第1話 朝の急いでる中で

『本日は、●●駅で人身事故が起きた影響で、電車が大幅に遅れております。お急ぎの方には大変申し訳ございません』

車内でのアナウンスが耳まで響いてくる。

 あ~~~~も~~~~!!!

駅員のアナウンスに苛立ちを覚えながら、私―――――殊之原ことのはら 奏は、駅のホームに降り立つ。

朝の通勤ラッシュなので人が多いのは当たり前だが、今朝は状況とこの駅の環境のせいもあって、人がかなりごった返している。新宿区内で社会人として働く私は、必ずこの駅に降りて、地下通路を歩く。職場の最寄り駅が地下鉄の駅のため、朝はその乗換駅まで一直線だ。また、この新宿という駅は1日で364万人もの人を裁ける…という点でギネス記録を得ているくらい、人の行きかいが激しい駅なのだ。私は西エリアにある地下通路をよく利用するのだが、いろんな線から降りて乗り換えする人が多いため、四方八方から人々が突っ込むように歩いてくる。入社当時はかなり戸惑ったが、今となっては少し慣れてきた自分もいる。

「あだっ!!」

走り歩きをしていた私は、地面の細い部分にヒールがひっかかって、こけそうになる。

何とか踏ん張ったので転倒はしなかったものの、急ぎ足を突然止めたことから、風の抵抗みたいのを感じていた。

「あ…っ!!」

不意に腕時計の時刻が目に入る。

自分が乗ろうとしていた電車が来るまで、あと1分――――――朝の通勤において、電車一本遅れるだけでどれだけ到着時間に影響するかを考えると、1分1秒が貴重な時間なのだ。日々働く人は皆、同じことを思っているだろう。

 今日は電車遅延で遅れる事を会社に連絡したから、始業時間過ぎるのは仕方ないけど…。なるべく早く着きたいのに…!!

私は、口には出さないよう唇をとがらせながら、心の中で叫んでいたのである。


「え…?」

俯いていた私が視線を上にあげると、一人の男性の姿が映る。

9月の下旬で少し暑さが和らいだとはいえ、随分暑そうなモッズコートを身に着ける青年。おそらく、年齢は20歳そこそこだろう。外見の割に髪の毛が黒いのが、何故か印象的だった。後ろに振り替えられるような姿勢で突っ立っている青年。私より10㎝は高い身長のようだが、不思議な事に、四方八方から歩いてくるどの人間共衝突していないのだ。目の錯覚かもしれないが、まるで、そこに誰もいないかのように人々は通り過ぎていくのだ。

青年は、私と視界があった直後、身なりを上から下までジッと見つめていたのである。

「もしや、お前…京姫線の人身事故で、電車遅れている…ってかんじか?」

「えっ…?!」

不意に問われ、私は戸惑う。

よく考えればわかる事だが、妙に急いでいる社会人を見たらそう考えても不思議ではないだろう。今は携帯の画面で電車の遅延情報がすぐわかる時代だ。他の路線も同じ事が起きていない限り、今朝の段階で急がなくてはならないのは、私が乗ってきた京姫線の乗客のみだろう。

「そうだけど…」

私は、不服そうに頬を膨らませながら、視線を横にそらす。

それを確認した青年は、不意にくすっと意地悪そうな笑みを浮かべる。

 何こいつ…?

私は内心でそう思った途端、手首を突然掴まれたような感触がした。

「ちょっ…!!?」

気が付くと、青年が私の右手首を掴んで歩き出していた。

歩幅がだんだん大きくなるので、私は連れられるようにして、脚を動かす。

「乗り換えは、何線だ?」

「え…っと、丸語呂線…だけど…?」

歩きながら突然聞かれたため、戸惑いながらも私は答える。

気が付くと、私達は駅のコインロッカーと柱がある狭い道へ向かっていた。朝だからというのもあるが、流石にこの時間帯に荷物を預ける人はあまりいないため、その場所には人は誰もいない。

「…じゃあ、目をつぶっていろ」

「へ……っ…!!?」

視界にコインロッカーの向いにある壁が見えた途端、反射的に私は瞳を閉じていた。

しかし、青年は足を止める事なくそのまま突き進む。

 開けようにも、何かが顔面にぶつかって…!!?

歩きながらも、顔面に少し湿った謎の物体がバシバシとぶつかってくるので、開けたくても目を開けられない状況になっていた。

 …えっ…?

目をつぶりながら進むさ中、一瞬だけ体が宙を浮いた…というよりは、下に堕ちていく感覚がした。まるで、直下型のアトラクションで頂上までついた際に一瞬その場で止まるのと似た感覚というところか。

「…おい、ついたぞ」

「ついたって…え!!?」

青年の声が聞こえたかと思うと、私は目を見開いて驚く。

私の視界に飛び込んできたのは、毎朝目にしている地下鉄駅のホームだ。目の前にはちょうど、乗ろうとしていた電車が来ていて、乗客が乗ろうとしている所だった。

私はその列の中へと真っ先に飛び込み、つぶされそうにはなったがギリギリ乗車する事に成功する。

「ありが…!!」

開いている扉の方を向いていた私は、ホームにいるであろう青年に声をかけようとした。

しかし――――――そこに、彼の姿はなかった。

『お荷物やお体を挟まないよう、お気を付けください』

アナウンスが響く中、電車の扉が閉まる。


私は込み合った電車の中で、今起きた出来事にただ茫然とするしかなかったが、一つだけ確実な事がある。

『少しでも恩義を感じているなら……夕方、西口エリアの絵とか飾ってあるところに来いよ』

「…っ…!!?」

考え事をしていると、右肩辺りから先程の青年の声が響く。

首だけ動かすと、肩にのっていた土くずがその場所から崩れ落ちたのである。

 あまり関わりたくないタイプのやつだったけど…おかげで電車に間に合ったのは事実だし、指示に従うのが一番かもね

色々と思うところはあったものの、「乗りたい電車を乗り過ごさずにすんだ」のは紛れもない事実だ。それがわからないほど子供でもない私はこの時、仕事帰りにその場所へ赴こうと決めたのであった。



「お先に失礼致します」

そう挨拶をした私は、職場を出る。

最寄り駅から地下鉄の電車に乗り、新宿駅へと向かう。本来だったら帰宅する際は私鉄に乗り換えるのだが、その駅には向かわずに別の方角へと足を動かす。

 新宿で“絵とか飾ってある場所”といえば、多分あそこのはず…

私は、相手が口にしていた台詞ことばを思い出しながら、その場所へと向かった。

「……いた…」

歩き進めていくと、暑そうなコートを身にまとう黒髪の青年が壁に寄りかかっていた。

因みにこの場所は、普段からショーケースがあり、時期によっては一般やプロの人が書いた絵などが飾られている事もある。しかし今はそういった“展示期間”ではないため、ショーケースの中は空っぽだ。また、展示する物がないという事は、それを見に訪れる人はほぼいないという事だろう。

何にせよ、地下通路の中でも割と人が少ない場所でもある。

「…来たな」

「かなり不本意だけど……一応、貴方のおかげで電車には間に合ったから…お礼くらいは言わなきゃと思って来たわ」

少し微妙そうな表情を浮かべながら、私は自分の考えを伝える。

「…で?私はどうすればいいの?」

目だけ明いてを見上げながら、私は問いかける。

建前では“お礼を言いたい”と口にしたものの、本音としてはあまり関わりたくなかった。無理やり腕を掴まれた事や、変な経験させられたのも事実だし、こういう恩義背がましい男はあまり好かないからだ。

 でも、逆恨みは御免だしな…。やる事やって、さっさと帰ろう…

内心ではそんな事を考えていたのである。

「アホ猫だが、脳みそ空っぽとう訳でもない…か」

青年は、低い声音で呟く。

その声が小さすぎて、私は聞き取る事ができなかったのである。

「“アホ猫”じゃなくて、私には殊之原ことのはら 奏って名前があるのだけど!!」

何故か猫呼ばわりされたので、話の流れに従うように私は自分の名前を名乗る。

その際、青年は瞳を数回瞬きしていた。

「あぁ、そうか。人間は、“名前”にこだわる生物だしな…。俺は………“ヤド”とでも呼べ」

私が名乗ったので、青年も自分の名前を教えてくれた。

 でも、自分の名前を名乗るのに、そこまで間は空かないと思うけどなぁ…

私は、このヤドという青年を見つめながら、違和感を覚える。

「じゃあ、単刀直入に言うが…。お前には、俺の手伝いをしてもらう」

「……手伝い?」

あまりに突拍子もない台詞ことばに対し、私は声が裏返る。

「…そうだ。俺は、ある物を探すために、この新宿へ来た。…だが、俺は“他の奴ら”のように、長くこの地に棲んだことがないからな。故に、ここの地形や諸々を知っていそうなお前に、見つかるまで手伝え…。それが、“お礼としてやってほしい事”…だ」

「はぁ??」

それを聞いた私は、割に合わないような気がしていた。

相手はそれを気付いているか否かはわからないが、意地悪そうな笑みを浮かぶ。

これがその日、私が“彼ら”の一人である、ヤドに初めて会った時の会話だ。

それからこの先、今までの日常的な日々が、一気に“非日常”となるとは思いもよらなかったのである。

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