第1話 赤ずきんを食べたいの


「こっちだよ、早く早く!」


 遠くの方から誰かのはしゃぐような声が聞こえる。

 森の中を反射するその声は、どこから聞こえているのか分からない。

 だが、その声はとても明るいものだった。


「ふう……やっと霧を抜けたね」


 どれくらい霧の中を歩いただろうか。

 視界に白以外の色が入ったことにエクスは胸を撫で下ろしながら、なんとなく遠くの声を聞いていた。


「ええ……それにしても、なんだかここの森は鮮やかな木々が多いわね」


 レイナが辺りを見渡すと、赤や黄、橙色に染まった木々が一同を出迎えてくれる。


「これは確か、紅葉というやつですね。美しいです……」


 鮮やかな色彩の世界に、シェインは思わず心奪われそうになってしまう。


「青々しい山も好きだが、これも悪くは無いな」


 シェインに続くように、タオも紅葉の景色に見入る。

 そんな美しい森の入り口で、エクス達は感嘆の声を漏らしていた。

 だが、それも束の間のこと。

 一しきり紅葉を楽しんだところで、エクス達は動き出す。


「とりあえず、いつもみたいに情報収集からだね」


「そうね、誰かいれば助かるのだけれど」


 すると、森の方からガサガサと葉を擦ったような物音が一同の耳に入る。


「みなさん、森に誰かいる様です。くれぐれも油断せずにです」


 シェインのその声に、エクス達は警戒しながらも、徐々に近づいてくる足音に耳を傾けその時を待つ。


「君たち、こんなところで何をやっているんだい?」


 足音の主は、エクス達を訝しげに見ながら声をかけてきた。

 その両手には熊でも、狼でも容赦なく葬ることができるだろう、猟銃が握られている。


「お、おっさん!? 無事だったのか!?」


 タオがその男の姿を確認すると、驚きながらも、どこか嬉しそうな表情で猟師の顔を見つめた。


「……ん? 君とどこかであったかね? 私は全く覚えていないのだが……」


「ちょっと待って……もしかしてここの想区って……!?」


「ええ、エクスの想像通りでしょうね」


 何かを察したエクスに対し、レイナは表情を変えることなく首肯を示した。


 そう、この場所は以前エクス達が訪れたことのある想区であった。

 名は、赤ずきんの想区。

 一同は、今でもここで出会った人々のことを覚えていたのだ。


「タ、タオ兄! ここの想区は既に姉御によって一回調律されています。シェイン達のことは、もう覚えていませんよ」


 シェインは目の前の猟師に聞こえないように、ひそひそとタオに耳打ちする。


 『調律』それは、カオステラーによって壊された世界を、元に戻すことができる、レイナが使う不思議な力のことである。

 元に戻ると言うよりも、再構築と言った表現の方が近く、そこに住む人々は、調律と共に、カオステラーに支配されていた時の記憶も失ってしまう。


「そ、そうだったな……あの時、助けられなかったからついな……」


 タオは以前、この想区で猟師を助けられなかったことがあった。

 出会う人全て助けることは不可能である。それを理解しているタオであっても、救えなかった記憶と言うものは簡単に消せるものではない。


 タオの後悔に染まる表情に、エクスはそんなことを感じられずにはいられなかった。


「いや、人違いだったみたいだ。すまないな猟師のおっさん」


「ん? ならいいのだが……君たちも、こんな森の中をいつまでもうろうろしてはいけないよ。近頃、この辺りではオオカミの姿が度々確認されているんだ。命が惜しいと思うのなら早くここから去りなさい。いいね?」


 最後に念を押すように言葉を発し、猟師は再び森の奥へと行こうとする。


「全く、最近はよく分からないことが続くな……いきなり森が赤に染まったり、オオカミは頻繁に現れるし……」


 去り際にぽつりと愚痴を零すように言いながら、猟師は森へと消えて行った。


「あのおっさん、本当に大丈夫なのかよ……」


「………………タオ兄……」


 タオの沈鬱な表情に、シェインは心配そうに見ていた。

 そんなタオに、レイナは遠慮なしに口を開く。


「タオ、あなたらしくないわね。そんなお葬式に来たような顔の人間が、リーダーを名乗るなんてやめてほしいものね」


 レイナの辛辣な言葉に、エクスは苦笑で返すことしかできなかった。


「レイナ、それはちょっと言いすぎなんじゃ……」


「いや、エクス……いいんだ。お嬢の言う通りだ。リーダーがこんな顔していたら、シェイン達が困っちまうもんな」


「はい、タオ兄は元気な方が、タオ兄らしいのです!」


 シェインも少しでもタオを励ますように、笑顔を見せた。


「よし! それならさっさとカオステラーを倒して、ここも早く元に戻してやるか!」


 タオの表情に笑顔が戻り、高らかに宣言したその時。

 再び、森の中からガサガサという音が聞こえる。


「あら? さっきの猟師の人が戻ってきたのかしら?」


 レイナ達は不思議に思いながら音の方を見ていると、すぐに音の主が姿を現した。


「がおーー…………」


 突如現れ、そう鳴いて見せたのはオオカミ(?)であった。

 低いうなり声を上げる訳でもなく。鋭い牙で威嚇するわけでもなく。

 腹を空かして興奮しているわけでもない。


「がおーー…………」


「………………」


 一同は状況が呑み込めず、そのまま黙り込む。

 それでも、その生き物は『がおーー』と言ってくるのであった。


「君は……一体何者なの……?」


 エクスのその声は、問いと言うよりも独り言に近いものだった。

 すると、表情を変えぬまま、オオカミ(?)は答えた。


「私はオオカミ。これから赤ずきんを食べに行くの」


「いや、どうみてもオオカミじゃないだろ! それ毛皮じゃなくてただの服じゃねえか!」


 タオが声を荒げてしまうのも無理のないことだった。

 自称オオカミと名乗った少女が身に纏っていたのは、オオカミをモチーフにした、フードのついているワンピースのような服であった。フードのてっぺんにはもふもふの耳もつけられており、もこもことした毛皮風の靴もしっかりと装備されている。


「そうね……オオカミと言うよりも羊よね。どう見ても、捕食する側ではなくされる側にしか見えないわ」


「そうですね。シェインもこんなかわいいオオカミさんが存在するのであれば、ぜひお友達になりたいものです」


「ねえ……これは、なにかの遊びなのかな?」


 エクス達の中で、少女のことを本当のオオカミだと思っている者は誰一人としていなかった。

 それでも、オオカミは気にする事も無く口を開く。


「この牙で、赤ずきんを食べに行くの」


 オオカミは口をニッっと横に開き、自分の牙らしきものを見せてくる。


「随分と可愛らしい牙だね……」


「ええ……あれじゃあ肉どころか、肌さえも貫通しなさそうね」


 少女が見せた牙は、牙と言うには丸みを帯びていた可愛らしい犬歯だった。

 瞳はくるっと真ん丸で、小さな唇からは獲物へ対する意気込みが今も漏れている。

 身長の高さだけで言うのなら、この想区の主人公である赤ずきんと歳は大して変わらないだろう。


「じゃあ、赤ずきんを食べに行くの。さよならなの」


 エクス達がどうしたものかと思案しているうちに、オオカミはそのまま去ろうとしてしまう。

 そんな少女を、エクスは反射的に呼び止めた。


「ちょ、ちょっと待ってよ! どこに行くの?」


「ふにゅ? 赤ずきんを食べに行くの」


 エクスの言葉にくるりと振り返りながら、オオカミは当たり前のように自分の目的を再び話す。


「た、食べるって言うのは……その……どういう意味かしら?」


 オオカミの言葉に、頬を僅かに染めながら、どこか上擦った声でレイナは聞いた。


「姉御、なぜそんなにも照れているのですか……?」


「べッ、別に深い意味なんてないわよ! ただ、食べるってなんなのかなって思っただけなんだからね!」


 それでもシェインは、レイナを怪しむように目を細めながら見ていた。

 そんな二人には全くの興味を示すことなく、オオカミ小さな口で言う。


「食べるは、食べるなの。喰う。召し上がる……頂く? 頂きますなの」


「頂きまうすっ!?」


「いやお嬢、さっきからどうしたんだよ」


「い、いえ……何でもないわ……取り乱してごめんなさい……」


 レイナの挙動不審な様子に一同は違和感を覚えながらも、エクスはオオカミに言った。


「よく分からないけど、赤ずきんちゃんを食べたりしたら、きっとケガしちゃうんじゃないかな?」


「ふにゅ? 食べるとケガするの? じゃあ、丸吞みなら?」


「まあ、丸吞みならケガはしないと思いますが、そこまでいってしまうと、もうケガレベルの話ではないのです」


「そもそも、お前のその口で人を丸飲みできるとも思えないしな」


 オオカミの素直な発言に、シェインとタオは見合うように苦笑した。


「そんなに赤ずきんちゃんのことが食べたいの?」


「うん、食べたいの」


 エクスが再び問うも、オオカミは迷うことなく牙を見せ、即答する。


「オオカミさん、オオカミさん。なぜあなたは赤ずきんを食べたいのでしょうか?」


 今も自称牙を見せているオオカミに向かって、シェインは少しだけ視線を合わせるように屈む。そしてオオカミは、表情をピクリとも変えずに淡々と言った。


「それが、“運命の書”に書かれているからなの」


『運命の書』それはこの世界に住む人々が、生まれた時に与えられる一冊の書物。

 彼らは生まれてから死ぬまで、その『運命の書』に書かれた役割を全うする。

 そこに疑問や、否定の感情を持つことは一切無い。

 それが、この世界の人々に与えられた運命なのだ。


「運命の書に書かれているのですか……?」


 オオカミのその言葉に、タオは違和感を覚えずにはいられなかった。


「待て、以前来たときに、こんな奴いたか?」


「うーん、覚えている限りだと居なかったと思うよ」


「そうね……あの時は確か……」


 一同が、以前の記憶を手繰り寄せていると、森の方から三回目のガサガサという音が聞こえる。

 その音にシェインは素早く反応を示す。


「なんだか、随分と騒がしい森なのです」


「今度こそ、あの猟師さんかしら?」


 だが、一同の予想を裏切るように、そこには誰も喜ぶことのない招かざる客が姿を見せた。


「クルルルルルルッ!」


 奇妙な声を上げながら、ヴィランが姿を現す。


『ヴィラン』それは、カオステラーが生み出す世界の歪みの一つ。

 カオステラーの手下として、エクス達をはじめ、その想区の人々を襲ってくる危険な存在である。


「全く、おちおち考え事もできないわね!」


「お嬢、嘆くのは後だ! さっさと片付けるぞ!」


「オオカミちゃんは僕の後ろに隠れていて!」


「ふにゅ? はいなのです」


「みなさん、来ます!」


 色とりどりの景色の中、エクス達の戦いが始まった。



      ◇



 苦戦することもなくヴィランを退けると、オオカミはすぐに口を開いた。


「じゃあ、赤ずきんを食べに行くの」


「ちょっと待ってよ!」


 エクスが声で制止しようとするも、今度はそのままオオカミは森に入ってしまう。


「あら、どうしたものかしらね?」


「本当に赤ずきんを食べに行ったのでしょうか?」


「運命の書に書いてあったって言ってたから、多分間違いないだろうな」


 一同は森に消えていくオオカミの後姿を眺めていた。

 すると、エクスが思い出したように声を上げる。


「そう言えば、森には猟師のおじさんが居たよね!? それってちょっとまずくないかな?」


「新入りさんの言う通りかもしれないです。近くで見れば女の子だと分かりますが、遠目で見れば、あの服装はオオカミそのものです。下手をすれば殺されてしまうかもです」


 エクスの予想にシェインは肯定を示すように声を上げる。

 それを聞いたエクスの顔には、焦りのようなものが滲み始めていた。


「そうだよ! このまま放っておくわけにはいかないよ!」


「そうかもな……あのオオカミを追っていけば、猟師のおっさんとも再び会うかも知れないしな。後を追ってみるか」


「まあ、この想区の主人公と繋がりがありそうなのは確かよね。そうね、とりあえずついて行ってみましょうか」


 エクスの提案に賛同した一同は、オオカミの後を追うように、

 紅葉に染まる景色の中を走り出した。

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