらに勉強するしか方法はないと、そう思っていた。


「人は何かを覚えようとするときに、目で見て覚える人と、耳で聞いて覚える人と、手で書いて覚える人に別れるみたいなの。だから自分が何を得意なのかをまずはハッキリさせないと」


 優子から説明が入る。自分の頭の中に情報を入れるとき、どこから入れるかというのを気にしていたことはなかった。


「目と、耳と、手と・・・・・・」言われてみると、学校の授業では教科書を見ることで目から情報を入れ、その内容を読み上げることによって耳から音を頭に入れている。


 そして、板書された内容をノートに書き写すことによって、自分の手でも覚えようとする。


 今まで漠然と授業を言われるがままに受けてきたのだが、何となくそうすべきだと言われてきた授業のシステムが大勢の生徒を相手にしながら、効率的に生徒のタイプによって、漏れがないように行っていたのだと気づく。


「学校の勉強って、よく考えられた仕組みだったんだね」夏実が感心したような声を上げる。


「そうだね。だけれど、自分で学習するときは無理に全部をやろうとしなくても、自分が覚えるのに一番向いている方法を重点的にやればいいと思うよ」


 言われてみると、授業を聞いているだけの人や、ノートを取らないのに成績が良い人がクラスメイトにはいた。本人が意識しているのかしていないのか分からないが、自然と授業態度と本人の資質が一致していたのだろう。勉強というものの奥深さに夏実は面白さを覚える。


「あたしはどれが向いているのかな?」


「うーん、教科書を読んで眠くなるのなら目で覚えるのは向いていないのかも。夏実ちゃん、ノートはちゃんと取っている?」優子に尋ねられ、夏実は恥ずかしそうにノートを渡す。


 優子が見てみると、ノートの中には余白が多く、授業内容をきちんと書き写していないことが一目でわかった。


「やっぱりちゃんとノートを書いていないのが問題なのかも。私のノートも貸すから、教科書の内容とかを誰かに説明するつもりでまとめてみたらどうかな?」優子が提案する。


「誰かに見せるつもりで?」


「ただ書き写すだけでも効果はあるけど、うまくまとめるには中身をちゃんと把握していないと出来ないから、見せるつもりでノートをまとめるのはとても勉強になると思うの」


 優子の言葉に、夏実がやる気を見せる。


「よーし、やってみる。何だか勉強が、ゲームを攻略するような感じで、少しわくわくしてきた」


「一緒に頑張ろうね。とにかく眠くならないためには、何でもいいから手を動かすのがいいみたい、ノートは時間をかけて丁寧に、綺麗にまとめる必要はないから、色々やってみて」

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