夏休み明け

 夏休みが終わって学校が始まった。

 始業式をやったり、課題を提出したり、ついでに席替えなんかもしたりした。

 夏祭りのあの日、ふじ……た、大洋さんから逃げ出してしまった後も、メッセ―のやり取りは続けていた。名前呼びはまだ慣れないけど、どうにかこうにかやっていっている。

 恥ずかしいだけで、好きな人のことを名前で呼べるっていうのはやっぱりうれしかったりするのだ。それだけ距離が近づいたんだなーって感じがして。……まあ大洋さんにとって私は子どもなんですけどね。

 大洋さんに一人の女性として見てもらいたい――そういう気持ちはある。でも、じゃあどうやって見てもらえばいいのか? っていうのがわからない。早く大人になりたいって思っても、私じゃあどんな人が大人なのかっていうのがそもそもよくわからないのだ。

 小学生から見たら高校生は十分大人だろう。高校生から見たら大学生だって十分大人だ。でも、大洋さんはもう社会人だ。私の身の回りで参考になりそうな大人の社会人の女性なんていう人は思い浮かばない。

 だから、結局大人って何? ってことを考えながら、自分の部屋のベッドとかリビングのソファとかでゴロゴロしていたのだ。

 そんなことをしていたら学校が始まってしまったのである。


「楓ー! 久しぶりー!」

「爽子ー! 元気にしてた?」

「もち! 楓は? あの人とのお祭りはどうだったの?」


 夏休みの後半会っていなかった爽子と久しぶりに学校で顔を合わせた。きゃー! なんて言いながら抱き合う。朝は学校中でそんな光景が見られた。みんな久しぶりに友達に会って興奮しているのだろう。もちろん私だってそうだ。


「楽しかったよ。ちょっとだけ進展したような、してないような……?」

「えーなにそれ! ちょっと詳しく聞かせてよ!」

「ここじゃあれだから、後でね」

「了解です!」


 ビシッと敬礼のポーズをとる爽子。やっぱり、こういう友達どうしの気軽いやり取りは安心する。

 大洋さんと過ごした時間は楽しかったけど、ずっと緊張しっぱなしだったから。精神的にすごく疲れたというか。

 初日のホームルームが終わり、帰りの時間。進学校とかだったら初日から授業があったりするんだろうけど、うちは一応普通科ではあるけどそこまでではないから、そのまま帰れるのだ。


「楓、これからどこ行く?」

「そうだなー……」


 爽子と連れ立って歩く。どこか落ち着いて話せる場所で話したい。ついでにお昼ご飯も食べたい。家に帰ればそりゃ私の分のご飯はあるかもしれないけど、爽子のご飯がないし。

 どこかファミレスかなんかに入って話そうかな。喫茶店とかでもいいけど。

 なんて悩んでいると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「香澄ちゃん久しぶりだねー。元気にしてた?」

「理央君久しぶりー! もちろんだよ!」

「京子ちゃんも久しぶり。なんか焼けたねー。でも似合ってるよ?」

「えーほんと? 実はちょっと気にしてたんだよねー。ありがと!」

「お前相変わらず女子にはそんな態度なのな」

「当たり前だろ。何? お前も褒められたいの?」

「やめろ気持ちわりぃ!」


 きゃー! なんて黄色い悲鳴が聞こえてくる。理央君だ。

 理央君とは、なんかあれ以来気まずいなぁ……。意味深なこと言われたし、夏祭りの時逃げ出しちゃったし。

 できれば見つかりたくない。いつかはかち合うのは避けられないけど、先延ばしにしたっていいはずだ。それくらいの権利は私にだってある。先延ばしにする権利ってなんだ。


「理央君は相変わらずだねー」

「そ、そうだね。いこ? 爽子」

「え、ちょ、どしたの楓?」

「いいからいいから」


 爽子の背中をぐいぐい押して進む。なんか最近同じようなことをしたような気がするけど、気にしちゃだめだ。気にしたら負けだ。何に負けるのかはわからないけど。


「あ、爽子ちゃん……と、楓」


 あー! 見つかったー! なんで!? 爽子の背が高いからか! 縮め、爽子!

 サッっと爽子の後ろに隠れる。理央君には悪いけど、顔を合わせたくない。夏祭りのこと聞かれそうだし、それ以外のことだって何喋っていいのかわかんないし。


「爽子ちゃん今日も元気そうだね。少し髪伸ばした?」

「気づいた? ちょっとだけ気分変えようと思って」

「……で、楓はなんで隠れてるの?」


 理央君に聞かれてビクゥ! と震える。そりゃ、まあ私が爽子を盾にして隠れてたら気になるとは思うけども。そこは空気を読んで何も聞いてこないでほしかった。


「と、特に深い理由はない……です」

「なんで敬語?」

「お前がなんかしたんじゃねーの?」

「え? いやなんもしてないけど。……してないよね?」


 何かされたかされてないかで言ったら、されてないんだけど……。

 いや、うん。私が構えすぎっていうことはわかってる。わかってるんだけどさ。こう、どうしようもないことってあるじゃん?


「なにもされてない……けど」

「けど?」


 あなたと何話していいかわかんなくて気まずい、なんて本人に言えないし。今まで理央君に対して気まずいなんて思ったことなかったのに、理央君があんなこと言うから。


「あー……うん……爽子、いこっ」

「え? ちょ、楓?」


 結局、夏祭りの時と同じように私は理央君の前から逃げ出したのだった。

 あーもう! なんとかしたいよー!






 喫茶店に入って、軽食とコーヒーを注文する。爽子は紅茶を注文した。

 理央君から逃げ出した後、私たちは学校から出てこの喫茶店に入った。学校からも、私の家からもそう遠くない位置にある喫茶店だ。モダンな感じではあるんだけど、落ち着いた雰囲気のお店だ。


「……で? 理央君と何かあったの?」


 注文して一息ついたところで爽子に聞かれた。

 何かあったって言ったら何かあったって言えるし、でも具体的に何か行動されたわけではないから、そういう意味では何もなかったっていえるか……も?

 いや、爽子が聞きたいのは私の言い訳じゃないっていうのはわかるから、ここはもう正直に言おう。爽子に言わない理由もないし。


「この間のバイトの時にさ、理央君に真剣な顔で『楓を夏祭りに誘おうと思ってた』みたいなこと言われて……。私、今までそんなこと男の子に言われたことなかったから、すっごく動揺しちゃってさぁ……。『どう受け取ればいいの?』みたいな意味わかんない返ししちゃっただよね。そしたら、理央君が『どうぞご自由に。でも、俺こういうことで冗談言わないから』みたいなことをさらに言ってきて……」


 なんかうまく伝えられないけど、こういう感じだったはずだ。

 改めて、あの時の理央君はいったい何を考えてたんだろうか。


「ふーん、そう」

「なんかそれから、理央君と気まずいっていうか。気まずく感じてるのは私だけなんだろうけど、なんていうの? 理央君と何を話していいかわからないというか」

「あー……それで理央君から逃げ出しちゃったわけね」

「うん」


 純粋に夏祭りに誘ってくれようとしただけ? それとも、それ以上の意味があったの?

 でも、理央君は女の子みんなに優しいから、ただ単に気を遣ってくれただけかもしれないし。でもでも、もし万が一そういうのじゃなかったら……? いや、でもこれは私のうぬぼれになるのかもしれないし……。


「理央君がなんであんなこと言ったのか気になって、まともにお話しできない。それに、夏祭りの時に大洋さんといるところ見られちゃったし」

「まあ、そりゃ気になるよね。あの理央君だし。……って、大洋さん?」

「……あっ」


 最近ずっと大洋さんって呼ぶようになって、何の気なしにそのまま大洋さんって言ってしまった。

 爽子が勢いよくテーブルに身を乗り出して、私の方に迫ってきた。その眼はらんらんと輝いているように見える。

 うわー……爽子、めちゃめちゃ楽しそうなんだけど。


「大洋さんって藤原さんだよね!? いつ名前で呼ぶようになったのっ? っていうか、進展ってそういう話!?」

「しーっ。爽子、うるさい。ちょっと落ち着いて!」


 いきなり大きな声を出した爽子に、慌てて静かにしてと注意する。喫茶店内で大きな声を出したら他のお客さんに迷惑だ。それに、こんな話他の人に聞かれたくないし。

 私に注意された爽子は、少し申し訳なさそうに「ごめん」と謝った後、体勢を元に戻した。


「それで、藤原さんとの話はしてくれるんだよね? もともとそれの話するために学校出たわけだし」

「いや、そうなんだけど……理央君の話し終わってからじゃダメなの?」

「そんなのはあとあと! 理央君なんていつでも見れるし話せるんだから、まずは藤原さんの話でしょ。なんたって楓の好きな――」

「わー! 何言おうとしてんの爽子っ!」


 爽子の言葉を思わず大声で遮ってしまう。そんな私に爽子が口に人差し指を当てて「しー」とジェスチャーしてくる。私はハッとなって、慌てて口をつぐむ。爽子に注意したことを自分でやっちゃうなんて……。

 きょろきょろと周りを見回す。他のお客さんは、ちらりとこっちを見るだけで、特に何か言ってくるようなことはなかった。助かった。ごめんなさい。

 あーもう恥ずかしい。顔が熱くなる。


「で、藤原さんとはどうなったの?」


 今度は普通のトーンで爽子が聞いてくる。

 私は、夏祭りの出来事を頭の中で整理しながら爽子に話し始めた。

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