女帝-05

「お入りなさい」

 ノックの音に部屋の主が答える。

 その声は百戦錬磨の古強者のようにも聞こえたし、僕らとそう変わらない年齢のようにも聞こえた。


 ドアを抜けた暖かい部屋では、声と同じく僕の母親位の年齢にも、僕らと変わらない年齢にも見える、でも確実に美しい女性が忙しげに書類を確認していた。


「私がエカチェリーナ・ダレット。貴方たちが探していた『女帝』よ」

 数十枚ずつの書類の束をアレクセイさんたちに指示を与えながら渡すと、エカチェリーナさんは優雅な仕草でソファーに腰を下ろした。

 フランチェスカが僕の目を覗き込み、僕は小さく頷く。


 間違いない。この人が、女帝だ。


 僕は、この人の絵を描きたいと思った。


「お願いします。エカチェリーナさん。貴方の絵を描かせてください」

 後のことも考えず、僕はいきなり切り出す。


「構わないわよ」

 エカチェリーナさんも間を置かずに返事を返してくれた。


「……え? やった!」

訳も分からず、話が纏まったことに喜び、フランチェスカが声を上げる。僕は躊躇せず、バッグからカードと絵の道具を取り出した。


「構わないけど、私は見返りに何を手に入れることができるのかしら?」


「なんでも。僕の持ちうるものなら」

 うっすらと笑みを浮かべたエカチェリーナさんに真剣な顔の僕が答える。


「私の持ちうるものでも」

 僕の隣で、僕に負けず劣らず真剣な顔のフランチェスカも答える。僕はエカチェリーナさんを見つめたまま、イーゼルに真っ白なカードををセットした。

「……ふっ、ふふっ。可愛いわね、あなた達。でも今の貴方たちには、私が納得するような対価は支払えなくてよ」


 確かに。僕らは何も持っていない。持っているのは誰か他人に与えられたものと、お互いを思う真剣な気持ちだけだった。


「でもっ……」

 反論しかけるフランチェスカを手で制し、僕はエカチェリーナさんから目を離さずに座り直す。


「今はなくても。僕は必ず対価を支払います。フランチェスカとの旅が、彼女の満足できる結末を迎えたなら、……その後なら、僕の命でも」

「……アレフの命を求めるなら、一緒に私の命も」

 また、僕はフランチェスカの手を握る。僕らはエカチェリーナさんを真剣に見つめ続けた。


「あははっ、いいわ。貴方達。貴方達の未来は私が貰ってあげる」

 エカチェリーナさんがテーブルに書類を広げる。


「これは今後、アレフが販売する絵を私が独占販売する契約書。こっちはフランチェスカの魔法研究の成果を独占的に使用できる契約書よ。もちろん、正当な対価は支払うわ。どうかしら?」

 これは僕が画家として独り立ち出来た時に、販売を一手に引き受けてくれると言うこと? そんな素晴らしい事に僕が異論を持つはずがない。

 でもフランチェスカの方はどうだろう? 魔法ビジネスについての知識は僕は全くの素人だ。


「はいっ! お願いします!」

 僕の心配を他所にフランチェスカは元気に返事をする。


 後から聞いた話によると、魔法研究はそれだけでは全くお金にならないが、大きな商会に商品開発や契約などをやってもらえるなら、職業魔術師として独り立ちが出来る。そういう物らしかった。


「僕も、願ってもない条件です」

 2人は契約書にサインして、僕らの未来をこの人に委ねた。



 2週間後、毎日エカチェリーナさんの少ない空き時間を使わせて貰って、僕は4枚目のカードを描き上げた。

 フランチェスカはその間、エカチェリーナ商会の手伝いをして、すっかりニコライさん達と仲良くなっていたようだった。

 描き上げた神々しく美しい女帝は、獅子の描かれた冠をかぶり、真っ白な翼を広げて、細いその手は未来を指し示していた。

 僕はカードに3番の番号を書き込み、「女帝」とタイトルを付ける。


 本物の女帝は喜び合う僕とフランチェスカを抱きしめ、祝福してくれた。

 ニコライさん達にも祝福を受け、僕は画家になれるかもしれないと、かすかな希望を抱き始めた。




―――――――――――

3.女帝(The Empress)

―――――――――――

■正位置の意味

 繁栄、豊穣、母権、愛情、情熱、豊満、包容力、女性的魅力、家庭の形成

■逆位置の意味

 挫折、軽率、虚栄心、嫉妬、感情的、浪費、情緒不安定、怠惰

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