第4話 敗走、そして

 

 薄暗く、しかし広大な空間一杯に広がる蜘蛛の巣。

 間断無く聞こえてくる激しい殴打音。

 それすら掻き消すように空間を満たすのは、一定の規則を持ちながらも不愉快さしか与えない、カサカサと言うナニかの蠢く音。

 混じって聞こえてくるのは、幼い少女たちの悲鳴。

 それは、一言で言えば阿鼻叫喚であった。


「うわぁああん! ムリムリもうムリいっ!! 数多すぎい!」


「拘束突破されたよベーちゃん! そっちに向かってる! 数……四十!!」


「また増えたあぁああ!!?」




 ヴァルハラが占有する領土の一つに、≪巨蜘蛛の巣タランテラ・ネスト≫と呼ばれるダンジョンが存在している。

 外見上はごく普通の洞窟だが、内部は無数の機械蟲バグが徘徊しており下位素材アイテムや鉱石類が入手できる比較的低難易度のダンジョンだ。

 初心者でも籠りながら安全に狩りの出来る場所としてヴァルハラの初級プレイヤーには重宝されている。

 ただし、それは低階層での話しである。


 巨蜘蛛の巣、総階層数十六。

 その最下層には、ダンジョン名の元になった一匹の機械蜘蛛が存在している。

 自然の蜘蛛には有り得ない鋼の外骨格と刺々しい金属質の棘で武装したダンジョンボス。


 ≪ヴァリルタランテラ≫と呼ばれるそのボスは、戦闘力だけ見るならば中級下位に分類される。

 同じ中級でも火力、耐久力ともにドレイクレックスとは比較にもならないほど脆弱であり、同階級の中でも最弱の名を欲しいままにしている。


 実力だけならば既に中級プレイヤーと呼んで差し支えないベートとアルルーナならば、真正面から挑んでも勝利を手にするのは容易いだろう。

 もっとも……それは直接的な戦闘に限っての話であるが。


「一匹ずつならなんとかなるのお―――にいっ!!」


 黒銀の獣爪を血糊のようにオイルで汚しながら現在進行形で叩き潰しているのは、ベスティアの全長から比較すれば非常に小さな機械蟲。

 ヴァリルタランテラをそのまま小型化したようなその小さな蜘蛛の名は≪ヴァラタランテラ≫。

 小さいとは言っても大人の背丈ほどもあるが、それでもベスティアの拳一発で簡単に倒せる程度だ。しかし問題はその数と、最下層に施されたギミックであった。


 ダンジョン最下層は広大なフロアが一つだけの単純な構造だが、その全面が蜘蛛の巣で覆われている。これらはただのお飾りではなく、それ自体がプレイヤーに対するトラップそのもの。


 触れた対象の機動力を低下させ行動を妨げるという、単純だが狭いダンジョン内では非常に厄介な代物だ。加えて、巣の至る所から母蜘蛛を守るかのように子蜘蛛が無限沸きするという嫌がらせのような仕様となっている。


「次から次へと鬱陶しい……!!」


「ベーちゃん上! 上!」


「天井からもおおお!?」


 ヴァリルタランテラが中級に分類されているのは、このダンジョンギミックと合わせた総合戦闘力故だ。

 前から後ろから横から、あるいは天井から。

 この狭い空間の中で無尽蔵かつ縦横無尽に蠢く子蜘蛛は文字通りの壁となり、母蜘蛛は自身の巣の上でもがき抵抗するプレイヤーが弱まるのを待ってじっくりと構えていれば良い。


「それでもぉ……本体まで、辿りつければ!」


 これらギミックはボスであるヴァリルタランテラさえ倒せば子蜘蛛ともども消失する。

 息巻くベートだが、その思いとは裏腹に母蜘蛛との距離は絶望的なまでに遠い。


 なまじ短時間で成果を上げるために初手で≪悪名轟く凶獣ヴァナルガンド≫を発動したのが完全に裏目に出ていた。

 耐久力を犠牲に火力と機動力を上昇させ、敵のヘイトを一身に集めるそのアビリティは、しかし自ら移動することのないヴァリルタランテラと、数こそが強みのヴァラタランテラとは徹底的に相性が悪かった。


 結果起こったこの惨状。

 無限に沸き出る子蜘蛛だけが一斉にベスティアに群がるという、年頃の少女からすると悪夢のような光景。


 確かにベスティアの両拳は子蜘蛛を一撃で倒せるが、倒した数よりも増える数の方がなお速い。自慢の脚もギミック効果によってその機能を半減させられている。

 減少状態にある現在の防御力でも、ヴァラタランテラの攻撃ではほんの僅かしか耐久値を削れないだろう。

 だが徐々に、しかし確実に削られているのは確かであり、過日のドレイクレックス戦とはまるで真逆の様相を呈していた。


 ベスティアの保有するユニークアビリティは≪悪名轟く凶獣ヴァナルガンド≫以外にもう一つ存在している。

 ≪夜に吼える黒豹テスカトリポカ≫。効果は自身を中心とする敵に対して≪状態異常・恐怖≫を付与するというもの。短時間の拘束とステータス減少を与えるものだが、この状況ではまるで役に立ちそうにない。


 結果、今のベートに出来ることは、機体に群がる蜘蛛の子を砕き叩いて、ただひたすらに耐える事だけ。

 一方、ヘイトの集中するベスティアと違い、一切手傷を負っていないヘラは、しかしこちらもこの事態に関してどうする事も出来ずにいた。


「べーちゃん! 種が、種がもう無いよぉー!」


 ベートがこのような状態に追い詰められるまで、アルルーナも何もしていなかったわけではない。ヴァラタランテラの進行方向に対してアビリティ≪緊縛の茨アルラウネ≫を設置し続けていた。

 だがこちらもベスティア同様に、蜘蛛の群れ相手には相性が悪い。


 踏んだ相手を強制的に拘束する特殊地雷。

 対人戦ならともかくNPC相手には無類の強さを発揮するこのアビリティは、その設置数以上の数で迫る子蜘蛛によって踏破されていた。

 そもそも《緊縛の茨》自体、戦闘開始前の事前準備が十全に整っている環境下で使用するものである。一応使用するだけなら可能ではあるが、埋めた先から突破されていてはどうしようもない。

 アビリティ効果に特化し他の攻撃手段に乏しいヘラに取れる選択肢はベスティア以上に皆無。


 つまり結論だけ言えば―――既にこの状況は詰んでいた。



「ああもう―――撤退! 撤退しますよおっ!!」


「うわああああん! 蜘蛛なんて嫌いよお!!」






「「…………はあ」」


 惨敗。

 ヴァルハラへ戻った二人の心中に、その二文字が重圧となって圧し掛かる。


「いやまあ……勝てないだろうなあ、とは思ってたんですけどねえ」


「あそこまでボロボロにされちゃうなんてね……」


 正直なところ、あの結末は想定内であると同時に想定外でもあった。

 ヴァリルタランテラはそのダンジョンギミックも相まって、複数人での討伐―――チーム戦を前提としたボスである。

 それを、たった二人で。それも相性が最悪に悪い相手だという情報を得ていながらの戦闘だ。

 勝てると思う方がおかしい。


 とりあえず挑戦はするが、自分たちの今の実力でどこまでいけるのか試してみよう。それがベートとアルルーナ二人の考えだった。

 だが、その楽観は現実の前に叩き潰された。


 予想を超えた敵の数とその沸きの速さ。

 想像していた以上にこちらの動きを邪魔する蜘蛛の糸というギミック。

 計画性の欠片もない行動だったのが一番の問題だろうが、だとしてもボスと対峙するどころか、その姿すら満足に拝むことすら出来ず―――挙句の果てには無様な敗走。


 ―――勝てないにしろ、せめてボスに一撃くらいは与えていきたいですねえ。


 などとダンジョン突入前に軽口を叩いていた自分たちをぶん殴りたい気持ちで一杯で、二人とももはや乾いた笑いしか出てこない。


「種使い切っちゃった……お金あんまり残って無いのにぃ……」


「しばらくは、またレックス狩りですかね……ウォーたんに何を言われるやら」


 頭が痛い。

 懐も寂しい。

 二重苦とはこの事だろうと、何度目かのため息を吐く。


「せめてもう一人、万全を期すなら二人―――贅沢を言えば三人は仲間が欲しいですねえ」


「前衛が出来て、火力があって、私たちと定期的に組んでくれる……そんな人が良いね。あ、出来れば私たちと同じくらいの女の子!」


 そんな都合の良い人物プレイヤー


「―――なんて、そんな良物件、とっくにギルドが目をつけてるでしょうけど」


「やっぱり地道にいくしかないのかなあ……」


 アルルーナがぽつりと呟いたその一言が、ベートの心に突き刺さる。

 そんな筈がないのに、まるで自分が責められているような気がして。


 強くなれば、いずれは解決する問題だとそう言い聞かせていた。

 だが実際はどうだ?

 ≪B.O.O≫を初めて一年経つ。その一年で、どこまで進歩した?


 こんな様では、とても目指す目標には届かない―――目的は達成できない。


 ベートの中に焦りの感情が浮かび始める。

 強くなりたい。

 強く、強く、強く。

 誰よりも強く。



 ―――あんた達は悪くない。―――気にすることはないよ。―――すまないが君たちとは組めない。

 ―――アイツのせいだ。―――あの女の仲間。―――疫病神。

 ―――≪都堕とし≫


 波紋する。

 幾つも、幾つも、幾つも。

 ベートに……彼女たちに投げ掛けられてきた言葉の数々が脳裏に浮かび――――



「――――やめてください!!」



 ――――そんな思考の悪循環を断ち切るように、少女の声が響いた。

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