第7話 再会

 翌日、次郎法師は東光寺に向かう。次郎法師が到着すると、すぐさま奥の間に通され、亀之丞と対面することができた。



「亀之丞!」



 次郎法師は奥の間で座っている亀之丞を見ると声をあげた。十九歳になった亀之丞はすでに立派な武士の顔になっている。



「円姫、お久しぶりでございます」



 亀之丞は笑顔で対応してくれた。その笑顔に幼い頃の面影がうっすらと見える。



「今は、次郎法師と名乗っています」


「私にとっては円姫ですよ」



 亀之丞はニカッ、と笑う。亀之丞にとって、次郎法師は円姫だった頃と変わらない、大切な存在なのだろう。


 次郎法師と亀之丞は座って話し出した。お互いが離れ離れになった十年間の穴を埋めるかのように話し続けたのだ。


 ふと、亀之丞の表情が曇る。その変化を次郎法師は敏感に察知した。



「亀之丞、どうしたのですか?」


「いえ」



 亀之丞は少々言いづらそうに次郎法師から視線をそらす。何かを隠していることは明白だ。



「亀之丞、十年という月日は人を変えてしまうものです。何を隠しているかは知りませんが、亀之丞がどう変わろうと私は受け入れるつもりです」


「どんなことでも、ですか?」


「ええ」



 亀之丞は一つ息を吐くと、すっと次郎法師と目を合わせた。



「実は、円姫に会わせたい人がいるのです」


「私に?」



 心当たりはなかった。亀之丞の表情から察するに、次郎法師が会えば困惑する人物かもしれない。



「会いましょう」



 次郎法師ははっきりとした口調で答えた。ここで引いても仕方がない。会う以外の選択肢はなかった。


 亀之丞は一度退室すると、一人の女性を連れて戻ってきた。女性の手元には小さな赤子が抱かれている。足元には三、四歳ほどの女の子もいた。



「この人には信州で世話になりました。子供も二人います」



 次郎法師は言葉が出なかった。信じていた亀之丞は逃亡先で次郎法師以外の嫁をもらい、子供ももうけていたのだ。


 亀之丞は言いづらそうに言葉を続ける。



「この者たちは私にとって大切な人です。井伊谷に戻っても大切に扱いたい」


「……それは、父に言うべきことです」


「わかっています。ただ、円姫にもわかっていただきたいのです」


「……」



 次郎法師はうつむいて言葉を発しなかった。信じていた人に裏切られた想いだ。


 次郎法師はそのまま井伊谷城へと帰ってしまった。


 亀之丞の変化を受け入れると言った次郎法師だったが、この変化はとても受け入れられるものではなかったようだ。




  ###




 二月に入り、亀之丞は正式に井伊谷に戻ってきた。


 その際に直盛は次郎法師に還俗を勧めたが、亀之丞に裏切られたという気持ちが強い次郎法師は拒否する。その意思は強く、直盛が何度も説得しても頷かなかったほどだ。


 直盛は仕方なく、次郎法師の還俗はあきらめる。その代わり、亀之丞を養子にすることにした。


 亀之丞を養子にすれば跡取り問題は解決する。家柄も問題ない。できれば次郎法師と結婚することで跡取りとしたかったようだが、この際仕方がないだろう。


 東光寺で次郎法師と対面した亀之丞の妻子は東光寺のある渋川に残してきたようだ。井伊家本家を継ぐ亀之丞の妻にふさわしくないというのがその理由だ。


 直盛は亀之丞に奥山因幡守朝利の娘、瑠璃と結婚することとなった。


 これにより、亀之丞は井伊家本家の人間となり、名を井伊直親と改めることになった。


 この小説でも、今後は亀之丞のことを井伊直親と呼ぶことにする。




  ###




 井伊谷城の廊下で直親となった亀之丞がある人物と鉢合わせる。家老職を世襲した小野但馬守だ。



「これは、お久しぶりでございます。亀之丞殿」



 小野但馬守のいやらしい眼つきが直親を襲う。直親はすっと視線を外した。



「今は井伊直親です」


「これは失礼しました」



 特に謝るつもりもない口調だ。小野但馬守の性格が良く現れている。



「ところで、次郎法師とはもう会いましたかな?」


「……ここに来る前に、東光寺で」


「随分こっぴどくふられたようですね」


「それは、お互い様では?」



 直親なりの仕返しなのだろう。だが、小野但馬守はふふん、と笑っただけで意に介していないようだ。



「まあ、いいでしょう。あの姫はもう出家した身。もう表舞台に戻ってくることはないでしょう」



 小野但馬守はそれだけ直親に言うと、さっさと直親の横を通り過ぎてしまった。



(小野但馬守道好。和泉守の息子か。何を考えているかわからない奴だな)



 この頃の小野但馬守はおとなしかった。しかし、そのおとなしさには不気味さが付きまとう。直親には、小野但馬守が覆っている雰囲気に、嵐の前の曇天のような空気を見た。


 平和は、長くは続きそうになかった。

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