花嫁衣装と涙



 灯りを消したあとの、真っ暗な部屋のなか。長い一日が、ようやく終わろうとしている。


 いつもなら、とっくに就寝している時間なのだけれど、わたしは眠れずにいた。身じろぎひとつするのにも躊躇いを感じる。


 原因だけは、はっきりしている。

 結婚の承諾も、恋人から始める意思さえも示せてはいないのに。背中合わせではあるけれど、わたしはいま、公爵と同じベッドで横になっていたから。


 夕食後、言葉どおりに居座ってしまった公爵を床で眠らせるわけにもいかず、ベッドで一緒に眠るという妥協案をわたしが受け入れる形で、なんとか話はまとまったのだけれど。

 大人ふたりだと、体を寄せ合わせなければ横になれない広さのベッドだから。なんて。そのような理由が、言いわけとして成り立たないのはわかっている。


 結局また、押し切られてしまったというのが実状で。情けなさを感じる反面、久しぶりに過ごした公爵との時間が、それを打ち消すほど浮かれてしまうものだったのも事実で。

 帰ってくれと願ったのに。見捨てられなかったことに嬉しさを感じている自分にも気づいていた。


「夢渡の力を使って追い返すだなんて……。ルクスさまほど強引で、意志の強い人が相手では、不可能です」


 不満を口にしてみたけれど。待てども、いっこうに返答はない。


「しかも、さきに寝たりしないでください」


 すべてが公爵の思惑どおりに進んでいるようで、悔しさを感じたから。寝返りを打って、公爵の背中に額を当てた。


「このような対応をされたら、夢渡であることすら許された気になって……。離れがたくなってしまうではありませんか」


 熟睡している様子の公爵に触れていると、一年経ったいまでも、わたしには女性としての魅力が足りていないのかもしれないという考えが、ちらちらとよぎる。


 それでも。だからこそ。公爵はわたしのことを、真剣に想ってくれているのだと、いまなら信じられる。


 そして今度こそ、本心から逃げてばかりでは終われないと、わたしは強く感じていた。






   ******






 夢を見ていた。


 とても悲しくて、残念な出来事なのに、心が温かくなる。そのような夢のなかに、わたしはいたのだけれど。


「——モネ」


 誰かしら、わたしを呼ぶのは。まだ、この夢の続きを見ていたいのに。

 けれど呼びかけはやまず、つぎには、はっきりとした声が耳に届く。


「アネモネ?」


 どうしたのかしら。目に映ったのは、心配そうにわたしの顔を覗き込む、公爵だった。


 ここは、わたしが一年前から借りている部屋で。わたしが横になっているのは、その部屋に置いてあるベッドで。

 ふたりで眠るには狭いな。と、文句を言いつつも城館には戻らず、一緒にひと晩過ごすことを選んだのは、ほかの誰でもない彼自身で……。


 ようやく、夢に沈んでいた感覚が現実に浮上してくる。


「……ルクスさま。おはようございます」

「おはようじゃないよ。さっきまで苦しそうな顔をしていたのに……。平気なの?」

「はい。大丈夫……、ですよ?」

「なら、いいけど——」


 本当に大丈夫なのに。公爵はまだ、納得がいかないという顔をしている。

 それにしても、起き抜けに心配されるのは、これで何度目かしら。


 公爵がこんなに心配する理由は、ミネルヴァさまが教えてくださった話から推察はできる。おそらく公爵は、公爵の夢に触れ、感応しすぎて心を壊してしまった夢渡と、わたしを重ねて見ているのだと思う。


 けれど。

 わたしは横になったまま、さきほど見ていた夢を思い出し、つい、ふふっと笑いを零してしまう。それは見ていた夢が、公爵が経験した過去だったからで。


「悪夢でも見ているのかと思って心配したのに、笑って返すとは酷いな」

「すみません……。確かに、心が痛んで、対応にも困るような内容でしたけれど。夢に出てこられたルクスさまが、あまりにもお可愛かったから……」

「それ、どんな夢?」


 聞かれて失言に気づく。今回は無意識のうちに見た夢だったのだけれど。勝手に過去を覗かれては、相手が誰であれ、いい気はしないはずだから。


「アネモネ、その夢の内容を話してくれる?」


 覆いかぶさるようにして、わたしの頭の両横に、公爵が腕をつく。しかも。正面からわたしを見下ろす公爵の唇が、緩やかに笑みを刻んだ。

 これは話すまで退きそうにないと悟り、わたしは黙秘を断念する。


「ドレスを破いてしまって泣かれたかたとは、ミネルヴァさまだったのですね」

「ああ……、過去を見たんだね。昔のあの人は、子供のようだっただろう? まあ、いまもさして変わらないか」


 そう零して苦笑した公爵をまえに、さきほど見た夢の内容を、再度、思い返す。


 ミネルヴァさまにドレスを贈ったのはレオーネ王で。ミネルヴァさまにとっては愛する人からもらった初めての贈り物——、しかも花嫁衣装だった。


 転んだのも、ほんの不注意から。公爵に自慢しようと、大切に仕舞っていたドレスに、久しぶりに袖を通したのが始まり。素直に誉める公爵に、ミネルヴァさまは調子に乗って、はしゃいでしまった。


 その結果、ドレスを破いてしまって。動揺して、ついには『どうしたらいいの』と、泣き崩れてしまわれて。

 おそらくは照れ隠しだと思うけれど。公爵が差し出したハンカチを、可愛くないから使いたくないと言いつつ、奪い取って使っていらした。


 見たばかりの夢の内容を辿る作業に没頭しながら、わたしは話を続ける。


「ミネルヴァさまの悲しみを、ご自分のことのように受け止められ、心を痛めて苦しんでいらっしゃった幼いルクスさまが、それはもう本当に、お可愛くて……」


 そこまで口にしてようやく、余計な感想まで述べてしまうという重ねての失言に気づき、わたしは我に返る。


「それ、誉められているのかな?」


 苦笑する公爵のまえで、自己嫌悪に包まれていく。


「……そう、ですよね。このようにまた、ルクスさまに不快な思いをして欲しくありませんし。やはり、わたしとの結婚は考え直されるべきです」


 無意識のうちに夢を覗いてしまう。そのように異能の制御もままならない夢渡が、これ以上の幸せを望んではいけない。そう強く感じる。


 それなのに。






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