本編

プロローグ

 今日は待ちにまった休日だった。二週間前から約束していた、高校からの友達で唯一無二の大親友である撫子なでしことのドライブの日。だけど朝から台風の影響でずっと雨が降り続いていて、撫子が迎えにきてくれた車の助手席に座りながら一向にやむ気配のない雨をぼんやり眺めていた。


「やっぱりこんな天気だと危ないし遠くにはあんまり行けないよね」


 残念だけど仕方ない。でも一緒にどこかへ遊びに行きたい! そんな気持ちが入り交ざっていてちょっと複雑な気分だった。


「そうだね。今日はだいぶ風も出てきてるし視界も悪いから。遠出は危ないから今日は近くで遊ぼっか」


 そう言って、隣でハンドルを切りながら話をしているのは大親友、芹沢撫子せりざわなでしこ18歳。色白でぱっちり二重、その上雰囲気が極上の超癒し系なのだ。もともと持って生まれたものなのだろうが、その雰囲気から滲み出る人の好さと優しい性格が相まって品の良さを醸し出し、そのモテっぷりは昔から留まることを知らない。


 同じ女子なのに同性から見ても本当に、昔から可愛くて可愛くて可愛くて……エンドレス。18年の人生の中で、芹沢撫子以上に可愛くて心が綺麗な人と出会ったことがなかった。


「そうだよね」


 私は残念な未練たらたらの気持ちのまま、またぼんやりと雨で曇りがかった窓ガラスの外を眺めた。


大和やまとは今日どこ行きたい?」

「うーんどこでもいいよ。撫子なでしこはどこか行きたいところある?」

「私もどこでもいいよ。大和は行きたいところある?」

「そうなの? うーんじゃあ、ブック○フとか?」

「じゃあ、ここから近い場所は……ちょっとまってね検索かけるから」

「ゆっくりで大丈夫だよ。ドライブって感じで今も楽しいし」

「うん」


 撫子はいつも私にそう聞いてくれる。いつも私の希望を聞いてくれて、いつも合わせてくれる。本当に天使のような女の子だ。そんな撫子と対象的なのが今名前を呼ばれたこの私、田中大和たなかやまと。年齢イコール彼氏いない歴の18歳。色白の大親友とは正反対の地黒で一重の思いっきり日本人顔。いわゆるしょうゆ顔でやつなのか。名前の大和なんて生粋の日本男児みたいだ。


 そのうえ優しさなどかけらもない自分勝手な我儘な性格。猪突猛進ちょとつもうしんの野性児でやりたいことは率先してやるが、やりたくないことや苦手なものに対しては脱兎だっとごとく逃げ出す。自分でも逃げ足の速さはピカイチだと思う。何といっても、苦手な人を目前にした時の逃げっぷりはすごい。


 この優しい大親友すら置き去りにして相手が気付く前にきれいさっぱり影も形もなくなっているのだ。そうなってしまった背景には小学生、中学生の時に受けた続けた悲惨ないじめの過去が原因となっている部分が大きい。攻撃的な雰囲気を感じる人にはかく苦手意識を持ってしまうトラウマを抱えてしまった。


 猪突猛進ちょとつもうしんの野性児の性格と行動が災いして、いじめに裏切りは日常茶飯事にちじょうさはんじの人生をずっと送ってきたが。高校に入ってからは地元を離れて私立の高校へ入学した為、いじめとは縁を切り平穏な人生がスタートした。


 同じ中学校の人達の大多数が公立の高校に入学した中、私は私立の女子高へ入学した。女子だけの空間は気持ちも楽だったしちょっとした解放感があった。

 そして高校に入ってから初めて友達と呼べる人達ができた。その友達の中でも撫子とは家も近くて家族構成がとてもよく似ていた。兄一人に弟一人。価値観も近くて自然と仲良くなっていった。


 周りからも正反対なのに、なんでそんなに仲が良いの? と言われる始末である。しかも名前は二人合わせて大和撫子やまとなでしこ。日本女性の清らかさや美しさをたたえている意味らしいのだが、名前も中身も面白い組み合わせだなと常々思う。


 そうして今までの悲惨な人生の中で初めて仲の良い友達を手に入れた私にやっと訪れた平穏な人生。けれど、過去のいじめのトラウマからとんでもなくビビりになってしまっていた私は、人前に出ることも心底苦手になってしまっていた。人前に出る時はいつも緊張で声が震えたり、心臓が今にも爆発しそうになる。きっと一生、心の中に傷跡としてそれを引きずって生きて行くことになる。


 ――しかし生まれ持った猪突猛進ちょとつもうしんの野性児の部分が、イベントとか楽しそうなことに参加したいとうったえていた。どうしても我慢ができなくて虚勢きょせいをはって表に出てしまった。全校生徒の憧れ、生徒会に入ったのだが。

 入ってからもいろいろな出来事があった。そして生徒会に入ったことであんなに苦しくて辛い思いをすることになるなんて、その時は思ってもいなかった。

 そして裏切りはまた訪れた。慣れているから大丈夫だと、そういって笑ったけれど撫子はそんな私を見て一緒に悲しんでくれた。最後まで味方でいてくれた唯一の人。


 にこにこと笑みを絶やさずに撫子はいつも傍にいてくれる。本当に奇跡のような人だなと思う。何故自分のような人間にと自問自答したことは数知れずだが、とりあえず気楽に一緒にいられるし何より誰といるよりも楽しい。撫子もよくそう言ってくれて、その気持ちに嘘がないことは真摯しんしな瞳からも伝わってくる。お互いに気遣う所も心得ていて、親しき仲にも礼儀ありを守りながらそれが少しも負担にならない間柄あいだがら

 正反対ながらも一緒にいることが楽しい。結果、高校を卒業し大学生となった今でも週二ペースで遊んでいる。遊べなくてもメールや電話で連絡を取り合ったりして。


「私達って多分、この先10年たっても20年たっても同じように会ってそうだね」


 撫子がにっこりと笑って私に話し掛けてきた。


「……撫子はずっと変わらない気がする」

「大和もね。多分私達ずっと同じ大親友のままだと思う」

「そうだといいな」

「うん、きっとそうだよ」


 ちなみにいま乗っている車は撫子の両親の物だ。もともと両親が車の運転が好きなこともあり、その影響で撫子も運転が好きになり――という経緯でついに運転免許を取得してしまったそうだ。今日はその運転免許取得の記念日で、私はその記念日にちゃっかり助手席ポジションを確保し、独占状態をキープしていた。


 お互いに彼氏もまだいない状態。私がいないのは分かる。でもどうしてこんな素敵な子に彼氏がいないのか。世の中不思議なこともあるものだ。

 そう思っていた時、ドンッという衝撃が全身に走って突然視界が真っ暗になった。視界が闇におおわれて何も見えなくなる。えっ? と瞼に手を当てるとヌルッとして感触があった。生温かくて、今まで感じたことが無い感触だったが、これは血だと本能がそう告げていた。痛みも何も感じずそして視界が何も見えない為、隣に座っていた撫子の様子が分からなくて心配だった。

 撫子は無事だろうか? 暗くなっていく意識の中で、ただそのことが気がかりだった。




 *******




 ――どの位の時間が流れたのだろう。何があったのかよくは覚えていないけれど、意識は徐々にはっきりしてきていた。なのに動けない。体がいうことをきかないというより体の感覚がなかった。ここはどこだろう?

 私はとても不思議な空間にいた。周りは見えない。見えないというかただひたすら眩しいだけで。目を閉じていても明るさがまぶたを通して分かる。

 光しかないようなそんな空間。ぼんやりと死んだのかな? と思った。先程のあれは事故で私は多分死んだのだろう。ということは――ここは天国なのだろうか?  

 でも、いままでの所業を考えるとちょっと微妙な気分になる。基本的に人殺しとか犯罪はしていないわけで、性格悪いのは大丈夫なのかと変なんてことを考えていたら。頭の中に突然声が響いてきた。


「君は今天国にはいないよ。死んだのは事実だけど……本来ならもうとっくに新しい肉体へ転生していてもいいはずなのに、何故か君の魂だけは未だに狭間の世界に留まっているんだよね」


 はい? 今なんとおっしゃいました? と、いうことはやっぱり私はお亡くなりだったんですね――

 まあ仕方ないかどうせろくな人生じゃなかったし、と楽観的に考えた。

 こんな奴が生きてていいのかとかいつも考えていて何時も死にたいと思っていた。精神科に行ったらうつ病と診断された。それまで自分がうつ病だとは全く気付きもしなかった。よく私はきっと早死だろうなとか本当にとことんマイナス思考なことしか考えていない人生だったが。でもこれが私だから仕方ない。

 諦めることには慣れていた。そんなことを考えていたら、また頭の中に声が響いてきた。


「君の思考って何だかとっても痛々しいんだけど……。一緒に来た子はとっくに新しい世界に転生しに旅立ってるよ。君はきっとその井戸の底よりも暗い思考のせいで、まだこんな狭間に一人で置いてきぼりになってるんじゃないのかな。……そんなことでいいの?」


 痛々しい――それは自分自身が一番よく分かってます。そんなことよりも転生って何⁉ そんなこと出来るんですかっ?

 一緒に来た子とはきっと撫子のことだろう。やっぱりあの時一緒に亡くなってたんだ。あんなに良い子が亡くなるなんてと自分が死んだことよりも悲しく思えた。

 それにしても転生して新しい人生――なんだかとても面倒臭い気がした。また人間関係とかでこじれたり、したくもない勉強をして今後の人生を考えて切なくなったり。先が見えないことに怯えて暮らすのか。


 ぶっちゃけ嫌だなーと、思う。もうこのままこの狭間の世界とやらで漂っていてもいいかもしれない。そうしたらいずれは消滅してこんな意識もなくなって宇宙の塵のような状態になれるかもしれない。


 そうして、ちりになって消えればいい――そう思った。


 私の存在そのものが、いらない。生きる価値もない。だから生きていたくない。逃げだということは分かっている。でも、どうして終わった人生をまたやり直さないといけないのか? あれだけ苦しむのは一度の人生だけで十分。

 だから、そういうのも良いな。そんなこと考えていたら、声の主には筒抜けだったようで怒った声が頭の中に響いてきた。


「……君、馬鹿なの⁉ なんでそんなにマイナス思考なの? 新しい人生を一からやり直せるんだよ……どうしてそんな始めっから絶望的なことしか考えないの⁉」


 そして声の主は、新しい人生はきっと素晴らしいものになる、絶対に転生すべきだとまるで自分のことのように熱心に勧め始めた。何故か声の主からはとても焦っているような雰囲気が感じられた。

 話し方から察するに男の子だろう。それも子供から大人になる前の丁度変り目の時期、10代半ばの少年のような声だと思った。そして何で死んでまで子供に説教されているんだとわが身の不幸を嘆く。


 何にしても面倒なものは面倒なのだ。どんなに進められても嫌なものは嫌だった。こう考える私の方がよっぽど子供だと思って苦笑する。だからやっぱりさっき考えたとおりに宇宙の塵になるまでこのままここで漂いることにしよう。もうそれでいいや。と、半ば投げやりな感じでそう決意を固くすると――


「ちょっと……何を考えているの。どうしてそう下向きな考え方しかできないのさ⁉ いつからそんなふうに考えるようになったんだよ⁉」


 責めるような怒った口調――普通は動揺を誘うかもしれない。けれど乾いた心には申し訳ない程全く響かなかった。あまりにも理不尽な境遇が続いたり、絶望的な環境に追いやられたりして長い間孤独を感じて生きていると、最終的には自分自身を粗雑そざつに扱うようになってしまう。


 悲しいことに自分には価値がないって認めてしまって、そうして他人事みたいに自分に起こっていることを考えればそこまで傷つかなくなる。そうやって徐々に暗い闇の部分の染まって行ってしまった。ということで今までの人生経験から捻くれ者で相手の迷惑を顧みない人に成り果てた姿、これが最終形態の私です。だから諦めて下さい。

 そう自分勝手なことを考えて開き直っていると。暫しの沈黙の後、本当に心配しているのか先程までの勢いが消えた、少し不安そうな悲しそうな声が聞こえてきた。


「……じゃあいったいどうすれば、君は転生する気になるの?」 


 必死な様子がヒシヒシと伝わってきて、何だか少し声の主が可哀そうに思えてきた。


 ――弱いんだよねこういうの。


 今まであまり良く扱われてこなかった分、本当に好意を寄せてくれたり嘘がない親切とか心配してくれる行為には。声の主の必死さに思わず転生について少しだけ考えてしまった。


 うーん、転生するとなるとまた一から勉強――それはすっごく嫌だな。第一この困難極まりない性格からしてまた悲惨な人生を繰り返し送りそうだ。悲惨な人生を繰り返さない方法。

 これはもうアラジンの魔法のランプの如く願いを3つとか叶えてもらうとか。そういう特典付の人生じゃないと、普通の人生が送れない気がする。

 と、いうことで。もし本気で転生させたいとお考えなら新しい人生に特典とか付けて頂けないでしょうかー? それなら少しは考えてもいいかも。


「……君って本当に面白いこと考えるね。願いを3つか……。もしそれが叶わなかったら君は転生しないでここにずっといるつもりなんだね。もういいって諦めて動くつもりはないんだね……」


 まあそうだろうなと思った。ずっとここにいるのもいいかなって思える。このとても静かで穏やかな狭間の世界には、何かに苦悩したり辛い思いをして頭を抱えるようなことは一切ない。

 それに人生なんてもういいやって思っていたから。宇宙の塵になるまで何年かかるかは不明だけれど、ここもそう悪くはないんじゃないかなって思えていた。


「……君は本当に嫌なんだね。生きることが」


 だからさっきからそう言ってます。

 ――それにしてもさっきから君君君君君って、私には大和っていう名前があるんだけど。


「分かったよ。君の言うとおりに願いを3つ叶える。だから……幸せになってほしい」


 と声の主は泣きそうな声で切なそうに懇願こんがんした。その声はやっぱり十代半ばの少年のもののような気がした。


 って私の名前は無視ですか? 折角せっかく教えてあげたというのにっ! もうお亡くなりになってるから今後使用することはあまりないとは思うけどっ! あまりというかもう使うことはないか。


 まあ、なにはともあれ仕方ない。あと一回だけ生きてみて良い人生を送れるかどうか試してみよう。

 我ながら単純だなと思うものの。これだけ真剣に心配されて幸せになってほしいなんて言われたら、もうやるしかないかなとも思うのだ。

 でも派手なことはしたくないし面倒事にも絶対に巻き込まれたくない。かく、地味に目立たず穏やかに暮らせるように努力して、そういう人生を歩むよう頑張るんだ。それを実現しるには絶対に出しゃばらないことが重要だ、出る杭は打たれるものだということが今までの経験から身に染みた教訓だった。


 願いを3つ叶えてもらえれば新しい人生を少しは悠々自適ゆうゆうじてきに過ごせるはず。あとは先に転生した撫子を探し出そう。探して見つかった時に自分のことを覚えていてくれるだろうか。そしてまた大親友になれるだろうか、そういった不安と共に私の新しい転生人生が幕を開けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る