手にした短剣



 公爵の目的は夢渡の懐柔。それがソフィアの示した可能性だった。


 王をしいするに足る大義名分を得るため。手懐てなずけた夢渡、つまりはわたしを胡蝶に祭り上げ、自らが新たに選ばれた真の王であると主張し、公に反旗をひるがえすつもりなのだと。


 王の花が表舞台に立つことはありえないし、極論ではあるけれど。過去には胡蝶に、王を選定する権限が与えられた事例もあるから。

 元老院を納得させるに足る、材料のひとつにはなりえる。


 実際、胡蝶になってもらいたいと、魔女には頼まれもしたし。一度はわたしも、そうかもしれないと納得したのだけれど。


「胡蝶には、なれない……か。母からなにか言われた?」


 こくりと頷くと、公爵は苦笑していた。


「あの人の言葉は適当に聞き流してくれて構わないよ。俺は君に、そんなことは求めていないからね」

「では……、わたくしを生涯の伴侶にと、本気でお考えなのですか?」

「本気だよ。君を王のもとに帰したくないし、俺のそばにいたいと、君自身が望んでくれることを願っている。もうひとつ欲をいえば、俺が護りたいものを君にも理解してもらえたら、最高に嬉しいんだけどね」


 公爵の言葉を受け、魔女から頼まれたことを思い出す。


『ルクスのそばにいて、同じ夢を見て、その夢を護ってくれるだけでいいの』


 結局、公爵と魔女の要求は同じなのではないかしら。


「俺が、信用できない?」


 まあ、無理もないか。と、公爵は自嘲気味に呟いていたけれど。

 わたしは公爵から目を逸らし、俯いてしまう。


「……わたくしが何者かご存知のルクスさまなら、おわかりのはずです」


 咄嗟にわたしは、自分で答えを出すことから逃げようとしていた。けれど公爵は、それを許してはくれなくて。


「——そう。じゃあ、こっちに来て」


 有無も言わさずわたしの手を引き、公爵はベッドへと歩いて行く。立ち止まったのは、ベッド脇に据えられたサイドテーブルのまえだった。


 円形の天板は分厚いけれど、側面に彫られたアカンサスの葉や、天板を支える一本足が見せる曲線は柔らかくて、色もほかの家具と同じ白だから。この部屋にも違和感なく溶け込んでいて。

 凝った細工の施された木製のテーブル。わたしの認識はその程度で、なんの疑いも持たなかったのだけれど。

 公爵は迷わず、天板の裏に手を伸ばしていた。


 カチリという小さな音が、すぐに耳に届く。


 ただの飾りだと思っていたのに——。天板には仕掛けがあり、装飾によって巧妙に隠された、抽斗ひきだしが作りつけられていた。公爵はその留具を外したようで。

 抽斗から取り出されたものを見て、わたしは呼吸が止まる思いがした。


「……それは——?」

「護身用。君がリベルタスへ来るまえに、念のため俺が入れておいたものだよ。さっきまで忘れていたけど——。いま、思い出した」


 公爵の淡々とした物言いは、言葉の真偽を推し量りがたくしていたけれど。誰から身を護るためのものなのか。唯一それだけは、確認せずとも明らかで。

 公爵の目は、これまでになく真摯だった。


「君が俺を信用できないというのなら、夢渡の力ではなく——」


 抽斗から取り出したものを、公爵がわたしの手に押しつける。燭台に灯る明かりを映して鈍く光る……それはどう見ても、抜き身の短剣ダガーで。


「これを使って、ここを刺すんだ」

「…………っ!」


 胸に拳を軽く当て、自身の心臓を示した公爵に言葉を失う。


「できないとは言わせないよ。命を奪うというのは、こういうことだろう?」


 頭で理解するよりさきに、体が凍りついたように動かなくなる。


「どうしたの? 君は王の花で、俺を殺しに来たんだろう?」

「——ルクスさまを……殺す?」


 呟いて、手にした短剣に目を落とすと、途端に自分がやろうとしていたことが恐ろしく思えてくる。震えを感じ、両手で短剣の柄を握りしめ、わたしは弱々しく首を横に振っていた。


 そんなわたしをまえにして、呆れてしまったのか、公爵が小さく息をつく。

 けれど安堵したらしい気配を感じ、躊躇いながらも目線を上げてみると、公爵は困りきった表情をしていた。


 そこで気づく。頬を伝った冷たい感触に。

 不覚にもまた、わたしは泣いてしまったようで。


「そんな顔を、させたかったんじゃないんだけどな……」


 わたしの手から短剣を取り上げ、テーブルに置いたあと。頬に触れた公爵の指先が、優しく涙を拭った。


「君が王命から解放される日を待つつもりでいたけど——。ちょうど明日、魔女がお茶会を開く。君にも出席してもらうよ。それも今後どうするかの判断材料にするといい。最終的になにを選択するかは、君の自由だ」


 そう言った公爵の顔に、笑みはなかった。






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