第一のスキル発動――

 ドンッと突然レナのダンスのテンポが上がった。それも型式もいままでの正式なものとは全く違っていた。そうこれは、旅芸人が踊るようなテンポの激しいもので。貴族階級の出でこんなダンスを踊れるものはほとんどいないだろう。ダンスのレベルも相当なものだ。

 何故こんな踊りを知っているのか。いや、そもそも社交界ではこのようなダンスはありえないのだが――イングラムは珍しく困惑していた。


 ふと一緒に踊っているレナを見ると、とても楽しそうにこちらを見ていた。挑発してきているのか? そうとしか思えなかった。自分の踊りについてこれるのかと。半ば試されているようなそんな感覚だった。

 イングラムはもともと、何でも器用にこなしてきた天才肌だ。見たものをそのまま肌で感じて、すぐに覚えてしまう。だから、レナのダンスにも難なくついていくことができたし、とくに問題はないのだが。


 婚約者不在のこの5年間にレナはどこでこんなダンスを覚えて来たのだろう。それを考えると妙に胸がざわついてしかたがない。当然ダンスには相手もいるだろうし、いったい何をしていたんだと少し苛立ちを覚えた。ダンスが終わったら即刻、糾弾するか。

 5年前の顔合わせの時から、もともと面白い姫だとは思っていた。あまり人に興味を持つことがなかったイングラムにとって、それは今まで感じたことがないような特別な感覚だった。


 レナは今までに会ってきた、大人しい姫君達とはかなり違っていた。双子のルナの話によれば、釣りもするし木登りもする。

 その上、地味に生きて行きたいなどと堂々と宣言してきて。婚約も解消してほしいと言ってきたのだ。誰もが欲しがる地位や権力にも全く興味がないようで、兎に角ひたすらに地味な人生を送りたいらしく、地味な格好になるように努力しているという。

 地味な格好といっても、その生まれ持った美しさは隠しようがなく、あまり意味がないようにも見えたのだが――何とも不思議で面白い、神秘的な青い瞳を持つ姫君だと思っていた。


 そして、やっと地味な格好への努力をやめて、普通の格好に戻ったと思っていたのもつかの間。何でもルナによれば”ジミーの指輪”という地味になる為の指輪を手に入れたそうで。それをおおいに活用して日々を地味に過ごしており、レナは大変満足しているとのこと。そして入手経路は全くの謎だった。


 ――一体全体何をしているんだこの姫君は? 


 と半ば呆れつつもこの5年間、婚約者と関わりあいたがらないレナを覗いたルナとカーライルと三人で、互いの近況について手紙で連絡を交わしていたのだが。

 今度は”ジミーの指輪”を使って今回の社交界デビューも何とかやり過ごそうとしているというのだ。レナを日々見守っていたルナがそのことを事前に察知し、遠征先えんせいさきのアラバスターへ手紙をよこしてくれたのだが。

 まったくこりない姫君だ。もちろん成功させる訳にはいかない。ルナに”ジミーの指輪”の偽物と本物をすり替える作戦を提案した。それもギリギリまで気付かれないように、すり替えるのは社交界デビューの前日にということで話をつけたのだが。

 どうやらうまくいったらしい。今日出会ったレナは頗る美しさだ。そして当の本人は”ジミーの指輪”がすり替えられていることに全く気付いてはいないようだ。何故地味な自分とダンスをしたいのかと魅惑的な青い瞳を瞬いて、しきりと不思議そうな様子だった。


 レナはルナと同じく凄まじい美貌びぼうの持ち主へと成長していた。泉の女神と言ったのも、本当にそう見えたからだ。昔から明るい青い瞳が印象的だったが。大人になりその灰色がかった髪が、その白く透き通った肌と輪郭りんかくえて、はかなげな印象をかもしだし、まるで実在する生物ではないのではないかと思わせる神秘的な雰囲気が漂っている。


 会場の誰もがそれに気付いて、レナが大広間へ入ってきた時は一瞬、大広間にいる全員がレナに魅了され息が止まっていたではないか。

 そんな神秘的な泉の女神のようなレナが壁の花に収まるわけがなかった。きっと会場のほとんどの男がひっきりなしにレナ目当てに群がるはずだ。そんなことも自覚していないレナは、ひとしきり壁の花になると言い張っていたが。

 まあ、”ジミーの指輪”のおかげで地味に見えていると思い込んでいるのだから、自覚がないのにはこちらにも少し責任があるのだが――


 それにしても、とんでもなく無謀で鈍感な姫君だ。それも婚約者である自分がいるというのに、壁の花になるなどと連呼するとは。少しも意識されていないのかと一瞬、腹を立ててしまった。

 そして、そんなレナを気付けば目で追っている自分に気付いた。一緒にいると楽しくて。何時までも傍に居たい、離れがたい感情に襲われた。5年たった今でも昔と変わらず、いやそれ以上に興味をそそられる姫君。そして、イングラムはその感情がなんなのかその正体にやっと気付いた。

 だから突然のダンスに驚いた顔をした自分を見て、してやったりと言った様子で嬉しそうに微笑みを浮かべる姫君に言わずにはいられなかった。


「……レナ姫。私はあなたに求婚する」


 ――そう、告白していた。誰にも渡したくない、いや渡す気などさらさらない。昔から、イングラムはこうと決めたことは貫き通して来たし。絶対に手に入れたいと思ったものは必ず手に入れてきた。だから、絶対に逃がす気はない。

 今度はレナが驚いた顔で何も言えずにイングラムを見上げてくる。先程とは全く立場が逆転してしまっていた。そんなレナの顔をにこやかに見下ろしながら、狙った獲物は逃さないという決意にイングラムは満ちていた。




 *******



 

 一方、その様子を隣で踊りながら見守っていたルナとカーライルは。突然のイングラムの求婚にこけそうになりつつも、なんとか体裁ていさいを整えていた。

 まさか超一流の旅芸人スキルが求婚のきっかけになってしまったとは、気付きもしないレナは呆然とイングラムを見ている。そのレナを獲物としてロックオンした狩人のような瞳で見つめるイングラム。

 ルナとカーライルはレナとイングラムに聞こえないようにひそひそと小声で話す。


「――ちょっとカーライル様、いまのは一体なんなんですの? たしか、求婚とかおっしゃておりましたけど……」

「私もそこまでの行動は予想していなかったというか。正直驚いたというか……」


 困ったように眉をひそめて、答えるカーライル。カーライルもまたイングラム同様、すこぶる美形に成長していた。血のように赤い赤眼も光沢のあるつややかな白い髪も、堀の深い整った顔立ちも美しいことこのうえなかったのだが。


 5年間の遠征えんせいを経て、さらに美しさに磨きがかかり、精悍せいかんな顔立ちとなり。遠征で磨き抜かれた強靭きょうじんな肉体と健康的な褐色の肌は、とてつもなく魅力的で野性的だ。背中には竜族の証である一対の真紅のウロコに覆われた翼が生えている。黄金に輝く華やかな翼のイングラムとは全く雰囲気が違う。真紅のウロコはまるで炎のよう情熱的な印象を見る者に与え、謎めきつやめいていてとても美しい。笑った時にのぞく八重歯も、エキゾチックな色気も倍増して。兄弟そろって最強のたらしになったことに間違はいないだろう――


 やんちゃな子供の印象はすっかりなくなり。高潔な兄に従順に付き従う弟といった感じだ。カーライルは生まれ持った優しい性格と、周への気配りや空気を読むことに長けており。種族や性別、年齢の垣根なく誰からも好かれている。


「そうですわね。こんな展開はわたくしも予想しておりませんでしたわ」

 はぁっとため息をつきながら、落ち着いた様子で呟くルナ。

「どうやら兄上は、レナ姫を好きだってこと自覚されたみたいですね」

「カーライル様……まさか今後の展開が楽しみ、だなんて思っていらっしゃいませんか?」


 疑うようなルナの問いかけに、沈黙が5秒ほど続いた。


「…………まあ少しは」


 全てを見透かしているような目でルナはカーライルを見た。そしてきっぱり断言した。


「カーライル様、それは嘘ですわ」


 八重歯を覗かせて苦笑しながら、カーライルは参ったような表情を浮かべた。緑色の美しく真摯しんしな瞳にこうも真正面から見られては、大人しく降参するしかあるまい。


「……はい、本当はかなり楽しみです」


 ルナはふふっと笑って悪戯いたずらっこのような笑みをカーライルに向けた。


「わたくしもかなり楽しみですわ」


 そして、一息ついてからルナはよしっと気合をいれた。


「でも、とりあえず今は。レナが容量オーバーでパンクする前に、助け出さなくてはなりませんので」


 失礼します。とカーライルとの楽しいひそひそ話を中断して、踊るために結んでいたカーライルの手を解いた。ルナはおもむろにポケットから何かを取り出した。

 それは普通の結婚指輪のような、見た目も中身も地味な銀の指輪。地味になる為の指輪、略して”ジミーの指輪”。その”ジミーの指輪”を隣で半ば呆然としているレナに向かって、ルナはかざして見せたのだ。


「レーナ、これなーんだ?」


 ルナは本当に悪戯の天才だ。カーライルは心底そう思った。

 ”ジミーの指輪”を見た瞬間、レナの顔色は真っ青になった。何が起こったのかを正確に把握して、わなわなと肩を震わせる様は、爆発寸前といったところだ。


「おっ……」

「お?」

「おねえさま――――――――――――ッ!」


 レナは大抵、相手と距離を置きたい時や怒っている時は、過度の敬語や丁寧語で話をするか。さんや様などの敬称を付けて話をする癖があるのだが。レナは普段、双子の姉をルナとしか呼ばない。そのルナをお姉さまと呼んだということは、かなり怒っているということだ。何ともわかりやすい感情表現である。


 大広間にはレナの悲鳴にも似た大絶叫がこだました。社交界デビューはレナの思惑とは全く違う方向へと進んでしまったようだ。まさに、衝撃のデビューとなったのだった。


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